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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・教会での三浦綾子読書会(要約)

2015年07月30日 17時21分00秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り 
・「道ありき」1~11頁  pp7-8
 昭和21年からの教員生活のことを知りました。この時代の学校生活などの証などがもちだされました。
『……わたしは、内心子どもたちの親が羨ましくてならなかった。わたしは、ずいぶんきびしい教師であったけれども、子どもたちは無性にかわいかった。あるいは、こんな受け持ち教師の愛情を母親たちは、知らなかったのではないだろうか。よく勉強のできる子をかわいがるとか、美しい子をひいきにするとか言って、受け持ち教師の悪口を言う母親たちが今もいる。
 しかし、一度でも生徒を受け持ってみたらわかることと思う。たしかに、最初の一週間ほどは、眉目かたちの美しい子や、積極的に質問する生徒が目につく。それは、目につくということであって特に目をかけるということとは違う。
 だが、1週間も過ぎると、できる子も、できない子も、美しい子も目立たない子も、一様にかわいくなってくるのだから不思議である。それはちょうど、結婚したら顔のことなど、それほど気にもならないような、夫と妻との関係に似ている。…』

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2015年07月28日 05時49分06秒 | メッセージ
・証:父母について
・聖書:主牧 ガラテヤ人への手紙5章13節b 「愛をもって互いに仕えなさい」
 キリスト者の生き方は愛をもって人々に仕えていくことに相違ありません。どんなときにも。神は愛であり、私たちもいろいろの形で人々に仕えていくことでしょう。

牧師・礼拝説教(要約)

2015年07月27日 02時20分09秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 7月19日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ペテロ1章21節
・説教題  信仰と希望は神に
▼先聖日は「キリストの尊い血」を題目にして共に学びました。今朝の礼拝はペテロの手紙第一1章21節「あなたがたは、死者の中からこのキリストをよみがえらせて彼に栄光を与えられた神を、キリストによって信じる人々です。このようにして、あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。」ことに後半『あなたがたの信仰と希望は神にかかっているのです。』に注目いたしましょう。
私たちの信仰。父なる唯一の神を信じ、その御父は、キリストを通して信じることを求めなさいました。いときよい絶対の権威と、無から有を創造された方ですから、イエス・キリストを信じないでは受け入れることがおできにならないのです。しかし、父なる神は、積極的に人の罪と背き、汚れと過ちを赦して救いを人々に差し出されました。御子を通して人を救うお考えのもとに実行なされたのです。
▼日ごとに、皆様は神に祈り感謝と祈りや賛美を捧げておられるでしょうか。もし御子イエスが父なる神から遣わされて、この私にさえ近づかれたと本当に信じたら信仰と希望は自然と増進します。聖書をさらに知り、主のために、人のためにこの救いを、クリスチャンの仲間に伝えたり、奉仕したくなるのは当然のこととなるはずです。献金もそうです。
 神は私たちの内に住み、語り、導きなさいます。同じ繰り返し生きることにつきものですが主にあっていつも生かされていくのです。
 従う度合いに応じて、成長やできの違いが出てまいります。信仰と希望は神に土台して構成されます。神の恵みによって始まり成長します。しかし、もし、教えられた則に従わなければ、背くことと同じになることは確かです。希望に膨らまなければ、自分でやせ細る信仰、霊性となってしまいます。これは残念な事です。熱心になれることは良いことに違いありません。だからと言って、品性と愛と謙遜さに届かないと神はしばしばチェックを入れなさいます。愛以上に何かを欲し、いちいち不純な動機が見え隠れすることは嫌なことです。それを気付かないでいる間は、気付くことが待たれることになるわけです。あなたが神と人とを愛していれば小さなベストも重いものになるのです。反対の方にはもっと熱心に自分の賜物を人に用いなさい、と言われるはずです。御心は、私たちが育って、みことばで語られていることに生きるようになることです。
▼私たちの信仰と希望は神にかかっているのです。

牧師・エッセイ

2015年07月26日 13時52分22秒 | メッセージ
『あなたは心のうちで罪人をねたんではならない。ただ主をいつも恐れていよ。 確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。』(箴言23章17、18節)

