明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

今日の気付き(36)若者よ、どんどん動いて、経済を回してくれぇ〜

2020-05-09 17:45:56 | ニュース
今、ハッキリと言えることは、コロナ禍が過ぎ去った後の社会は、「60歳以下の若い人達」が主体となって動かして行く、ということだ。それを、コロナが日本にやって来てからの、政府の対応のこれまでの経過を振り返りながら、考えてみたい。

1、コロナが流行の兆しを見せ始めた頃の政府の対応
ある時期、市中に感染者が一定数存在するとして、何も対策をしないとコロナの場合、倍々に感染伝播が起こって、最後は「一定の結果」に収束する。それが、西浦教授の計算では、死者40万人である。それでも社会が「仕方ない、構わない」と思えば、コロナは終息する。これが戦争中であれば、損害は想定範囲として計算されるであろう。だがこれは、医療活動すらも「しない」という前提であるから、流石に一般国民は受け入れられないに違いない。政府は何もしないという選択肢はなくて、何らかの対策が急務である。

2、集団免疫
そこで、重症化の危険がある高齢者や持病がある者のハイリスク・グループは、コロナが猛威を奮っている市中から避難・隔離させるという案が浮上する。これで、相当な割合で死亡する率が減る筈である。しかも経済活動は普通に継続するから、対策費用は高リスク者の避難費用だけである。これは、いわゆる集団免疫獲得の「より効果的なバージョン」と言える。この時点で中国におけるコロナの感染状況のデータから、高齢者などに重症者が集中していることも分かっていたのである。それに、同じように感染しても、人それぞれで病状に違いがあることも分かっていた。無症状や軽症もあれば、重症やICUや死亡することもあって、その差は「コロナの方にはなく」、むしろ人間の免疫力に差がある、とも分かってきた。だから「免疫力の高い者が先頭に立ってコロナと戦い」、より弱い者は後方に避難する、という戦略は、非常にリーズナブルな対策である筈である。私の想像だが、日本政府はおそらくこの方法を取りたかったのではないかと思う。高齢者を避難・隔離して守ると言っても、実際にやるとなれば困難な問題は山積みだ。しかしそれよりも、高齢者の自由を束縛するイメージが強くて、日本では採用出来なかったのだろうと推測する。日本では、誰か一部の人間に我慢を強いるのはダメで、我慢するなら「全員で我慢」というのが正しいとされている。間違った公平・平等思想である。必要不必要とか、役割分担とか、効率とか、そんなことは関係ないのだ。要するに、「私が我慢しているんだから、オマエも我慢しろ!」である。

3、最終的に日本政府の取ったコロナ対策
そこで次善の策として、市民にはコロナという感染症について「非常に危険」だとの情報を与え、特に高齢者や持病のある者に対しては警鐘を鳴らす作戦を取った。「怖い病気だから」とオーバーに説明し、恐怖から自粛させるのである。これにより高齢者や持病を持つ者は、大多数自宅に籠もるように誘導できた。政府はこの時点で、コロナに対する戦略を明確にし、その役割分担として「若い人は社会活動、高齢者は隔離」と説明する代わりに、自然と市民が自主的に行動したような形をとりながら、高齢者を隔離する事が出来たのである。その結果、日本は重症・死亡者数が最小に抑えられた。

4、ついでにプロパガンダの法則に従って、正しいウィルス対策をせずに「言うことを守らず、勝手気ままに行動」していた者がクラスターを発生させてしまう、というニュースをマスコミで大々的に取り上げた。ライブハウスやスポーツジムなどのクラスター事例は市民にアピールするのには「うってつけ」であり、一気に国民に「相互監視の自粛ムード」が広がっていった。いわゆる「3密の合言葉」である。これにより不用意な感染爆発を制御して、緩やかなカーブを描きながら医療崩壊を防ぐ「時間稼ぎ」を目論んでいた。この時は、「不要不急の外出を避け、気を付けて手を洗おう」ぐらいの注意レベルで済む予定だったのである。ダイヤモンド・プリンセス号の事件も、対岸の火の手と捉えられていた。

