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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
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イザヤ書43章1~4節

2010年12月31日 16時13分09秒 | インポート
「・・・恐れるな。わたしがあなたを贖ったのだ。
わたしはあなたの名を呼んだ。あなたはわたしのもの。
あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、
川を渡るときも、あなたは押し流されない。
火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。
わたしが、あなたの神、主、イスラエルの聖なる者、あなたの救い主であるからだ。
わたしは、エジプトをあなたの身代金とし、クシュとセバをあなたの代わりとする。
わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。・・・」
                       イザヤ書43章1~4節

 今年も最後の日になりました。
この1年、いろいろなことがあったと思います。
苦しいこと、大変なこともあったかもしれません。
でも無事通過させいただいたこと、乗り越えさせていただいたことを感謝してみましょう。
「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」テサロニケ人への手紙第1、5章18節        s.k.



ヨハネの福音書11章25~27節

2010年12月30日 10時56分10秒 | インポート
「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。
また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。』
彼女はイエスに言った。『はい。主よ。私は、あなたが世に来られる神の子キリストである、と信じております。』」ヨハネの福音書11章25~27節

 遠い親戚すじの29歳のお嬢さんが、車を運転中、中央線からはみ出してトラックとぶつかり、命を落とした、と聞きました。あまりにも若い事故死に胸が痛みます。
 人の死にあって慰めとなるのは、その人が神様のもとで新しいいのちに生き、やがてその所で再会できる、ということではないでしょうか。
 神の子イエス様を信じるならば、死んでも生きる、とあります。その恵みに与りませんか・・・。    s.k.

歴代誌1、12章19、22~23、38節

2010年12月29日 12時15分00秒 | インポート
「ダビデがペリシテ人とともに、サウルとの戦いに出たとき、マナセからも、何人かの者がダビデをたよって来た。しかし、彼らはペリシテ人を助けなかった。ペリシテ人の領主たちが、『彼はわれわれの首を持って、主君サウルのもとに下って行くのだ。』と言い、わざわざ彼を送り返したからである。・・・
日に日に、人々がダビデを助けるために彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。主のことばのとおり、サウルの支配をダビデに回そうと、ヘブロンにいるダビデのもとに来た、武装した者のかしらの数は次のとおりである。・・・
誠実な心で、並び集まったこれらの戦士たちは、ヘブロンに来て、ダビデを全イスラエルの王にした。イスラエルの残りの者たちもまた、心を一つにしてダビデを王とした。」
                歴代誌1、12章19、22~23、38節

 パソコンが故障してしまい、「パソコンのお医者さん」のお世話になりました。二ヶ月前に初めて訪ね、2回目・・・。まもなく9年目になるこのパソコンですが、買う時には、【一生物】の覚悟で買ったのですが、そうはいかないようです・・・。
 延々と人名が続いていた歴代誌1も、9章あたりからようやく記事に移ります。
 サウル王に追われていたダビデは、やむなくペリシテ人の王のもとにのがれ、世話になります。やがて、サウル王との戦いに一緒に出陣するよう命じられます。
 ところが、ペリシテ人の領主たちが、ダビデは一緒に出陣しないよう王に願い出、苦境から助けられます。ホッとする一幕です。
 この戦いで、サウル王と息子たち、とりわけダビデを愛しいつも助けてくれたヨナタンも戦死してしまいます。
 その後、イスラエルの人々はぞくぞくとダビデのもとに集まり、全イスラエルの王となります。
 苦境のときも主を信じて待つダビデに倣いたいものです。s.k.
「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。
彼がわたしの名を知っているから、わたしは彼を高く上げよう。
彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。
わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。」詩篇91篇14~15節


牧師・ミニチャーチ集会にて(要約)

2010年12月28日 15時41分55秒 | インポート
聖書箇所  コリント人への手紙第1、1章30節

<しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義の聖めと、贖いとになられました。>

        『主の御聖誕』
 キリストは、私にとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。

牧師・礼拝メッセージ「信じて洗礼を受けよう」(要約)

