『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・エッセイ

2014年11月30日 18時33分54秒 | メッセージ
『一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。』(箴言17章1節)

祈 り 
☆12月の記念日(誕生日・入信・受洗)のある方々のために

♪今週半ばの集会♪
12月 2日(火)聖書に学ぶ会     10:30~
12月 6日 (土) 公園CS       15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言☞ 『ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。』(ミカ書5章2節)神の約束は必ず守られることを知り感謝することを学びました。

ガーデンスポット
紅葉と落葉  山茶花  椿

次聖日の礼拝説教  ヘブル人への手紙10章32~39節『必要なのは忍耐です』

人生のかぎ

2014年11月29日 05時59分04秒 | メッセージ
動力の人生  ―ドワイド・ライマン・ムーディ―
 D・L・ムーディの生涯に見られる成功する奉仕の中心を、C.L・スコフィールド博士が、力強く要約している。
「このニューイングランドのいなかの教育のない少年が、あのようになったのは、疑いもなく神の恵みによる。ムーディの力の秘密は、キリストの明確な経験であった。彼は死からいのちに移され、そのことを知っていた。第二に彼は聖書の神の権威を信じていた。彼にとって、聖書は、神の声であり、彼はそれを人々の心に、神の声として響かせたのである。第三に、彼は聖霊によってバプテスマを受け、それを知っていた。彼にとってそれは、回心と同様にはっきりとした経験であった。第四に彼は祈りの人であった。彼は力あるつながれていない神を信じた。第五に彼は働きを信じ、不断の努力を信じ、知恵ある賢明な準備を信じ、組織の備えを信じ、宣伝を信じた。彼は超自然的な事が、自然の存在を通して働くことを予期した。彼は自分の車を星まで引っ張り上げたが、しかし、その車輪はいつでも地上に置き、その車輪に油をきらすことはなかった。」
 D・L・ムーディを用いられたように、救い主が私たちを用いてくださることを深く切実に願うこの世代にあって、私たちは恵みによって救われると同時に、私たちの救いについて確信していなければならない。この信仰から生まれるところの信仰と働きの両面の備えられた人でなければならない。聖霊に満たされ、生ける水の川のように聖霊のあふれ出るしもべでなければならない。

V・レイモンド・エドマン著『人生のかぎ』―信仰生活に秘訣を見いだした人々―より引用しました。A.O



十字架の奥義

2014年11月28日 05時38分10秒 | メッセージ
 【わたしとともに】
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」(ルカの福音書23章43節)
 主イエスが十字架につけられた時、その両側にふたりの犯罪人が十字架につけられました。その一人はキリストを口汚くののしっていましたが、反対側の一人は祈りました。
「イエス様。あなたの御国の位にお着きになる時には、私を思い出してください。」と。
 私たちはみな、神によって造られたものです。しかし、神から離れた時私たちはみな、罪人となったのです。どのように表面が正しく見える人でも道徳的に避難されることのない人でも神から離れている時には、神の御前では罪人なのです。
 この犯罪人がイエス・キリストを仰いだ時、犯罪人の仲間より救いだされてキリストとともに、天のパラダイスに入ることができたのです。そのとき、キリストとともにある生活に移されたのです。
 「あなたはきょう、わたしとともに」と。イエス・キリストの十字架は、私たちを罪の中より救いだし、キリストとともなる人生に入れてくださるのです。
 それは、」人間の何らかの働きや行為によるのではなく、ただ、イエス・キリストの十字架のゆえなのです。これを恵みというのです。この恵みは
 第一に、ただ信じることによって与えられるのです。
 第二に、それは、瞬時に与えられる恵みなのです。私たちは、今も、信じ仰いだ時に救われるのです。
 第三に、それは、だれにも与えられる恵みなのです。
 主イエス・キリストの十字架を仰ぐ時に、主の恵みは、誰にでも豊かに与えられるのです。そして、それは信じた瞬時に与えられるのです。