祈 り
☆先聖日には帝京大のインドネシアの兄弟たちの歓送会を催しました。兄弟たちのお証や合唱、教会員からはオカリナ演奏、尺八演奏、一同の寄せ書き、贈り物、彼らからの贈り物がありました。短期間でしたが、彼らの来会は私たちを大いに喜ばせてくれました。帰国してまた日本に来る日もあることを期待させられました。
☆教会での第1回の三浦綾子読書会が火曜日午後1時半~2時半に開催されました。

♪今週半ばの集会♪
7月28日(火)聖書に学ぶ会   10:30~
8月 1日(土)公園CS     15:00~  ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言☞  『愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。』(エペソ人への手紙5章17節 神の祝福とみこころを求めて歩むことを学びました。

ガーデンスポット
各種セミ  小綬鶏(こじゅけい)  鶯(うぐいす)

次聖日の礼拝説教 ペテロの手紙第一 2章1~6節「主のもとに来なさい」

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2015年07月23日 04時56分56秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。ルカ8:26-39「悪霊につかれたゲラサ人」
8:26 こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。
8:27 イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。
8:28 彼はイエスを見ると、叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのです。お願いです。どうか私を苦しめないでください。」
8:29 それは、イエスが、汚れた霊に、この人から出て行け、と命じられたからである。汚れた霊が何回となくこの人を捕えたので、彼は鎖や足かせでつながれて看視されていたが、それでもそれらを断ち切っては悪霊によって荒野に追いやられていたのである。
8:30 イエスが、「何という名か。」とお尋ねになると、「レギオンです。」と答えた。悪霊が大ぜい彼にはいっていたからである。
8:31 悪霊どもはイエスに、底知れぬ所に行け、とはお命じになりませんようにと願った。
8:32 ちょうど、山のそのあたりに、おびただしい豚の群れが飼ってあったので、悪霊どもは、その豚にはいることを許してくださいと願った。イエスはそれを許された。
8:33 悪霊どもは、その人から出て、豚にはいった。すると、豚の群れはいきなりがけを駆け下って湖にはいり、おぼれ死んだ。
8:34 飼っていた者たちは、この出来事を見て逃げ出し、町や村々でこの事を告げ知らせた。
8:35 人々が、この出来事を見に来て、イエスのそばに来たところ、イエスの足もとに、悪霊の去った男が着物を着て、正気に返って、すわっていた。人々は恐ろしくなった。
8:36 目撃者たちは、悪霊につかれていた人の救われた次第を、その人々に知らせた。
8:37 ゲラサ地方の民衆はみな、すっかりおびえてしまい、イエスに自分たちのところから離れていただきたいと願った。そこで、イエスは舟に乗って帰られた。
8:38 そのとき、悪霊を追い出された人が、お供をしたいとしきりに願ったが、イエスはこう言って彼を帰された。
8:39 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」そこで彼は出て行って、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、町中に言い広めた。


質問 「人が複数の悪霊にかかわり、その人の心〈人格〉にそれらが住みつくと、人はどのような状態になりますか。」

 牧師・余白余録

2015年07月22日 05時12分10秒 | メッセージ
 そこには、世界的な欲求不満があり、行き詰まり状態になった戦争があり、一方においては物質が有り余っているにもかかわらず、他方においては数百人が餓死するということがあるでしょう。彼は言われました。人々が未来に思いをはせるとき、彼らは不安に陥るのみではなく、またおびえるであろうと。
 第二に、彼は「また、その時は、人々が大勢つまずき、互いに裏切り、憎み合います」(マタイ24:10)と言われました。今日ほど、人々が、いらいらし、容易に感情を傷つけられ、立腹する時代はありません。精神病医は、この上なく多忙であり、私たちのジャングルのような支離滅裂になった神経を何とか一時的にもいやそうと必死になっていながら、自分自身が神経衰弱になっているのです。家庭は現代生活のひどい圧迫の下に、崩壊しています。世界のある地域においては、圧迫に加わるにつれ、家庭のひとりひとりは、現実に、彼ら自身の肉親によって裏切られているのです。確かに、私たちは、この時代において、心理的に衰弱してしまう危険にさらされています。

