1、気力の衰え
ここの所ずっと何もする気が起きない日々が続いている。以前はブログも毎日更新していたのだが、最近はコロナで出歩くことも減ってきて「殆ど書くことが無く」なってしまった。外に出なければ当たり前だが、面白いことも減ってくる。それより何より、人間観察の機会も無くなって人生がつまらなくなって来ているのだ。外に出るのはコンビニとスーパーだけ。後は週に一度のゴルフ練習場とコインランドリーに行くだけでは、記事にするような出来事も起こりそうにない。部屋に籠ってテレビを見るだけでは、孤独老人の引きこもりそのものである。そこへオリンピックの終了と記録的暑さがダブルでやってきて、「全体的な倦怠感と無気力状態」が続いている。暑さと熱中症対策のためエアコンで部屋を冷やしているが、ちょっとの温度差で「すぐに鼻水が出たり」くしゃみが出たりして、身体の温度管理機能も相当落ちているみたいである。年のせいかと疑ってみたが、どうも考えてみると7月4日のワクチン1回目接種からちょっとした発熱が続き、25日の2回目接種以降も断続的な発熱と全体的な不調を繰り返していた。これはどうやら「ワクチン副反応」で体が衰弱し、気力もなくなって「無気力状態」に落ち込んでいたのだ、と思いついた。その証拠に、25日の2回目接種から2週間経った頃から徐々に回復してきて、ワクチン接種前の「元気な状態」が戻ってきたのだ!(おおっ!)。私は71才で副反応は少ない筈だが、体への影響は「5週間」も続いた計算になる。私よりもっと若い人は、「より強く、より長く」影響が出るのは必定だ。健康な元気一杯の野球選手がワクチン接種後に突然死した事例も出ているし、全体ではファイザー製のワクチンで死亡者が100人近くも出ているらしい。これを考えると、ワクチン接種の「リスク」と言うものを十分に考えてから注射した方ほうが良いんじゃないだろうか、とアドバイスしたい。勿論、死亡例というのは「極めて稀である」ことは確かだ。なぜ死亡したのかの原因も、まだ解明されてはいない。しかし、極々「普通の生活」をしているからと言って、あなたがその「極めて稀な例にならないとも」限らないのである。100万人に一人という確率を大きいとみるか小さいと見るか。こういう「人生の試練」を一度くぐり抜けておくのも「立派な大人になるために必要な経験」だと私は思う。
副反応、舐めてかかると結構キツイです。
2、オリンピックの総括
私は元々オリンピックなど見たかった訳ではない。だから聖火リレーも開会式も全く興味がなく、今に至るまで一切見ていない。結局、毎年行われている世界大会のグレードアップ版ぐらいに思っていたのだ。それには色々な理由があるが、この問題はまた別の機会に書くとしよう。今回は、私が注目している「卓球」について書くことにする。今思っても準決勝で破れた伊藤美誠は惜しかったが、中国選手との力の差は「僅かながらだが、あった」と思わざるを得ないのである。それを乗り越えるために何が必要かは本人が考えることだけど、ディフェンスではやはり「リーチ不足」を補う何かがカギだろう。体格の差が勝負の分かれ道になったと言えば伊藤にとっては「辛いこと」だろうが、スポーツの世界では「避けて通れない格差」である。私が思うに、リーチ不足を「返球の先読み」という頭脳の勝負に切り替えることで解決するのが早道のような気がする。オフェンスでも同様で、伊藤の「決め球」を中国の孫が度々見事に返してポイントを取っていた。これは相手の身体能力が伊藤のスピードを上回っていたということである。だから球の威力だけでは通用しなくて、更に加えて「コース取り」で優位に立つしかない。勿論、打つ際に自由にコースを選べるわけでは無いのだが、そこを「ええっ、こんなところに?」というコースに打てれば、球威不足を補うことが出来るだろう(これは私の勝手な想像である)。また、伊藤はサービスをネットに当てることが多かったが、それだけ「シビアな制球」が求められていたのだ、とも言える。まあこれから伊藤がどうパワーアップして、三年後のパリで「金メダル」を取るか。それまでは世界卓球での進化が大事になってくるのだ。伊藤美誠のことだから、必ずや金メダルを取ってくれると私は信じている。残り少ない私の老後だが、今はそれを楽しみにして見守っていきたいと思う。それと平野美宇。パリの決勝戦は「伊藤対平野」っていうのが良いねぇ・・・!。それは冗談として、やはり日本卓球界は伊藤や平野や早田だけじゃ駄目だと思う。もっともっと選手層を厚くしないと、中国に勝つのは難しい。パリでのオリンピックの時点で、「次の世代」が、いつでも代わりに出られる状態で控えていることが必要だ。それが日本を卓球王国にする唯一の方法ではないだろうか。彼女たちの弛まぬ努力が実を結び、立派に花咲くことを信じかつ期待して待っていよう。
日本、ガンバレ!
