思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

集団的自衛権の行使容認について

2014-08-06 17:47:32 | 随想
 安倍内閣は、政府の意思決定機関である閣議というもので、「集団的自衛権」の行使容認をした。今後、この決定に従って各種の法整備が行なわれるとのこと。従来の内閣は、それは「憲法違反」であり、行使できないとしてきた。国民の大部分は「集団的自衛権」ということばそのものをこれまで聞いたことがなかったというのが実情ではないだろうか。しかし、安倍内閣は、突然にこの問題を持ち出し、国会の議決も経ないで、それ自身の意思決定機関=閣議で、「違憲」から「合憲」へと解釈変更をして、この国の進む方向を基本的に変えてしまった。

 日本国憲法の前文はつぎのような宣言から始まる。

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。


 この宣言では、「主権は国民に存する」のであって、政府にあるのではないということをはっきりと言っている。そして、この憲法を確定するのは、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」ためであると言っている。ところが、安倍内閣は、この憲法の精神を真っ向から否定した。つまり、この国の基本的方向を決定する権利は、政府の意思決定機関である閣議にあるとしたのである。主権は政府にあるとしたことになる。政府が独断で、この国を「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こる」かもしれないようにしたわけである。これで、自主的に自衛隊に入る若者が減り、その結果として徴兵制が敷かれるかもしれない。若者が強制的に、殺し殺される場である戦場に送られ、命を落とすことになる時代が近いかもしれない。

 同じく前文には、第九条の戦争放棄を導くつぎのような決意が述べられている。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。


 日本国憲法は、その起草に多くの日本人がかかわったとしても、敗戦後、戦勝国から与えられたものだということは事実である。だからこそ、立法者の意思は明確である。日本の半永久的武装解除である。その意思から考えれば、日本が独自に武力を持ち、それを国外で行使することになる「集団的自衛権の行使」は明らかに憲法違反である。

 アメリカはそのような憲法を日本に与えたものの、第2次世界対戦が終了した後、アメリカにとって最も重要な問題は共産主義との戦いとなった。ソビエト連邦や、戦後すぐに成立した中華人民共和国が脅威となった。朝鮮半島が全面的に共産主義化することを防ぐため、朝鮮戦争が始まった。そのとき、日本はアメリカにとって格好の前線基地であった。朝鮮戦争終結後も、ソビエト、中国をけん制するために、前線基地として日本は重要な位置にあり、日本にも一定の武力を持たせ、アメリカを支援させることが必要になった。そこで、「自衛権」という考え方を導入して、自衛隊という名前の軍隊を作り、その役割を果たさせることにした。

 また、いまだに戦争が絶えない世界の実情を見ると、日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するという考え方に対し、大きな不安を抱き、最小限度の武力を持って、国を自衛する権利は当然あるのではないかということで、自衛隊は国民の間に定着してきた。

 その後、世界情勢は大きく変化してきた。ソビエトが崩壊しロシア共和国となり、資本主義国となった。中国も共産党支配は続いているが、同様に資本主義国として機能している。つまり、アメリカにとって、資本主義国としての貿易相手国であり、巨大市場であり、投資対象国であり、競争相手国となったわけである。その意味では、日本とほぼ同じ国になったわけである。しかし、決定的に違うのは、日本は同盟国であり、日本政府はアメリカにすこぶる協力的であり、まして武力的に逆らうことは考えられない。一方、ロシアや中国はそうではない。自国の利益こそ最優先であり、そのためには一定の武力行使もいとわないという姿勢をとっている。とすれば、アメリカにとって、日本の軍事的な利用価値はまだ十分にあるわけだ。

 このような変化は、日本が従来の憲法解釈を根本的に変更し、いままで以上に武力行使の範囲を広げなければならないという理由になるのだろうか。つまり、共産主義国家よりも資本主義国家のほうが危険だということか。そうでなければ変更する必要はないわけだ。共産主義国家の脅威がなくなったのだから。しかし、事実として、先の2つの世界大戦は、資本主義国家どうしの市場や資源の争奪戦であった。つまり、為政者は、資本主義国家というものは、共産主義国家の有無にかかわらず、武力で守らなければ、その国を維持できないものだと認識し、ロシアや中国などの大きな競争相手が現れることによってその危機感をより強くしたということなのか。そうだとするならば、世界が、複数の資本主義国家で成り立っている限り、戦争はなくならず、兵器の開発競争は永遠に続くことになってしまう。「いや、悪の帝国さえなくなれば戦争はなくなる」と言うのかもしれない。しかし、アメリカから見れば、ロシアや中国が悪に見え、ロシアや中国から見れば、アメリカが悪に見えるのであって、やはり、戦争は続く。