本当は、日々感染者数を発表するのではなく、重症者・死亡者だけを発表しきたかったに違いない。そうすれば、国民は気が付かない内に「徐々に」集団免疫が出来てきて、経済もそれほどダメージを受けずに自然に終息していたものと思われる。要するに、重症者の発生ピークをなだらかに持っていけば、2ヶ月程でコロナ流行は終わる。そのために、日本のPCR検査のやり方は、当初「重症化しやすい患者を見つける」ことに特化していた。どこかの番組で医療関係の先生が、むやみやたらにPCR検査をするのは意味がない、と言っていた記憶がある。確かなことは言えないが、この先生も或いは「政府の意向を汲んで」発言していたのかも。この時政府が集団免疫の獲得を目指していたという証拠らしきものには、クルーズ船の陰性だった乗客を「隔離もせずに家に帰した」ことがあって、これなどは相当に怪しいと私は思っている。韓国でPCR検査を「しらみ潰し」に行ったのとは正反対に、日本は何だかんだと誤魔化しながら、最近まで「PCR検査を絞って」なるべく「やらないように」保健所が操作してきた。そのために無症状感染者が市中に大勢発生することになり、結果的に集団免疫に早く到達する仕組みである。

だがコロナ発生当初に国が「第二類感染症」に指定したのは失敗であった。そのお蔭で、無症状や軽症の者も入院させねばならなくなり、肝心の医療レベルが「重症患者」を捌ききれなくなる危険が出てきたのだ。この状況を見ていると、集団免疫作戦は「日本は取っていなかったんだな」と分かる。集団免疫獲得作戦は、感染者数が「鰻登りに増え」て行かなければ達成できない方法である。増大する感染者数の割には、重症患者がそれほど多くは出ない、というのが理想だ。ところが第二類感染症指定のお陰で、一番怖い「医療崩壊」が起きそうになったのである。この事から見れば、政府の対応は多分、医療崩壊を恐れてPCR検査を絞っていたという「官僚的発想」の結果であろう。官僚は患者を救うことよりも、自分たちの組織防衛が大事だ。

感染者が大量に発生して医療崩壊が起きそうであれば、PCR検査を絞って「感染者が発生してないように偽装」するのではなく、一生懸命「医療設備・人的パワーを急拡大」するのが当たり前の対策である。その当たり前が政府は出来ていなかった。それに代わって政府が取った方法は、取り敢えず「データ偽装」である、これ、最近の森友加計学園や桜を見る会の手法ではないか?。つまり、大本営発表という誤魔化しであり、昔から日本政府が採用してきた「お家芸」である。

5、対策の転換点
オリンピックが延期になって、途端に小池都知事が「ロックダウンも有り得る」と言い出した。まるで歩調を合わせるように感染者数が爆発的に増加した。これでも数字上は、諸外国と比べて「それほど大した数字」では、ない。ハイリスクな人を隔離して、免疫力の高い人々で社会活動をしていけば、多分当てずっぽうだけど「感染者10万人、重症・死亡者1千人、致死率2%」といった数字に落ち着くのではないだろうか。60歳以上に限れば、コロナの全死亡者の8割を占める。このハイリスク層を徹底的に守っていけば、感染者が大量に出ても「意外と死亡リスクは抑えられる」計算なのだ。1000人とか1500人という死者数は、日本ほどの人口を持つ国であれば、抑えている方ではないだろうか。しかも特効薬がない状況では、「恐るに足らない」死者数でもある。今ではそれ程危険視されていないインフルエンザでさえ、年間の死者数は3000人もいるのだ。だがコロナ発生初期において「必要以上にコロナの危険性をアピール」した弊害として、市民は500人でも「恐懼して大騒ぎに」なってしまっった。まさにパニックである。その結果、緊急事態宣言が出されて、日本は「接触8割削減」という、困難なハードルを自らに課す羽目になった。

日本人は、おおよそ「状況を統計的数字で捉える」ことが苦手な民族である。例え10万人のうち死亡が2000人だから少ないほうだ、と分かってはいても、「知っている人が死んだり」すれば、人の命は地球より重い、なんて言葉を引き合いに出して、感染を抑えるためには「不要不急の娯楽活動全て」を休業するように世論が要求する。コロナ対策を費用対効果という面で考えれば、ここは冷静に受け止める事が必要なんである。そうでなければ、対コロナには効果があっても、「経済的に破綻する人が続出する」事態に陥ってしまう。たかだか毎日100人や200人の感染を抑えるのに、何十兆円という費用を負担するのは理屈に合わないのである。

