イエス・キリストがいのちがけで叫ばれたこと
「さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(ヨハネの福音書7章37,38節)
素直な群集たちは、彼を慕い、取り囲んでいる。しかし、「神と宗教を食い物にしていた」偽宗教家、偽道徳家サドカイ人、パリサイ人たちは、この男が憎らしく、本気で殺そうと、いのちをつけ狙っていたのです。
しかし、あくまでも清く愛に満ち、権威をもって真理を語り、その上盲人や足なえを癒し、風を静め波の上を歩き、死人のをも生き返らせたこのお方はついに立ち上がり、大群集の前で、大声で叫んだのです。しかし、まことの神であり救い主であるこのお方は、口先だけでなく、実際に十字架の上で血を流し、いのちを捨てて、その生と死をもって語られたのです。
これは神の救い主いのちがけの約束です。
イエス・キリストは、私たちの心の中に入って、そんないのちをの泉となってくださると、いのちがけで約束してくださいました。永遠のいのちの泉、愛の泉、勝利の力の泉です。
これは神の救い主の招待のことばです。
「だれでも」―どんな過去を持つ人、失敗挫折の中にいる人、若者も老人も男も女もです。
ただし、一つだけ条件があります。「渇いているなら」―あまりにも多くの人は自己満足しています。自分のことや、目の先のことだけに夢中です。しかし、胸に手を当てて考えてみてください。あなたの心の奥には、永遠へ、清さへ、愛へ、ほんものの生き甲斐への渇きがあるのです。
これは神の救い主のいのちがけの命令です。
宗教へでも哲学へでもない、この私のところに「来なさい」という命令です。そして、この私(限りない愛といのちなるあなたの救い主)を「飲みなさい」、信じて、心の真中へお迎えしなさい、という命令です。
いのちがけのあなたの救い主の言葉に従ってくださいますか。
「ふれあい」ラジオメッセージ第7集羽鳥 明著 太平洋放送協会
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A.O