明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

飲み会の話題「遠距離葬式」

2017-01-19 21:18:54 | 今日の話題
昨日、私の友人SU氏とSA氏とH氏とで、ゴルフの帰りに柏で反省会を開いた。SU氏は翌日安中まで葬式に行くという。「そりゃ大変だなぁ」という話になったが、SU氏は饒舌に自分の生き方を説明し始めた。どうやら息子の嫁の祖父が亡くなったという連絡が入って、遠いから行くのをどうしようかとなったのだが、SU氏は即決で行くことに決めたという。SA氏は出席する人やしない人を見定めて、他人の反応を色々考えた上で行くかどうかを決めるべきだという。自分の考えで決めるSU氏と人の動向を見て考えるSA氏、答えはこの日は出なかったが私の考えを書いてみることにした。

1 SU氏は自分の決めたルールに従って行く行かないを決定している
2 その際、遠いとか大変だとかお金がもったいないとかは考慮の対象には含めていない
3 他人がどう思うかはその人の自由だが、SU氏はそれに惑わされない、と言う

これに対しSA氏は葬式というのはコミュニティーの付き合いの重要な一つであるから、周りの人の出席状況を考えて、自分が他人からどう思われるかを大事にすべきだと言う。

両者の意見は「他人の目を気にするかどうか」である。だがよく考えると「どんな行動が正しいか」ということに収束するとわかる。SU氏は正しい行動の基本に世の中の常識や社会のしきたりといった長年大切に培ってきたコミュニティの原則を適用し、SA氏はそれらに囚われない自分が納得する原則を人間関係に従って再構築しようと考えている、そういう風に見える。これは私には、むしろ個人の性格の違いというより、血液型の違いのように思える。

SU氏はA型、SA氏はB型、その特性がよく現れた違いである。A型は個人の考えより社会の決まりやコミュニティのしきたりを重んじるという性格で、遠いとか面倒とかという個々の事情を乗り越えて約束事を全うすることに自身の美学を貫くタイプである。一方B型は社会の決めたルールには囚われず自分で考え自分で決めるのを好み、葬式のような親戚関係や友人関係の雑多に集まる場での自分の行動を他人の目のように客観的に見て、理性的な最適解を導きたがる。A型からそんなB型を見ると他人の目を気にし過ぎるように思えるが、B型からすると納得出来るまで考えたいのである。いわば他人のことを気にしているようで、実は自分が納得することが大事なのである。欠席して他人からよく思われなくても、何故行けないかの理由が説明できれば平気である。逆にB型からA型を見ると定められたルールに縛られてがんじがらめになり、自分で自分を追い詰めてしまうみたいで、もっと気楽に生きたらいいのにと思う。

結局のところ葬式などの公式の行事では、お互い社会人である二人の実際の行動は、そんなに変わるところはない。A型のSU氏は多分今朝早く群馬県まで電車に乗って葬式に行った事と思う。自分の所属する社会の決められたルールを守るという美学を全う出来た喜びで満足したであろう。人間やらねばならないことは、雨が降っても雪が降ってもやる! これがA型の美学だ。私が「フーテンの寅さん」と呼ぶ美学でもある。その点、B型は雨が降ったと言い、雪が降ったと言い、出来ればやらないで済まそうとする。B型の最後の拠り所は「自分」にあるわけだ。わがまま・自分勝手と言われる所以である。この点では、A型に軍配をあげざるを得ないだろう。

つまるところ、A型は生き方がシンプルである。だが、どこかでカラを破りたいと思っている。B型は夢見て生きている。だが、いつまでも夢には到達しない、いや、むしろ夢の中に生きているようだ。A型は過去、B型は未来。私にはそんな風に思えた議論だった。H氏が何型かは聞き漏らしたが、いつも答えが出ないのがまた楽しい。今夜も真澄の燗酒を飲みながら、柏の夜は更けていった。

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