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9月10日、京都文化博物館にて、当時の装束が着用できる!ということで、行ってきました。(JR 京都駅から市バス9番、西本願寺前下車徒歩約3分のところ)
【十二単】
公家女房晴れの装いは,現在宮中では,五衣(いつつぎぬ),唐衣(からぎぬ),裳(も)の服といわれ,俗には十二単(じゅうにひとえ)の名で呼ばれている。この装束は10世紀後半には成立していると考えられている。この形式をうけついだ平安時代後半,院政時代といわれる白河,鳥羽,後白河法皇の時代,11世紀末から12世紀末に至る100年の間は服装の面でも最も絢爛豪華な時代であった。
紐で結んでいないのでスルッとあっけなく脱げちゃいます^^。脱いだ後も人がいるように見えるのでこれを空蝉(うつせみ)といいます。空蝉もよろしいが、その中身も・・・よろしいです^^。
ところで、この写真の御方磨弧御前といい(聞き流してね)もうすぐ成人となられる御令嬢がおられます。(この子がかわいい・・・かあちゃんとえらい違い^^)
今回の京都旅行前日の会話
義経 :「明日、十二単着る?」
磨弧御前:「ぇ・・なにそれ・・」
義経 :「京都といえば、十二単やん。あれよ。」
磨弧御前:「なぬ!はずかしい・・・でも、着る着る♪♪」
「皆も着るやんね。」
義経 :「おれは、着ないぞ・・」(独り言)
ということで、御写真のようになった次第で御座います。当時の公家女房の想いを堪能したことで御座いましょう。
義経より一言
「ぁぁ・・、お嬢様なれば、装束も引き立つのだが、無念」