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インマヌエル宇都宮基督教会牧師 山田 隆・勢津子
 TEL 028-621-8661 ※24時間対応しております

牧師・礼拝説教(要約)

2015年07月13日 04時42分23秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 7月5日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 イザヤ40:1~8節
・説教題  神のことば―永遠
▼神の存在と力と裁きについてこの時代は、分からなくされています。イスラエルは神の民とされましたが偶像の愚かしさに陥りました。神を失い暗愚になって、偶像のようになりました。
 預言差イザヤは宮廷預言者でした。宮廷の中の腐敗の中にあって、大変活き活きとした信仰のメッセージを神に託され、王国と民、周辺諸国と後の全世界に伝えております。
 大まかに1~39章まで さばきのことば
    40~66章まで 慰めのことば
 慰めの始まりが「慰めよ。慰めよ。わたしの民を。」(40:1)と。続けて「あなたがたの神は仰せられる。エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その労苦は終わり、その咎は償われた。そのすべての罪に引き替え、二倍のものを主の手から受けたと。」
▼ここに年代的に矛盾が生じるように思われます。ユダが退廃してバビロニアの捕囚にされ、70年間涙の糧を食べたのは紀元前586年からのこと。イザヤの活動期間は紀元前700年代ですから、まず100年前に預言したことになるわけです。神から示されて国家が滅びることと苦難の時代を過ぎての見通しが語られたと受け取ることができます。これが預言らしいところです。因みに53章は有名な、キリストの受難のことを見事に語られています。こうして神の預言は語られ、成就しているのです。夏山に行く時節ですが、山と山の間には長い距離があっても、両山が重なっているように見えるものです。預言は前もって手前を指しつつも同時に主となる後者をして言われていることが多いものです。これらは、後のものが成就して証明されることになりますが、聖書の預言は神の示しで必ず成就されることは検証されるわけです。
 個人的には、無知、過ち、逆らいなどで、その時は、どうしてこんなふうに悪いことばかり自分は受けるのだろうというものです。聖書とイエス・キリストに出会い解決しました。
 教会に、クリスチャンを尋ねてください。聖書と信仰に生きている人々がいて、あなたを優しく、喜んでお迎えします。
▼神は人を罪の故にまたは後の教訓のために苦しみとそれに倍する慰め、真の誉れを用意していることを悟ってください。あなたは喜びます。イザヤ40:8「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」

牧師・エッセイ

2015年07月12日 14時12分03秒 | メッセージ
『子どもを懲らすことを差し控えてはならない。むちで打っても、彼は死ぬことはない。 あなたがむちで彼を打つなら、彼のいのちをよみから救うことができる。』(箴言23章13、14節)

祈 り
☆今週7月9日(木)午前10時半~とちぎ福祉プラザで「三浦綾子読書会」が初めて開かれました。新しい方々が加えられるように。
☆7月9日、豊郷中央小学校の2年生町探検隊が9時半から、保護者同伴で教会を訪れました。「教会にどうして十字架があるのですか。」など的を突いた質問が出て幸いでした。児童10名、保護者2名、教師1名。
☆来週礼拝後、来会されていた帝京大生の帰国のための送別会を昼食時催します。

♪今週半ばの集会♪
7月14日(火)聖書に学ぶ会    10:30~
7月18日(土)公園CS      15:00~  ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言☞ 『主の山の上には備えがある』(創世記22章14節) 神ご自身が、信仰の試練を乗り越える備えをしてくださることを学びました。


次聖日の礼拝説教 ペテロの手紙第一 1章20~21節「信仰と希望は神に」

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2015年07月09日 04時20分47秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マルコ4:35-41「湖上で死にそうになった弟子たち」
4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」


