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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2012年05月31日 07時11分55秒 | インポート
○新しい来会者のための祈り
○学んだ聖書の個所:ヨハネの手紙第1、4章7~12,19節
「愛する者たち。私たちは、互いに愛し合いましょう。愛は神から出ているのです。愛のある者はみな神から生まれ、神を知っています。
愛のない者に、神はわかりません。なぜなら神は愛だからです。
神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。・・・
私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」

【質問】愛の根源は何ですか?
7節。神はひとり子をくださったほどに私たちを愛された。」



讃美歌(新聖歌)

2012年05月30日 06時44分10秒 | インポート
「丘に立てる荒削りの」(新聖歌108番)

1.丘に立てる  荒削りの  十字架にかかりて
  救い主は  人のために  捨てませり命を
  (おりかえし)十字架に イエス君  われを贖(あがな)い給う
  十字架の悩みは  わが罪のためなり
2.世人笑い  嘲(あざけ)るとも  十字架は慕わし
  小羊イエス  神の御子が  つけられし木なれば
  (おりかえし)十字架に イエス君  われを贖(あがな)い給う
  十字架の悩みは  わが罪のためなり
3.朱(あ)けに染みし  荒削りの  十字架は麗し
  赦し与え  きよくするは  ただ主の血あるのみ
  (おりかえし)十字架に イエス君  われを贖(あがな)い給う
  十字架の悩みは  わが罪のためなり
4.責めも恥も  辛くあらじ  十字架に替わりて
  たまの冠 受くるときを  日々待てるわが身は
  (おりかえし)十字架に イエス君  われを贖(あがな)い給う
  十字架の悩みは  わが罪のためなり


 神の御子イエス様が地上に来られた目的は、人を神様の刑罰から救うためでした。
神様は義なるお方ゆえ、不義に目をつぶることは絶対なさらないのです。また神様のご性質が真実であるゆえ、闇雲にできないのです。だからイエス様が身代わりになって十字架で神様の刑罰を受けてくださったのです。イエス様のおかげで私たちは神様の怒りをまぬがれることができるのです。
 そして、神様は愛するひとり子を打ち捨てて十字架の苦しみを負わせてまでも、私たち人間を愛し永遠の滅びから救おうとしてくださっていることも忘れてはならないことです。
 罪なきイエス様は十字架上で、世人(よびと)からあざけられ、罵られましたが、忍んでくださり、「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」と神様に祈られました。
 十字架にこそ父なる神様と御子イエス様の人間に対する愛が現れています。s.k.
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」ヨハネの福音書、3章16節


牧師・ミニチャーチ集会(要約)

2012年05月29日 05時06分08秒 | インポート
■ミ ニ チャーチ集会(兼祈祷会)(木)11時
・祈りの諸課題の祈祷。
・聖書:マタイ7:7~12 
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」
「求める人は与えられる」
・主は、求める度合いを置かれた「求める」「捜す」「門をたたく」。悪い人でも自分の子には良い物を与える。ましてや、天の父は求める者に良い物をくださらないことはない。12節「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」が人の側の黄金律となるでしょう。


牧師・礼拝メッセージ(要約)

2012年05月28日 04時19分15秒 | インポート
【先週の礼拝説教回想】 5月 20日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 使徒の働き2章37~40節
・説教題 ペンテコステ序 聖霊は信じる人に
▼来聖日がペンテコステなのですが、1週繰り上げて本日にし、来週は聖餐式を行います。
▼本日は教会誕生日の記念日です。今から2000年前、紀元後の30年、主イエスの復活後50日、昇天後10日の出来事です。エルサレムで使徒たちと他の弟子たちが約束の聖霊を求め祈っている時に、聖霊が突然天から注がれました。「激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。」2:3。そしてみなが聖霊に満たされたのでした。弟子の代表のペテロが不思議がり驚いた人々に説教し、それに対してペテロは38節、『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。』と述べました。聖霊は信じる人に与えられる時代が到来したのです。
▼信じた時、だれでも毎回、この弟子たちのように経験するものではありませんが、聖霊が内外に信じる人に働き、与えられる時代なのです。
▼ヨハネ16:7「わたしが去って行くことは、あなたがたにとって益なのです。もしわたしが去って行かなければ、助け主があなたがたのところに来ないからです。しかし、もし行けば、わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。」
 差し迫った要請の前に、力なさを嘆きましょう。主イエスはこのことを良くご存じです。聖霊に生きていますが、主のために証しするには足りません。
 主の愛と真実は変わりません。自分の弱さ、おびえ、勇気のなさ、罪や自我などを告白して、聖霊の注ぎを待ち望みましょう。
▼ルカ11:13「してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」信じる人に聖霊は与えられるのです!