本田弘慈著「十字架の奥義」より引用・要約しました。A.O

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2014年11月27日 05時24分54秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。ルカ7:1-10「百人隊長とそのしもべ」
7:1 イエスは、耳を傾けている民衆にこれらのことばをみな話し終えられると、カペナウムにはいられた。
7:2 ところが、ある百人隊長に重んじられているひとりのしもべが、病気で死にかけていた。
7:3 百人隊長は、イエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、しもべを助けに来てくださるようお願いした。
7:4 イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。
7:5 この人は、私たちの国民を愛し、私たちのために会堂を建ててくれた人です。」
7:6 イエスは、彼らといっしょに行かれた。そして、百人隊長の家からあまり遠くない所に来られたとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスに伝えた。「主よ。わざわざおいでくださいませんように。あなたを私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。
7:7 ですから、私のほうから伺うことさえ失礼と存じました。ただ、おことばをいただかせてください。そうすれば、私のしもべは必ずいやされます。
7:8 と申しますのは、私も権威の下にある者ですが、私の下にも兵士たちがいまして、そのひとりに『行け。』と言えば行きますし、別の者に『来い。』と言えば来ます。また、しもべに『これをせよ。』と言えば、そのとおりにいたします。」
7:9 これを聞いて、イエスは驚かれ、ついて来ていた群衆のほうに向いて言われた。「あなたがたに言いますが、このようなりっぱな信仰は、イスラエルの中にも見たことがありません。」
7:10 使いに来た人たちが家に帰ってみると、しもべはよくなっていた。


(問)「この百人隊長の人となりはどのようなものですか。特に彼の神に対する姿勢はどのようなものですか。」

 牧師・余白余録

2014年11月26日 05時28分11秒 | メッセージ
マタイの福音書24章4~51
キリストご自身が語られた終末の預言(抄)
24:4 そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
24:5 わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。…
24:29 だが、これらの日の苦難に続いてすぐに、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。
24:30 そのとき、人の子のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
24:31 人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。…
24:38 洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。
24:39 そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。…
24:44 だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。
24:50 そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。
24:51 そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

牧師・礼拝説教(要約)

2014年11月24日 05時44分53秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 11月 16日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 コリント人への手紙第二9章6~15節
・説教題 良いわざにあふれ
▼大切にされるものを捧げることによって人は証しされ、栄えるものです。勤労の実であるお金を惜しみなく与えることがあれば、神と人同士の間によい関係が生じ、人は捧げた人も受け方も喜びと力が沸いて来ましょう。
 教会も、運営と証はこの面に現われることは明らかです。神は惜しみなく、分に応じて定期的に任意的になされるものが多ければ、祝福が増し、良い循環が始まります。
 コリント教会は内側に分派や訴えや不倫などが存在していました。その解決のためパウロと同労者、苦労を強いられました。この第二の手紙は彼の使徒としての胸の内を注ぎ出しております。これらによって、後世の教会の後継者たちに問題解決の規範を残しました。
▼模範的な一つとして、パウロがエルサレム教会の貧しい聖徒たちを助ける運動をした時、率先して熱意をもって募金を始めたのは、コリント教会でした。そのことでマケドニア地方の諸教会を奮起させました。
 諸教会は神をあがめ、あなたがたを慕うようになるでしょう、「ことばに表せないほどの賜物のゆえに神に感謝します。」とこの章でパウロは記しました。
▼教会の場合は捧げられた献金の主旨、目的、使用後の報告などは明白にされることが前提です。異郷においてはこのお金自体が最終目的であります。真の神がない宗教はお金が動機であり目的であり成果となるのです。教会はキリストの救いを伝えるために、そのための献金がなされ収支が明確です。宗教法人は税金の免除などの特権を与えられています。教会は清い意味で献金に現われる祝福を必要としております。これは人々の分に応じてすることが原則です。人のために神に捧げるならば報いはすばらしいものです。
 皆さま方は献金の意義を理解し、進んで捧げてこられました。これから出る多くの労、時間、愛、助け、証は無数にあります。少ない中で神の目の前では多く捧げておられる方々も居られます。他の宗教に比べたら物の数ではありませんが神の前では、少なくとも、多く捧げたと言われるでしょう。多くの奉仕はこれを伴ってなされるのが通常です。
▼きよく、永遠の報いに至る良いわざにあふれましょう。

牧師・エッセイ

2014年11月23日 14時29分46秒 | メッセージ
『怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。』(箴言16章32節)

祈 り 
☆宣教地のために祈りと献金がなされていること、日本国内の諸教会の祝福となりますように。
☆日本国内にいる、当教会出身の伝道者のために祈りましょう。
☆「聖書に学ぶ会」の看板の制作のために。
☆次聖日はマケドニアンマイツ献別の日です。

♪今週半ばの集会♪

11月25日(火)聖書に学ぶ会     10:30~
11月27日(木)ミニチャーチ集会   11:00~
11月29日 (土) 公園CS       15:00~ ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言☞ 『神は愛です。』(ヨハネの手紙第一4章16節)どんな時にも私たちを心配し、また受け入れてくださる神の大きな愛を学びました。