牧師・礼拝説教(要約)

2015年07月20日 05時23分08秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 7月12日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ペテロ1章1~9節
・説教題  キリストの尊い血
▼人の血は生命の宿すものであります。これがきれいで、元気がよければ人の身体も元気であることを意味しましょう。濁りが出て貧すると耐えながらも、諸病を招きます。
 キリストの血は微少だに汚れもありませんでした。
 主イエスの血は、聖書ではどうでしょう。弟子の筆頭者であると目されているとペテロ第一の手紙から学びましょう。
 1:18、19、20節「ご承知のように、あなたがたが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、 傷もなく汚れもない小羊のようなキリストの、尊い血によったのです。 キリストは、世の始まる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために、現われてくださいました。」とあります。
 これによって、信じる者の、真の罪の赦し・贖いとされました。
▼きよめられた身体と霊を、聖く保つために、この苦難と愛を心に受け取らなければなりません。そうでないと滅びますと教えています私たちのために命がけで犠牲を払った方の救いをないがしろにする報いです。
 私たちがこの恵みを受けたのは、運命や押し付けられてのことではなく、信じてただで与えられたからです。12節半ば「そして今や、それらのことは、天から送られた聖霊によってあなたがたに福音を語った人々を通して、あなたがたに告げ知らされたのです。」
今日も直接、牧師たちを通して、真理が取り次がれています。このようなおとずれは神の御霊によってなされます。
▼定期点検の必要
 血にはすべて健康基準のデータが込められてまいります。肉体と健康は切っても切り離さない関係にありましょう。罪深い人でも頑健な人がいるかもしれませんが、反対に、神の前にきよく生きていても、不健康な肉体条件にある人もありましょう。いずれにしても、だれでもキリストを信じて、その血を受けなければ救われません。一日、毎瞬、よりすがること、一日の始めは個人的に神の御前に出て、聖書を通読し、御血と御霊によって踏み出しましょう。
 キリストの尊い血が私たち一人一人に流されました。神の愛を思いましょう。結論は、神の前にきよい愛に生きることの方が、多くの熱心や功績よりも大事にされるでしょう。
▼キリストの血によって言い表して赦され、きよめられつつ生きましょう。

牧師・エッセイ

2015年07月19日 19時20分50秒 | メッセージ
『わが子よ。もし、あなたの心に知恵があれば、私の心も喜び、 あなたのくちびるが正しいことを語るなら、私の心はおどる。』(箴言23章15、16節)

祈 り
☆本日礼拝後、昼食時に歓送会を催します。インドネシアの若い兄弟たちのために。3、4か月でしたが、親密な出席と交わりができたことは、私たち一同の感謝でした。司会の兄弟のために。
☆台風11号で大雨と風などで被害を被らなかったでしょうか。教会は守られています。
☆先週から、ヒグラシの鳴き音が一斉に始まりました。懐かしい昔、物の憐れさを呼び起こされます。人々がキリストを見出して救われますように。
☆教会での月1回の三浦綾子読書会を今週火曜日午後1時半~2時半にもちます。主婦などの好都合な時間帯に絞ってみます。聖書に学ぶ会は休みです。看板を見ての来会者が起こされますように。

♪今週半ばの集会♪
7月21日(火)三浦綾子読書会   1:30~2:30
7月23日 (木) ミニチャーチ集会  11:00~
7月25日(土)公園CS      15:00~  ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
23日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
教会028(621)8661

教会学校金言☞ 『私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。』(テモテへの手紙第二4章7節) 神ご自身が、信仰の試練を乗り越える備えをしてくださることを学びました。

ガーデンスポット
山百合  合歓  紫陽花

次聖日の礼拝説教 ペテロの手紙第一 1章22~25節「偽りのない兄弟愛」

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2015年07月16日 04時54分54秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マルコ4:35-41「湖上で死にそうになった弟子たち」
4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った
、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

質問 「死の危険にも遭遇した時にも平安でいられるためには、どうしたらいいでしょう。(かれらはイエスが共にいてくださったのに信じていませんでした。)」