思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

人権の臭がする

2016-01-17 13:47:37 | 随想
 先日の朝日新聞のオピニオン欄に若手の作家、中村文則が寄稿していたが、その中に気になる一文があった。

その大学時代、奇妙な傾向を感じた「一言」があった。
友人が第二次大戦の日本を美化する発言をし、僕が、当時の軍と財閥の癒着、その利権がアメリカの利権とぶつかった結果の戦争であり、戦争の裏には必ず利権がある、みたいに言い、議論になった。その最後、彼が僕を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだった。
「人権の臭いがする」。言葉として奇妙だが、それより、人権が大事なのは当然と思っていた僕は驚くことになる。問うと彼は「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言ったのだ。
当時の僕は、こんな人もいるのだな、と思った程度だった。その言葉の恐ろしさをはっきり自覚したのはもっと後のことになる。


 なぜ気になったかと言うと、「俺は国がやることに反対したりしない。だから国が俺を守るのはわかるけど、国がやることに反対している奴(やつ)らの人権をなぜ国が守らなければならない?」と言っているこの友人が「国」と「その時々に、権力を握り、国政を操っている一派」を区別できておらず、そのような人がこの国には多いような気がするからだ。「国がやることに反対している」人たちは、「いま権力を握っている一派がやっていることは国のためにならない、そのやり方は間違っている」と言っているのだということに考えが及ばないわけである。

 実際に政治をしている政府は、いつも、その時に権力を握っている一派であり、その政治がかならずしも国民の意思と一致し、正しいものであるとは言えないのは当然のことである。だからこそ、いろいろな議論が必要であり、批判も反対も必要なのだ。彼の友人のように、批判、反対をする人を許さないとすれば、それは独裁政治ということになる。日本が独裁国家でないとすれば、大いに議論し、批判も反対もしなければならないのだ。

 彼の友人が言った「お前は人権の臭いがする」という言葉は、中国政府が、いわゆる人権派の人たちを弾圧しているのを見ると、その意味がよくわかる。中国政府は、中国の人々が人権意識に目覚め、一人ひとりがよりよく生きる権利として、政府がやることに意見を述べ、批判したり、反対したりすることを怖れている。その批判が大きな渦となって、現政権を脅かすほどに大きな力となることを怖れているのだ。どんな政府も、頭から「人権」を否定することはできない。だから、その「人権」を盾にして政権を批判してくるような勢力は大きくなる前に、小さな芽のうちに摘んでおく必要がある。それをいまの中国政府は実際にやっているわけだ。

 彼の友人は、いまの中国政府と同じ体質を持った人であり、普段から「人権」を盾に政府を批判するような人を毛嫌いしている人のように思われる。(なぜ、一学生がそういう心理になるのかは別の話)だから、過去のことではあっても、政府(彼の友人の頭のなかでは「国」)のやることに反対するような人は許せず、僕(中村文則)を心底嫌そうに見ながら「お前は人権の臭いがする」と言ったのだ。

 前回のブログで紹介した「この国では意見を持つ行為そのものが、空気が読めないってことになってしまうらしいんです。」と言っていた学生が感じた違和感と、中村文則が彼の友人に感じた違和感は同じ種類のものに思われる。憲法をないがしろにして、独善的な政治を強行している現在の政府を、「国益」のためだとして人権を制限、縮小する憲法を作ろうとしている政府を、なお多くの人たちが支持しているように見えるこの国のこれからが心配である。日本も中国のように物言えぬ国になってしまうのだろうか。でも、そういういまの日本に違和感を持ち、動き始めている若い人たちがいるというところに希望はある。


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