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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・三浦綾子読書会(要約)とちぎ福祉プラザ

2016年04月28日 05時55分40秒 | メッセージ
・読んだ著書の箇所:「塩狩峠」いちじく
永野信夫は小説家中村春雨の著書「いちじく」を読んだ。その主人公で牧師の鳩宮庸之助のそれまでの罪を犯したあやなす人間関係から生じる、弱さや過ちを通して、人はいかに弱いものであるかを描写している。
※罪は肯定は出来ない。
人は罪を悔いるばかりでなく、改めることをベストとし、主が言われたように「ふたたび罪を犯してはならない」ことが求められる。人の弱さに主は同情して力をお与えになった上で。

牧師・礼拝説教(要約)

2016年04月25日 05時26分07秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 4月17日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第一の手紙13章13節
・説教題  「愛はなおも」
▼平穏に生活していくうえに必要な大事なことは数えられないほどいっぱいあります。この度の熊本地震で被災されている方々は、安定した時には当たり前に備わっていたものが、にわかに崩れたり、死に襲われたり、起動しなくされるのを見聞きし、他人事ではありません。
▼いつ私たちにふりかかって来るかも知れません。人生には、永続する何ものかをしっかり持っていなければなりません。神が創造されて永続するものは、ざらにあるものではありません。やがて神は創造された地球体も新しくされます。世と世の欲は滅びます。やがてすべては神の前に火をもって試されます。残るかどうかは聖書に照らして検証することができるでしょう。
▼でもって試されるとは、神のことばに生きて築かれたかどうかで試されることを意味します。神の前と御国においても永続し、有用なものは何でしょう。私たちの霊と心と品徳です。13節「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているものは愛です。」
 現今は、教会も自戒すべきです。大切ではあっても、クリスチャンは、いかに知識や能力、働きや貢献があるかで人を評価したり、用いたりしがちになっています。しかし、それらの中で、互いに求められているものは、実は、信仰と希望と愛であることに気づくのです。
▼お互い、こうであったならば、教会は何と幸いでしょう。自信を持って人々を誘うことが出来ます。悩み多い世の人々はこれに接して初めて永続する尊いいのちの宝と住いを見出すでしょう。
 4~7節。寛容、親切、ねたまず、自慢せず、高慢になりません。礼儀に反せず、自己の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばず、真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。
 これは神の品徳で、受けることと、恵みによって成長するものです。一番厳しい条件、訓練や試みによって造られ証明されるものです。罪ある現世でも神の御国でも愛は希望は信仰は残り、愛がすべてを包括するものなのです。
▼愛はなおもよいものです。



牧師・エッセイ

2016年04月24日 16時05分03秒 | メッセージ
『どうか、御民を救ってください。あなたのものである民を祝福してください。どうか彼らの羊飼いとなって、いつまでも、彼らを携えて行ってください。』(詩篇28篇9節)

祈 り
☆山田勢津子牧師は、インマヌエル京都伏見教会に、お証の奉仕のため出かけております。その助けのために。
☆帝京大生の出席を感謝します。
☆5月22日の栃木聖化大会が近づいております。当教会賛美歌の合唱曲をさらに練習しましょう。
☆山田牧師夫妻の予定。6月5日は岐阜教会で説教、12日は四日市教会で説教や証し、聖餐式が予定されています。
☆熊本地方の震災にあわれた方々のために祈りましょう。

♪今週半ばの集会♪
4月26日(火)聖書に学ぶ会   10:30
4月28日(木)ミニチャーチ集会 10:00
4月30日(土)公園CS     15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
28日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

教会学校金言☞ 「家に帰って、神があなたにどんなに大きなことをしてくださったかを、話して聞かせなさい。」(ルカの福音書8章39節) イエスの素晴らしさを伝える者となることを学びました。

次聖日の礼拝説教コロサイ人への手紙3章12~16節「感謝の心を」

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2016年04月19日 05時43分52秒 | メッセージ
・おあかし
①主より今のありのままでいいのだよと。
②大工さんに工夫してリホームしてもらったこと。
・聖書:主牧 詩篇133篇1~3節
見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、
なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。
それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。
それはひげに、アロンのひげに流れて
その衣のえりにまで流れしたたる。
それはまたシオンの山々におりる
ヘルモンの露にも似ている。
主がそこにとこしえのいのちの祝福を
命じられたからである。



牧師・礼拝説教(要約)

2016年04月18日 06時30分59秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 4月10日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント第二の手紙12章7~10節
・説教題  「弱いときこそ強い」
12章9,10節、しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

▼この世では、まともに生きて、辛いことだけなら大変で、「弱い」一方でしょう。因みにパウロは以前は、強い一方の、誇ることのできる生き方をしていました。しかし、キリストを知るに及んで、以前の誇るべきものを損と思うようにされました。キリストを知ったがゆえに、ちりあくたと思うに至りました(ピリピ3:4~8)。
 キリスト者にとって、どんな立派な背景や生い立ち、学位や功労があったとしても、パウロのような精神で生きていたら、何と偉大で素晴らしいことでしょう。だれでも、主に会って、望みと模範と身近さを感じるでしょう。
▼「道であり、真理であり、いのち」のゆえに私たちは、一見、そして真実、「弱い」はずですが、実は強くされていると言えましょう。みなさま、こうして生きておられるでしょうか。
▼これらの大敵は「高ぶり」です。高ぶりは、そうでない者が、そうだと思いこむ、言わばこっけいな人のことを指します。ただし、だれにも神から授かった尊厳があります。それを自覚なしに、粗末にすることは、正反対であることぐらいはわきまえて。
 肉体、精神、経済、生活、社会的に悩みや弱さをまとっていないキリスト者はないでしょう。否。人はだれでもそうでしょう。罪からの贖いのゆえにうめいているのだからです。
▼であるならば、キリスト者は、悟り、開き直って、私の弱さを誇りましょう。「弱いときこそ強くされるからです。」


牧師・エッセイ

2016年04月17日 15時30分37秒 | メッセージ
『主は私の力、私の盾。私の心は主に拠り頼み、私は助けられた。それゆえ私の心はこおどりして喜び、私は歌をもって、主に感謝しよう。』(詩篇28篇7節)

祈 り
☆先聖日礼拝の継続来会者、新来会者のために。
☆再入院される教会員のために。
☆次聖日、勢津子牧師は、インマヌエル京都伏見教会での礼拝に招かれて、自分の証と旧知の方の御見舞いをかねて出席します。
☆転勤により、教会が決まった方のために。
☆教区狭山教会の支援に当たる主牧のために。

♪今週半ばの集会♪
4月18日(月)栃木聖化委員会   栃木ホーリネス教会 11時
4月20日(水)三浦綾子読書会   福祉プラザ  10:30
4月21日(木)ミニチャーチ集会 1時30分~
4月23日(土)公園CS    15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
21日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

ガーデンスポット
木々の幼葉  鶯のさえずり  山桜  オンツツジ  紫木蓮

教会学校金言☞ 「『主よ。私は信じます。』そして彼はイエスを拝した。」(ヨハネの福音書9章38節)  一人一人に神に力を表してくださるイエスを「私の救い主」と信じることを学びました。

次聖日の礼拝説教  イザヤ書40章1~8節「慰めの神」