 もうひとつは、アメリカという国の経済力、軍事力が他国を圧倒していた時代が過ぎ、余裕がなくなってきている中、従来アメリカが担っていた役割を、同盟国にも一部、肩代わりしてほしいというアメリカの意向を日本政府が汲み取り、その結果の解釈変更ということも考えられる。そうしておかなければ、いざというときに、日本を助けてくれないだろうと考えているのかもしれない。

 しかし、アメリカという国は、自国民に対するものであるにもかかわらず、「社会福祉のために自分たちの金を使うな」「貧困は自己責任だ」「金のかからない小さな政府でいい」などと主張し、さらに、税金を払いたくないために、その資産をケイマン諸島などのタックス・ヘイヴンに移しているようなお金持ちたちが支配している国である。また、他国(アルゼンチン)の財政破綻に乗じて儲けを企んだ強欲な投資ファンドのために、再びその国を破産状態に追い込むことになる判決をくだすような裁判所を持つ国である。集団的自衛権の行使をしてアメリカのお手伝いをしたところで、いざとなったとき、日本人のために命をかけ、血を流し、武力行使に必要な巨額の金を使ってくれることなど考えられるだろうか。

 そんなアメリカのために、安倍内閣は、「閣議決定による集団的自衛権の行使容認」という、立憲政治そのものを放棄することまでして、いままで以上に、軍事的な協力の姿勢を示している。アメリカにとっては、なんとありがたいことだろう。ヘーゲル国防長官は、ペンタゴンでの記者会見で、安倍内閣の決定に対し「大胆にして、歴史的、画期的な決定」に「強い支援」を約束すると述べている。確かに、国民の意思を無視し、内閣の意向だけで、面倒な民主主義的手続きを回避して、独裁的に日本のこれからの方向を大きく変更したという意味で、「大胆にして、歴史的」な決定ではある。

 たぶん、あの人は自分が何をしたのかあまりわかっていないのではないだろうか。わからないからこそこんな無茶ができたのだと思う。普通の頭を持った人なら、憲法に何が規定されているかを理解している人なら、日本は民主的国家であると考えている人なら、仮に集団的自衛権の行使が必要だと考えたときは、必要である理由を国民の前に明らかにし、国民的な議論を起こし、憲法改定を国民に問うはずである。あの人は、祖父が岸信介でなければ、けっして総理大臣なんかになれる人ではない。金正恩が最高指導者になったのは祖父が金日成であったのと同じである。

 この後、あの人のことだからきっと憲法改定を言い出すだろう。そのときもかなり無茶をするのではないだろうか。憲法改定となると国民投票が必要になる。その際、日本国民として肝に銘じておくことがある。それは、混乱に乗ずるかたちで、基本的人権を抑圧するような憲法を作らせてはならないということである。改定するのは提起された問題を解決するために必要な最小限度でなければならない。その他の部分に手を付けるのであれば、そのそれぞれについて、その必要性を説き、国民的議論を起こし、国民投票をする必要がある。自民党の草案のように、一気に全文を変更してはならない。

 憲法は、国民が政府を縛るものであり、けっしてその逆ではない。基本的人権は、憲法改定によってより拡大されることはあっても、けっして縮小されることがあってはならない。自民党の憲法草案は、「国益」とか「公益」ということばを使って、人権を束縛しようとする。憲法を使って政府が国民を縛ろうとしている。自民党の憲法草案にこれらのことばが、人権に優先されるものとして入っていることを見ればよくわかる。「国益」「公益」はいくらでも拡大解釈ができ、それを理由に、いくらでも国民の人権を抑圧できるからだ。いまの中国を見ても、それがわかると思う。中国共産党を守ることは中国を守ること、すなわち「国益」「公益」を守ることであり、それを侵そうとするものには鉄槌を下すというわけだ。日本がそうならない保証はまったくない。何しろ、「憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」人が、憲法に違反して、この国の基本的な方向を変えてしまうことが、それほど大きな抵抗もなくできてしまう国なのだから。

 第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


 特定秘密保護法を作り、集団的自衛権の行使容認を決定した彼らは、「憲法なんてもう怖くない」そう認識したのではないか。


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