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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2018年04月11日 05時39分32秒 | メッセージ
・祈りの諸課題の祈祷
・聖書:主牧  ルツ記3:6,7
「こうして、彼女は打ち場に下って行って、しゅうとめが命じたすべてのことを行った。
ボアズは食べたり飲んだりして、気分が良くなり、積み重ねてある麦の傍らに行って寝た。彼女はこっそり行って、ボアズの足をまくって、そこに寝た」

結婚の前のイスラエルの習わしで、清い習わし。ルツはモアブの出ですが、信仰と身持ちが誠実でした。ボアズの畑に入り、神の恵みで思いがけず落ち穂拾いをしたのです。その信仰と誠実が買われ、ボアズと結婚が許されました。ダビデ王、イエス・キリストの系図に入れられた偉大な祝福を与えられました。落ち穂拾いは貧しい者が頂けるものでした。皆様は終戦後、落ち穂を拾って食べたことがありますか。私は福島県相馬郡中村町で、子どもながらその経験をした覚えがあります。東京に出て、クリスチャンになろうとは思いませんでしたが、ボアズならぬイエス様に霊的にお会いすることが許されたことは祝福でした。皆様がたもそうである訳です。いかがですか!
詩篇103篇15~17(2017訳)
「人 その一生は草のよう。
人は咲く、野の花のように。
風がそこを過ぎると、それは、もはやない。
その場所さえも それを知らない。
しかし、【主】の恵みは、とこしえから、とこしえまで
主を恐れる者の上にあり
主の義はその子らの子たちに及ぶ。」

牧師・礼拝説教(要約)

2018年04月10日 06時08分28秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】4月1日
・説教者  山田 隆牧師
・引照聖句 ルカの福音書24章36~53節
・説教題  復活の親しい現われ
▼御子イエスの十字架の磔殺は、不法で酷い死を遂げるものでした。人のため死んでいただかねばなりませんでした。
 罪という罪科の代価を、万人が支払わなければなりませんでした。
キリストに免じて信じて、いかなる人でも罪や過ちを免除されることになっております。皆様の誰でもこの恵みを受け取ること・信じることで救われることになりました。
皆様の父母兄弟、配偶者、友人、関係者はおられましょう。
天で祈っておられます。この恵みを受け取りお金も生活の必要も家の宗教もありましょう。主のもとで祈っておられます。
◎私たちの深い心の悩み、孤独、不満足は、十字架について私たちを赦し、愛してくださる主イエスを知ること如何にかかっています。
▼そばに来て語っておられるのに分からないでいること、仲間がいるのに離れていること、だから、親密に交わり得る仲間の中に入って過ごすことをお勧めいたします。天において先に逝った方々の祈りと願いではないでしょうか。


牧師・今月のことば

2018年04月09日 05時39分59秒 | メッセージ

牧者の広場            2018年4月
 1990年代の日本において記録的な長寿で話題になった双子姉妹、成田きんさん、蟹江ぎんさん。
 誰もが驚きと尊崇、お人柄のゆえに親しみをいただいたのではなかろうか。
 現今は普通の人たちが100歳を目指して生きている。長寿社会なのだ。食糧、医療、居住などに恵まれているからだろう。
 ところで、旧約聖書創世記5章には次のように記されている「これはアダムの歴史の記録である。神は人を創造したとき、神の似姿として人を造り、男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を「人」と呼ばれた。アダムは、百三十年生きて、彼の似姿として、彼のかたちに男の子を生んだ。彼はその子をセツと名づけた。セツを生んでからのアダムの生涯は八百年で、彼は息子、娘たちを生んだ。(1~4節)エノシュの全生涯は九百五年であった。(11節)メトシェラの全生涯は九百六十九年であった。(27節)」ちなみに人祖アダムは九百三十年であった。何という長寿だろう!
 現今の長寿は人生四十、五十年といわれた時代からさほど経ないで急速になった。しかし、それは食べ物、生活環境、医療の発達などで、人工的に長寿を造って長持ちさせているにすぎないのではないか。神がくださる寿命は、キリスト者の場合は、イザヤ書65:22「わたしの民の寿命は、木の寿命に等しく、わたしの選んだ者たちは、自分の手で作ったものを存分に用いることができるからだ」とイザヤは預言している。
 神は啓示されて、神の御世の人の命が大幅に伸びることが示された。
 キリスト者の命は新約聖書によれば、ヨハネの福音書、使徒たちの手紙によると、死ぬことのない、朽ちることのない命をいただいていることを知り、経験します。
 罪によって短命にされた人は、キリストによってまさに、永遠の命を持つことになる。その始めのいのちを頂いていることを経験しているわけです。罪によって短命にされたが、キリストの贖いによって永遠のいのちを持ち、罪によって滅びない生命体を持つことにされています。ヨハネの福音書3章16節をどうぞ!
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」


宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会   牧師 山田 隆 

牧師・エッセイ 

2018年04月08日 15時16分56秒 | メッセージ
『私はいのちの限り、【主】に歌い、生きる限り、私の神をほめ歌います。
私の心の思いが、みこころにかないますように。私は、【主】を喜びます。』(詩篇104篇33~34節)


祈り
◎先週の墓前礼拝に参加された方のために。
◎卒業された帝京大生は本日から、広島教会、茂原市のある教会に出席されたと連絡を受けています。土浦から礼拝に来られた方のために。
◎牧師館の風呂場の洗面所が水漏れして修理不能となり新品を設置いたしました。指定献金が捧げられました。
◎水曜日に来訪された方のために。

♪今週半ばの集会♪
(火)読書会          13:30~ 教会
(土)公園CS         15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
☎028(621)8661

教会学校金言☞ 『このイエスを神はよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。』(使徒の働き2章32節)  復活の主に出会って喜んだ弟子たちの姿を知り、さらに確信を持って主の復活を信じることを学びました。

次聖日礼拝説教  「重要な第一の戒めは」マタイの福音書22章34~40節

牧師・余白余録 

2018年04月04日 06時19分28秒 | メッセージ
三浦綾子著「新約聖書入門」光文社
わたしが洗礼を受ける年の正月、私は当時、旭川の日赤病院に入院していた。そこに牧師を招いて、わたしは患者のために集会をもったのだが、同じ病棟の人たちが、男も女も、ほとんど聖書を買った。その中に胃がんで胃を切った人がいて、その人が最も熱心に聖書を読んだ。2ヶ月と経たぬうちに、新約聖書を2度読み、使徒の名も諳んじた。そして私にこう言った。「キリストが死ぬ時の弟子たちは意気地なしだったが、死んだ後の弟子たちは、別人のように強い。何があんなに弟子たちを強くさせたか。それはやはりキリストの復活だと思う」
また彼は、
「ぼくは、その弟子の働きを見ると、イエスの復活を信じることができる」とも言った。
 私が今復活信じるのも、この人の言う如く、使徒行伝における使徒たちの別人のような生き方を見るからである。
裏切ったり、四散した弟子たちが、なぜそうまでに強くなったのか。そう考えるとき、イエスの死後、何が起こったかとかと考えるよりほかに、考えようがない、その何かとは何か。それは聖書に記してあるとおり、イエスの復活があったと。聖書には、イエスは、ひとりまた数人、そして数百人の前にも、復活の姿を現したと記されている。この復活によって、弟子たちは旧約聖書に書かれてあった救い主が、確かにイエスであることを確信できたのではないか。
旧約聖書には、救い主がどのようにしてこの世に来、どのような最期を遂げ、そしてどのような復活をするかが預言されている。

牧師・エッセイ 

2018年04月01日 15時50分25秒 | メッセージ
『私があなたがたに最も大切なこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書に書いてあるとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおりに、三日目によみがえられたこと、 また、ケファに現れ、それから十二弟子に現れたことです。』コリント第一(15章3~5節)
◎現に小さな私たち一人一人にも霊的に!