牧師・エッセイ

2012年05月27日 14時37分14秒 | インポート
『だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。』(エペソ人への手紙5章29節)

祈り
☆先聖日午後、当教会を会場とした第16回栃木聖化大会が開催されました。

♪今週半ばの集会案内♪
5月29日(火)聖書に学ぶ会   10:30~
6月 2日(土)公園CS 
6月2日の集会の時間・場所については教会にお問い合わせください。
教会?028(621)8661

教会学校金言? 「人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。 しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」 (ペテロの手紙第一1章24節、25節) 聖書は永遠に変わらない神のことばであることを学びました。

ガーデンスポット
小綬鶏(コジュケイ、♪チョットコイ、チョットコイ)

次聖日、6月3日の礼拝説教 使徒の働き16章24節~33節  「信じない権威は砕かれて」


みことばといっしょに

2012年05月26日 05時59分59秒 | インポート
ペンテコステ
【力を受けます】
みことば:しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。
(使徒の働き1章8節)

 復活されたイエス様は、40日の間、忙しく地上でお働きになられました。がっかりしているお弟子さんや、疑っているお弟子さんに現われて、ご自分が罪にも死にも打ち勝った救い主であることをお示しになられました。そして、イエス様を信じるならば、どんな罪も赦され、神様に祝福された生涯を送ることができるようになるという「良い知らせ」を、全世界に出ていってお知らせしなさい、とお命じになられました。
イエス様の「良い知らせ」をお伝えするためには、都合が悪くなると、うそをついたりわがままを言うような弱い心や、汚れた心がきよめられなければなりません。教えを聞いても、それに反抗したりする人を恐れないで、愛することができる強い心も必要です。みんなで働く時には、一人一人が自分の考えを押し通さないで、神様の御心が分かって、一致できないと困るのです。
 ところが、お弟子さんたちはどうだったでしょう。イエス様が捕えられると、みんな散り散りに逃げてしまう弱虫さんたちでした。頼りになりそうだったペテロさんでさえ、「私はイエス様の弟子ではありません」と、3回もうそをついてしまいました。短気で怒りんぼうのヨハネさんをはじめ、えらくなりたがりやさん、ねたみやさんというようなお弟子さんたちが、心を合わせて「良い知らせ」を伝えに行くことはできるでしょうか?
 しかし、イエス様はおっしゃいました。「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そしてエルサレム、・・・・・・・・地の果てにまで、わたしの証人となります。都にとどまり祈りなさい。」
 大切なおことばを残して、イエス様は天にお帰りになられました。
 お弟子さんたちは祈りました。「ご聖霊様、どうかわたしの心にいらしてください」1日、2日、・・・・・7日、8日と熱心にお祈りを続けました。「うそをついていました。ゆるしてください」「ねたんでいました。ごめんなさい」「いばっていました。おゆるしください」「だまってとってしまいました。ごめんなさい」悔い改めて、おわびをして、ゆるし合ってお祈りをしている人たちもいます。しかし、中にはお家に帰った人もいました。
 10日目の朝です。みんなが祈っていると、激しい風が吹いてくるような音が家全体にひびき渡り、ほのおのような舌がわかれて、ひとりひとりの上にとどまったのです。お祈りをして求めていた、すべての人にご聖霊はくだり、神様の愛を豊かに注いでくださいました。
 ご聖霊は、お弟子さんたちの心をきよめて、「良い知らせ」を伝える、愛の力とことばをくださいました。ペテロさんとか、ほかのお弟子さんたちは、心を合わせて立ち上がり、「イエス様の良い知らせ」をのべ伝えました。
 ご聖霊は、人々に罪を分からせてくださったので、3000人もの人々が悔い改めてイエス様を信じました。
 ペンテコステは、ご聖霊様がいらしてくださった日。イエス様の「良い知らせ」が伝えられて教会が誕生した日なのです。
インマヌエル少年文庫23「みことばといっしょに」より引用・要約しました。A.O


インマヌエル讃美歌

2012年05月25日 05時57分47秒 | インポート
「みたまは天より」(327番)

1.御霊(みたま)は天(あめ)より われに降(くだ)りて
  喜び安きを 満たしたまえり
  (おりかえし)わが心静かなり 嵐は止みて
   イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ
2.御霊(みたま)の満たしを 賜(たま)いし時に
  疑い恐れは われより去れり
  (おりかえし)わが心静かなり 嵐は止みて
  イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ
3.真(まこと)に御霊(みたま)は 光のごとく
  心の闇夜を 照らしたまえり
  (おりかえし)わが心静かなり 嵐は止みて
  イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ
4.御霊(みたま)に満ちたる 心の内に
  主はその御顔を 映したもうなり
  (おりかえし)わが心静かなり 嵐は止みて
  イエス君の御声のみ 明(さや)かに聞こゆ


