1、谷村新司の訃報に驚き
まず、彼が病気療養中だったというのが知らなかった。それも腸の病気で3回も手術してたというのは相当危ない状況だったようだ。しばらく見ないなぁ?というのは谷村新司くらいの大物になれば、何かあったのかな?と思うレベルなのだろう。人生は「唐突に」終わりを迎える。74歳だったという事だが私とは同年代で、その事も他人事では無く「身近に死」を感じた。幸い私は当分の間死ぬことは無さそうだが、それも「いつ何時」寿命が来るか分からないのである。
そろそろ真剣に終活を始めようかなぁ、と思ったりする、何だか面倒くさいけど・・・・
2、世界ふれあい街歩き
これはNHKの「看板番組」と私は思っているくらい良い番組だ。昔はNHKの集金人を「口で撃退」して自慢していた頃もあったが、柏に引っ越してケーブルテレビに加入して以来、仕方なく地上波の受信料を払う「はめ」になったのは悔しい。しかしNHKもたまには面白い番組もあり、ブラタモリは私のお気に入りの一つである。
そんな昨今、年を取ったせいか最近は民放の若者向きの騒がしい番組・つまらないエンタメに飽きてしまい、いよいよ「老人御用達のNHK」を見るようになって来たのである(もう死期が近づいているかも)。それで最近興味を持ち始めたヨーロッパの風景番組の一つ、「世界ふれあい街歩き」でドイツの古城街道を訪ねる、を楽しんだ。
番組はニュルンベルグから始まって、「古城のある都市」を巡りながら人々の生活や街並みを映し出す映像が美しい。そしてふと感じたのは、画面に出る人々の誰もが「ひとり残らず確固とした哲学を持って、自信溢れる人生を送っている」かのような、堂々とした態度で話していることである。日本ではこう言う姿はとんとお目にかかることはない。
海外では子供の頃からしっかりとした受け答えと、特に「自分自身の考え」を話すように訓練されているかのようである。日本では子供は「楽しかった、とか面白かった、とか美味しかった」とかの通り一遍の答えしか出来ないのが普通である。何か、彼我の「個人の差」というものを感じた。勿論、日本には日本の良さがある。だが人付き合いの得意ではない私には、ヨーロッパ人の「自分を言葉で表現する習慣」に憧れるのである。
3、セブンイレブンの麻婆豆腐
ようやく並び始めた麻婆豆腐。寒くなって来ると恋しくなる。今日は近くのコンビニで棚にあったので、早速買って帰ってレンチンした。期待してスプーンで掬って食べていると、「あれ?、何か違う!」のである。急いで何口か食べてみたら、その違和感の理由が判った。スプーンが思ったより早く容器の底に当たって、外から見るよりも浅いのである。「何だよ、上げ底じゃん!」
あーあ、値上げの影響はこんな所にも現れているのだ。「上げ底するぐらいなら値上げしてくれ!」と思うのは私だけでは無い筈だがなぁ・・・。私の好きだった麻婆豆腐が、何故か「ケチ臭いジャンク料理」に見えて来た。もっと自信持って出しても良さそうなのに。
しばらく麻婆豆腐は買わないようにするつもり。
4、私は蕎麦より饂飩が好き!
時々コンビニやスーパーで蕎麦を買うことがある。ところが最近、スーパーで「天麩羅と饂飩が別々」になったパックを買ってから急に饂飩が気に入って、週に1度か2度は買うようになったのである。そのせいで蕎麦は全く食べなくなった。何故なのかな?と考えてみたら、どうやら私は蕎麦よりも饂飩やパスタなどの「小麦粉」が好きだと分かったのである(ちなみにおでん種は「ちくわぶ」が一番好きである)。
生まれも育ちも関東の私にとって、ウドンというのは60年間、殆ど選択肢にすら入って来なかったものである(一度、新宿西口地下街の某立ち食い蕎麦屋でちくわ天うどんを食べて以来、3ヶ月毎日ちくわ天うどんを食べたことはあった)。
ところが先月スーパーで天麩羅うどんに目覚めてからというもの、パスタも「フェットチーネ」という平たいうどんのような麺のカルボナーラを食べるようになったのである。小麦に目覚めた私はそれから3日に一度は何らかの「小麦製品」を口にするようになった。今ではどちらかと言えば「米よりも小麦」を選ぶようになっている。「日本人なのに!」、である。
でも夜中に食べる「冷たい味噌おにぎり」を超える小麦は、まだ出て来ないようにも思ったりする。やっぱり日本人なのかなぁ?
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