一条天皇の頃の王権と神祇祭祀との密接な関係の構図を踏まえれば、藤原行成の我が朝は神国なり という表現は時代の象徴であった。 行成が彰子立后について第一に問題にしたのは大原野社祭祀で、1005年彰子みずから行啓を行う。 この大原野行啓は盛大な儀式で仁明皇太后・藤原順子の例を持ち出し、実質上は新儀であった。 車を輿にあらため 社頭の作法あたかも行幸儀のごとし と小右記に記されているように行幸を模して行われた。 皇后も立后したら みずから大原野に行啓して守護を仰ぐことが必要とされた。 この行幸については 「舞人には、たれたれそれそれの君達などかぞえて 一の舞には関白殿の君とこそはせさせたまひしか 」 と大鏡に いみじうはべりし 様子が詳しく描かれている。
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