 5月27日はペンテコステ記念礼拝です。
ペンテコステとは、イエス様が死より復活されてから50日目、昇天されてから10日目に、聖霊なる神様が天からくだり、一つ所に集まっていた弟子たちひとりひとりにとどまり、御業が行われ、初代教会の礎になった日です。弟子ペテロは聖霊様が降(くだ)られて、まことの使徒となり、心から神様に仕えて働く者と変えられました。
 聖霊なる神様は、「助け主」、「慰め主」、「聖(きよ)め主」などいろいろな呼び名で呼ばれます。そのように地上であらゆる善い働きをなさり、私たちを導いてくださいます。しかし、父なる神様・御子イエスなる神様・聖霊なる神様の御心は一つです。聖霊様は私たちの内に住んでくださり、神様の御心にかなうように一歩一歩導いてくださる神様です。
 そして、聖霊様は私たちが安心して従うことのできる御方です。なぜなら「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」(コリント人への手紙5章22~23節)と、善いものを私たちに実らせて下さる御方だからです。

「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。
卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。
してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」ルカの福音書11章9~13節



牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2012年05月24日 06時35分26秒 | インポート
○新しい来会者のための祈り
○学んだ聖書の個所:コリント人への手紙第1、13章1~7,13節

「たとい、私が人の異言や、御使いの異言で話しても、愛がないなら、やかましいどらや、うるさいシンバルと同じです。
また、たとい私が預言の賜物を持っており、またあらゆる奥義とあらゆる知識とに通じ、また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、愛がないなら、何の値うちもありません。
また、たとい私が持っている物の全部を貧しい人たちに分け与え、また私のからだを焼かれるために渡しても、愛がなければ、何の役にも立ちません。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。
礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。・・・
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」

【質問】もし人々がこのような愛を実行したら、その結果どういうことが起こるでしょうか?



聖書の世界

2012年05月23日 05時25分48秒 | インポート
聖書時代の賛美と楽器
聖書時代の楽器
 諸国・諸民族の記録から、聖書の世界と共有する多くの楽器や音楽が見えてきます。音楽は確かにあらゆる時代、文化、階級の人たちに浸透していたことが分かります。しかし、それらを見るほどに、聖書の音楽と歌の目的が、他とは大きく異なっていたことがよくわかります。
 シリヤで発見された粘土板に、バアル宗教の音楽のあり方を示す記録があります。(前14世紀)「酒を飲ませよ。永遠の王ラピウに。さらに飲ませよ、強き、誉れ高き神に。アシュタロテに座す神に。立琴と笛とともに、太鼓とシンバルとともに、拍子木とともに・・・」
 王を酔わせ、王のために神にも酒を飲ませ巻き込み、楽団が騒ぐのです。これが考古学の中でいつも浮かんでくる権力者の姿と重なる部分です。聖書の楽器はこの文化の中で共有されていたものですが、まことの主を知る民にとって音楽は終始一貫し、賛美に仕える手段でした。私たちは、今の時代もそこにある恵みに招かれているはずです。今の時代の主にある感性、また不変の秩序をもって、力強く賛美したいと願います。伝統的な楽器も、今の時代の楽器も用い方と目的が明確である時、きっとエレミヤの言葉が私たちの教会において成就するのでしょう。
「角笛を吹き鳴らして、神をほめたたえよ。十弦の琴と立琴をかなでて、神をほめたたえよ。タンバリンと踊りをもって、神をほめたたえよ。緒琴と笛とで、神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで、神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで、神をほめたたえよ。」
(詩篇150篇3節~5節)

 聴覚の不自由な方々の賛美にわたしはいつも心打たれるものがあります。手話の賛美には、他にないすばらしい「音」の世界と主への心が備えられていると感じます。私たちが待ち望んでいる御国には、私たちが地上で経験できないさらに新しい言葉・音楽・賛美による礼拝が用意されていると信じます。
また、御座から声が出て言った。「すべての、神のしもべたち。小さい者も大きい者も、神を恐れかしこむ者たちよ。われらの神を賛美せよ。」
また、私は大群衆の声、大水の音、激しい雷鳴のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。(ヨハネの黙示録19章5節~6節)

教会学校教案誌成長№133「聖書の世界―考古学と地理の光を当ててー 菊池 実」より引用しました。A.O


牧師・余白余録

2012年05月22日 04時36分27秒 | インポート
『死による征服は、神が私たちに望んでおられることではありません。私たちは、生きるために創造されたのであって、死ぬためではありません。罪を犯す前のアダムは、死を知りませんでした。しかしサタンがエバをだまし、アダムを圧倒したのです。罪によってアダムから時は流れ、やがて一人の処女に幼子が誕生しました。神こそ、その父であるゆえに、幼子は罪を持たずに生まれて来たのです。彼の性質は、罪によって汚染されることなく、彼が生きている間、罪を犯したことはありませんでした。・・・その偉大なご目的は、人類最大の敵である罪と、最後の敵である死とを破壊することでした。  G・E・フェリング