マリの朗読と作詞作曲

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井上ひさし氏の講演(エッセイ)

2021年10月31日 | 私の昔

 

井上ひさし氏の講演(エッセイ)

 

1972年の第67回直木賞受賞作は 

井上ひさし氏の「手鎖心中」であった。

すでに氏は、放送作家として

「ひょっこりひょうたん島」の脚本で知られ

戯曲作家としても活動を始めていた。

(その後の華々しい文筆活動については

ここでは省く。)

 

その年、

氏の母校である上智大学では、

直木賞受賞 井上ひさし氏 来る!

というイベントが

文化祭の目玉の一つになった。

会場である広い階段教室には、

講演予定時刻のずっと前から

学生たちが詰めかけていた。

何冊か著作を読んでいたわたしも、

期待に胸ふくらませて席に座っていた。

だいぶ遅れて教室に入ってきた井上氏は、

集まった学生たちを見て、一瞬たじろいだ。

ウへッという声が

聞こえてきそうな表情だった。

後でわかったのだが、

氏は、聴衆はごくごく少人数だろうと

思っていたとのこと。

学生が大教室を埋め尽くしているとは

考えてもみなかったようだ。

 

 

 

大学事務局の男性が司会者となって

講演会はスタートした。

彼はマイクを手にすると、晴れがましく

井上氏の履歴を紹介し始めた。

「本日は、『手ぐされ心中』で

直木賞をおとりになった井上ひさし氏を

お迎えして~云々、云々・・・

氏は学生時代に~云々、云々・・・

直木賞受賞作の『手ぐされ心中』は、

江戸時代の戯作者の~云々、云々・・・

云々・・・・・・・・・

では、井上ひさし氏のご登壇です。

どうぞ!」

拍手に迎えられて演台に立った井上氏は、

名前を名乗った後、すぐにこう言った。

「いま司会の方のお話に

手ぐされ』と、ありましたが・・・

ボクの本のタイトルは

手ぐされ心中』ではなく

『手ぐさり心中』です。」

何度も『手ぐされ』と言っていた司会者は

赤面し恐縮し、文字通り身を縮めた。

それには構わず、氏は続けた。

「いやあ、そこに座ってお話を伺いながら、

手鎖でなく手ぐされにすればよかったと

ずーっと思ってたんですよ。

手ぐされ、いいなあ・・・

題を決める前に気づいていれば・・・」

別に司会者の失言を

フォローしたわけではなかった。

その証拠に、

目線をちょっと下に向け、

その先の何もない空間を見つめながら

心底、惜しかったなあ、

という顔をしていた。

 

そのあとの氏の講演内容は、

正直言ってなにも覚えていない。

楽しく聞いたはずだけれど、

講演の前後のあれやこれやの方が

ずっとインパクトが大きかったのだ。

 

     

    

 

氏のトークが終わると、

恩師への本の贈呈式になった。

贈呈本は直木賞受賞作ではなく、

自身の学生時代を抱腹絶倒に描いた

「モッキンポット師の後始末」であった。

井上氏はフランス語学科卒である。

本の内容はフィクション交じりにせよ、

問題行動で恩師の先生方を悩ませていたのは

事実のようだ。 

司会者は、特別席に座っていた

神父服の年配の男性を紹介すると、言った。

「では、恩師である×××先生へ、

井上氏から著書の贈呈であります!」

フランス人である×××先生は

もともと愛想の良い人物ではないが、 

そのときは、さらに渋い顔をしていた。

一方、

本を渡す井上氏は明らかに腰が引けていて

おっかなびっくりなのがおかしかった。

二十代はじめの学生にとって、

直木賞受賞作家など雲の上の人である。

なぜもっと堂々としていないのだろうと

当時は不思議に思った。

が、第三者が本で読むから面白いのであって、

当事者の先生は大変だったろうし、

氏もそのあたりはわかっていたはず

と、今なら納得がいく。

   

 

贈呈が無事に終わると、

新たに本が演台の上にどさりと置かれた。

積み重ねられたのは7,8冊か。

「これ、僕のサイン本です。

ほしい人は、えーと、

けんかするなりなんなりして

持ってってください。」

それだけ言うと、

井上氏は主催者側の人たちと共に

そそくさと退出していった。

   

広い階段教室内は瞬時に固まった。

誰も声を発さない。

皆どうしていいのかわからなかった。

リーダーシップのあるお世話焼きがいれば、

「ジャンケンで決めましょう」などと

音頭を取ったのかもしれないが、

会場には200人近くがいたので、

実際問題としてそれもむずかしい。

みんなですくむというか、

にらみ合うというか、 

しばし膠着状態・・・・・・。

そのうちに、

後方に座っていた一人の男子学生が

立ち上がった。

全員の好奇の視線を浴びながら

通路の階段を下りて演台の前に来ると、

本を一冊手に取り、

わきに抱えてさっさと教室を出て行った。

「あ!」「え”ー!」「ずるーい!」などと

つぶやきの大合唱が起こった。

だが、誰も動かない。

衆人環視の中で本に手を出すには

相当の勇気が要る。

ズルいとか図々しいとか身勝手だとか、

悪く思われることは必定。

心臓の強さ比べ、みたいなものである。

暫くすると、また一人の男子学生が

本を取って教室を出て行った。

そしてまた一人。

考えてみれば、

非難されても白い目で見られても、

会場を出てしまえば関係ないわけで・・・、

最後は数名が連なって演台に近づき、

本は一冊残らずきれいに持ち去られた。

本が全部消えると、

呪縛が解けたかのように空気が緩んだ。

とり残された敗者たちは、

のろのろと座席から立ち上がり、

出口へ向かっておとなしく通路の階段を

下り始めた。

無論、わたしもその中の一人だった。

こうして、

井上ひさし氏の凱旋講演は、

講演の内容よりも

前後の出来事の方が強烈な思い出として

記憶に残っているのである。

 

 



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