8月13日、坂田支隊は無謀な突出をした結果、敵の大軍勢と遭遇戦となり、壊滅の危機をむかえる。
なお、この頃の中国軍はドイツから軍事顧問をむかえ、軍装もドイツ式にあらためていた。

以下、辻少佐の回想録より抜粋。
「この間に目指す長城線に取りつこうと、支隊長は僅かに一中隊を指揮して、昨夜先行させた石川中隊(C)の方向に急いだ。
その先頭を行進している時、突然頓狂な声を立てて、直前の斥候が退って来た。
「敵だ! 敵だ!」と✕✕✕のように叫んでいる。 吃驚りして、A点に飛び出して見た。驚くなかれ、敵は蝗の群のように、今、A高地の北斜面を、密集してよじ登って来る。その先頭には抜刀した者が立っている。 服も真新しい。 鉄兜を被っている。
五年前の日笠、草鞋履きとは凡そ違った敵だ。狼狽した斥候を叱咤しながら、A高地を占領させた。大声で大隊本部を呼び、その書記や伝令も駈けつけさせた。約二十名がA高地に取りついてから、密集する敵の頭上に急射を浴せた。全く一の無駄もなかった。
彼我の距離は、五十メートルとは離れていない。
瞬間、動揺した敵は、すぐに第一線を散開させて、射撃を始めた。
我に数十倍する兵力だ。
支隊長も間もなくA点にかけつけたが、予期しない大敵との遭遇戦には、流石に驚かれたらしい。手許の一中隊を、素早く左に増加したが、その速度は、よじ登る敵の歩度より、遙かに遅いように感ぜられる。A高地に伏せて、銃口も裂けよとばかり撃っていると、すぐ眼の前にた大隊旗手が、鉄兜を真向から撃ち貫かれて、ガックリと頭を下げた。右側からも、左側からも、前からも、手榴弾が飛び、小銃弾が飛んで来る。
「今日は駄目だ、参った」と観念し、最後の斬込みを、今か今かとばかり考えている時、全く思いがけない変化が起った。 」