『宇都宮教会のいろいろ』   ☆ブックマーク欄「宇都宮教会ホームページ」も併せてご覧ください。

インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝説教(要約)

2017年08月28日 05時26分58秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】8月20日
・説教者  山田 隆牧師
・引照聖句 創世記22章12~18節
・説教題  アブラハムとイサクの頂点
 父は自分に似せて創造された人が、サタンの誘惑で人が罪を犯した時、死を宣告されました。同時に決意されたことがあります。地上に人類が増えて、罪が増す時に、それの罪の有効な代価を、御自分のひとり子を人間にして、それを罪に赦しの代価とするということです。
◎この試し・試練は、正妻サライの女奴隷ハガルからの出生児イシュマイルと約束の子イサクの出生による両者間のトラブルの解決後、神はアブラハム自身を、試みるものでした。
 神が信仰と約束を信じて生き通すのか、それとも肉的、欲望と結果で生きていくかを試されたものです。正妻の子が神に約束の子だからです。
 末の時代の、世界人類の罪の贖い・赦し、救いは御子を人にして十字架にかけ、その十字架の死で流される地によって成し遂げられ完成される約束だからです。御子をそのためにくださったと罪を告白し信じる者を神は罪の赦しと神の子となる特権をお与えになりました。鍵はキリストの十字架の犠牲です。罪のない愛する御子を、2000年後犠牲にするからです。どれだけ、罪ある人のために、自分の命を投げ出して、人を救うかというテスト。
◎アバラハムが神の御告げを受けて、愛するひとり子、イサクを全焼の犠牲として、父自ら手をくだして殺め、火で焼く捧げ物です。神様、私はみなあなたのものですという、全的献身の現われで、旧約時代はそれで通用しましたが、今日は、御子の十字架の血によって、父なる神は人の罪を赦し、神の子となる特権ともろもろの祝福を与えておられます。
 クリスチャンと教会の主な働きは、これを福音として世に伝え続けてきました。
◎信仰で祝福された方々は、みな、自らの御「血」を他と世のために、試練を通されたことがあります。アブラハムとイサクが試されたように、多くはもっと小さく、限度付きで試される時があるかもしれません。神は私たちを耐えることができないような試練には会わせられません、これとともに、逃れる道をも備えてくださいます。しかし、アブラハムとイサクにあったことは彼らと人類にあった頂点と申せましょう。私たちも、説明や結果を聞かされないで試されることがあるものです。
 アブラハムとイサク親子との間だけの会話で従ったイサクは、死も覚悟しなければなりませんでした。先にイサクは約束されて生まれた子だから例え死んでも甦らせなさるとヘブル11:19にあります。犠牲の羊は神があらかじめ備えておられました。
◎信仰は従順、献身などによって試され、頂点的な所を通過させられるものです。このお二人の信仰を心に留めましょう。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。