日本の空き家率が2割を超えそうな勢いで増えていると言う。都会はそれでもまだいいが、田舎の空き家はどうしようもない。この空き家問題をなんとかしないといけないのだ。そこで空き家問題の根本原因を考えてみる。
1 まず人口に対して家の数が多いのか少ないのかである。多分多少家の方が少ないだろう。では何故空き家が出るのか、それは人々が住みたい場所を選ぶからである。便利なところ、結局人気に差が出るから、集中と過疎がうまれるてしまうのだ。そこで一定期間の猶予ののち、人が住んでいない家は「賃貸にするか、国庫に没収する」ことにする。賃貸にできない家は全部国庫に入れるのだから、とりあへず全部の家は人が住んでいるか賃貸で入居待ちになる。これで人口と家の需要と供給は、「バランスが取れる」ことになる。賃貸は人に貸す予定の家であるから、幽霊屋敷のようなボロ家では借り手がつかない。自然と街は綺麗になって行く。
2 しかしそうなると、現在持ち家の人は最後は没収されたままになって財産が減ってしまう。そこでなんとか不動産屋に売れないかと頑張るがもともと人気がない物件は値段がつかないので、捨て値で売るしかない。それが嫌なら「一生住み続ける」ことである。結局遺産として相続した家は妻や子供がそのまま住むか、あるいは捨て値で不動産に売るか、または国庫に返納するしかない。こうして過疎地はどんどん過疎化が進み、空き家は国の財産として更地にして行くことになる。人気のある場所の物件は、次に住みたい人がたくさんいるので、「高い値段がつき、資産価値が出て」取り合いになるのだ。田舎はどんどん人がいなくなるが、それも人の流れで仕方のないことである。問題は空き家を町や市が簡単に処理できるようにすることなので、没収というのが一番いいように思う。
3 しかし人気のある物件を資産価値と呼ぶのは「住んでも住まなくても価値がある」からである。家は人が住まなければ没収されるのだから、この場合は「居住権」が正しい。居住権は一人が1つしか持てない。いくらお金があっても1つである。新築にするには「元の家を売るか、家を壊して更地にする」しかない。畑を潰した後の新築の建売住宅を買うには、居住権を売って「持ち家を処分しなければ」ならないのでハードルが高くなる。自然と、アパート住まいの若者に有利になる。物件の流動性は高くなるのではないだろうか。次第に不動産市場は中古市場がほとんどになって、ようやくヨーロッパ並みの市場になって行くことが期待できる。土地に価値があるのではなく、建物に価値を見出すようになるのである。
4 だがこれらの対策も、なんともまだるっこしい気がする。いっそ法律で土地は売買できないようにしたらどうだろうか。と言っても居住権を持っている人に家を明け渡すわけであるから、当然対価は支払われるわけで「土地を売ったのと変わりない」とも言える。ただ住まずに資産として土地を購入することができなくなると言うことである。実際に人が住んでいれば良い。だが住民票だけ貸して実際は住んでないというのが「やたらと増える」のは困るので、名義貸しはきっちり犯罪として処罰すること。そうすれば、不動産に投資するなんてことはなくなり、持っているだけの土地の値段の上がり下がりなどに翻弄されるということもなくなって、人はもっと自由になれるんじゃないだろうか。
土地の権利書なんてものがなくなり、人は現住所一つを住民票に記載して終わり。土地にまつわるトラブルもなくなって、万事目出度し目出度しである。結局はマンションやアパートが日本人の基本的な住まいの形態になって(香港やシンガポールのように)、戸建てがどんどん減ってくると思われる、いいことだ。もちろんアパートと言っても、3LDKくらいの豪華な部屋が当たり前になるだろう。
とまあ、ここまで書いて「実に締まりのない考察」だったな、と反省しきりである。三連休の前に何か興味の湧きそうな話題を提供しようと言う「よこしまな意図で書き始めたのが間違いの元」だった。アクセス数を稼ぎたいと焦ったのがつまらない記事につながったので、やはりちゃんとしたものを書かなければ駄目だとわかりました。空き家問題とゴミ屋敷問題は、いずれ改めてちゃんと書きたいと思います。。
