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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2017年07月20日 06時06分55秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マタイ14:22~33「水上を歩くイエスと弟子たち」
14:22 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせ、その間に群衆を帰してしまわれた。
14:23 群衆を帰したあとで、祈るために、ひとりで山に登られた。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられた。
14:24 しかし、舟は、陸からもう何キロメートルも離れていたが、風が向かい風なので、波に悩まされていた。
14:25 すると、夜中の三時ごろ、イエスは湖の上を歩いて、彼らのところに行かれた。
14:26 弟子たちは、イエスが湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」と言って、おびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げた。
14:27 しかし、イエスはすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
14:28 すると、ペテロが答えて言った。「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」
14:29 イエスは「来なさい」と言われた。そこで、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行った。
14:30 ところが、風を見て、こわくなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と言った。
14:31 そこで、イエスはすぐに手を伸ばして、彼をつかんで言われた。「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
14:32 そして、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだ。
14:33 そこで、舟の中にいた者たちは、イエスを拝んで、「確かにあなたは神の子です」と言った。


質問1 嵐の中で、弟子たちはどのような状態に置かれていますか。このような状態を人生に見立てた場合、どんな状態を象徴的にあらわしていますか。

2 コメント

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嵐の中で (おっとん)
2017-07-21 14:28:47
嵐 に翻弄されるような経験は誰しもあるでしょう。
そしてその中で力強く保っていた信仰が揺らいでしまうこともあります。
最悪信仰を棄てることも…。
私もかつてペトロのように嵐の波間に沈みかけていました。
そこへ手を差し伸べてくださったのはイエス様でした。
この時のペトロのように…。
自身の信仰に疑いを持ってる方たち、あるいは受洗した時の情熱が薄れている方たち、心配はいりません。
どのような時でもイエス様は手を差し伸べていらっしゃいます。
恐らく信仰を棄てたとしても…。(言い過ぎかもしれませんが。)
きっとイエス様はにっこり微笑みながら「なぜ疑うのか」とおっしゃるに違いありません。
聖書には書かれてはいませんが、ペトロの手を引いているイエス様はきっと微笑まれているように思えてなりません。
イザヤ書44章22節に私たちに向けた神意があります。
だからこの時のイエス様は微笑んでおられていたと思えるのです。
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Unknown (Unknown)
2017-07-24 20:51:36
コメントありがとうございました。こう言う見方もいいですね。
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