明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

過去記事の紹介 : 五木寛之の百寺巡礼 広川寺と西行編

2021-12-21 11:24:41 | 歴史・旅行

五木寛之の百寺巡礼で大阪府南河内郡河南町広川寺(ひろかわでら)を紹介していた。広川寺は665年創建だそうだ。役行者が本尊である。私が特別に興味を持ったのは「西行が終焉の地」であるということである。五木も番組の中でそのことに触れているが、五木は余り西行に思い入れが無いらしく、墓碑銘に掘られた「願わくば〜」の和歌にもそれほど感心してないようで、「余り好きではないが」と断りつつ紹介している。五木寛之は昔、本の執筆のために葛城山中に足繁く通ったことがあるそうで、どこか懐かしい思い出があるようだ。お寺の格から言えば、特に取り上げるほどの寺ではない。

西行堂は小さな茅葺きのお堂である。緑濃い境内に点在する建物の中にあり、階段を上がった一段奥まった場所に静かに建っていた。西行の坐像が納められている。西行記念館も新しく建てられて、手紙や関連本などが展示されている。西行の人気を物語っている観光名所である。西行が何故この地のこの寺を選んだのか、五木は説明するが説得力は無い。五木は「下世話な言い方をすれば」と断ってはいるが、西行を「家庭と妻子を捨てて自然を愛で歌を詠んだ」勝手気ままな自由人、と評する当たりは、私には「西行を羨む心」がちょっぴり読めたような気がした。五木の本心は、西行を認めてはいないんだろうな、と感じたのである。

西行は漂泊の詩人である。妻子を捨て北面の武士という出世コースをドロップアウトして出家した世捨て人である。しかし伝記を読むと源頼朝と会見したり「それなりに政治と関わって」いたようで、一般の世捨て人のイメージとはだいぶ違う。もちろん彼に政治的信条を求めるのはお門違いだが、武芸に関しては当代一流の秘技を伝承していると世間では目されていたようである。深く仏教に帰依していることは当然知られていたが、同時に「和歌に秀でている僧侶」でもあることは当時の人々にはさして不思議でもなかったのである。その頃の僧侶といっても半分は趣味人で、貴族が出世ルートから外れて「自由な生活」を過ごすことも多かったのではないかと私は想像している。もちろん庶民の出ではそうはいかないだろうが。

現代における西行の位置は中世人でありながら世を捨て花鳥風月の中に理想を追い求めた仏道の人である。なにが彼をそのような境地に追い込んだのかは分かってはいない。妻子を捨てて出家した後は高野山に入り30年余りを過ごしてその間、各地を放浪していたようである。彼が日本人に愛されている理由の一つには「彼の素直な、そして純粋無垢なところ」であろう。何に対して素直で純粋無垢かというと「すべて」である。それは人間社会の俗世間の欲望、名誉・権勢・財宝を捨て、友情や家族愛をも捨ててただ一人、己の心に忠実に生きた人のそれである。昔から日本人はこのような「欲を持たない」生き方に理想を見出してきた。

これはある意味「日本人の特質」で、ヨーロッパなどや中国には余り見られないタイプなのかも知れない。日本人も勿論だが、欲望の虜となって戦いに明け暮れる人々が多くいたことには変わりがない。だが仏教がこれほど浸透したのには、何か日本人の心に響くものがあって受け入れられたのではないかと思う。そういう意味では西行もさほど特別な人でもない。ただ歌人としての彼が「余りにも純粋だったがために」、芭蕉をはじめとして後世の芸術家から慕われる存在になっているのだろう。旅の途中で詠まれた歌はどれも彼の心情をストレートに表出してなお、もどかしい程の切なさを残したまま我々の心に響いてくる。彼は技巧というものには一切興味がないばかりか、美しさをも表現の対象としては見ていないようだ。

彼はただ「私はどうなるのだろう」と尋ね彷徨う子供のように、自分のこの世に生まれてきた由縁が分からないで疑問を投げかけては「答えの見つからない」ままに泣き疲れて寝入ってしまう連続である。西行の歌の指し示す究極は「悲しみや寂しさ」であり、世間という集団から取り残された自分の居場所を求めて仏道に帰依し、そして結局は見つからなかった思いを「人知れずつぶやいて」いる。誰かに読ませようとするのではなく、自分の考えを理解してもらおうとするのでもなく、ただ自分の感情が溢れて「歌になってでてきた」ように見えるのだ。これは当時の歌人としてはめずらしいのである。歌を詠む能力があることは相当な名誉のはずなのだが、西行は一顧だにしていない(ようにみえるだけかも知れないが)。彼は本当に歌人としての名声に無頓着だったのだろうか。私もブログを書いていて西行と比較するのもどうかと思うが、それでも「評価」というのは気にするものである。西行が自作の歌の評価を「全く考えていなかった」とするなら、余程の変人か「または当時の芸術を超越していた」かのどちらかである。

西行には「山家集」という歌集がある。時代は終末観に覆われていて、後鳥羽上皇や藤原定家などの新古今派全盛の世に独りポツンと西行がいるというのは不思議な気がするが、当時の歌壇は相次ぐ戦乱と乱暴狼藉の世の中において「花鳥風月を歌う」と言う現実離れした世界であった。平家が没落して源氏の武家社会となっても西行は変らず仏道に没入し、己の進むべき道を探して迷い続けているのだ。ブレがないと言えば確かに一本道をひたすら歩んでいくだけだが、何かの目標があるわけではない。こう言うと「全くの世捨て人」を想像してしまうが、西行は割と人との付き合いは「しっかり続いている」のである。歌会とかも出掛けていって世の歌人達と飲み食いしたかどうかは分からないが、人間嫌いでは無かったようだ。

手許に「選集抄」(岩波文庫)という本があって、長いこと西行自筆の本として読み継がれてきた説話集がある。今では色んなエピソードを西行に仮託したものだと分かっているが、西行のイメージを作り上げてきたという意味では、現実の西行以上に「西行らしい」物語集である。この度五木寛之が西行を取り上げたのを見て、また読み返してみようと想い本棚から引っ張り出してきた。西行という人はどんな人だったのか、という興味は「ある」。だが「モーツァルトという人はどんな人だったのか」という問と同じく、どうも人間そのものは「あまり芸術とは関係ない」ようである。私達はついつい芸術家の作品とその作家の思想や生き方をドラマチックに関連付けてしまいがちだが、本来は「別のもの」と受け止めたほうがいいのではないかと思う。

西行という人は「素直ではあるが哲学的・文学的な人ではなくて、案外純朴な人、一つの典型的な武家・武人」だったというのが意外と当たってるような気がしている。武人でありながらその武人たる人生目標に「ある日突然、喜びを見いだせなくなった」のであろう。だが他に生きる道を彼は知らなかった。高野山に入ったのも「なにか答えを求めて」仏道に余生を託したのだが、厳しく修行したわけでもなさそうである。日々の生活に流されながら折々に感じたことを歌に詠み、自分の永遠の悩みを吐露しつつも穏やかであり、藻掻き苦しむほどの焦燥感・悲壮感は少なくとも歌からは見えてこない。そのように迷う自分を「どこかで認めている」いわば諦念にも似た感情があるのだろう。それはある種の心の平穏であり、もとより人間に解決できる問題ではないと分かっているようだ。それは、迷い続けることこそ人間の運命である、とでも達観しているようでもある。

芭蕉は西行に漂泊の人を重ね合わせて一つの理想を描いていたが、西行本人は「放浪の画家、山下清」のような「ちょっと人間離れした素朴な老人」で生涯を終えたように思う。五木は西行のことを「勝手気ままに生きた人」と評したが、西行の生き方から何かを得ようとすることの無意味さをよく分かっていたのかも知れない。ちなみに「願わくば〜」の有名な歌は、私の会社の大先輩が花見の季節にどこで拾ってきたか知らないが、「知識をひけらかす」ように皆に紹介しているのを聞いて「嫌〜な気持ち」になったことを覚えている。だから私も五木が「私はあんまり好きではないのですが」と言う気持ちもよく分かるのである。西行の歌を披露したからといって、西行のようになれるわけではないのだ。

西行の歌は文意も平易で、「奥深い人間性の深淵」などのない単純なものである。「願わくば〜」の歌も黙って聞けば「素人の作」とも取れるような技巧も何もないただの普通の歌であり、作家である五木が好きではないのも無理からぬ「駄作」である。だが西行の生涯と重ねると何か意味あるものに思えてくる。キリストのまとっていた布が聖骸布として重要な遺物になっているように、大切な人の思い出は一般的な評価とは別なのである。なぜそれほど西行は愛されてきたのだろうか。それは誰しも人間が心の何処かに持っている普遍的な感情を「純粋な形で、誰にでも共感できる歌にして提示した」からではないだろうか。

私も時々西行のように感じたことをストレートに歌にしてみたいと思う時がある。だが西行のようにはいかない、なんか恥ずかしいのである。雑念がどんどん入ってきてしまう。素直に自然を詠むことがいかに難しいか。世に三夕の歌というのがある。寂蓮の「まき立つ山」、定家の「浦の苫屋」、そして西行の「鴫立つ沢」である。西行は風景と共にある「自分」を歌う。技巧と無縁の世界、西行の言う「心なき身にもあわれは知られけり」というのは正直な感想だろうと思う。「全てにおいて正直である」というのが、西行を愛する人々にとっての一番の魅力ではないだろうか。都会で生活する毎日に疲れてふと夜空の月を見上げる時、西行の見上げた月はどんな月だったのかな、などと思ってみる。

まあ、私の心には悲しいことに、何の感慨も浮かばないのだが。


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