小学館が編集発行している『週刊ポスト』の2019年9月3日号の新聞広告で、特大の文字を使って、つぎのような見出しで特集記事をアピールしていた。
総力大特集 日韓関係「禁断のシミュレーション」
韓国なんていらない
「嫌韓」ではなく「断韓」だ
厄介な隣人にサヨウナラ
軍事 GSOMIA破棄で「ソウルが金正恩に占領される」悪夢
経済 サムスンのスマホ、LGのテレビ、ヒュンダイの車も作れない
観光 訪日韓国人の消費額は、アメリカ人や中国人の「わずか3分の1」
スポーツ 東京五輪ボイコットなら日本のメダルは2ケタ増?!ほか
暴走極まれリ!文在寅が「竹島上陸パフォーマンス」を計画中!
「10人に1人は要治療」(大韓精神医学会)――怒りを抑制できない「韓国人という病理」
* 東京五輪に韓国が参加すると、日本はメダルが2ケタ減になるそうだ。
良識のある人から見れば、「えっ!あの小学館が?狂ってしまったのか?いったいどいうことだ!」と驚くのではないだろうか。これはまさに「便所の落書き」レベルのものだ。まだ、この国がもう少しまともであった時代、たまたま日本人として生まれたということ以外に自分には何の取り柄もないと感じている(本当はそんなことはないのだと思うのだが)人が、韓国人という、かつての植民地の人たちを貶める罵詈雑言を、トイレの個室の目前の壁に書いて溜飲を下げていた類のものだ。日本人である自分が、日本人であるというただそれだけでなんだか偉くなったような気分になれるからだろう。いまはそれがツイッターなど、ネットの掲示板に変わっている。(その影響力は、便所の落書きとは比べ物にならず、問題の質が変わっているのだが)
小学館と言えば大出版社であり、少なくとも責任的地位にある人は、影響力のある大きなメディアが民族的憎悪を煽ることが犯罪的なものであることくらい十分にわかっていると思っていたが、そうでないようだ。あるいは、わかっていながら、そういう記事を書けば本が売れる、つまり、売れるなら何でもするという拝金主義にすっかり毒されてしまったということなのかもしれない。もっと悪いのは、権力の「自分たちの不正から国民の目をそらせるために外に敵を作る」という方策に協力させられているのかもしれない。または、その匂いを嗅ぎ取って、権力に目を付けられ、不利益を被らないように、自発的に協力しているのかもしれない。目の前に外敵がいるのに、内部のあれこれの問題を持ち出すのは、この国を危うくする危険分子であり、非国民であり、敵のスパイであるというわけだ。
* 今朝の新聞によれば、この特集に関し、小学館が謝罪しているとのこと。ただし、店頭から回収するとは言っていない。このまま売り続けるということか。しかも、その謝罪の仕方が、例によって「誤解を広めかねず、配慮に欠けていた」という定型文である。つまり、読者が誤解(事実や言葉などを、知識や能力が足りないために正しい解釈に至らず、誤って解釈してしまうこと)するおそれがあるというのである。つまり、「知識や能力が足りないので、誤った解釈をしてしまう読者に対する配慮を欠いた」と言っているのである。そうではない普通の読者であれば、この記事をどう解釈するというのだろう。「10人に1人は要治療」(大韓精神医学会)――怒りを抑制できない「韓国人という病理」という表現は、どう解釈するのが正しいのだろう。その答えを、知識や能力のある小学館の責任者に是非聴いてみたいものである。
現在の嫌韓ムードが拡大していったその発端となる徴用工問題についても、つぎのような重要な事実がほとんど除外され、議論されている。テレビや新聞など、大きな影響力を持つメディアがそうなのだ。ウィキペディアからの引用だが、それを述べておきたい。
「日本政府は1965年の日韓請求権協定についてその締結の当初から個人請求権は消滅していないと解釈していた。日韓請求権協定締結時の外務省の内部文書には日韓請求権協定第二条の意味は外交保護権を行使しないと約束したもので、個人が相手国に請求権を持たないということではないと書かれていた。このような日本政府の解釈は日韓請求権協定締結前から一貫したものであった」
その理由は、「原爆やシベリア抑留の被害者が、日韓請求権協定に先立って締結されたサンフランシスコ平和条約や日ソ共同宣言の請求権放棄条項により賠償請求の機会を奪われたと主張し、日本に補償を求める訴訟を提起した」とき、日本政府は「この訴訟において、日本はそれらの請求権放棄条項によって個人の請求権は消滅しないから、賠償請求の機会は奪われていないと主張した」。また、「韓国との関係に関しても戦後韓国に残る資産を失った日本国民が韓国に対して訴訟を提起する可能性があるため、日本は当初から請求権放棄条項によっては個人の請求権は消滅しないという立場に立っていた」すなわち、原爆やシベリア抑留の被害者、韓国に残る資産を失った日本人は、個人として相手国に損害賠償等の請求ができるというわけである。
しがたって、日韓請求権協定に対し、同じ論理を適用すれば、1991年8月27日の柳井俊二外務省条約局長による参議院予算委員会での「(日韓請求権協定は)いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではない。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることができないという意味だ」という答弁は至極当然のものだと言える。
そして、「1992年3月9日の予算委員会において柳井は『請求権の放棄ということの意味は外交保護権の放棄であるから、個人の当事者が裁判所に提訴する地位まで否定するものではない』と答えている。また、内閣法制局長官の工藤敦夫も「外交保護権についての定めが直接個人の請求権の存否に消長を及ぼすものではない」と答えている。
ところがいまの安倍政権はこれらの事実に目をつぶり、そして、国民の目から隠して、韓国を恥知らずで野蛮な国だと、強い口調で非難している。原爆やシベリア抑留の被害者が相手国を訴えること、日本人が韓国に残した資産を取り返すことの権利を認めながら、韓国の被害者が同じことをするのは非常識だとして罵倒するのである。いったいどちらが非常識なのだろう。堕ちるところまで堕ちたものである。そして、この重要な事実(安倍政権にとっては不都合な真実)を積極的に報道しないテレビや新聞はもはや大本営発表機関に成り下がっている。
北方領土を取り戻すには戦争しかないと言って有名になった丸山穂高議員が、こんどは「竹島も本当に交渉で帰ってくるんですかね?戦争で取り返すしかないんじゃないですか?」と言っている。この発言は、憲法第九条、第九十九条に照らしてみれば、明らかに憲法違反であり、国会議員を続けることはできないはずである。しかし、テレビや新聞は黙っている。そして、丸山議員は国会議員を続けている。現政権が同じような考えを持っているからだろう。このまま各メディアが嫌韓ムードを煽り続ければ、この国は暴走し、戦争を始めることになるかもしれない。この国は本当におかしくなっている。それを知らないのは「日本すごい!」宣伝に踊らされている日本人だけかもしれない。
日本国憲法
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第九十九条【憲法尊重擁護の義務】
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
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