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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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ミニチャーチ集会にて(要約)

2010年06月30日 14時48分13秒 | インポート
「ソロモンはシドン人の神アシュタロテと、アモン人のあの忌むべきミルコムに従った。
こうしてソロモンは、主の目の前に悪を行ない、父ダビデのようには、主に従い通さなかった。
当時、ソロモンは、モアブの、忌むべきケモシュと、アモン人の、忌むべきモレクのために、エルサレムの東にある山の上に高き所を築いた。
彼は外国人の自分のすべての妻のためにも、同じようなことをしたので、彼女たちは自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。
主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、
このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。」
                 列王記第1、11章5~10節

   「ソロモンの堕落からの警戒」

 彼の背教の原因は、700人の妻300人のそばめ。年老いた時、外国の神々、偶像を取り入れてしまった。
 神と神殿中心にしている時代は素晴らしかった。それから心が離れるようにされた時、彼の心と知恵が、神と祝福から遠ざけられた。

ヨハネの黙示録21章4~7節

2010年06月29日 15時13分37秒 | インポート
「・・・彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」
すると、御座に着いておられる方が言われた。「見よ。わたしは、すべてを新しくする。」
また言われた。「書きしるせ。これらのことばは、信ずべきものであり、真実である。」
また言われた。「事は成就した。わたしはアルファであり、オメガである。最初であり、最後である。わたしは、渇く者には、いのちの水の泉から、価なしに飲ませる。
勝利を得る者は、これらのものを相続する。わたしは彼の神となり、彼はわたしの子となる。
しかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行なう者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。」   ヨハネの黙示録21章4~7節

 昨日は、教会員であられた82歳のO姉妹の告別式がありました。
そこで開かれた聖書のみことばです。   s.k.

牧師・礼拝メッセージ「全部あなたがたのため」(要約)

2010年06月28日 15時18分14秒 | インポート
      引照聖句  コリント人への手紙第1、3章18~23節

  全部私たち、私のためという事実、真理や恵みがあったら、あらゆる人が今よりもっと幸せになります。個々各人が生ける神の宮であり、キリストを聖霊によって宿しているクリスチャンはそういう立場にあります。コリン トの教会を創設したパウロ、その後働いたアポロやパウロはみな、大きく「世界であれ、いのちであれ、死であれ、また現在のものであれ、未来のものであれ、すべてはあなたがたのものです。」(22節)と言います。

 キャンベル・モルガンがこの個所で解説していることを引用します。
『たとえ、あなたがたが自分の考えで物質にしばられていて、愚かであっても、それでも全世界があなたがたのものなのです。【柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受けつぐであろう。】(マタイ5:5) われわれはこれを信ずる。パーカ-博士がこの説明を使うのを聴いたことがある。「わたしは、バンバリーで伝道を始めた。わたしの二階の窓は、或る金持ちの広大な地所を見わたせた。この地所を相続したのは、わたしであった。少しの土地も所有していなかったのであるが。この地所全部が、わたしのものであった。」彼は言った。 「所有主は年にせいぜい十日しか、この地所にやってきて猟をしなかった。ところが、わたしは毎日毎日、ここを幾マイルも歩いた。柔和な人たちは、地を受けつぐでろう。その通りである。」と。世界は、あなたがたのものである。草花も、あなたがたのものである。丘も、谷も、川も、みなあなたがたのものである。』

 全部が私のために備えられている、いのちも、死でも、それに勝たせられている意味で。そうであるならば、他人や人がどう私に臨もうとも、全ては、キリストを頂いている私のためである、ということになります。

 聖霊の宮であり、神のみことばに養われ導かれていますならば、すべては私のためで、栄光は神に帰すのです。

▼正しい受け方、建て方をするならば、どんな困難でも苦しみでも全部私たちのためで神の栄 えとなることを覚えましょう。

牧師・エッセイ

2010年06月27日 13時51分12秒 | インポート
「国々はあなたの光のうちを歩み、
王たちはあなたの輝きに照らされて歩む。」
                       イザヤ書60章3節