祈り
◎続けて来会されている方々のために。
◎卒業された帝京大生は本日から、広島教会、館山教会に出席されているはずです。
◎当教会出身の牧師、信徒の兄弟姉妹を覚えましょう。

♪今週半ばの集会♪
(木)ミニチャーチ集会     13:30~
(土)公園CS         15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
木曜日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

ガーデンスポット
吉野桜  こぶし   山茱萸  椿3種 ウグイス

教会学校金言☞ 『ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。』(マタイの福音書28章6節)  主イエスが死に打ち勝ち、よみがえられたことを信じることの大切さを学びました。

次聖日礼拝説教  「香油の香り」ヨハネの福音書12章1~3節


牧師・余白余録

2018年03月27日 06時30分54秒 | メッセージ
マリヤの讃歌 マルティン・ルター著「マリヤの讃歌」岩波書店
(訳本 古い言葉は、現代語に変えております。)
「真に謙虚な人々は謙虚な結果に目を向けない。彼らは純朴な心をもって卑しい事物に目を向け、好んでこれに携わり、しかも自ら自分の謙虚な事をすこしも分からない。水は泉から湧いて出る。この時、求めないで、自ら彼らは細やかで卑しい挙動、言語、住居、風采、衣服を身につけて歩き、できる限り尊貴高大な事物を避けるようになる。そのことをダビデは言う。「人の子の間で卑しいことが崇められるときには、悪しき者がいたるところで横行する」、またヨブ記に「遜る者は誉れに至り、その目を伏す者は福祉を得ん」とある。それゆえこのような人には常に栄誉が思いがけなく与えられ、彼らは思いがけない尊貴をえるということにもなる。これは彼らが甘んじて単純にその微賎な境遇を満足し、高きを願わなかったからである。
 似て非なる謙遜家は自分に栄誉と尊貴をもって満足せず、ひそかに思いをひたすら高く高くへと馳せるのみである。
 それで私が述べたとおり、真の謙遜は自分の謙虚なことを少しも知らないでのである。そう、もし知っていたならばこの美しい徳の姿に慢心するであろう。真の謙虚はむしろ情意、心情、全精神を込めて微賎なことがらに思いをかけ、これに絶えずその目を向ける。・・・
 御使いの挨拶はマリヤの目には不思議に思われ、マリヤはこれはどういう挨拶だろうと考えた。彼女はこのような挨拶を予期していなかったのである。もし仮にこの挨拶がカヤパの娘にもたらされたとすれば、これはどういう挨拶であろうとなどとは考えずに、すぐさまこれを受け取って、「まあ、それ結構、至極もっともなことだ」と考えるであろう。

牧師・礼拝説教(要約)