ガーデンスポット
紅葉と落葉

次聖日の礼拝説教  使徒の働き16章25~35節『獄中の祈りと讃美』

人生のかぎ

2014年11月22日 06時28分40秒 | メッセージ
動力の人生  ―ドワイド・ライマン・ムーディ― 
ムーディの説教は、いよいよ愛の思いをもって特徴づけられるようになった。伝道者ムーディは言う。
「どの教会にとっても祝福を受ける唯一の方法は、すべての違いと批判、また、冷たい態度、分派意識を捨てて、ひとりの人のように主のもとに来ることです。教会がコリント人への手紙第一13章によって生きるなら、確かに日々愛の人たちが神の群れに加えられるのです。私は教会が祈りながらあの章を読むことを願います。そうしながらそれを力をもってあなたがたのものとしてくださるように、神に祈っていただきたいのです。最近の私のせつなる祈りは、主がより多くの人を救うために私を助けてくださることです。神がどれほど豊かにこの祈りに答えてくださったか、言うこともできません。私にはあなたがた、みなさんが今までよりはるかに近く、また、親しくされたように思われます。あなたがたのことを思わざるをえません。みなさんが新鮮な愛の供給を受けるために、絶えず神のところに来られるのを見たいとせつに願います。」
V・レイモンド・エドマン著『人生のかぎ』―信仰生活に秘訣を見いだした人々―より引用しました。A.O




十字架の奥義

2014年11月21日 05時43分36秒 | メッセージ
 【父よ彼らを】
父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」(ルカへの福音書23章34節)
 主イエスはついに、群衆のののしりと、学者や長老たち、そしてピラトの手によって十字架につけられました。その十字架の上で
「父よ。彼らをお赦しください。」と。赦しの言葉でした。
 それは、キリストを十字架につけた、すべての人々のためのとりなしであり、また、全人類のためのとりなしの祈りでもありました。
 当時の人々はイエス・キリストを憎み、十字架につけましたが、キリストはそれを、人類の贖罪のみわざとしてくださいました。キリストは十字架の上で、私たちの罪の身代わりとなられたのです。
 キリストによる罪のゆるしとは
 第一に、どのような罪も赦されるのです。
「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」(イザヤ書1章18節)それは全ての罪のゆるしです。イエス・キリストの十字架の血の代価は、人類の堕落の根底まで届いているのです。
 第二に、完全なゆるしです。
 主イエス・キリストによる罪のゆるしは、完全なゆるしなのです。
 「わたし、このわたしは、わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない。」(イザヤ書43章25節)
 「あなたのそむきの罪を雲のように、あなたの罪をかすみのようにぬぐい去った。」(イザヤ書44章22節)何というすばらしいゆるしでしょうか。
 第三に、それは永遠のゆるしです。
再び思い出されないゆるしなのです。
「わたしは彼らの咎を赦し、彼らの罪を二度と思い出さないからだ。」(エレミヤ書31章34節)と。
 私たちは自分の罪におののくとともに、罪をゆるしてくださるイエス・キリストを仰ぐべきです。十字架は、私たちの罪のゆるしの保証であり、その土台なのです。
本田弘慈著「十字架の奥義」より引用・要約しました。A.O

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2014年11月20日 05時38分49秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。ルカ6:6-11「右手なえた人」
6:6別の安息日に、イエスは会堂にはいって教えておられた。そこに右手のなえた人がいた。
6:7 そこで律法学者、パリサイ人たちは、イエスが安息日に人を直すかどうか、じっと見ていた。彼を訴える口実を見つけるためであった。
6:8 イエスは彼らの考えをよく知っておられた。それで、手のなえた人に、「立って、真中に出なさい。」と言われた。その人は、起き上がって、そこに立った。
6:9 イエスは人々に言われた。「あなたがたに聞きますが、安息日にしてよいのは、善を行なうことなのか、それとも悪を行なうことなのか。いのちを救うことなのか、それとも失うことなのか、どうですか。」
6:10 そして、みなの者を見回してから、その人に、「手を伸ばしなさい。」と言われた。そのとおりにすると、彼の手は元どおりになった。
6:11 すると彼らはすっかり分別を失ってしまって、イエスをどうしてやろうかと話し合った。

(問)「あなたにとって、『なえた右手』に象徴される人生の問題がありますか。」