マリの朗読と作詞作曲

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父の故郷訪問記(2)

2022年03月24日 | 私の昔

 

父の故郷訪問記(2)50年前の思い出

 

 父の故郷訪問記(1) から読んでね    

  

 

父と私の乗った列車が到着した駅に、

トラちゃんこと

虎四郎さんが迎えに来てくれた。

名前の通りに伯母の四男で、

年齢は父といくつも違いなかった。

父と寅四郎さんは

顔を合わせるやいなや

「やあやあ、ひさしぶり」と

大声であいさつを交わし始めた。

父は地声が大きいが、

寅四郎さんもそれに負けてない。

20歳の私はちょっと恥ずかしかった。

 

 

おばあちゃん(伯母)の一家は

米作り農家であった。

古い大きな日本家屋に住んでいた。

部屋の襖を次々に開けていくと

ぶっ通しで

何十畳もの広さの座敷になり、

座敷ぼっこが出没しそうなお家。

昔は村の庄屋を務めていたので

お殿様を泊めたこともあったという。

 

 

 

家族がお正月用に

庭から松の枝を切ってきた。

それを見たおばあちゃんは,

「昔は家には

立派な赤絵の花瓶があって、

大切なお客があるときは

おじいさん(亡夫)が黒松を活けたもんだ」

と述懐した。

 

活け花は単なる趣味やお稽古事でなく、

当主の務めのひとつだったのだ。

わたしはその時ふと、

虎四郎さんに活け花ができないのを

おばあちゃんは

無念に思っているのではないか

と感じた。

 

 

虎四郎さんが当主になったのは、

戦後しばらくしてからであった。

兄たちがみな戦死してしまい、

虎四郎さん自身も

満蒙開拓団で大変な苦労をし、

何とか生き延びて帰ってきた。

 

戦前は、

長男だけが当主になるべく

帝王学を叩きこまれた。

おそらくは食事も、

家長と長男だけが

特別だったのではないか。

教養も人脈も

客のもてなしも風流も

教え込まれたのは長男だけなので、

長男がいなくなり、

戦後の農地解放で土地を失うと、

没落と共に

旧家の文化も途絶えた。

 

 

外の水道端に、

様子の良い唐金の建水が

無造作に転がっていたり、

裏庭には

什器と古文書の蔵があったりと、

都会で、親子だけの

ごく普通の勤め人家庭に育った私には、

初めて見る世界であった。

    

 父の故郷訪問記(3) に続く

   

前の記事はこちら

  →  父の故郷訪問記(1) 

  



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