明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気付き(35)小池都知事の大失態

2020-05-08 18:02:30 | ニュース
1、自粛警察撲滅法
自粛警察と揶揄されている人達の行動をどうするか。公園の子供の声がうるさいとか、自粛要請がでている中で営業しているのは「けしからん」とか、何かと正義を振りかざして「警察に通報する」人が急増しているという。第一には、犯罪であれば警察の仕事であり、第二には、単なる政治的意見陳述であれば「街頭演説かデモ」である。道徳的正義感から出た叱責であれば、そこは「社会的常識」が規範となるであろう。何れにしても「政府の正式見解」を人々の基本的判断とするのが、妥当なところではないだろうか。言うまでもなく、すべての争い事には「裁定者」が不可欠だ。こういう時のために公的機関がある。ただし、毎回毎回裁判を起こすわけにもいかないので、警察官が「正しい事、間違っている事」を諄々と説明することで、正義感にかられて舞い上がっている輩達も、しゅんとしておとなしくなるであろう。問題は、一介の「街のお巡りさん」に、それが出来るだろうか?、である。

交番に立ってるお巡りさんのに裁定して貰うのは、流石にやはり「少し無理がある」と思う。そこで、新しく国家に「民間紛争解決係」を新設し、国としての正しい指針を「きちんと説明」出来るようにするべきである。テレビ「ひるおび」では自粛要請に従って正しく営業をしていた居酒屋に「止めろ!」と張り紙されて困惑していると言う話が出ていたが、このような行動は「いやがらせ、または営業妨害、或いは器物損壊罪等」の犯罪で取り締まるのが妥当だと「弁護士の八代さん」が言っていた。では自粛要請に従わずに営業しているパチンコ屋の件はどうなるのか。入店のために並んでいる列に向かって「このヤロー、出ていけ!」と叫んでいる多数の民衆の「意見」は容認されるのかというと、私は民衆側が正義感で罵倒しているのであれば、その矛先は「役所または警察」に向けるべきだと考える。勿論、氏名住所を明らかにした上で、「法律的な正義」を求めるのだ。この場合は、営業しているパチンコ店の店主を「逮捕する」事である。

そうすると、前記の「民間紛争解決係」が登場する。彼が縷々、法的根拠を説明して、現在の法律では「要請だから強制力は無い」と言って帰って貰うことになる。これは事実だから、どんなに怒っていてもしょうがない。だが私の考える「民間紛争解決係」は、さらに一歩踏み込むのだ。それは「感染症対策上」、パチンコ屋の環境について議論していくのである。この感染度合いの評価が、紛争の「もと」だからなのだ。市民の方は「3密」が保たれてないと糾弾するが、パチンコ屋と通勤電車とで、特別パチンコ屋のほうが「3密」に反しているとも言えないと説明する。そうすると、市民は「不要不急」だから問題だ、と言うであろう。では何が不要不急で、何が必要なのかという新たな議題になり、さらなる紛争を呼ぶのである。最終的に「不要不急だから自粛せよ」という場合、何が不要不急かは「個人の判断であり、憲法に保証されている幸福追求の権利」なのだ(本当かなぁ)。但し、法に触れない限りにおいては、の注釈がつく。

つまり、自粛しないパチンコ屋を非難する市民たちは、感染症の危険度合いを「正確には」見極められず、不要不急に関する「自由と個人の権利」については、完全に誤解しているわけだ。言うなれば、図書館で勉強するのも、パチンコ屋で遊ぶのも、憲法上は同じく「個人の自由」として守られている。パチンコ屋もタバコ産業やアルコール業界と同様に、愛好者のストレスを緩和しながら同時に収益を上げて、国税に寄与しているのだ。感染症対策が十分に取られている限り、パチンコ屋を休業させるいわれは「我々側には無い」。

結局、ブーブー文句を言っている人々は、パチンコをやらない人である。公園でサッカーしていた高校生に「何やっている!」と怒鳴った人は、自分では運動が出来ない年齢だと推測される。要するに人は、「自分がやらない事」を楽しそうにやっている人々が「気に入らない」だけなのだ。それがコロナ自粛という風潮を追い風にして、ここぞとばかり「正義の発動!」と騒ぎ立てるのである。これは何もコロナに始まったことではない。ずっと前から「苦々しく思っていた」ことなのだ。彼等がそのことに気がつけば、コロナ騒ぎに乗じた自分の行為が「単なるストレスの捌け口」だった、と知らされるであろう。

最後には、恥ずかしさに身を縮め、スゴスゴと民間紛争解決係の前から帰っていく姿が、目に見えるようである。

なお、警察に通報する時は「ビデオ通話」で行うように、スマホの機能を強化しておくのがいいと思う。つまり、110番にかけると「自動的にビデオ通話になる」ように、キャリア側でプログラムを入れておくのである。緊急通報(救急車や消防車も)全部に同じシステムをつけることで、「誰が」電話したかがしっかり記録に残る。これで「匿名でのイタズラ電話」などが少なくなり、自分のした緊急通報に責任を持つことが要求できる訳だ。何たって公務員が応対するわけだから、電話一本するだけでも公費である。昔、大したこと無いのに救急車を呼ぶ例が多発しているという報道があった。世の中には頭のおかしい人間が、結構いる。同じ人間が「不要な緊急電話を繰り返した」ら、オオカミ少年じゃないけど、段々信用されなくなるのは仕方ないだろうね。

同じく、医療従事者への差別という問題は、もし差別する人間がいるのなら、「それ以上の人数」で感謝の気持ちを伝えればいいのじゃないかな。我々が行動に表すことで、医療関係者も勇気を貰えると思う。今は、考えるだけでなく、自ら行動するときなのだ!

