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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・余白余録

2016年09月27日 04時54分57秒 | メッセージ
羽鳥明選集1 いのちのことば社発行

幸せな生涯の秘密 詩篇16:8、9節でダビデは言います。「私はいつも、私の前に主を置いた。」これが実は秘密なのです。
 第一のことは、神がいらっしゃると言う心の深いところで認識をいつも持つことです。簡単にいえば、いつでもどこでも神様を認め、神様を見ていると言うことです。…
 第二のことは、この神様をいつも神様として第一にするということです。神の栄光、神のみこころ、神のご計画を、自分自身の野心、自分の欲望、自分のめんつ、自分の都合よりもまず第一とするということです。神を離れた人間は自分勝手な道を迷って生き、滅びの道を転げ落ちているのですが、神第一に生きる人生は栄光へと、力へと登るのです。
 第三のことは、主のみこころを第一としましたら、これ従うということです。知ることだけではなく実践すると言うことです。
 第四には、主に従い、主を喜ばせる生活が実践できるようになるために、深く神と交わり、必要なすべてのものを神様から頂くことです。

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2016年09月26日 04時30分56秒 | メッセージ
・祈りの諸課題の祈祷 
・聖書:主牧 申命記24:19~22「あなたが畑で穀物の刈り入れをして、束の一つを畑に置き忘れたときは、それを取りに戻ってはならない。それは、在留異国人や、みなしご、やもめのものとしなければならない。あなたの神、主が、あなたのすべての手のわざを祝福してくださるためである。」神の優しさと思い遣りを、人同士も、その心をもち、行わなければならないことを、モーセも教えています。お互い同士、こうして今日まで、陰に陽に、仕合ってこれたことは、幸いで祝福でした。

牧師・エッセイ 

2016年09月25日 20時22分31秒 | メッセージ
『ハレルヤ。主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとこしえまで。 だれが主の大能のわざを語り、そのすべての誉れをふれ知らせることができよう。』(詩篇106篇1、2節)

祈 り
☆大宮教会での教区会(火)と北関東聖会委員会(木)で、10月9日~10日までの北関東聖会の具体的奉仕分担などが決まりました。受入地の教会として、送迎などの特別な奉仕があることを心して迎えましょう。
☆帰省される方のために。往復が守られ、用事が無事果たされますように。
☆日本伝道会議が、今週27日(火)~30日(金)神戸にて開催されます。週中の集会は公園CSのみといたします。

♪今週半ばの集会♪
10月 1日 (土)公園CS     15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
☎028(621)8661
 
教会学校金言☞ 『あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。』(ヨハネの福音書20章29節)主は、私たちそれぞれの必要に応じて、信仰を励ましてくださることを学びました。

次聖日の礼拝説教   マタイの福音書22章37~40「第一の戒めを心に」

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2016年09月23日 06時56分26秒 | メッセージ
・祈りの諸課題の祈祷 
・聖書:主牧 ヨハネ第三の手紙1節「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。」こう言ってくれるだれかがいたら何と幸いなことでしょう。今年の真夏の多かった台風などの気候の変動、オリンピックの深夜放映に集中したりした中で、ひどい凶悪な犯罪の報道、各地の水害などで心身ともに、芯疲れを起こしませんでしたか。私はそうなりましたが、こうしてみことばで、持ちこたえられております。神と愛する兄弟姉妹をもっていて、祈りと励まし、慰めをいただけることは何と幸いなことでしょう。

牧師・三浦綾子読書会(要約)教会

2016年09月21日 04時38分22秒 | メッセージ
・読んだ著書の箇所:「道ありき」(十五)
…(前川正)「綾ちゃん、とにかくね、綾ちゃんは一人で生きると言うことを、しっかり学ばなければいけませんよ。僕は綾ちゃんが一人立ちするまでの突っかえ棒なのです。わかりますか。」
 彼は再び熱心にそう言った。だが、わたし(三浦綾子)には彼の言う言葉はわかっても、その心はわからなかった。

牧師・礼拝説教(要約)

2016年09月19日 04時19分20秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 9月11日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ローマ8章16~18
・説教題  「御霊の内住」
▼15~18節「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」
 なんと感嘆すべき幸せな約束であり、喜びでありましょうか。私たちが現実に霊的に体験しているものなのです。
 人が神に、人格関係の敬いと親しみの関係の呼び方をしております。
 聖霊が私たちの内に内住してくださり、御子イエスによる新しく造られた関係で、「父よ」と呼ぶことが許されているからです。御父は、私たちが御子の名によって祈る時、父として快くお応えになります。
 私たちはこの時、聖霊によって祈っていることをしているのです。慎みと愛と望みをもってこの特権を行使しましょう。
▼内住とは神の御霊がキリストの性質をもって私たちの内に共に生きていてくださるということです。神はキリストを通して、ご自分の中に人間の性質を取り入れられた、私たちは神の中に組み込まれた者とされたわけです。神は、天使やセラピムさえゆるされ位置に私たちをおいてくださっているのだということになります。ああ、神の愛と御思いと力と権威はいかばかりでしょう。
 人はその知恵や判断基準を卑しめ恥じなければなりません。人には高貴で権威と力があったとしても、御子イエスを救い主と内住させることは、信じ従う者の間におられるわけです。あなたに対する神の愛と犠牲はいかばかりかを知ってください。
▼私たちの心の部屋は貧しいかもしれません。生涯も地味であったとしても、キリストを受け入れたときに内住してくださる御霊は、私たちの内に生きてくださるのです。

