一の谷の戦いでとりわけ有名なのは熊谷丹治次郎直実と息子・小次郎直家である。この直家は宇治川で負傷していたが、傷も癒えないまま父に従っていた。17歳である。いままで功妙をたてる機会に恵まれなかった直実は、必死であった。一の谷では薩摩の守忠度、忠光、景清、景経、敦盛らを有して控えさせていたが、源氏の奇襲に鵯越同様に、「卑怯なる院」とばかりに抵抗をみせる。ここで直家は再び敵矢により負傷すると、直実は息子の愛馬「白浪」に乗って敵の中へ飛び込んでいった。勝利はするものの源氏勢の犠牲はかなり多かった。
一の谷の合戦場・須磨の北500mくらいのところに安徳天皇内裏跡という伝承地がある。ちょうど折よく自治会長さんに一の谷の戦い、安徳天皇内裏などについて話を聞くことができた。どうやら伝承であり、古文書などに記載があるなどの根拠は無いようである。