2010年12月27日 12時59分29秒 | インポート
引照聖句  マルコの福音書16章14~20節

 本日洗礼を受けた6歳のH.Hちゃんの故に、主の御名を讚えます。導かれた父のS兄、本人、聞き分けて求めた能力や従順はとても貴重なものです。
 この聖書の個所は、御子が十字架の死後復活され、後、昇天される前に語られた。弟子の不信を主は嘆きお叱りになられた部分です。その後での世界宣教への命令です。
 「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマ(註、洗礼)を受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。」と。
 御子が聖誕された目的は、彼を救い主と信じて人が救われるためです。
 イエス・キリストを罪を悔い改めて赦しと生まれ変わりを信じましょう。
 子どもが神を信じる大人の模範です。
 子どものようにならなければ神の国に入ることができないと教えなさいました。ですから幼い子どもは大人の良い信仰の模範です。大人となって信じにくいことを持ちがちです。童心に帰って無垢の心を持った時を思い返そう。主はあなたの救いのために来られたのです。
 今洗礼を受けたH.Hちゃんは来年小学校に入る保育園生です。未だの方々いかがですか。
〇信じないで十字架の苦しみと罰を滅びの中で絶対に自分に受けませんように。神は救いと呪いの権威を持っておられる方です。
〇信じてバプテスマを受けましょう。


牧師・エッセイ

2010年12月26日 15時45分20秒 | インポート
『この世にあって祝福される者は、まことの神によって祝福され…神によって誓う。苦難は忘れられ、わたしの目から隠されるからだ。』(イザヤ書65章16節)

===事の危機が深刻になった今年でした。==================
神の日時計でもある聖書に親しんで、この年を締めくくりましょう。私たち神の子たち一人一人の締めくくりは、神からの締めくくりを意味します。神の恵みと助けとを。
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今週半ばの集会はありません。


教会学校金言?御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。ルカ2:31~32

2011年1月2日(日)聖日礼拝の説教 ローマ4:16~25 「望みを抱いて」

神さまのお手紙

2010年12月25日 09時55分51秒 | インポート
今週も旧約聖書から詩歌、大予言書について紹介します。
詩歌(しいか)の中にはヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書、雅歌の5冊が並んでいます。
イスラエルの人々はたくさんの詩をつくりました。それは神様に向かってつくられた詩でした。うれしいとき、悲しいとき、感謝のとき、つらいとき、どんなときにも人々は神様とお話ししました。
 中でもイスラエルの2番目の王様ダビデはたくさんの詩をつくって神様を賛美しました。
「ヨブ記」には苦しみの中を通ったヨブが最後まで神様を信じ続けた話が書いてあります。
「詩篇」には150の神様への礼拝と賛美の詩、「箴言」には本当の知恵、「伝道者の書」には神様をはなれた人間にはなにもできないことが書いてあり、「雅歌」には神様と人間の深いお交わりが書いてあります。
大予言書の棚にはイザヤ書、エレミヤ書、エレミヤ哀歌、エゼキエル書、ダニエル書の5冊があります。
「預言者」というのは、神様がご自分の考えていらっしゃることを伝えるために、お選びになった人々のことをいいます。
イザヤも、エレミヤも、エゼキエルもダニエルも、みんな優れた預言者でした。
人々が神様からはなれて勝手な生活をしているときに、この預言者たちは声を大きくして、神様にかえるようにと叫びました。
もし預言者たちの言うことをイスラエルの人々が聞いていたなら、どんなにすばらしかったでしょう。でも人々はその言葉を聞こうとしないで勝手な道を進み、とうとうとらわれの身となってしまったのです。
インマヌエル少年文庫 10「神さまのお手紙」から引用・要約しました。   A・O

ピリピ人への手紙3章20節

2010年12月24日 14時55分02秒 | インポート
「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます。」ピリピ人への手紙3章20節