1 まず人口に対して家の数が多いのか少ないのかである。多分多少家の方が少ないだろう。では何故空き家が出るのか、それは人々が住みたい場所を選ぶからである。便利なところ、結局人気に差が出るから、集中と過疎がうまれるてしまうのだ。そこで一定期間の猶予ののち、人が住んでいない家は「賃貸にするか、国庫に没収する」ことにする。賃貸にできない家は全部国庫に入れるのだから、とりあへず全部の家は人が住んでいるか賃貸で入居待ちになる。これで人口と家の需要と供給は、「バランスが取れる」ことになる。賃貸は人に貸す予定の家であるから、幽霊屋敷のようなボロ家では借り手がつかない。自然と街は綺麗になって行く。
2 しかしそうなると、現在持ち家の人は最後は没収されたままになって財産が減ってしまう。そこでなんとか不動産屋に売れないかと頑張るがもともと人気がない物件は値段がつかないので、捨て値で売るしかない。それが嫌なら「一生住み続ける」ことである。結局遺産として相続した家は妻や子供がそのまま住むか、あるいは捨て値で不動産に売るか、または国庫に返納するしかない。こうして過疎地はどんどん過疎化が進み、空き家は国の財産として更地にして行くことになる。人気のある場所の物件は、次に住みたい人がたくさんいるので、「高い値段がつき、資産価値が出て」取り合いになるのだ。田舎はどんどん人がいなくなるが、それも人の流れで仕方のないことである。問題は空き家を町や市が簡単に処理できるようにすることなので、没収というのが一番いいように思う。
3 しかし人気のある物件を資産価値と呼ぶのは「住んでも住まなくても価値がある」からである。家は人が住まなければ没収されるのだから、この場合は「居住権」が正しい。居住権は一人が1つしか持てない。いくらお金があっても1つである。新築にするには「元の家を売るか、家を壊して更地にする」しかない。畑を潰した後の新築の建売住宅を買うには、居住権を売って「持ち家を処分しなければ」ならないのでハードルが高くなる。自然と、アパート住まいの若者に有利になる。物件の流動性は高くなるのではないだろうか。次第に不動産市場は中古市場がほとんどになって、ようやくヨーロッパ並みの市場になって行くことが期待できる。土地に価値があるのではなく、建物に価値を見出すようになるのである。
4 だがこれらの対策も、なんともまだるっこしい気がする。いっそ法律で土地は売買できないようにしたらどうだろうか。と言っても居住権を持っている人に家を明け渡すわけであるから、当然対価は支払われるわけで「土地を売ったのと変わりない」とも言える。ただ住まずに資産として土地を購入することができなくなると言うことである。実際に人が住んでいれば良い。だが住民票だけ貸して実際は住んでないというのが「やたらと増える」のは困るので、名義貸しはきっちり犯罪として処罰すること。そうすれば、不動産に投資するなんてことはなくなり、持っているだけの土地の値段の上がり下がりなどに翻弄されるということもなくなって、人はもっと自由になれるんじゃないだろうか。
土地の権利書なんてものがなくなり、人は現住所一つを住民票に記載して終わり。土地にまつわるトラブルもなくなって、万事目出度し目出度しである。結局はマンションやアパートが日本人の基本的な住まいの形態になって(香港やシンガポールのように)、戸建てがどんどん減ってくると思われる、いいことだ。もちろんアパートと言っても、3LDKくらいの豪華な部屋が当たり前になるだろう。
とまあ、ここまで書いて「実に締まりのない考察」だったな、と反省しきりである。三連休の前に何か興味の湧きそうな話題を提供しようと言う「よこしまな意図で書き始めたのが間違いの元」だった。アクセス数を稼ぎたいと焦ったのがつまらない記事につながったので、やはりちゃんとしたものを書かなければ駄目だとわかりました。空き家問題とゴミ屋敷問題は、いずれ改めてちゃんと書きたいと思います。。
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