―偶像は人間に平安を与えることはできない―
ヨーロッパの多くの国々は、宗教と言うとキリスト教のみ、唯一の神のみを信じているのです。しかし、私たち日本の国の宗教は、何千とあり、次から、次へと新しい神々が発明され、また神々が変化していくのです。これらのことはいったい何を意味しているのでしょうか。それは日本の神々と言われるのものが、人間に対して真の満足を与えてくれないことを、証明しているのではないでしょうか。
ワッショイ、ワッショイと、とにかく景気よく神輿を担ぎ、神社の祭りだと言って青年たちが、神々を拝み、打ち興じています。その青年たちに
「この神社にはだれが祭ってあるのですか。」と質問しますと、
「さあ、おれたちは、だれが祭ってあるかなんかわからない」と答えるのです。どんな神だか、誰だか対象もわからないのに、信じるとか、拝むなんてことができるでしょうか。
昔は生きていて、修業のつまれた人のために書かれた戒名を、今は死んだ人のために書いて、その木があたかも先祖そのものであるかの如く拝んでいることはなんとむなしいことでしょう。
死んでしまった人、それはどんな素晴らしい人であっても、私たちの身も心もまかせることはできません。
偶像、それは神の代用品であり、むなしいものです。人間はどんなに偉い人であっても神になったり、拝まれる対象になることはできません。私たちの信仰の対象は、私たちを造られた唯一の神でなければなりません。
人間を造られた神様だけが、私たちを愛していてくださるのです。聖書は「神は愛である」と断言しています。そして天地を造られた神こそ、私たちの生活のすべてをまかせ得る神様です。
「そういうわけだから、何を食べるか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすればそれに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイの福音書6章31節~33節)
そして、永遠に変わらない神こそ、真実な神であって、絶対に裏切ることも見捨てることもない神です。この神は義を愛し、不法をにくまれます。そして神の中には暗い所はありません。私たちが、わが神よとお呼びするのにふさわしい方です。
[さあ、あなたは神と和らぎ、平和を得よ。そうすれば、あなたに幸が来よう。](ヨブ記22章21節)
滝元 明著「平安を持つ秘訣」より引用・要約しました。
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A.O
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クリスマス豆知識: 「クリスマス」はもともと「キリストの礼拝」という意味で、12月25日にイエス・キリストの誕生を祝います。4世紀後半からクリスマスは毎年祝われるようになったようです。ちなみに「Xマス」という表記は、ギリシア語でキリストと書くときの頭文字X(キー)にmas(礼拝)をつけたものです。 財団法人 日本聖書協会 - ホームページ編集委員会 クリスマス豆知識から