今日も小松市内の小学校にておはなし。
1年生には「こめついたらはなそ」のわらべうたでおおはしゃぎしたあと、
そのノリのよさのまんま、「宝の原」。
なんという素直さ、かわいらしさ。
体いっぱいで感じたままそのまま表現できるやわらかさ。
この年齢にしかない子供らしさいっぱいに体験してくれる。
ああ、こんなに素直に心を開いてくれる子どもたちがここにいる。
先生方に感謝。
3年生には「天狗にさらわれた伍一」能美の佐野町の民話。
すーっと心に沁みこんでいくのがわかる。
素直に、天狗の存在も受け入れている。
いつも思う。
地元の民話は、子どもたちへの沁みいりかたが、本当に違う。
枕に「これはこの〇〇町の民話だよ」って、身近な地名を言うだけで、
そのおはなしがただの昔話ではなくなるよ。
「天狗様は鯖がきらいやから、もしもさらわれた時には鯖喰ったっていうんやよ」
という語りかけが、おはなしではなく本当のこととして捉えられていく。
それが、民話の力だ。
全国標準の昔話にはない、泥臭さ土臭さだ。力強さだ。
子どもたちが、この世界にある人ではな異なる者と共存していく。
当たり前の存在として認識していく。
今の私が一番伝えたいことはこれなのだ。
特に、震災以降、圧倒的な力でこれを伝えよと魂が言っている。
5年生には「猫の恩返し」鳥越村のおはなし。
これも、かわいがっていた猫がばんば(ばあさま)になり、
主人に恩返しをしてくれるという怪しいお話。
5年生がまっすぐに、シーンとして聞いてくれた。
私は面白おかしい話だと思って練習していたんだけれど、
この子達には、もっと深く、異なる者とのちょっと薄気味悪い交流ばなしとして感じられたみたい。
子どもたちの表情で、どんなに奥まで話が浸透していっているのかわかるよ。
いいなあ!!
おはなしは、受け取る者の意識によって全然違ってくる。
子どものほうが、より深く受け止めてくれたんだね。
本当にしあわせな時間でした。
ちなみに
他の方が読んでくださった絵本『よあけ』紙芝居『海に沈んだ赤鬼』も
とっても子どもたちの心にしみいっていったように思いました。
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