コロナは感染症である。国によってやり方に多少の違いがあっても、何れは「同じような被害数」が出る。リーダーには、多少の犠牲は「不可避」と諦める度量・覚悟が必要なのだ。それを日本人は「個人的な感情に左右されて」、どうしても認められない国民である。イタリアやスペインでは日本の10倍20倍の死者数が出ているのにも関わらず、それほどの政府批判は出ていないように見える。国民性だろうが、コロナの厄災を「個人の問題」と考える思考が定着しているのだろうと私は理解した。それは自分が運悪くコロナに罹ったら「自分の運が悪かった」だけ、と考える民族性である。つまり、個人主義が定着しているのだ。日本では、コロナで死んだら「感染させた人」を糾弾する。自分を守る義務は「政府にある」という、他人任せの思想が人々には根強く残っているのだ。これが足枷になって「致死率2%」のコロナ対策が取れなかったわけである。結果は現在6、7%の死亡者が出ているから、既に総数では2%を超えているのじゃないだろうか。しかも経済的には、ほぼ「壊滅的」なダメージを受けるのである。

6、やっと出口が見えてきた
それでようやく自粛の効果が出たらしく、遅まきながら出口戦略を語る状況にまで回復してきたのである。そもそも回復とは、コロナが発生する「前の状況に戻る」ことである。だから出口戦略というのは、「どうやって回復させる」かの方法論の筈なのだ。しかし西村担当大臣や吉村大阪府知事や小池都知事の出口戦略は(小池都知事はロードマップと言っているが)「休業要請を何時解除するか」を言っている。これでは単なる「コロナの収束判断」を数字で示しただけである。ハイリスク層を隔離せずに、緊急事態を(段階的にせよ)解除するのであるから、その時点で感染者が増えてしまう。自粛ー解除ー感染者増大ー自粛という「感染スパイラル」が延々と続く。勿論、それに従って「死亡者数」ももっと増えるだろう。出口戦略というからには、市中から完全にウィルスが消滅するための方法を示さなければならない。これが現在PCR検査数を増やして感染者を炙り出す作戦だ。いわゆる韓国方式であり、日本政府の「方針転換」だとも言える。一方、人口に占める市中感染者数・抗体所有者数の割合が増えて、ある程度の数に達した場合にも「同じ効果が期待できる」という考え方がある。これが「集団免疫」である。どちらの方法を日本政府が採用したのは、前者の「ウィルスが消滅」する方である。、これのデメリットは、感染源を完全に潰さなければ「終わらない」という事だ。だから本当の終息=ウィルスの消滅までは、感染スパイラルは終わらない。重症患者で「現在ICUに入っている人数」は公表されていないが、「アビガンやレムデシベルやその他の薬」でも不幸にして効果がなくて死亡することになれば、後1000人ぐらいは出るんじゃないだろうか。殆どが高齢者である。

結局、感染者や死亡者を出しながら、徐々に緊急事態を解除していって「コロナが勝手に終息」するのをじっと眺めることになるだろう。幸運なことに、コロナはやはり季節性のウィルスだったようだ。いわゆる専門家は、コロナが季節性だということを慎重に隠していたようだが、結局夏が近づくにつれて「コロナの勢いが萎んで」来たのは事実である。世界のコロナ被害を眺めても、概ね東京より北の地域に集中している。中国を始めとして、大体南の国は「それほどの被害が出ていないのだ。日本においても「北海道が突出して被害が多い」のは、一つには「北にある」ことが挙げられるだろう。勿論、東北地方が少ないということもあるから簡単には結論できないが、大きく分ければ「寒くて乾燥している」所では、ウィルスの活性化が増大する。それと人口密度だ。東京・関東首都圏や愛知・大阪・福岡などの人口高密度集中地域では、活性化とともに「ウィルスの物理的感染力」が段違いに増大する。この二つが相まって、東京ではコロナ感染者数が一気に爆発した。だが幸いなことに日本では、これから高温多湿の季節に入っていく。いろいろ政府も国民も対策を取って頑張ってきたが、それとは関係なく「コロナは自然消滅」していくようである。

