1、70過ぎたらクリスマスなんか関係ないって!
今日は世間じゃクリスマス・イブだそうだが、私はいつものようにコンビニに行って最近お気に入りの「宝酒造のお茶割りロング缶」を買って家飲みである。夕食はとっくに冷凍パスタをチンして食べた。60過ぎてからクリスマスだからって特別なメニューを用意しなくなったのだ。そんな事をすれば余計に寂しくなるので、一切無視して普段通りに過ごす決まりである。
クリスマス・イブと言ってもここ柏では盛り上がりは全然なく、逆にまるで火が消えたみたいに静かだ(田舎なので・・・)。渋谷や赤坂辺りの華やかな夜の喧騒とは無縁であること、言わずもがなである。
私の小さい頃はサンタさんのプレゼントを期待して布団に入ったものだが、実際に枕元の靴下に何か入っていた、という記憶は殆ど無い。思うに両親は余りイベントが好きじゃなかったのかも。一度なぞテーブルに置いてあったクリスマスケーキを家族に内緒でこっそり表面のバタークリームだけ削って食べてしまったことがあったが、その後どうなったかはまるで覚えていない。
社会人になってからも、クリスマスだからといって何か特別な事がある訳ではなかったように思う。ある時イブの夜なのに残業漬けで終電を逃し、上野のビジネスホテルにひとり淋しく泊まった事があった。その頃は昭和のバブル真っ盛りの頃で、何か景気良さそうな世相に乗り遅れまいとする雰囲気が会社にもあり、小さ目のクリスマスケーキをノリで社員に配ったりしてたのだ。
そんな気配りを知ってか知らずか、私はホテルのベッドに腹ばいになって半分くらいを食べたきり、残りをゴミ箱に捨てて寝てしまった。翌朝はクリスマスだったが、そのまま普通に出社したと思う。だからと言って世の中に何か不満があった訳ではさらさら無く、単に私とは関係ない人達の楽しそうな大騒ぎをニュースで横目に見て、相変わらず仕事に精をだしていたのである。昨今の「心に沁みるクリスマス」などという情景は、映画やドラマで美男美女が演じる別世界の話だ、ぐらいに思っていたんじゃないだろうか。振り返って考えて見ても、クリスマスで「何かが起きた」という記憶は、私の場合全くないと言える。完全な「無」だった。だからクリスマスは、私の人生では「それ何?」って感じである。そもそも私はクリスチャンじゃないので関係ないんだよね~。それにクリスマスをスルーしたからって、別に何か困るというわけでもないし・・・
やはりキリスト教は日本には根付かなかったんじゃないの?ってのが結論ですね。
2、東大寺の大仏殿はどう見ても不格好じゃない?
私は累年大仏殿を写真や映像で見るたびに「ずんぐり」し過ぎてないかなぁ?と思っていた。日本の古い仏教建築、特に奈良の天平の建物はおしなべて古代らしく重量感のあるどっしりした雄大なフォルムが売りである。ところが東大寺で最も観光客が見たがる大仏殿が何とも不格好なので、私には長年ずっと違和感があった。ある時何かの調べ物をしてたら東大寺再建の話が出てきて、記録によれば今の大仏殿は二度ほど焼失しており、現在の建物は江戸中期に建て直されたものだとの事である。なるほど、そうだったんだと納得した。その時全体の寸法が8分の5になったらしい(私の記憶なので正しくはご自分で調べて下さい)。
といっても全部が同じ比率で小さくなったのではなく(そうすると鎮座している大仏自体も縮小しないと中に収まらないと思う)、想像では横幅だけを縮めたんじゃないだろか。だから「ずんぐりむっくり」のみっともない姿になったという訳だ。
確かに大仏殿は御仏を雨風から守るための物であるから、横幅はそれ程たっぷりでなくても用は足りる。だが古代の人々の建築に対する考え方は用が足りるか足りないかでは無く、大事な御仏が住まう「快適な家」と考えていて、それに相応しい姿の立派な建物を作ったのだと私は想像する。建築当初の形をそのまま復元している模型があるのでそれを見てみると、高さと幅の比率が現在よりゆったりしており、遠くからの印象も随分変わって「より優雅」に見えるのだ。
「ああ、これが本当の姿なんだなぁ、これなら確かに美しい」というのが私の感想。創建時には左右に高さ70mを超す七重の塔が威容を誇っていたそうだから、聖武天皇が全国総国分寺として精魂を傾けて建立したというのも成程と思わせる大建築である。出来たらもう一度「原寸の優雅な姿」に建て直してくれると、我々の歴史の理解もより正確になるんだけど無理かなぁ?・・・無理なんだろねぇ、残念です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます