明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

他人の考えに関心がなくなった社会、それはiPhoneから始まった?

2016-03-16 21:00:07 | 科学・デジタル
2007年6月、iPhoneが世に出て以来の変化は社会を根底から覆すインパクトがあった。それから10年、じわじわと進行する癌のように、大衆の生活の中に深く静かに広まっていった。

オドロオドロしい書き方ではあるが、90年代生まれの若者たちにはすでに、明確な徴候が表れている。他人の考えや他人の意見に関心を示さず、動物・グルメ・歴史・鉄道・その他何でも趣味的には他人とつながるが、「自分と異なる意見」というものは一切否定する傾向である。SNSはこういった傾向を加速する仕組みに使われ、閉ざされた狭いグループの中で居場所を見つけ満足している。ツイッターやフェイスブックやブログでは何千何百という情報が発信されているが、普通の人はただ有名人や有名ブロガーの発信する言葉に反応するだけで、自分の意見を聞いてくれる人はいない。

人間が普通に生活していて普段に会話や行動で繋がっていける限度は、精々10人から20人であろう。何かのグループに属している場合でも、知っているというのでなくその人の人となりを分かってお付き合いしている人は、多くて30人どまりじゃないかなと思う。政治や経済について議論するとなると、もっと絞られて3~4人というところか。案外と少ないものである。

昔は誰彼構わず議論した記憶がある。議論は正しいか間違っているかである。小学校の授業で「西洋家屋と日本家屋とはどちらがいいか」というような議論があり、僕は日本家屋の良い点を主張した。心の奥では「日本より西洋の方が素晴らしい」という意見を受け入れたくなかったのだ。しかし先生が冷暖房効率や堅牢性で西洋家屋の方が優れていると言って、私は議論に負けた。その議論に勝った子とは、その日に一緒に帰って「大の仲良し」になった。日本家屋の事などはすっかり忘れて、野球に誘われ夜遅くまで遊んだ。

子供同士はすぐに仲良くなれるものである。議論をして相手の力量を認めて友達になった、僕はそう記憶している。いい時代だ、今更ながらそう思う。だが今は議論する人が少なくなった。それは答えを出す先生役がいなくなったからだ。我々団塊の世代が、先生役の戦中派を拒否したのである。そのツケが回りまわって自分達に突きつけられた気がする。今の若い人は、議論ができなくなった。相手の意見をよく聞いて理解する、そこから議論は始まるのだが、この相手の意見に耳を傾けることができないのだ。それは言葉を正確に使用して考えを述べる技術が不足しているからである。

SNSで飛び交っている内容を見ると、仲間内でしか通用しない言葉でアジる表現が大半で、論理的な思考を積み上げて考えを述べるということは、ウザいと却下されるようだ。そもそもSNSは議論の場としては不適切である。言いたいことが言える開放的で自由な場と一見見えるが、結局は流れに乗っかって発言する多数決の場である。議論とは本来は正しいものが勝つ場の筈なのに、多数決で答えが決まる場に成り下がってしまう。日本人の好きなパターンである。日本では、皆んなが賛成することが正しい事になる。昔からの民族性だ。

明治維新のとき、大村益次郎(村田蔵六)は徹底したリアリストとして攘夷倒幕を行った。武士でもない大村益次郎に新政府の大多数が付いて行ったのは、ギリギリの生きるか死ぬかの戦いの中では、多数決ではなく正しいものが最後に人々の行動を決める、その意味ではまだ、日本人はギリギリの選択を迫られてはいないのかも知れない。

私はこのブログを通じて自分の考え方を公表してきた。ブログを見ている人は20人にも満たない少人数である。それでもその人達が、自分の考え方と私の考え方とを比較してどちらが正しいか、或いはどちらも正しくないのか、しばらく考えてみる事が価値があると思っている。考え方が違ってもいい、その考え方が個性である。ある時は私が正しくて、別の時は別の人が正しい、それが社会であり人間である。 人間を全体で判断して「良い・悪い」と決めつけるのは、人間の多様性を損なう気がするのだ。自由とは、束縛しない事受け入れる事、そして「議論する事は理解する事」でもある。

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