【先週の礼拝説教回想】 9月22日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 マタイの福音書5章14節
・説教題 あなたがたは世界の光です
▼「あなたがた(クリスチャン)は世界(世)の光です」と主は私たちに価値づけしておられます。この場合の光は、神の光を内に持ち、外に輝き出されたもの。それを隠さないで周りの人々に持ち出しなさいということになります。クリスチャンは前出されている「八福」のような品徳を内に帯びているなら、おのずと外に輝くことになる訳です。光は、神との深い関係から発する光栄。神に起因する人に授けられた品徳的光に外なりません。
▼物質界から放散される光は、無数にありましょう。現在光については粒子と波を持っていること、媒体が何も無い真空でも通ること、白色で透き通っているが、プリズムで見るといろいろな色で構成されていると分かる。物質や鏡で屈折すること、重力でも曲げられること、放散することなどを教えてくれます。その光でもって先端科学は進展していると教えてくれます。
これに関係しても、「いのち」に関しては物質の領域を越えたもののようで、物質の組み合わせで出来るものとして、未だに解明されていないはずです。光の根源は神です。被造物から出る光も元をただせば神から出たものです。
▼物質からではない、人の生まれや富や名誉や知恵などから出たものでない、創造者であられる神の御子と同じ、光の中に生きる道があることを、確認しましょう。
神のいのちに生きることを求めましょう。被造物の霊長である人間にとって最も願わしく相応しいいのちであり、即、光となりましょう。
▼それを妨げる、神の救いをないがしろにする罪と不信仰を警戒しましょう。罪があれば、御子が人に代わって罪の代価を払ってくださったので、悔い改めましょう。塩気も輝きもいのちも、御子を受け入れないなら、永遠に自分のものとはなりません。大昔からあったことで珍しいことではないのです。人はこれに達するために、さんざん方向違いの努力と探究をしているのです。救いは昔から、私たちの間に、豊かに持ち込まれて来たことを知りましょう。
▼神の国に相応しい義と幸いに生き、世界の光とされた幸いを感謝いたしましょう。
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 マタイの福音書5章14節
・説教題 あなたがたは世界の光です
▼「あなたがた(クリスチャン)は世界(世)の光です」と主は私たちに価値づけしておられます。この場合の光は、神の光を内に持ち、外に輝き出されたもの。それを隠さないで周りの人々に持ち出しなさいということになります。クリスチャンは前出されている「八福」のような品徳を内に帯びているなら、おのずと外に輝くことになる訳です。光は、神との深い関係から発する光栄。神に起因する人に授けられた品徳的光に外なりません。
▼物質界から放散される光は、無数にありましょう。現在光については粒子と波を持っていること、媒体が何も無い真空でも通ること、白色で透き通っているが、プリズムで見るといろいろな色で構成されていると分かる。物質や鏡で屈折すること、重力でも曲げられること、放散することなどを教えてくれます。その光でもって先端科学は進展していると教えてくれます。
これに関係しても、「いのち」に関しては物質の領域を越えたもののようで、物質の組み合わせで出来るものとして、未だに解明されていないはずです。光の根源は神です。被造物から出る光も元をただせば神から出たものです。
▼物質からではない、人の生まれや富や名誉や知恵などから出たものでない、創造者であられる神の御子と同じ、光の中に生きる道があることを、確認しましょう。
神のいのちに生きることを求めましょう。被造物の霊長である人間にとって最も願わしく相応しいいのちであり、即、光となりましょう。
▼それを妨げる、神の救いをないがしろにする罪と不信仰を警戒しましょう。罪があれば、御子が人に代わって罪の代価を払ってくださったので、悔い改めましょう。塩気も輝きもいのちも、御子を受け入れないなら、永遠に自分のものとはなりません。大昔からあったことで珍しいことではないのです。人はこれに達するために、さんざん方向違いの努力と探究をしているのです。救いは昔から、私たちの間に、豊かに持ち込まれて来たことを知りましょう。
▼神の国に相応しい義と幸いに生き、世界の光とされた幸いを感謝いたしましょう。