3、外国選手の名前の呼び方
オリンピックで色んな国の選手がテレビに写った。特に私の好きな女子ゴルフでは、インドや北欧など「ゴルフ後進国」と思っていた国の選手が大活躍するのを見られたことは、新鮮な驚きである。ところで私がちょっと違和感を覚えたのは、出場選手の「名前の呼び方」である。西洋では名前が先で苗字が後だ。だが東洋では苗字から言って、名前は付け足しのように後である。これは西洋の「個人主義」とも関係が深い習慣で、東洋では昔から「個人より家」意識が優先してきた。例えば今回のゴルフで言うならば、1位がネリー(コルダ)で3位がリディア(コ)、2位が稲見(萌寧)である。やっぱり変だ。勿論、家系を重んじるイタリアの旧家のように、〇〇家の〜といった「家」主体の言い方がない訳じゃない(よく知らんけど・・・)。だが親しみを込めて友人を呼ぶときには、アメリカでは「ジョニー!」だし、日本では「山田ぁ〜!」なのだ。これは「大きな文化の違い」ではないだろうか。日本人もそろそろ「個人の自由な主体性」を尊重して、普通に「名前」で呼ぶようにした方が良いと思う。
いきなり名前から呼ぶのは難しいので、個人を表す「専用の名前」を一つ決めて、今までの姓名とは別に「号」として登録するといいと思う。例えば「山田太郎」さんは「太伯 山田太郎」という風に、「号ー苗字ー名前」という順番で表記をするのだ。呼ぶときは勿論「号」である。これで日本人にも「名前が呼び名」という習慣が定着するだろう。早速戸籍謄本から直して行きたいね。
それと中国人の名前の呼び方だが、これは「本人の発音」通りに読むのが礼儀ではないだろうか。言葉はコミュニケーションが第一である。山田太郎と書いても相手が中国人では「ヤマダタロウ」と読んでくれないだろう。おまけに中国語読みではこちらが「誰?」となってしまう。これはしっかり「ヤマダタロウ」と読んで欲しいし、習近平を「シージンピン」と発音しなくては通じないのと同じことである。文字で何と書こうと、それは「発音するための記号」と考えるのが当然だろう。それは「発音がコミュニケーションの基本」ということと一致する。世の中で実際に使われている文字はアルファベット以外にも、アラビア語やハングル語やその他にも多くの種類があるが、皆んな全て「発音記号」である(私はそう思っているが、間違っていたらしく訂正します)。唯一例外としては「漢字とエジプト神聖文字」があるだけだ。文字の発生した事情を考えると、もっと多くの種類の「表意文字体系」があっても良いと思うが、全て「発音記号」の言葉に置き換わってしまったのが現状である。やはり言葉の基本は「発音」にあるのだ。勿論、中国でも実は表意文字というよりは「発音記号」に近いのではないかと私は密かに思っている。なぜなら中国では「漢字一つに対して、読み方は一つ」だと聞いているから(これは私の想像で、本当のところは知らない)。だから中国と同じ漢字を使っているからと言って、テレビに出てくる選手の名前まで「日本語と同じ読み方」で処理するのは間違いだと思う。大体、選手に対して「失礼」だろう。これは明日にでも即刻「直して貰いたい」傲慢なやり方である。特に NHK が日本語読みを続けているのは「国辱もの」だと私は思っている。何より「おもてなし」が日本人の美徳だというのであれば、まず「名前を正しく発音すること」から始めることだろう。
習近平はシージンピンと発音すべし!
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