牧師・エッセイ 

2016年09月18日 15時06分24秒 | メッセージ
『主は御民を喜びのうちに連れ出された。その選ばれた民を喜びの叫びのうちに。
主は、彼らに国々の地を与えられた。彼らが国々の民の労苦の実を自分の所有とするために。』(詩篇105篇43~44節)


祈 り

☆季節は夏の装いを脱ぎ、蝉の鳴き声は消えそうです。稲刈り収穫もピークを過ぎております。今年の私たちの霊の働きと実が、備えられますように。
☆先週水曜日、来会された方のために。
☆今週火曜日の集会は教区会のためにありません。
☆会員の健康のため、病の中にある方々のために。
☆次聖日午後、鹿沼フィルハーモニー楽団定期演奏会がもたれます。希望者は申し出ください。

♪今週半ばの集会♪
9月20日(火)北関東教区会  大宮教会
9月22日(木)ミニチャーチ集会 11:00~
9月24日 (土)公園CS     15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
22日の集会の場所については教会にお問い合わせください。
☎028(621)8661

ガーデンスポット
 収穫の稲田  百日紅  木槿 

 
教会学校金言☞ 『愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。』(ヨハネの手紙第一4章11節) イエスに従う者はイエスに似たものと変えられることを学びました。

次聖日の礼拝説教   使徒の働き14章15~17「神に立ち返ろう」

牧師・余白余録

2016年09月14日 06時22分46秒 | メッセージ
パスカル著「パンセ 五三七」中央公論社・世界の名著
 キリスト教は奇妙である。それは人間に、自分がくだらない、しかも憎むべきものですらあることを認めよと命じ、また彼に、神に似ることを願い命じる。このような釣合いを取る錘がなかったならば、その高挙は彼を恐ろしく空虚にするか、その謙虚は彼を恐ろしく卑屈にするかしたことであろう。

牧師・ミニチャーチ集会(兼祈祷会)(要約)

2016年09月13日 05時35分06秒 | メッセージ
・祈りの課題の祈祷 病など気遣われる方々のための執り成しの祈り
・聖書:主牧 エズラ3:13「そのため、だれも喜びの叫び声と民の泣き声とを区別することができなかった。民が大声をあげて喜び叫んだので、その声は遠い所まで聞こえた。」
感動的な場面です。高齢の方々は捕囚前の神殿を知っていましたので、小ぶりだが立派に新神殿が建立されたから。捕囚のまま、もどらない人々が多くいました。比較的優遇のまま定住して、支配者が替わっても、クロス王の際立った善政に安んじて残ったのでしょう。
 ただし、キリスト者の多くは苦渋の中での喜びを分かち合うように仕向けられ、仲間の分まで負わせられているのかもしれません。

牧師・礼拝説教(要約)

2016年09月12日 05時06分44秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 9月4日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 ヨハネの福音書11章25~27
・説教題  「ラザロのよみがえり」
▼このたびの東北、北海道の、台風10号による洪水の、人と物損の痛ましい事故が報じられております。そのような大規模の災害は初めて見舞われたかのように映ります。私たち社会は物品だけに頼る生活や生きがいを見直すよう責められていやしまいか。いな、生死に関わる不幸な事故は、人にはつきものです。例えこれらの事故に遭遇しても、真に賢く生きるためには、聖書と主イエス・キリストを信じ、永遠のいのちをいただくことが大切です。本日は基本的な伝道説教をするよう導かれています。
▼さて、本日のお話は、ベタニヤに住んでいたラザロと言う人物が死んで、四日たち、墓に葬られていました。そこに、主イエスが行って、生き返らせらせなさった出来事からです。このことは当然、死からの蘇生とか、聖徒の復活でもないものです。人の生死を司ることのできる神の力と権威の発露によるものです。そこには、生前から、主イエスに愛されて、しばしば、イエス様が立ち寄られて祝福を受けた兄弟姉妹たちでした。ラザロの死は非常な悲しみでした。主イエスは彼を「起こす」ためにきました。
▼人は死なないで生きていたいと願います。
 京都府宇治市にある、天台・浄土系単立寺院があり、それは藤原道長の子、藤原頼道が寺にした由ですが、道長が死を前にして、悪霊に悩まされたのを息子の頼道が修行して、浄土の世界を仏や阿弥陀如来を刻み、像や壁絵にしたりした寺院です。世界遺産となっていますが、その親子を救っているかどうかはあやしいものです。
▼主は確かな心と言葉をもって言われました。
25、26節「イエスは言われた。「イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。 また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」35節「イエスは涙を流された。」43、44節実際に生き返って横穴から自力で出て来て、45節「多くのユダヤ人が、イエスを信じた。」
▼生きている時に信じてください。死んでも永遠の命をもち、栄えのうちに永遠に生きます。滅びる私のため、ご自分が代価を払い、贖ってくださっておられるからです。永遠の悔いとならないよう、主イエスと親密に生きたいものです。そのチャンスを豊かにもっておられる方々がおられます。
▼ラザロのように、賢い姉妹たちに囲まれて主の愛を届けましょう、賢い生き方を倣いましょう。