数多の烏天狗に匿われ、鞍馬山から奥州平泉へ旅立った義経
・であったが、平泉での生活は暇をもてあましたようである。
・平泉を捨てるかのように、最上川をくだりいつのまにか紀州にたどり着いていた。
・宇多天皇が初めて熊野詣を行ったという熊野街道には、熊野三山に囲まれた壮大な自然がある。
・実は義経が紀州熊野に辿りついたのも、叔父の源行家が熊野三山のひとつ新宮に落ちていたからである。
行家は為義の十男として生まれたことから新宮十郎行家といわれ、知力の長けた武者
・先の平治の乱では兄であり義経の父・義朝とともに戦うが破れ、ここ熊野新宮に落ち延びてすでに20年近く経っていた。
・母は熊野別当長快の娘で、姉・丹鶴姫は熊野別当行範と結婚していた為である。
・熊野街道の中辺路の入口である田辺は熊野別当湛増が六波羅探題のような熊野平家の勢力を広げ、
本宮、新宮、那智にまでその威力は及んでいた。
・これに対して熊野新宮にあたりに熊野源氏が二大勢力として力をもっていた。
・行家は、いつかは再び源氏が・・・・とその思いをくすぶらせていたのである。
・義経は、ほとんど留守にする行家の屋敷に身を細めながら思い存分の暮らしをしていた。
・すぐ近くの熊野三山のひとつ那智で修行中の月尊と出会っている。
・彼の本名は鎌田三郎正近という。4年前に義経が鞍馬を脱したときにそばにいたのである。
・久々の再会に胸躍らせて語ったものである。
・また後に伊勢まで何故か共に旅するのであるが、鮫女という武蔵坊弁慶の母なる者と義経を引き合わせたりもしている。
・義経が20歳のときに、熊野新宮をでて洛への旅を決意する。
・熊野平家の追っ手に悟られないように選んだ道が伊勢路である。
・しかし月尊・鮫と山路たびでは埒があかず、途中で海路をとっている。
・そこで知り合った海族の鵜殿家・御曹司隼人の介に世話になり、伊勢に着くと最期の宴に酔いしれた。
・海族とは海を往来する船から保険料ともいうべき通行料をとって富を得ているもの
で、船の遭難などがあれば命をはって救助を行うのである。
・そして今度は伊勢の土地に詳しい江の三郎が仲間に加わった。かれが後の伊勢三郎義盛である。
藤原成通が最初に詣でた熊野街道入り口にある滝尻王子