明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本史はそろそろ再検証すべきである

2017-01-16 21:00:00 | 歴史・旅行
「知られてなかった歴史の真実」とは大袈裟だが、今まで日本史の授業で習っていたことが次々と覆っている。源頼朝の肖像画として教科書に載っていたものが別人のものだったり、足利尊氏の騎馬像の絵も別人らしいということで教科書から外された。聖徳太子も後世の捏造で、今は存在すら疑問視されているという。まあこの程度のことは私も知っていた。エレキテルの平賀源内は実際には電気のことはよく知らなかったらしい、とか解体新書の杉田玄白はオランダ語が読めなかったので前野良沢に教わった、とか噂または評判に類することが教科書には事実として載っているらしい。

武田騎馬軍団を打ち破った信長の「鉄砲三千挺の三段撃ち戦法」も、どうやら実際と随分違って武田も大量に鉄砲を撃っており、しかも騎馬軍団というのも当時は馬に乗ったまま戦闘するのではなく、下りて戦ったらしいとテレビで解説していた。そりゃそうだ、生きるか死ぬかで戦っているのに三段撃ちも思い付かないほどバカだったら、とっくに武田は滅亡しているわな。歴史は時に人を英雄や偉人に祭あげる為に実際の話を脚色して誇張する傾向がある。話としては面白いが、教科書にするには不適当だろう。歴史は真実を知ってこそ勉強になる。

なかでも最大の捏造は藤原不比等の日本書紀による歴史改竄である。あっちから神話を寄せ集めて創造し、こっちから事実を継ぎ接ぎして歴史を書き換え、中国・韓国との交渉もデタラメ三昧のうえ年代も適当に当てはめて、都合の悪い本は禁書にして抹殺するという念の入れよう。古田武彦の著作に詳しいが、未だに九州王朝の存在を認めない日本の史学界は「学問」の名に値しないではないか。これはつまり政府が歴史を書くとこうなるという見本である。その改竄された日本書紀を明治政府が鵜呑みにして出来上がったのが、悪名高い皇国史観である。

ナショナリズムの高揚を目指して作られた日本史を抜本的に改革するためには、まず天皇制を廃止する必要があると私は思っている。生前退位が取り沙汰されている天皇位であるが、既に立憲君主制になって法の制約下で動く国民の象徴であるから天皇個人のの意見は微塵も反映されないロボットである、ここは一つ神道の神主としての立場に専念し、京都に戻って四季折々の行事で国民の平和を祈ってもらい、政治の実務からは身を引いてはいかがだろうか。そうすれば和歌や管弦の文化もより華やかになり、宮廷の作法なども世界に発信する良い機会となるであろう。

日本はもっと現代に相応しい、国民の総意に基づいた政治が行われるべきである。国民の上に天皇を置く必要は無く、国民は本当の意味で平等であるべきだ。その時に初めて歴史も科学になる。豊臣秀吉の指が6本あったというのは有名な話だが、手術で5本にしたと本に書いてあるそうだ。その時信長が「わざわざ一本取るなんて秀吉も気にするんだね」と言ったらしい。だからどうというわけじゃないが、エピソードとして面白いし、当時は気にする人は少なかったという歴史の事実でもある。天下人の障害を隠そうとする心理は、事実をありのままに書くという姿勢から逸脱していると言われても仕方ない。なんでもいいから事実を曲げずに書くこと、それが歴史である。


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