って言うか、「おまえがやれよ!」って言われそう・・・

2、葬儀関係者の感染予防
今日「ひるおび」で、葬儀関係者が感染予防支援を訴えていた。彼等はコロナへの恐怖に耐えながら、マスクやガウンも支給されないで無防備で働いている。コロナ対策から忘れられた存在だとテレビでは言う。番組では、ゴミ収集作業の声も取り上げていた。これはこれで大変な状況だとは思うが、そもそもコロナは「第二類指定感染症」である。直近ではSARSやMERSと同じ扱いだ。ではSARSなどの時は、彼等はどうしていたのか、ということになる。当然、指定感染症だから「公的対策はしていた」筈だと思うのだが、今頃訴える問題ではない。さっさと行政なり厚労省へ訴えるべきであろう。対策が取られているのにも関わらず防護用具が足らないと言うのであれば、政府の怠慢である。まあ、足りないのは葬儀業者だけじゃないけど。

3、ベーシック・インカムの時代が来る
先日、スペインで「ベーシック・インカム」を導入する、というニュースが SmartNEws に載っていた。スペインが導入予定のものは全員に現金を支給するのではないようだから、ユニバーサル・ベーシック・インカムとは少し考え方が違うようである。今回はこの「ユニバーサル」の方で、考えを進めてみよう。

確定申告をすると、全員が「基礎控除」を受けられる。医療費控除・住宅控除・社会保険や何とか控除など、諸々の控除があってその次に「所得の累進課税」がある。勿論、ガソリンや酒や煙草や公営ギャンブルの「隠れた税」もあり、他にも消費税が課せられて、我々は「税だらけ」の社会に生きていると言っても過言ではない。では全員に一定の額を支給するというのは、どういうメリットがあって、またデメリットがあるのか。ザッと考えてみると、税金で取られて支給で返ってくるから、「同じかも」と思ってしまうが、そこは富裕層と貧困層の問題が絡むのだろうと推測は出来る。

素人考えでは「ちゃらんぽらんな話」で終わってしまうので、ここはしっかりと勉強しなくてはならないなと感じた。ちなみに私は年金受給者だから、全額ベーシック・インカムである(というか、働いてないから、それには当たらないだろうけど)。私は国民全員のベーシックな生存権と、個人の私有財産との「相反するせめぎあい」が絡んでいると睨んだ。つまり、持てる者と持たざる者の対立である(そんな単純な話じゃ無いよ!)。

そこでまず Amazon でベーシック・インカムに関する本を注文し、本格的に研究することにしよう。おっと、そのまえに「ちょっくら」Wikipedia を覗いてみるか。

4、今日の小池都知事の会見で発表された「出口戦略とロードマップ」の言葉遊びについて
感想は一言、「下らねぇこと言ってんじゃねーよ!」

これは、馬鹿者の言うことである。この「同意語言い換え」で何を自己防衛しようとしているのか、小池都知事の本性が見えたように思う。以前、選挙で「排除します」と発言して大失速したことは記憶に新しいが、今回大阪の吉村知事に「遅れ」を取ったことで、何とか挽回しようとして「姑息な言い換え」を思いついのが裏目に出そうである。彼女には、都政を預かる身として必要不可欠な「庶民感覚」が、決定的に欠けている。庶民が「どうして出来ないの?」という陽性率については、「あーだこーだ」と理屈を捏ねて言い訳していた。素直に「私が間違っていました」と誤りを認めるべきだったのだ。その上で「早急にやり直すよう努力していますので、もう少しお待ち下さい」と言えば庶民は納得した筈である。陽性率の計算は「当然、こういうデータの取り方が必要なんだよな」、と庶民は理解する。ここで都民の疑問が一つ解けたのだ。政治家の役目は、「庶民の疑問」を一つ一つ解いていくことである。それをしないで「私は悪くない」と主張したいがためにつまらない屁理屈を言い張った瞬間、庶民の心はスーッと離れていく。出口戦略をロードマップと言い換えて、いったい何が変わるのか?。庶民は言葉遊びを期待しているのではない、「何時解除されるのか」という解除条件を待っているのだ。

小池都知事は出口戦略を排除したお蔭で、新たに「ロードマップ」という、東京都が「元に戻る」までの道筋を示さねばならなくなった。コロナで深刻な打撃を被った経済活動を、どう穴埋めして「さらに元通りに活気を取り戻す」道のりを、どこまで、どうやって示していくというのか。自分で墓穴を掘るとは、まさにこのことであろう。己を捨てる覚悟のない人間は、結局は「馬脚を現す」のである。

結論 : 小池都知事の命運は、7月の選挙まで持たないかもね。

5、学校教育
こないだ、ラジオの「ジェーン・スー生活は踊る」で彼女がしゃべっていたが、頭の良い子は「幼稚園から出来る」って、本当らしい。番組では「無理にお尻を叩いて」勉強させなくても、出来る子は自分からやるし、出来ない子はガミガミ言っても「所詮、出来ないまま」体だけ大きくなっちゃう、と喝破していた。要するに教育なんてものは、子供の欲しがるものを与えていればそれでいいのである。親の責任なんて、ちゃんと食事を食べさせて、怪我しないように脇で見守ってやり、変な宗教にかぶれないよう注意さえすれば、後は「やりたいように」させればいい、ということなのだ。

ちなみに私事で恐縮だが、私の親は「勉強しなさい」と私に強制したことは「一度も」なかったと記憶している。それでも中学校までは予習復習などせずとも立派に卒業できたし、高校では2年間ロックバンドを組んで、仲間4人とライブに精を出していた。それがどうしたことか「3年生の時に何故か自主的に解散」して、その後一心不乱に受験勉強に取り組んだ結果、大学には見事に現役合格したのである。私は親に言われなくても、自然と自己管理が出来ていたのだ。当時はごく当たり前のことのことではあるが(1967年?)、自分でも不思議である。結果、東大と中央大を受けて「東大は二次試験で落ち」、滑り止めの中央大に進学した。

振り返ってみれば私の学校生活は、勉強は流石にしていたように思うが、苦労したという記憶は「全く無い」。勘違いされる方もおられるかと思うが、これは私が「出来る子」だったと言うわけではなく、人間には「向き不向き」がある、というだけのことである。事実、会社に入ってからは営業では「全く使えない新入社員」で周りに迷惑ばかりかけていた私だったが、ある時事務担当に回されてからは「メキメキと能力を発揮し」て会社に貢献した。進路さえ間違わなければ、人は皆、それぞれに適した仕事がある筈なのだ。工作が好きな子供もいれば、昆虫観察に熱中する子供もいる。サッカーが人生目標の子もいれば、公務員になりたい子も当然いるだろう。親の希望で「この子は〇〇にしたい」と必死にレールを敷いて無理やり育てることが、本当の子供の「幸せ」とはならないのである。

何がいいたいかと言うと、世間じゃコロナで休校が長引いて問題になっているようだが、学校始めが「9月になろうが4月になろうが」、子供の教育には「実際は」、余り関係が無いのじゃないかということだ。出来る子は出来るし、出来ない子は出来ない子のまま育つ。その、出来ない子を何とか無理やり「出来る子の仲間に入れよう」とするから、子供の教育が「ネジ曲がり、無意味な競争が起きて」くるのだ。それが結局は「いじめ」にも繋がり、全ての子供の心理的負担になっている要因である。子供を不幸にしている間違った教育は、実は「不平等を叫んでいる親自身」なのではないだろうか。こういうことを言うと「ゆとり教育の失敗」を持ち出す人が必ず何人かいて、愛する子供に良い大学教育を受けさせることが、生み育てた親の「義務」なのだ、と怒鳴り込んでくる。ホント、困ったもんだ。

どうぞどうぞ、私は何も申すまい。いずれ答えはでる筈だから。

6、抗体検査
マドンナが抗体検査して「有り」だったって話。本人は大喜びして、早速SNSで報告したらしい。だって今。検査で調べて一番嬉しい結果は「陰性・抗体有り」だからね。巷じゃPCR検査がどうたらこうたら言ってるようだが、何てったって最強なのが「これ」である。次にいいのが無症状陽性。まあ、他人に感染す危険があるから、ちょっと注意が必要だけど、自分の心配をしなくていい分「気分は上々」な筈である。何しろ少し我慢していれば、ウィルスは体から消えてなくなるから、正真正銘の「ウィルス・フリー」になっちゃうって訳。次が軽症で、その次が陰性で、最悪なのが「重症」である(とほほ・・・)。とにかく重症以外の陽性なら、体内に抗体が出来て、退院後は晴れてコロナから自由な人間になれるから歓迎だ。もしコロナになるにしても、重症以外なら取り敢えずOKとしよう。そして陰性だった場合は仕方ないが、再びビクビクして過ごす生活を続けることになる。ああ、気分はブルーになっちゃうよ。それでもワクチンが出来るまで耐え忍べば、また元の生活に戻ることが出来て、楽しい人生を続ければいいのだ。でも、もしもPCR検査で陽性になり、何か咳が出るなと思ってるうちに容態が急変して、酸素吸入器を差し込まれICUで人工呼吸器を装着されられ、最後はエクモまで総動員したのにダメで、とうとう・・・

まあ、つまらない想像は止めておこう。今は、自分が抗体検査を受けて、判定が「有り」になることを願うのみである。早く抗体検査、出来るようにならないかなぁ。そしたらゴルフ、目一杯いけるのに。

でもキイロスズメ蜂に二度刺されると死ぬっていうから、抗体検査で有りの人は逆に「免疫が過剰反応してショック死」したりして。おお、怖っ!

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