8月8日、関東軍参謀・辻少佐も北京に入り、第11独立混成旅団・鈴木中将の指揮下となった。

以下、辻少佐の回想録より。
「拡大か、不拡大かの議論を抜きにして、現実の事態は、一歩一歩拡大への方向を辿っている。 宋哲元指揮下の二十九路軍は、平漢線に退避したが、保定に堅固な陣地を準備して、中央軍の北上を待ち、綏遠事件で、一躍英雄に祭り上げられた伝作義将軍と、閻錫山老将が、冀察省境の長城線に詰めかけ、津浦線上には山東の韓復梁が、去就不明のままに十万の大軍を、黄河の線に集めていた。

僅かに、三師団(第五、第十六、第二十)の兵力で、この大敵に対し、京津地方を確保することは、容易ではなかった。 第一に考えられたのは、一日も速かに長城線の敵を駆逐して、戦略的内線の位置を固めようとする事であり、熱河から増加された鈴木混成旅団長に、その任務が与えられたのである。鈴木中将は同郷の先輩で、参謀本部の作戦部長まで勤めた有名人であるが、今、緒戦の重任を一手に引受け、僅かに二連隊の応急動員兵力で、 天険に拠る頑敵に当らねばならなかった。
「何とかお手伝いしよう」 とその司令部を訪れたのは、南口附近の陣地攻撃の前々日である。 」