質問 このような状態の時に眠っていることができるイエスについて、あなたはどのように思いますか。

牧師・余白余録

2015年07月08日 05時24分53秒 | メッセージ
ビリー・グラハム著「世界は燃えている」からの抜粋
                          いのちのことば社発行 PP297
1 この世の精神的な状態
イエスは、ご自身の再臨の直前の世界の精神的な状態を特徴づけるものが二つあると言われました。第一に「地上では、諸国の民が、…不安に陥って悩み」ます。(ルカ21:25)。悩むとは、圧迫される、或いは、重圧のもとにあるという意味です。不安とは「当惑と言う意味です。換言すれば、彼は、再臨前の時代は、あらゆる点において激しい圧迫のもとにあり、一見してそれとわかる出口のないと言っておられるのです。このことは、サルトル、カミュ、ハクスリー、ヘミングウェー、その他の現代作家の書いていることと非常によく似ているように思われます。事実、ジャン・ポリ・サルトルは「出口のなし」という本を書いています。
 イエスは、この世が国際的な窮境に達するであろうと言われました。その時、諸国民は、思い思いの道をたどるでしょうが、それらの道はみな行き止まりであることを見出すでしょう。「人々は、その住むすべての所を襲おうとしていることを予想して、その恐ろしさのあまり気を失います」(21:26)

牧師・礼拝説教(要約)

2015年07月06日 02時44分57秒 | メッセージ
【先週の礼拝説教回想】 6月28日
・説教者 山田 隆牧師
・引照聖句 テサロニケ第一4:13~18節
・説教題  空中で主に会う準備
▼私たちは歴史で一回しかない重大な時に進んでおります。キリストの再臨です。十字架の死後三日目に復活なさいましたが、再びこの地球に来ます。あとで聖書でご自分が語られた再臨の記事を読みます。主は空中に来られます。この4章の16、17節「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。」
 主イエスはなおも語られます。
・人の子が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来る時(マタイ25:31)
・人のこの来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来る(マタイ24:27)
・人の子の来るのはちょうど、ノアの日のようだ。(マタイ24:37)
・人々は、人の子が力と輝かしい栄光を帯びて雲に乗って来るのを見る〈ルカ21:27〉
・わたしとわたしのことばを恥じるような者なら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちと来るときには、そのような人のことを恥じます。(マルコ8:38)
▼教訓
(1)5:1、2「兄弟たち。それらがいつなのか、またどういう時かについては、あなたがたは私たちに書いてもらう必要がありません。 主の日が夜中の盗人のように来るということは、あなたがた自身がよく承知している」とされています。皆様いかがでしょうか。最も重大で、永遠の決めるときが、この上なきお方によって決められ、時は近づいているが、人々はわからないままなのです。
(2)しかし、3節「人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。」と。地の上、すべての生きてきた人に臨む、光栄と滅びを決する重大日です。
▼キリストに在る者には、御子イエスに空中でお会いし、永遠に結ばれる日となります。
16、17節、厳粛に日々を過ごしましょう。


牧師・エッセイ

2015年07月05日 15時37分33秒 | メッセージ
『富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、わしのように天へ飛んで行く。』(箴言23章4、5節)

祈 り
☆今週7月9日(木)午前10時半~とちぎ福祉センター401号室で宇都宮「三浦綾子読書会」を催すことになりました。予備通読は「塩狩峠」。文庫本、単行本とも「鏡」1~9ページ)だれかを務めてお誘いしましょう。交渉、事務の労を取ってくださる方の祝福を。当教会の聖書に学ぶ会を月1回ほどこれに当てたいと願っております。ご協力をお願いいたします。
☆7月9日、豊郷中央小学校の2年生町探検隊が9時~10時、教会を訪れます。読書会10時半とのつながりがうまく行くよう願わされます。

♪今週半ばの集会♪
7月 7日(火)聖書に学ぶ会    10:30~
7月 9日 (木) 三浦綾子読書会   10:30~12:00 とちぎ福祉センター
7月11日(土)公園CS      15:00~  ニュー富士見ヶ丘2号児童公園
教会028(621)8661

教会学校金言☞ 『主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。』(ルカの福音書1章45節) 神は約束を必ず守ってくださることを学びました。

ガーデンスポット
紫陽花、合歓の花、梔子、山ゆり

次聖日の礼拝説教 ペテロの手紙第一 1章19節「キリストの尊い血」

牧師・聖書に学ぶ会(要約)

