思いつくままに

ゆく河の流れの淀みに浮かぶ「うたかた」としての生命体、
その1つに映り込んだ世界の断片を思いつくままに書きたい。

残業代0を目指す労働時間制度改革

2014-10-27 18:14:11 | 随想
 「時間ではなく、成果で評価される働き方にふさわしい、新たな労働時間制度の仕組みを検討してほしい」、安部首相は4月22日の経済財政諮問会議・産業競争力会議合同会議においてこう指示した。

 「新たな労働時間制度の仕組み」というのは、「企業が残業代を支払わなくてもよい仕組み」という意味であり、「成果で評価」うんぬんは、その仕組みを正当化するための方便に過ぎない。何故かと言うと、現在の法律は、企業が「成果で評価」することをまったく禁止していないし、時間で評価せよなどとも言っていないからだ。また、実際に、多くの企業は「成果で評価」している。時間ばかり長くかけて仕事をしている人を評価などしていない。その評価がどこまでうまくいっているかは、その企業の労務管理の問題であり、法律とは関係がない問題である。第1次、第2次の安倍内閣で実現できなかったということで、今度こそとその実現に執念を燃やしているようだ。

 「今は、時間の長さに応じて賃金を払うため、結局、仕事が遅くて、残業をした人の方が給料が多いということになる」「ダラダラ働いた人の方が、高い給料をもらえることになる。これでは会社は持たない」とか言うが、頑張った人、能力のある人に余分の報酬を支払い、そうでない人と差をつけることを、法律はけっして禁じてなどいないのである。「残業をした人のほうが」「ダラダラ働いた人の方が、高い給料をもらえることになる」ような会社は労務管理が不調な会社だというだけの話である。そんな会社が「持たない」のは当然かもしれない。しかし、少なくともこの日本では、昭和22年(1947年)に、労働基準法によって労働時間の上限が定められ(割増賃金を払えばその上限を超えることができるという抜け穴はあるが)、その後、驚異的な経済発展を遂げてきた。「従来の労働時間制度」のもとにおいてなのだ。

 だから「新たな労働時間制度の仕組み」ということの内容は、明白である。会社が残業代を払わなくてもよいような「労働時間制度の仕組み」を検討せよというのである。割増賃金どころか、残業代さえ払わなくてもよい仕組みを考えろというのである。会社にとっては願ったりかなったりである。現状の日本では長時間労働が常態化している。長時間労働で身体を壊し、過労死する人も出ている。精神を病み、うつ病になり、職をなくし、自殺する人も出ている。長時間労働をしている人たちの大部分は、ダラダラと時間稼ぎをしているわけではないのだ。長時間労働をしなければ、生活のために十分な賃金がもらえなかったり、長時間労働をしなければこなせない量の仕事をかかえていたりするからだ。法律が規定の労働時間を超えた場合は割増の残業代を支払えと規定しているのは、このような長時間労働を抑制することが目的である。けっして、「時間で評価せよ」というものではない。長時間労働によって労働者の健康を心身ともに害し、命を縮めるのを防ぐことが目的である。

 上限を超えて働かせるなら割増賃金(残業代)を支払えと規定すれば、会社にとって、その分もうけが少なくなるので、長時間労働を抑制できるだろうという思惑があったわけだが、その思惑がはずれ、先に述べたように長時間労働が常態化している会社が多いのがこの日本の現実である。残業代を支払っても、長時間労働をさせた方が、結果としてはもうけが増えるからだろう。また、法律では時間外労働に対しては上限を設けていない。残業代さえ払えば、どれだけ長く働かせても罰則はない。このことも長時間労働がなくならない要因のひとつになっている。

 このような現実の中で、残業代を払わなくてもよい労働時間制度を検討せよというのである。そうすれば、残業代を稼ぐためにダラダラ働く人がいなくなり、長時間労働を防げるというのである。いまの日本の長時間労働の常態化は、残業代を稼ぐためにダラダラ働く人たちによって引き起こされていると思っているのである。長時間労働の実態とはかけ離れた、こんな認識を持った人がこの国の総理大臣であり、絶大な権力を握っているのである。本当に長時間労働をなくしたいと思っているのなら、長時間労働を禁止する法律を作ればいいだけの話である。

 ちなみに、長時間労働を防ぐための、残業代の割増率は、日本では以下のようになっている。

時間外労働:25%以上
休日労働:35%以上
* 時間外労働が深夜に及ぶ場合、その分について50%以上
* 時間外労働が1ヶ月60時間を超える場合、超える部分について50%以上

 アメリカ、韓国は平日、休日とも50%、イギリス、マレーシア、シンガポールは平日が50%、休日は100%、ドイツは平日が40%程度、休日は60%程度とのこと。これらと比べると、現状でさえ、日本は企業に対して大変やさしいわけである。さらに、残業代をなくせば、たしかに安部首相がめざす「世界で一番企業が活動しやすい国」に一歩近づくには違いないが、反対に、労働者にとっては「世界で最も過酷な国」に一歩近づくことになる。

 経営者たちは、政治献金を復活させ、自分たちの要求を実現するために活動する政治家を応援したり、御用学者を使いマスメディアで、残業代0にすることが「日本」のためになるのだと宣伝したり、彼らにとって理想的な国を作るため、それなりの努力をしている。それに対し、労働者が目立った反対をしないとすれば、かならずそういう国になるだろう。安倍内閣の支持率は高いらしい。働く人たちにとってさらに過酷な国をつくろうとしている安倍内閣を、その犠牲になる当人である働く人たちが支持をしている。だとすれば、そういう国になってしまったとしても、それはまさに自己責任である。そういう国がいやなら、そうなりたくないなら、自己責任でその制度を廃棄し、自分たちが働きやすい、生活しやすい、生きていることに喜びを見いだせるような国にするしかない。誰かがやってくれるわけではない。そういうことをするには、ひどい国になってしまってからより、そうなる前に、そうならないようにする方がずっと簡単だと思う。平和的な手段で、それができきると思う。


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