  主のあがないは、人のいのちと輝きとなります。
  それは愛ときよきと力です。
  人々はキリストによってこれを得る道を求めているのです。


ローマ人への手紙4章,5~8節、10章,10~14節

2010年06月26日 10時19分18秒 | インポート
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。
ダビデもまた、行ないとは別の道で神によって義と認められる人の幸いを、こう言っています。
「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは、幸いである。
主が罪を認めない人は幸いである。」
         ローマ人への手紙4章,5~8節

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」
ユダヤ人とギリシヤ人との区別はありません。同じ主が、すべての人の主であり、主を呼び求めるすべての人に対して恵み深くあられるからです。
「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」のです。
しかし、信じたことのない方を、どうして呼び求めることができるでしょう。聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょう。宣べ伝える人がなくて、どうして聞くことができるでしょう。
         ローマ人への手紙10章,10~14節

  イエス・キリストの十字架の死も、ペテロやパウロや牧師、伝道者の方々がイエス・キリストによる救い(福音)を宣べ伝えるのも、神様のさばきの時に永遠の滅びに行くことなく、かえって神様の祝福に入れられ、永遠のいのちをいただくためなのです。
  「信仰」と言われるのは、「行い」によって私たちが神様から義と認めていただくことは到底かなわないからです。神様の求める義はあまりにも高く、それほど神様は聖なるお方なのです。
  信じることによってしか救いの道はないのです。

  明日は日曜日、お気軽に聖書の話を聞きに教会にお出かけください。s.k.




ヘブル人への手紙9章27~28節、コリント人への手紙第2、5章10節

2010年06月25日 10時13分28秒 | インポート
「そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、キリストも、多くの人の罪を負うために一度、ご自身をささげられましたが、二度目は、罪を負うためではなく、彼を待ち望んでいる人々の救いのために来られるのです。」
                ヘブル人への手紙9章27~28節
「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」
                コリント人への手紙第2、5章10節

 サッカーW杯で日本代表チームがデンマークに勝ち、決勝トーナメントに進出できてよかったですね。
 私たちも主の戦いに加わって、暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもの悪霊に対して勝利していきたいですね。 s.k.




イザヤ40章28~31節

2010年06月24日 14時30分44秒 | インポート
「あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」
                       イザヤ40章28~31節

心に疲れを覚えたら、主を呼び求め、上からの新しい力をいただきましょう。s.k.

使徒の働き22章3~22節

2010年06月23日 08時56分05秒 | インポート
「私はキリキヤのタルソで生まれたユダヤ人ですが、この町で育てられ、ガマリエルのもとで私たちの先祖の律法について厳格な教育を受け、今日の皆さんと同じように、神に対して熱心な者でした。
私はこの道を迫害し、男も女も縛って牢に投じ、死にまでも至らせたのです。
このことは、大祭司も、長老たちの全議会も証言してくれます。この人たちから、私は兄弟たちへあてた手紙までも受け取り、ダマスコへ向かって出発しました。そこにいる者たちを縛り上げ、エルサレムに連れて来て処罰するためでした。
ところが、旅を続けて、真昼ごろダマスコに近づいたとき、突然、天からまばゆい光が私の回りを照らしたのです。
私は地に倒れ、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞きました。
そこで私が答えて、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、その方は、『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ。』と言われました。
私といっしょにいた者たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
私が、『主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。』と尋ねると、主は私に、『起きて、ダマスコに行きなさい。あなたがするように決められていることはみな、そこで告げられる。』と言われました。
ところが、その光の輝きのために、私の目は何も見えなかったので、いっしょにいた者たちに手を引かれてダマスコにはいりました。
すると、律法を重んじる敬虔な人で、そこに住むユダヤ人全体の間で評判の良いアナニヤという人が、
私のところに来て、そばに立ち、『兄弟サウロ。見えるようになりなさい。』と言いました。すると、そのとき、私はその人が見えるようになりました。
彼はこう言いました。『私たちの先祖の神は、あなたにみこころを知らせ、義なる方を見させ、その方の口から御声を聞かせようとお定めになったのです。
あなたはその方のために、すべての人に対して、あなたの見たこと、聞いたことの証人とされるのですから。
さあ、なぜためらっているのですか。立ちなさい。その御名を呼んでバプテスマを受け、自分の罪を洗い流しなさい。』
こうして私がエルサレムに帰り、宮で祈っていますと、夢ごこちになり、
主を見たのです。主は言われました。『急いで、早くエルサレムを離れなさい。人々がわたしについてのあなたのあかしを受け入れないからです。』
そこで私は答えました。『主よ。私がどの会堂ででも、あなたの信者を牢に入れたり、むち打ったりしていたことを、彼らはよく知っています。
また、あなたの証人ステパノの血が流されたとき、私もその場にいて、それに賛成し、彼を殺した者たちの着物の番をしていたのです。』
すると、主は私に、『行きなさい。わたしはあなたを遠く、異邦人に遣わす。』と言われました。」
人々は、彼の話をここまで聞いていたが、このとき声を張り上げて、「こんな男は、地上から除いてしまえ。生かしておくべきではない。」と言った。 使徒の働き22章3~22節

