OECD(経済協力開発機構)が、「実際にどれだけのモノやサービスを買えるのかを基準に先進国の賃金を比較したら、1991年に9位だった日本の賃金ランキングは、2014年に19位まで落ち込んだ」そうである。韓国(17位)スペイン(18位)にも追い越されてしまった。韓国もスペインも、1991年の賃金に比べて2014年の賃金は絶対額が上がっているが、なんと日本は23年前より下がっている。(6月5日 朝日新聞GLOBEから)
また、ユニセフ・・イノチェンティ研究所の調査によれば、「相対的所得ギャップ」とも呼ばれる底辺の子どもたちの所得の格差は、OECDまたはEUに加盟する41カ国中の34位であるとのことである。ちなみに、お隣の韓国は15位だ。この格差は、0 ~ 17 歳までの子どもを持つ世帯の可処分所得(社会保障給付を加え、税金を差し引き、世帯人数・構成による違いを調整した後の所得)を基に計算されたもので、富裕層との格差ではなく、分布の中央値にあたる子どもの世帯所得と、下から 10%にあたる子どもの世帯所得とを比較したものだそうである。
安倍首相は、「アベノミクス」は失敗ではなく成果を上げていると言っている。その通りだと思う。トップ企業の収益は史上最高を更新し続け、富裕層の財産が増える一方で、労働者の賃金が下がった。「多様な働き方ができるようにする」と言って、正社員を減らし、派遣、アルバイト、パートなど、不安定で低賃金の労働者を増やした。つまり、低開発国の労働者の賃金に近付けることによって、多くの国民を貧しくすることによって、企業はグローバル化する世界の中で競争力を付けたわけだ。「アベノミクス」は成果をあげたのである。トリクルダウンなど起きることはなく、余剰金は株主に還元され、各種マネーゲームに投資されることになった。安倍首相によれば「アベノミクス」はまだ道半ばであり、さらに前進するそうである。つまり、格差はさらに拡大し、労働者の貧困化はさらに進むということになる。
シャープを買収した鴻海の郭会長は「場所を替えても飼い主を替えても悪い卵しか産まない鳥はいらない。シャープは残そうとするが、カットすべき人はカットする」と述べている。企業というものの本音を正直に述べている。「日本株式会社」という言葉が使われるようになって久しいが、いま、この国はまさにそうなっている。この国に利益をもたらさない国民、「悪い卵しか産まない国民(=非国民)はいらない」自己責任だ。自分でなんとか生きろ。政府は助けない。「この国は残そうとするが、カットすべき国民はカットする」この国の目的は経済発展であり、国民の幸福ではない。経済発展を阻害するようなものはすべて排除しなければならない。為政者たちは日夜そのために行動している。
こんな中、就職できない人たち、劣悪な労働条件下で働かざるを得ない人たちの不満は高まっている。そこで、為政者たちは、古典的な手法ではあるが、その矛先が自分たちに向かないように、中国、北朝鮮、韓国、ロシアなど、外に敵を作るという方策をとっている。日本という国の品格をおとしめる下劣なヘイトスピーチを本気でやめさせないのも、そういう背景があるからだろう。この国が危機にあるときに、政府(=国ということになっている)に逆らうなどもってのほかだとなる。だから、政府を縛っている憲法*を変え、政府にもっと自由を与え、国民が勝手なこと(彼らから見て)をするのをやめさせる憲法にしなければならない。政府がその内容を決めることができる「公益」というもので国民を縛り、戦争のために国民を動員できる態勢をとっておく必要がある、というわけだ。
* 自民党の「憲法改正推進本部副本部長」の磯崎某が、立憲主義など聴いたことがないと嘯いている。しかし、彼らは現在の日本国憲法が立憲主義に基づき政府を縛るものであることを知っている。だからこそ、彼らはなりふり構わず憲法を変えようとしているのだ。
集団的自衛権の行使という名目で自衛隊を海外に派遣すれば、戦死者が出るのは時間の問題だと言える。戦死者が出れば、それを機会としてとらえ、マスメディアを使って国民の戦意を高揚させることができる。そうなれば、軍備増強や、派遣する自衛隊員の増員などを容易にし、戦争への道を開きやすくなる。戦争などしても何の利益もないのだからと、戦争が起きることを否定する人もいる。しかし、戦争というものは、一部の人たちに大きな利益をもたらすものでもあることを忘れてはならない。武器商人や、戦勝後、現地で得られる利権を狙っている人たちがいる。後者に属する人たちは、自衛隊員が実際に現地で戦い、血を流すことを望んでいるはずだ。そうでないと、分前を要求することができないからだ。
戦争の本質は殺戮と破壊である。すべてが破壊されれば、そこから復興が始まり、再び経済成長が始まる。経済成長神話を信仰する人たちが喜ぶことになる。彼らは、その前にどれほど悲惨なできごとがあるかにはついては目をつむる。その悲劇が自分たちは及ばないと思っているからだ。自分たちだけは安全なところにいて、いざとなればどこにでも脱出することができると思っている。しかし、こんどの戦争に復興はないかもしれない。日本では全国に原発があり、格好の攻撃目標となる。福島原発事故でわかったように、それらが破壊された場合、日本中が帰還困難区域となってしまう。何百年も人が住めなくなってしまうのだ。また、地球上が核の冬と呼ばれる、人が生存できないような環境になってしまう可能性もある。そうなれば、お金持ちたちも、日本を脱出してどこかにゆくということなどできなくなるだろう。
先の太平洋戦争を実際に経験した人、治安維持法で逮捕されたり、拷問されたり、口を封じられたりした経験を持つ人たち(子どもとしての経験を含めれば70歳代後半以上の人たちということになろう)は、現在の日本の状態に大変な危機感を持っていることだろう。もう二度と戦争などすべきではないと思っているはずだ。安全なところで戦争を指揮し、生き残った一部の人たちは別かもしれないが。しかし、つぎの戦争でも犠牲になる多くの国民は現在の政府を支持し、今度の参議院議員選挙も改憲派の議員が3分の2を超えた。その結果、国民は自分で自分の首を絞めることになって、どんどん不幸になることだろう。また、悲惨な戦争が始まるかもしれない。先の戦争で亡くなった数千万の人の命は無駄になるのだろうか。どんなに悲惨なことも、たった2~3世代で忘れ去られ、悲劇は繰り返され続けるのだろうか。
いつの時代でも、自己の利益を最大化することだけを目的として行動し、反社会的な行動をいとわない人間はかならずいる。これからも、そういう人間がいなくなることはけっしてないだろう。一方、人間は、そのような人間の行動を抑制し、より多くの人の幸福を実現するための仕組みや文化も作り出してきた。しかし、一部の狡猾な人間は、どんな仕組みを作ろうとも、他者の犠牲には関心を持たず、自己の利益のみを追求するということをやめたりはしない。彼らは金脈、人脈の力で政府をコントロールし、この国を自分たちにとって有利なかたちにしようとする。だからこそ、人々は、政府の動きを絶えず監視し、抑えてゆく必要があるのだ。日本国憲法はその前文で「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と宣言している。主権者たる国民には、政府を絶えず監視する義務がある。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます