明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

(金)ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その20)森会長は結局分かっていなかった!

2021-02-12 18:59:09 | ニュース

1、森首相の辞任会見に思う、正直「何なのこの人?」と呆れた件
森氏は今日の理事会で過去の功績をベラベラとしゃべり、思い出を懐かしむような「引退会見」のイメージで締めくくった。聞いてる方からすれば「何言ってんの?」である。自分の女性蔑視発言が「オリンピックに泥を塗った」ことで辞任に追い込まれたのだから、まず全世界のオリンピックを愛する人々に対し、心から謝罪しお詫びを申し上げるのが当たり前であろう。芸能人が不倫で謝罪会見をした時に、自分の人気ぶりを「得々と語る」なんてことが許されるだろうか?。これ、ちょっと考えれば分かることではないか。今の世間の意見は端的に言えば、森は「言ってはならないこと」を平気で言っちゃった「犯罪者」なのである。それがのこのこと理事会に出てきて「色々苦労もあったけど頑張ってきました」なんて過去の栄光を並べ立てたとしたら、普通は理事会側が「お前のせいで大変なことになってんのにその態度は何なんだ!」位の勢いでメチャメチャ文句を付けるのが筋なのだ。それが「拍手でご苦労さまでした、チャンチャン」てな始末になったら、「何なの、この人たち?」と呆れ返って怒りが収まらないわけである。組織委員会の理事会も同罪、政府もマスコミも同罪だぁ!。やはり森会長という男、根っからオリンピックを理解していない人間だったってこと。ああ、馬鹿馬鹿しい!。こんな馬鹿イベントに何兆円も浪費するなんて、東京都民はハラワタ煮え繰り返っているだろうな。ちなみに私は幸い千葉県民なので、都民の皆様には御愁傷様です!

2、とうとうコロナ特効薬を発見!
長崎大学が研究している「5ALAなんちゃら」という薬が、コロナを撃退する特効薬になりそうだ。世間じゃワクチンの話で毎日のように騒いでいるが、実はコロナに感染してもそれを治す薬があれば全然怖く無いのである。ワクチンは一種の予防薬だから、打っておけば重症化を防ぐという効果は期待できる。しかし風邪やインフルエンザでも自分の免疫力で治すのが基本なように、コロナを「直接治す薬」はまだなかったのである。それが日本の長崎大学の研究で「実験室レベルでは100%コロナを破壊した」という嬉しいニュースが報じられた!。他にも色々と「治す薬」が出てきているみたいなので、今に画期的特効薬として世に出てくることは間違いなさそうである(朗報だ)。他にも癌を死滅させる特効薬とか出てきているらしくて、さすが医学の進歩は素晴らしいと思う次第。問題はその進歩の成果を治療に役立てるのではなく、政治や医師会が自分達の利権を優先して市民の利益を後回しにすることである(ホント、腹立たしい)。日本は英米諸国に比べてコロナ患者数が10分の1と少ないにも関わらず、未だに医師会が「医療の逼迫」を訴えて経済活動を阻害していることだ。これは「どう考えてもおかしいだろう」という議論が政府や国会で出てこないことに私は大いに不満である。日本の医療、根本的にどこか変じゃないの?

3、小池都知事って不誠実
最近感じることだが、小池都知事の「パフォーマンス戦略」にマスコミが踊らされているな、ということだ。例を挙げると、小池都知事は先日「4者会談に参加しない」と発言して、理由はポジティブな発信にならない等と曖昧な説明をしていた。これには多方面から、オリンピック主催者の東京都の首長としては「無責任」だ、との批判が多く出た。確かにこの発言は「他人事」の言い方である。ところがアメリカNBCとかトヨタなどの懸念表明やIOCの正式表明が完全に不適切だと言い出して国内外から森辞任論が決定的になり、それに押されて今日とうとう森氏は辞任発表となった。小池都知事は本日の会見で先日のポジティブ発言の真意を縷縷説明していたようだが、彼女のやり口は「いつも後出しジャンケン」である。何か事件が起きた時には「曖昧発言」で誤魔化して、こっそり世間の反応をSNSなどで確認してから、それが一つに固まった頃に「実は、あれはそういう意味で言ったんです」的なすり替えをやっているのが小池都知事の政治手法なのだ。「最初っからハッキリ言えよ!」って、私なんかは思う。会見などでマスコミが「具体的な意見」を要求すると、なんだかんだと誤魔化してトンズラする巧妙なやり方で逃げてしまうのが彼女のやり方なのだ。もはや都民は「この人は頼りにならない」と見限るべきではないだろうか。以前から緑の党だとか都民ファーストだとか、ネーミングや雰囲気作りには長けているようだが、実体は自分の確固たる意思の無い「ただの風見鶏」に過ぎない政治屋である。そろそろ都民も気がつく頃だから、今度の選挙でハッキリ答えが出るかもね。小池都知事よ、さようなら!

4、カテゴライズ、ラベリング
大坂なおみ選手が全豪オープン3回戦を見事なストレート勝ちで突破した。まさに破竹の勢いだがテレビを見ながらふと思ったのだ、「大坂なおみって日本人なの?」。それを私は考えた時、「日本人でもそうじゃなくても、どっちでも良いじゃないの」、大坂なおみは大阪なおみじゃんと思い直した。わざわざ日本人というラベルを貼って応援したり、または彼女を日本人というカテゴリーに入れて「日本人らしさ」を見つけて喜んだりするのは、大坂なおみ本人には全く関係ないことである。我々はどうしても自分をどこかのグループに入れて安心するという性癖がある。これは動物であれば生命に関わる大事な本能であろう。いろいろな社会学的分析においても、このような区分けや分類は必要だ。だが現代の日常生活において「グループ分けをして比較する」ことは、大抵の場合失敗する。私の考えでは「本人が選べない種類の肩書・分類でその人の人格を一律に評価する行為は、当然許されない」、だ。森氏の「女性の多い会議は時間がかかる」発言を例に取れば、女性は男性よりも「ムダに話が長い」という意味になる。女性は普段から「共感」を大切にしてコミュニケーションをする傾向があるようで、男性の「目的に特化した論理の組み立て」とはちょっと違った話し方になるのは、ある意味当然である。これは男女性差の生物学的・医学的・社会学的な研究課題としては「大変重要なテーマ」だと思う。しかし、だからといってオリンピック組織委員会の会議の場が「目的偏重」でいいとは思わなくて、そういう色々な考え方・会議の進め方の人々が集まり、それぞれの違いを乗り越えて「一致団結、理解し合って一緒の答えを出す」のがオリンピック精神だと思うのである。そこで、参加するメンバー全員の「納得」を得られるような結論に導いてゆくのが、リーダーの役割・責任なのだ。よって、オリンピック組織委員会という「会の目的」をそもそも履き違えていることで、森氏はリーダーには不向きなのである。また、大坂なおみの例で言えば全豪オープンは個人の大会であるから、「個人」を応援するのが大会の趣旨にあっているわけだ。国籍は関係ない。

それじゃあ、オリンピックで優勝者の国旗を掲揚するのはどうなんだ?、という話になる。ああ困った。日本国籍の選手が優勝すると、日本国旗が掲揚される。それを見た日本人は「やったーっ、日本が勝った!」と大喜びだ。で、隣のアメリカ人を見て「どうだ、俺の日本が勝ったぜ!」と威張る。これ、相手がアメリカ人だったら余裕で「流石ぁ〜」とか受け流して終わりそうだが、もしも中国人や韓国人だったら「国際問題」にも成りかねない不穏当発言になる(何か、想像するだけでおぞましい結果になりそう・・・)。これじゃオリンピックなどやらないほうがマシだ、と私なんかは思ってしまう。つまり、競技事は「勝ったり負けたり」が丁度良いのだ。となると答えは自ずと出ると思う。要するに、競技ごとの国旗掲揚は構わないが、国ごとに「好きな競技」は違ってくるから競技の種類をできるだけ増やして「世界の多様性」を出すようにする、のが正しいやり方である。例えばインドネシアのバナナの早採り大会とか、千葉県のアサリの潮干狩り大会とか、ブルガリアの蜜蜂集め大会とか、何だって大会にしちゃうのである。フランスのトリュフ探し大会なんてのもいいだろう。要は、「速く走る」だけが素晴らしい事ではない、ってこと。世界中の人々の日々の暮らしをクローズアップし、着目することでより良い「地球人を目指す」というのがいいんじゃないかな。まあオリンピックというのは世界融和のイベントだから、競技の勝ち負けを求めるのであれば「世界大会」で良いと思う。そこでは個人またはクラブチームごとに勝ち負けを決めることで、どこの国がどうとか民族がどうしたということは関係無い。私は以前、大坂なおみが全米オープンを制した時、「日本人が優勝した」と大騒ぎしたことに非常に違和感を覚えた記憶がある。これは「大坂なおみ」という個人が優勝したのであって、それ以上でも以下でもない、と言う意識があった。そこに「日本」を持ち込む考え方が、既に時代に遅れていると思うのだ。今回の森氏の辞任を考える時に、このカテゴライズ問題をどうクリアするか考えるべきである。私は全ての評価において、「個人の名前」で考える事にした。日本人は、とか中国人は、とか考えるのではなく、「〇〇さんは」と考えるようにしたのである。これが一番現実的で正しいような気がする。


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