2018年03月26日 05時09分46秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】3月18日
・説教者  山田 隆牧師
・引照聖句 ルカの福音書16章19~31節
・説教題  ラザロの救い
▼この金持ちとラザロのたとえは、15節「あなたがたは、人の前で自分を正しいとするが、神はあなたがたの心をご存じです。人々の間で尊ばれる者は、神の前では忌み嫌われるものです。」 これは富んでいても門前にいる貧しいラザロを憐れと親切心でもって、日々、しもべかだれかを通して、食べ物を施すぐらいの心をもっていたならば、この富んだ人は地獄に行きはしないでしょう。21節を見ると、ラザロは金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと何時も思っていた。そこにいた犬たちもやってきては、彼のできものの膿をなめていた。
 この金持ちは、余っても与えず、小さなこぼれものもどうにかしてしまう薄情な富める人たちだったわけです。このラザロは死に、御使いたちによってアブラハムの懐に抱かれたわけです。ラザロの語義は「神が助け」なんだそうです。金持ちには名が出てません。気の毒です。
 金持ちも死に、黄泉にくだりました。苦しんでいます。ラザロを懐に抱いているアブラハムに救いを嘆願したのですが、もはや出来ない事をアブラハムに宣告されたのです。彼らにはモーセと預言者との教えがあるではないか、それに聞かないのでは、ラザロガ行っても聞かないだろう。
◎貧しい人、虐げられている人、病める人、体の利かない人、差別されている人などを見下し卑しめる人は、何もしないばかりか、無慈悲に扱い、自らに滅びを来たらしているのです。
 主イエスは、助けられる力をもちながら、心も援助もできない人を救うことはできないと言われるのです。
 人に頼ってしか生きられない人でも神にすがる人は救われます。最も良い食べ物、飲み物、富、安らぎはイエス・キリストにあります。死なない体に変えられてです。これを信じてください。ラザロのような憐れな死に方をしたとしても、神の助けと信じる者を、神が扱わない訳がありません。否、豊かな憐れみの救いをいただくでしょう。
 貧しいから救われると誤解しないでください。富んでいるから滅びるとも言えません。我らの神に対する感謝、愛、奉仕、礼拝、他の集まりなどで養われ、家族や未信者に届けられたらと思います。
◎ラザロの救いを思いましょう。このラザロは天において多くの仲間の聖徒、天使たち、何より父・御子・御霊への思いがあったのです。

牧師・エッセイ 

2018年03月25日 16時10分16秒 | メッセージ
本日はパームサンデー
主イエスは金曜日の十字架の日を
見通して、民の歓呼の声と同じ民が
十字架にかける叫びを発することを
承知の上で受け、凱旋の入京をなさいました。
ろばの子に乗られて。
万人の救いはこの御子によるのです。


祈り
◎本日、パームサンデーです。
真に信じ分かって、救い主を告白できれば、その入京は、我らの凱旋なのです。同胞とローマ人、殊にユダヤの同胞に苦しみを受けました。この刑は世界の全ての人のためでした。従って、告白して信じればだれでも救われることは確かとなりました。本当に恵みであり救いです。このことを良く思いめぐらしましょう。
◎体を病んでおられる方々、不自由になっておられる方々に気を配り続けましょう。それは主が御自分になされたように覚えておられることを忘れずに。
◎受難週を敬虔に送りましょう。来週の礼拝は復活祭(イースター)です。昼は愛餐会を開きます。いつものようにご協力をお願いします。
◎17日卒業された帝京大生が来会されました。

♪今週半ばの集会♪
(土)公園CS         15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
☎028(621)8661

ガーデンスポット
やぶ椿   山茱萸  梅

教会学校金言☞ 『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。』(テモテへの手紙第一1章15節)  主イエスが私たちを救うために十字架にかかってくださったことを信じることの大切さを学びました。

次聖日礼拝説教  「復活後の親しい現われ」ルカの福音書24章36~53節

牧師・三浦綾子読書会(要約)教会

2018年03月21日 06時55分51秒 | メッセージ
・「道ありき」(32)
 病室に帰ってからわたしは思った。(自分の背骨が結核菌に蝕まれているというのに、レントゲンにはっきり映し出されなかったばかりに、こんなに足がふらふらになるまでわからなかった。このままもしわからずにいたとしたら、わたしの骨は全く腐ってしまって、死ぬよりほかになかったのではないだろうか)そしてまた思った。魂の問題にしても、同じことが言えるのではないだろうか。罪の意識がないばかりに、わたしは自分の心が蝕まれていることに気づかないのではないだろうか。
 わたしの心は定まった。一刻も早く洗礼を受けなければならないと、今度は切羽詰まった思いになった。西村先生はこの決心を聞いて、心から喜んでくださった。「全く堀田さんの言う通りですよ。吾々人間と言うものは、罪の恐ろしさが分からないのです。もし癩菌が血液の中に発見された、わたしはどんなに驚いて医者にかけつけていることでしょう。しかし、罪があることを知っても、そんなにあわてふためいて神のところに行かないのです。」こうして私の洗礼は7月5日と決まった。