思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

「お金」の持ち分は、この世界の富の取り分を表している。

2016-10-09 23:11:34 | 随想

 「お金」の持ち分というのは、この世界にある富(ものやサービス)の取り分を表している。「お金」そのものを着たり、食べたり、そこに住んだりすることはできない。「お金」は実体としての富と交換してこそその意味がある。これは簡単な事実である。

 もう一つの簡単な事実は、この世界にある富(ものやサービス)は、世界中の人が働いて作り出しているものだということである。

 このことを頭に入れて、「世界で最も裕福な62人の資産の合計が、世界の人口のうち、経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じ」ということを考えると、この世界はとんでもない状態にあるということがよくわかる。世界中の人が働いて作り出している富の取り分として、経済的に恵まれない36億人の取り分と同じ量を、上位のたった62人が排他的に受け取ることができるのである。こんなことが人類のこれまでの歴史の中にあっただろうか。たぶんないと思う。でも、これを大きな問題として考えている人は少ないようだ。どうしてだろう。

 *    細かいことを言えば、「資産」はいわゆる「お金」としてだけ持っているわけではなく、株券や債券、また、不動産などのかたちで持っている部分も大きい。上記の比較は、それらを「お金」に換算して行なわれたものであるが、その分を換算しなければ保有資産の格差がなくなるというわけではなく、問題は変わらない。したがって、以下の議論では、保有資産が数字で、すなわち金額で表されるということの問題について述べる。

  「お金」は大変便利なものではあるが、実体としての富が「お金」というものに置き換えられ、たんなる数字として扱われることで、62=36億という富の分配の異常さを目に見えにくくしている。ビルゲイツの個人資産が8兆円と言われても、「兆」という単位が感覚的に捉えられず、「ずいぶん儲けたようですね」くらいの感想しか持たない人が多いのではないだろうか。しかし、ちょっと計算して、年収400万円の人の約200万年分の年収に相当すると考えると、その巨額さがわかるかもしれない。そして、これを、社会内の富の取り分として考え、この世界では何億人という人たちが貧困の中にあり、飢餓状態にあり、それを原因とする犯罪、そして武力衝突が後を絶たない状態にあることを考えたときはどうだろう。もっと見えてくるものがあるはずだ。

  また、「お金」を持っている側は、個人が集めても意味がない量の富を所有しているという意識が希薄になる。また、その「お金」も実体として持っているわけではなく、いまでは、コンピュータの中の数字としてあるにすぎないので、余計に実感はなく、いくら増えても困ることはない。「お金」のない人は、個人が数兆円分の富を持っていったいどんな意味があるのかと考えるが、たぶん、彼らは数字が増えることを競争したり、楽しんだりしているだけなので、その意味などあまり考えないのだろう。

  一方で、「お金」は賭け事も進化させ、巨額の資産を簡単に動かせるようになった。株式会社は、当初、あちこちに眠っている「お金」を集めて、事業に使うということが目的であったが、いまでは、株式投資はほとんど賭け事となっている。どの会社に賭けるか、いつ買うか、いつ売るか、その判断をするためにメディアは毎日情報を提供している。債権、外国為替、先物取引等々、いろいろな賭けが世界中で行なわれ、それが各国の経済を左右している。老後の生活を支えるための年金でさえ、賭け事に使われ、今回は5.3兆円という巨額の損失を出している。

 *  この失策の責任を誰も取らず、マスメディアは徹底した追求もしない。こんなことがまかり通るようになってしまったこの国は本当にダメかもしれない。敗戦間もないころは、先の戦争に協力してしまったことを反省し、謝罪したはずのマスメディアも、日本会議が先の戦争を正当化しているのと同様、反省しなければならないようなことはなかったと開き直るつもりだろうか。現政権を忖度するような報道しかできないマスメディアの現状を見ると、そう判断せざるを得ない。そんなマスメディアに、政権の暴走を止めることなどできない。それどころか、再び、政権の広報機関としての役割を果たすことになるだろう。現に、多くのマスメディアがそうなり下がっている。

 いまのこの仕組みでこの世界に問題がないのであれば、すなわち、「お金持ち」もいれば、普通の生活ができる程度の「お金」しか持っていない人もいて、それでもみんなが飢えることなく、大きな争いもなく、一定の満足をし、幸福も感じられるという世界が実現しているのであれば、この仕組みのままでもいいのかもしれない。しかし、先にも述べたように、現実には、何億人という人たちが貧困の中にあり、飢餓状態にあり、それを原因とする犯罪や武力衝突が後を絶たない状態にある。そうであれば、このままでいいはずはない。

 ところで、先の62人は、36億人分の努力をし、それだけの富を作り出したのだろうか。そんなことはありえない。また、持っている「お金」を動かして各種の投資をし、「お金」を増やしている人たちはどうだろう。あきらかに富を作り出しているわけではない。「お金」を賭けて儲けているだけだ。もちろん、倫理的、道徳的問題は別にして、その人たちは法律に違反して儲けているわけではない(実際には、不法行為をして儲けている人たちも多いが)。現在の社会の仕組みを利用して儲け、途方もない「お金」を持っているわけだ。すなわち、その行為が合法的であるということにこそ問題があることになる。

 こんな世界はおかしいと感じるのが普通の人の感覚ではないだろうか。やはり、世界中の人が働いて作り出している富は、その本来の意味で公平に分配することが必要ではないか。公平な分配とは、努力した人にも、努力しない人にも同じ量の富を分配するということではない。努力した人が、その努力に見合った量の富を受け取ることである。36億人分の努力をしたわけでもない62人が36億人分の富を合法的に受け取れるような仕組みはおかしい。もっと公平な分配ができる仕組みを作り出す必要があるのではないだろうか。なお、世の中には、障碍や高齢で普通の人のように働けない人もいる。事故や災害で一時的に収入が絶たれる人もいる。それらの人たちの生活は、税金や寄付などで、社会が支えてゆくのは当然である。

 (補足)ビルゲイツは、その資産の大部分を慈善事業に寄付するための財団を作り、実行している。ビルゲイツ自身はかなりの倹約家で、派手な生活はせず、飛行機で移動するときも極力ファーストクラスは使わないそうだ。ホテルも寝るスペースがあればいいという考え方のようだ。お金持ちの中にこのような人もいるということは、少しは救いを感じるが、この世界の現状を見れば、そんな人はわずかだろうということも容易に想像できる。なお、北欧の人たちは、社会に対する義務感が強いらしい。だから、税金は高くても社会福祉が充実し、安心して生きられる社会が実現しているのだろう。



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