 午前は青空だったのに、今はうって変わって灰白色の雲が広がり、風が出てきました。
クリスマス寒波の到来です。
 予報では、大晦日に雪が降るかも・・・と話していましたが、一日は元旦礼拝があるので、雪が降らないでほしいです。
 どうかお天気が守られますように・・・。
 北国のみなさんのご苦労を思うと、申し訳ない限りですが、普通タイヤゆえ、こう祈らせていただきます。
 これもまたパウロの手紙です。イエス様はすでに2,000年前、救い主としてこの世に生まれなさいましたが、もう一度来られることが記されています。
 一度目は大工ヨセフとマリヤの子として、「人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。(ピリピ人への手紙2章8節)」
 二度目は<再臨>と言われていますが、ご自身天から下って来られます。そして、キリストにある死者と生き残っている者が、雲の中に一挙に引き上げられる、とあります。
地上は艱難時代に入る、とも記されています。
 イエス様を信じて、地上の艱難時代から救われ、いつまでも主とともにいたいものです。天に国籍がある者として・・・。s.k.

詩篇146篇

2010年12月23日 15時36分42秒 | インポート
「ハレルヤ。私のたましいよ。主をほめたたえよ。
私の生きているかぎり、主をほめたたえよう。いのちのあるかぎり、私の神に、ほめ歌を歌おう。
君主たちにたよってはならない。救いのない人間の子に。
その息が絶えると、その者はおのれの土に帰り、その日のうちに彼のもろもろの計画は滅びうせる。
幸いなことよ。ヤコブの神を助けとし、その神、主に望みを置く者は。
主は天と地と海とその中のいっさいを造った方。とこしえまでも真実を守り、
しいたげられる者のためにさばきを行い、飢えた者にパンを与える方。主は捕らわれ人を解放される。
主は盲人の目をあけ、主はかがんでいる者を起こされる。主は正しい者を愛し、
主は在留異国人を守り、みなしごとやもめをささえられる。しかし主は悪者の道を曲げられる。
主は、とこしえまでも統べ治められる。シオンよ。あなたの神は代々にいます。
ハレルヤ。」詩篇146篇

 教会では、25日直前の日曜日にクリスマス礼拝・祝会がもたれます。
今年は19日でした。
 そんなわけで、もうクリスマスは半分以上終わってしまった感じの私ですが、ある作詞家(不詳)は、
  毎日がクリスマス
  イエス様の愛 知った日から
  毎日がクリスマス
  イエス様 ありがとう
と讃美しています。
 本当のクリスマスはイエス様を受け取ること!
本当のクリスマスが、あなたに訪れますように・・・     s.k.
  追伸:教会では24日夕、キャンドル・サービスがあります。


  




牧師・聖書に学ぶ会

2010年12月22日 10時37分26秒 | インポート
学んだ聖書の箇所  マタイの福音書9章27~31節

<イエスがそこを出て、道を通って行かれると、ふたりの盲人が大声で、「ダビデの子よ。私たちをあわれんでください」と叫びながらついて来た。
家に入られると、その盲人たちはみもとにやって来た。イエスが「わたしにそんなことができると信じるのか」と言われると、彼らは、「そうです。主よ。」と言った。
そこで、イエスは彼らの目をさわって、「あなたがたの信仰のとおりになれ」と言われた。
すると、彼らの目があいた。イエスは彼らをきびしく戒めて、「決してだれにも知られないように気をつけなさい」と言われた。
ところが、彼らは出て行って、イエスのことをその地方全体に言いふらした。>

   『ふたりの盲人』
●この2人には、目が見えないというハンディを負ったがゆえに、、どのような人生の苦しみの中を通って来たと考えられますか?
●彼らが必死に叫びながら付いて来ているのに、イエスはなぜ家に入るまで何も答えられなかったと思いますか?
●彼らの心の中にあることがわかっておられるイエスはどのようなお方ですか?
●人生の最大の苦しみを取り除いていただいた彼らは、その後どのような人生に踏み出したと思いますか?
●あなたはイエスはどこまでお出来になる方だと信じることができますか?