 以前はイエス・キリストを信じる人々を迫害していたパウロでしたが、今度はユダヤ人から迫害される身となりました。アジヤから来たユダヤ人たちが、パウロが宮にいるのを見て、全群集をあおりたて、彼に手をかけ、殺そうとして、人々は彼を打ちました。
  エルサレム中が混乱状態に陥っているという報告を受け、ローマ軍の千人隊長が兵士を連れてやってきて、パウロを捕え、兵営の中に連れ込もうとした時、以前暴動を起こしたエジプト人ではないことが分かり、許可を得て、パウロが民衆に向かって話した証です。s.k.


ミニチャーチ集会にて(要約)

2010年06月22日 11時19分22秒 | インポート
「主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
             ペテロの手紙第二、3章9節

 この箇所での主のご忍耐は、一般の人がキリストを信じて救われるために忍耐して延ばしておられること、私たちの救霊のまどろっこさを忍耐しておられることの二方向を示している。主の再臨とさばきは必ず近く臨むでしょう。心してかかりましょう。

牧師・礼拝メッセージ「神の神殿であるクリスチャン」(要約)

2010年06月21日 12時13分04秒 | インポート
   コリント人への手紙第1、 3章9~19節
 
 クリスチャンの内的神秘性と荘厳な存在意義をパウロは語るのです。前のくだりは、植物になぞらえて、「パウロは植えて、アポロは水を注いだのです。しかし、その全部を用いて成長させたのは神です。」と。(6節)
 今日の箇所は人の住まう建物・キリスト者は生きた神の神殿であることを言います。

▼クリスチャンは神の神殿であると言います。

1、神をこの土でできた器に宿らせています。
 
 身体の健康の維持管理は人に委ねられているように、霊の神殿は人の選ぶ基礎、材料、建て方、維持管理に委ねられています。
 やがて火に試される日が来ます。金、銀、宝石、木、草、わらなどのようにです。小林和夫師は、「これは、成功するとか、金持ちになるとか世的に何かになるとかいうことではありません。神の前にどうあるかということです。その土台はイエス・キリストですが・・・」 
 16節「聖霊が宿っています。」クリスチャンは聖霊を宿しています。神の霊です。キリストです。悩みや喜びを通して、神の愛の素晴らしさ、何時も信頼すべきことを学びます。長く耐えて尊さを増させていただきましょう。

2、罪、この世の不信仰な習わし、理屈では肯定できても心ではうなづけないことを止めましょう。

 それらが絡まっていると良いものまでだめにします。傷ついたら消毒し、薬をつけます。病んだら医者や薬を用います。身体がなまったら運動、理学療法を用いるでしょう。神と交わり、告白し、キリストの血による赦しをいただきましょう。仲間の助けや助言などがありましょう。

3、土台はキリスト、材料はこれも最上の神のことば、みことばに生きつづけましょう。

 良書と霊的運動、毎日の祈り、よい行いなどは欠かしてはなりません。健康な身体は克己、節制、運動の戦いがあります。自ら奮い立たせて、「心を強くして、勇み」、与えられる霊の領土を取りましょう。

▼より多くの実りを与えられて、個人においても教会においても、尊い神の神殿が建ち続けていきますように。