2015年07月02日 05時33分34秒 | メッセージ
・新しい来会者のための祈り
・学んだ聖書の個所。マルコ4:35-41「湖上で死にそうになった弟子たち」
4:35 さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸へ渡ろう。」と言われた。
4:36 そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。
4:37 すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになった。
4:38 ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか。」
4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ。」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。
4:40 イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」
4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った、「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」


質問 なぜイエスは眠っておられたのですか。

牧師・今月のことば

2015年07月01日 05時29分02秒 | メッセージ
牧者の広場 2015年7月
 
私は1960年に入信、洗礼を受けました。当時22歳で東京丸の内のインマヌエル丸の内中央教会に出席しておりました。3年後、北浦和にあった聖宣神学院に入学し、4年後に卒業、牧師の端くれの座に就きました。蔦田二雄師はインマヌエルと言う教団名でその総理をし、学院の院長も兼ねていました。ビリー・グラハム師は当時アメリカの大衆伝道者ですが、世界的に招聘され、日本にも当時の後楽園球場に数度来講しました。教派を超えて、牧師方が協力運動し、後楽園を満たそうと委員会が組織され、蔦田師はその実行委員長をして指導しておられた。私は神学校入学してすぐに、しばしば授業中に呼び出されて、九段会館などでの委員会に、同師を送る車の運転に駆り出されたものでした。
 グラハム師は説教を通して多くの人々を救いに導き、日本の教会にも大きな貢献をされた器です。この方の「世界は燃えている」と言う著書があります。私ごとで最近始めた「三浦綾子読書会」の準備の折りに、その著書にも触れて同本を開き、懐かしさと新たな感動を呼び起こされました、時代の風潮は、あの頃よりもさらに悪化していますが、いささかも変わらない新鮮で必要なメッセージに感心しました。是非と思い、牧舎の広場に何回か転載させて頂くとことにしました。
「世界は燃えている」         ビリー・グラハム著
〈イエス・キリストの再臨を主題にしています。〉pp.288~

 しかし、キリストの再臨の終局的な結果的な結果があるものは、聖書中に、明確にそのアウトラインが記されています。
〈平和〉
 第一に平和が地上に確立されます。
 スイスのカール・バルトが、国際連合を訪れた時、彼は言いました。「国際連合は、天国のこの地上における例えとはなり得るだろう。しかし、それは平和をつくり出すための一つの方法と見えるかもしれないが、真の平和はここでは、実現されない。平和は、すべての事柄の終りに、神ご自身によって成し遂げられるものである」と。ルース・マインフォードは「戦争は文明の特産物である」と言いました。戦争は、人を獣から区別する特質であるかのように思われます。なぜなら人は、けだものの世界には入れない方法で、仲間を犠牲にするからです。
 古代人が彼の神々にのみ帰したような全面的な破壊力を駆使し、絶えず増大する量の知力とエネルギーをさらに危険な絶対兵器の生産に注ぎこんで、人は、キリストの再臨のための条件を作りだして来ました。戦争のこの問題の唯一の解決は、キリストの再臨であり、それに関して起こる戦争の廃止であるのです。平和を維持するための、すべての私たちの軍事力、政治同盟、そして軍隊組織は、ついに行くところまで行きつこうとしています。平和を願う私たちの現代の希望は、さらに多くの戦争をつくりだす慣習の上に基礎を置くことはできません。平和主義は失敗します。なぜなら、平和主義者はあたかもすべての人が新生しており、説得と好意とを持って訴えうるかのように行動しているからです。平和主義者は、また、正義の維持のために、愛の役割があるとともに、力の役割があることを承認することを拒否します。軍備廃止は、私たちの現代の世においては愚かなことであるでしょう。私たちは先ず、人々の激情を武装解除し、彼らの心を変えなければなりません。争いは、世界の戦場から取り去らなければならないのです。
 預言者イザヤは、その未来における平和の日を待ち望みつつ、「その名は、『平和の君』ととなえられる。まつりごとと平和とは、増し加わって限りなく…」(イザヤ9:6、7)と言いました。キリストが、永遠的な世界の平和を打ちたてられるのです。
▼真の平和は人がキリストによって罪が赦され。生まれ変わり、その教えに生きなければ決して訪れるものではありません。

宗教法人 インマヌエル宇都宮キリスト教会   牧師 山田 隆