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8帖 義経が牛若丸時代に過ごした京都・鞍馬寺

2005年12月17日 | 平安時代

義経が牛若丸時代に過ごした鞍馬山

 鑑真(がんじん)和上の高弟である鑑禎(がんてい)上人が宝亀元年(770年)にこの地に草庵を造り、毘沙門天を安置したのが鞍馬寺の創始であると伝えられている。 その後、延暦15年(796年)に造東寺長官の藤原伊勢人が貴布禰明神のお告げにより、王城鎮護の道場として伽藍を造営し、千手観世音を祀ったとされている。 寛平年間(889~898年)には峯延が入寺して真言宗の寺になったが、天永年間(1110~1113年)に天台座主忠尋が入寺して天台宗に復したといわれている。更に、昭和22年(1947年)には鞍馬弘教が立教され、当寺が総本山となり、現在に至っている

 「仁王門」は寿永年間(1182~1184年)に建立後、明治44年(1911年)に再建。尚、左側の扉一枚は寿永年間の頃のものとされている。 「仁王門」に安置されている仁王像は湛慶の作。 一般的に「仁王門」は俗界から浄域への結界とされている。

 鞍馬寺、神社と寺院を混合したような「本殿金堂」に祀られる「本尊」は「尊天」といわれている。「尊天」は、月輪の精霊であり慈愛の象徴である「千手観世音菩薩」、太陽の精霊であり光の象徴である「毘沙門天王」、大地の霊王であり活力の象徴である「護法魔王尊」の三身を一体としたものである。  尊天は森羅万象あらゆるものの根源、宇宙エネルギーであり、真理そのものであるという。

ご覧の通り雪が積もり、寒いのなんのって。結界の向こうは確かに別世界でした。

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