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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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詩篇40篇1~2節

2010年07月31日 15時21分41秒 | インポート
「私は切なる思いで主を待ち望んだ。主は、私のほうに身を傾け、私の叫びをお聞きになり、 私を滅びの穴から、泥沼から、引き上げてくださった。そして私の足を巌の上に置き、私の歩みを確かにされた。」
                     詩篇40篇1~2節
 ダビデの賛歌です。
切なる思いで、主を呼び求めた時、その叫びをお聞きになられた主。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです(ローマ人への手紙10章13節)。
 また、主は、私たちが心と思いを主に向ける事を待っておられます。
私たちを造られた主に、とりわけ行き詰まった時、ダビデのように、呼び求めてみましょう。s.k.

ヨブ記2章10節

2010年07月30日 15時18分14秒 | インポート
「あなたは愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいをも受けなければならないではないか。」ヨブはこのようになっても、罪を犯すようなことを口にしなかった。       ヨブ記2章10節

 ヨブの苦難は続きます。
サタンはさらに、ヨブの骨と肉とを打つ事を主に求め、許されます。
サタンはヨブの全身を悪性の腫物で打ったーとあります。
すると、身内で残された妻が、「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」と言いました。
その時のヨブの返答が、上記のことばです。
 その後、あまりの辛苦に、「なぜ、私は、胎から出たとき、死ななかったのか。なぜ、私は、生まれ出たとき、息絶えなかったのか。」と、口を開いて自分の生まれた日をのろったーとあります。苦しい時、生まれなければよかった、と思うのは、誰しも経験のあることですね。
 やがてヨブは、主にお会いし、「私はあなたのうわさを耳で聞いていました。しかし、今、この目であなたを見ました。それで私は自分をさげすみ、ちりと灰の中で悔い改めます。」と本当のへりくだりに導かれました。  s.k.




ヨブ記1章21節

2010年07月29日 15時30分27秒 | インポート
「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう。主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。」
       ヨブ記1章21節

 ヨブは、正しく、神を恐れ、悪から遠ざかっていました。また、東の人々の中で一番の富豪だったーとあります。
 ある日、サタンが主の前に来た時、主はヨブをほめました。するとサタンは、「あなたが彼の手のわざを祝福しているから、そのようでいられるのだ。彼のすべての持ち物を打ったなら、彼はあなたをのろうに違いありません。」と言いました。
 そこで主は、サタンがヨブを打つ事を許しました。
 ヨブは、家畜、しもべ、息子や娘たちを次々にすべて失ってしまいました。
その時に言ったのが、上記のことばです。
「ヨブはこのようになっても罪を犯さず、神に愚痴をこぼさなかった。」とあります。
 また、いっさいの事は神の許しがなければ起こらない、ということも覚えたいですね。s.k.


ローマ人への手紙5章6~8節

2010年07月28日 16時18分41秒 | インポート
「私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。
正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。
しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」
       ローマ人への手紙5章6~8節
 ひとり子を人間のために十字架にかけて死なせた神の愛、人間の身代わりに十字架にかかって死なれた主の愛、私たちの目をふさいでいる黒雲が払われて、神の愛・主の愛が見えるようになりますように!  s.k.

ミニチャーチ集会にて(要約)

2010年07月27日 15時33分42秒 | インポート
        メッセージ:山田謙嗣神学生
        引証聖句:歴代誌第二、29章17節

「彼らは第一の月の一日に聖別し始めた。その月の八日に主の玄関にはいり、八日間にわたって主の宮を聖別した。第一の月の十六日に終わった。」

 ダビデはイスラエルの建国の為に全力を尽くして来て、肝心な神殿建設のために材料を用意し、「全き心で」すすんで神にささげようとしました。
 みずから進んでささげる礼拝がなされる事は、実は旧約においては稀有なことです。ダビデは「全き礼拝」を導くことができました。
 私達も「全き心」を主にささげ、それを喜びとする視点をいただきましょう。、

神学院夏季実習生・礼拝メッセージ「至聖所での祈り」(要約)

