本田弘慈著「キリストの愛の奥義」4章:敬虔の奥義の一部から
「男性を知らぬ純潔のマリヤに、神の霊によって救い主が受胎し、誕生された。これは、今日間でキリストを信じられない人々の大きなつまずきとなっています。
しかし、それに応答することが『敬虔の奥義』であると言えるでしょう。夫婦生活なくして、神を敬い、畏れ祈り深くあったマリヤに、神の霊によってキリストが宿られたことは驚くべきことです。けれども、それは決して不思議なことではなく、全能の神においては十分に可能なことであり、奥義として当然信じ、受け入れられることではないでしょうか。これをパウロは先のみことばで秘儀また奥義として私たちに示しました。
神が人類を罪より贖うためには、罪のない、罪の遺伝をもたない神の御子の誕生が必要でした。旧約時代において、神のささげものになる牛や羊はいつも無傷でなければなりませんでした。それは罪深い傷だらけの人間の罪を贖うためには、純真で無傷のものでならなかったからです。ですから、アダム以来の人間の罪の遺伝子をもっている者であっては、人間の贖罪にはふさわしくなかったのです。無傷で純白な人こそ必要でした。神以外に罪のない者はありません。それで、神の御子の誕生が必要であったのです。そのために、神はご自分のひとり子イエス・キリストを惜しまずに私たちにお与えくださいました。それは贖罪愛によるものでした」。
「男性を知らぬ純潔のマリヤに、神の霊によって救い主が受胎し、誕生された。これは、今日間でキリストを信じられない人々の大きなつまずきとなっています。
しかし、それに応答することが『敬虔の奥義』であると言えるでしょう。夫婦生活なくして、神を敬い、畏れ祈り深くあったマリヤに、神の霊によってキリストが宿られたことは驚くべきことです。けれども、それは決して不思議なことではなく、全能の神においては十分に可能なことであり、奥義として当然信じ、受け入れられることではないでしょうか。これをパウロは先のみことばで秘儀また奥義として私たちに示しました。
神が人類を罪より贖うためには、罪のない、罪の遺伝をもたない神の御子の誕生が必要でした。旧約時代において、神のささげものになる牛や羊はいつも無傷でなければなりませんでした。それは罪深い傷だらけの人間の罪を贖うためには、純真で無傷のものでならなかったからです。ですから、アダム以来の人間の罪の遺伝子をもっている者であっては、人間の贖罪にはふさわしくなかったのです。無傷で純白な人こそ必要でした。神以外に罪のない者はありません。それで、神の御子の誕生が必要であったのです。そのために、神はご自分のひとり子イエス・キリストを惜しまずに私たちにお与えくださいました。それは贖罪愛によるものでした」。