私のプランでは、「高齢者はようやく巣から出てきても大丈夫」な計算である。少々の犠牲を容認すればの注釈付きになるが、休業要請などせずに少し慎重に生活しつつ、経済的にもダメージを最小限に抑えられて、「医療の設備だけ充実させれる」方向で努力くことで、これほど社会が崩壊せずに「コロナを乗り越える」ことが出来たはずだ。それでも死者数は、イタリア・スペインやアメリカなどよりもずっと少なくて済んだと思う(結果論だといえば、その通り)。政府の専門家が吹聴している「3密も手洗い」も実際はそれ程関係なくて、結局は「太陽のめぐみの高温多湿」がコロナを追い払ってくれることになりそうだ。

西村担当大臣も吉村大阪府知事も小池都知事にしても、出口戦略(あるいはロードマップでも同じ事だが)の最終形を、「感染者数が縮小傾向に入ったと認識」できる状態と考えているようである。つまりウィルスが消滅して人々が安心して生活できるようになるか、または、ウィルスはまだ消滅はしていないが徐々に減少して「このまま行けば消滅しそう」だ、という状態になった時、諸々の休業要請を解除する計算である。我々高齢者ハイリスク集団は、世間の感染者数が一定の数字に収まっている時でも、心配で「自主隔離」は続けると思う。自粛を段階的に解除していけば、その段階に応じて「また感染者は増える」。結局、色々言ってはいるけれど、結果的には緩やかな集団免疫に近い対策にならざるを得ないのではないだろうか。感染源を完全に消滅させるためには、日本のPCR検査(や他の検査でもいいが)体制では、圧倒的に数が足りない。彼等の共通の終着点は、新規の感染者が「一定数字を下回って、増えないでキープしている状態」を言っているのだろう。これには無症状の感染者は含まれてはいない。だから市中のコロナウィルスは、正確にはなくならないのである。

専門家の言う「実効再生産数が1以下」と言うのが「どう言う計算式で出てくる数字」なのかわからないのだが、Wikipedia とかネットによると、実効再生産数=感染確率*接触人数*接触時間だそうだ。これによれば、人との接触を8割減らせばコロナは消滅するとなるわけである。だが、これには感染させられた方の「免疫力のファクター」が入っていない中途半端な計算式である。つまり、感染させられた人は同じように病気になり、軽症も重症も無症状もない一律の状態しか想定していない計算式である。これでは政府の言うように、全員巣籠もりして「不要不急の外出は控える」自粛になってしまう。本当の感染症対策とは、重症化リスクと社会機能維持との「バランス」である筈だ。それを見誤ったのが大きな失敗の要因である。人間は太古より「餌を求めて猛獣と戦って」来た。リスクをとって発展を遂げてきたのである。それが何時の間にか、誰もリスクを負わない代わりに「餌も食べないで我慢する」メンタリティになってしまった。その結果、出口戦略は「ズルズルと長引いて」、秋ごろまで完全解除は待たなければならないだろうと思う。

私は彼等のその安全第一な計算より、コロナが季節性のために「勝手に自然終息する」というシナリオの方が先にやって来ると考えている。つまり、日本は集団免疫の獲得ではなく、予期せぬ形ではあるが「自然とウィルスが消滅してしまう」パターンである。これを日本国民の自発的自粛が齎した見事なウィルス封じ込め効果だと手放しで喜ぶと、次に違う感染症が発生した時に「また誤った対策を取る」ことになってしまう。政府は今回の問題点や対策の失敗などを「きちんと反省・再検討・確定」して、今後の感染症対策に「役立てる」事が望まれる。と、一応は書いては見たものの、日本人の事だから「また何時ものように、ケロっと忘れちゃう」んだろうね。こうやって嫌なことは直ぐ記憶の外に追い出して、良いことだけ美化し記憶に残す「日本人の美徳」が繰り返されてゆく。・・・泰平だなぁ〜。

兎にも角にもコロナウィルスは終息しそうである。我々の必死の努力は結局は無駄になったようだが、先ずは無事に生活を取り戻せて「良かった、良かった」ということになるみたいだ。メデタシメデタシ。

以上、私の「個人的コロナ総括、まとめ」でした。

なお、自粛被害に遭った多くの企業・店舗・施設・社員やアルバイトや外国人労働者の皆さんには、受けた損害を政府がキチンと補填するように願っています。また、その損害額を算出する方法やそれぞれに早く正確に給付する方法も、ブログで詳しく書きました。が如何せん、私には何の力もないので、お役に立てないのが残念です。私の個人的な感想とは別に、社会全体のことも考えていることをご理解いただければ幸いです。・・・一応、念のため。

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