2010年07月26日 23時30分13秒 | インポート
引照聖句   詩篇73篇17~28節

1、2~16節、祈りの人が、神に対して混乱した理解をしています。17節、様子が一変します。それは聖所に入ったからです。
   
 聖所とは神との交わり、語らい、主ともにいます事ゆえの平安そのものです。
時間をとり、聖別してその時間に身と魂を捧げ、主との交わりに入れていただきたい。

2、神共にいます確信に平安を見出し、解決を得ました。
   
 詩人は、過去の自分を振り返ります。21~24節。
過去をふり返り、見出したのは、主の苦しみであり、自分は獣のように悟りがなかったとしても、それでも神様は、共にいてくださり、私の右の手を握っていてくださったという事実です。私達の業によらず、霊の目を開かせていたきたい。そして平安を賜りたい。

3、それがゆえに、私達に託されている事があります。
   
 主の全てのみわざを語り告げることです。
28節「しかし私にとっては、神に近くいることが、しあわせなのです。私は、神なる主を私の避けどころとし、あなたのすべてのみわざを語り告げましょう。」     
  ①神を
  ②人の罪を
  ③贖いのわざをなしたもうのがキリストである事を。
  ④そして共に神の聖なる所に導かれている事を、語り告げましょう。     



 














牧師・エッセイ

2010年07月25日 16時01分24秒 | インポート
『太陽がもうあなたの昼の光とならず、月の輝きもあなたを照らさず、主があなたの永遠の光となり、あなたの神があなたの光栄となる。」(イザヤ書60章19節)

―猛暑と雷鳴に続き、にわか雨の間に―
蝉のひぐらしが、昔通り高く美しい声で鳴きます。しかし何かそら恐ろしい根底的な迫り来るものを感じずにおれません。何でしょうか・・・。


♪今週半ばの集会案内♪
27日(火)聖書に学ぶ会  10:30~
29日(木)ミニチャーチ集会 休会


☆8月1日(日)の礼拝説教  主任牧師 Ⅰコリント7章1節~17節「結婚の問題」

ローマ人への手紙4章19~22節

2010年07月24日 14時46分13秒 | インポート
「アブラハムは、およそ百歳になって、自分のからだが死んだも同然であることと、サラの胎の死んでいることとを認めても、その信仰は弱りませんでした。
彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、
神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。
だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。」
          ローマ人への手紙4章19~22節

 神様は、満天の星をアブラハムに見せて、「あなたの子孫はこのようになる。」と仰せられました。そして、望み得ないときに望みを抱いて信じ、アブラハム100歳、サラ90歳の時にイサクが与えられました。
 信仰の父アブラハムにならい、信じ抜いて、信仰の証を立て続けていきたいですね。s.k.


創世記18章23~26,32節

2010年07月23日 14時53分23秒 | インポート
アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とが同じようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義を行なうべきではありませんか。」
主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
・・・彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」     創世記18章23~26,32節

 ソドムとゴモラの町の罪は極めて重く、神の裁きの瀬戸際に立っていました。
アブラハムは「50人の正しい者のために」と初め申し上げましたが、不安を覚えたのでしょうか、45人、40人、30人、20人、ついに10人まで正しい人の数を減らしていただきました。10人は間違いなくいると思ったのでしょう。しかし、残念ながら10人の正しい人はおらず、ソドムは滅ぼされてしまいました。   s.k.
※ 創世記18~19章を参照

詩篇119篇148~151節

2010年07月22日 14時46分19秒 | インポート
「私の目は夜明けの見張りよりも先に目覚め、みことばに思いを潜めます。
あなたの恵みによって私の声を聞いてください。主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください。
悪を追い求める者が近づきました。彼らはあなたのみおしえから遠く離れています。
しかし、主よ。あなたは私に近くおられます。あなたの仰せはことごとくまことです。」
          詩篇119篇148~151節

 上記のみことばは、今週の礼拝の中で交読された箇所の一部分です。
交読というのは、司会者と会衆が交互に一節ずつ読み交わします。
ちなみに、キリスト教会では、週の始めの日は日曜日で、イエス様がよみがえられたのが日曜日です。月曜日から始まるカレンダーに出くわすと、とまどいを覚えてしまいます。 s.k.