明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本古来の伝統文化を守る為に国家予算を付ける

2016-03-18 20:00:28 | 芸術・読書・外国語
日本は世界に冠たる美の守り人である。それは和風という唯一無二の、世界に稀な独特の文化でもある。奈良平安から鎌倉室町を経て桃山で花開いた生命力溢れる文化、そして元禄から文化文政を生き抜き幕末へと雪崩れ込んだ町民のエネルギー、全ての歴史が今も日本という心を支えている。それを次の世代に伝えるのが義務だ、というようなものではなく、ただ単に「美しいもの、或いは最高の品質、最上の匠」を見ていたい、という欲望である。

それを日本全体に広め、歴史の回転を逆に戻そうというのではない。一部を残して鑑賞する、文化のダイバーシティである。場所は京都・奈良で十分だ。京都を、日本の伝統文化の聖地にするのである。何もかもを歴史の中に留めなくても良いが、東京に溢れかえっている世界最先端の技術は「京都で味わう必要」は更々ない。京都は京都を愛する人の為の都市であるべきだと思う。御所・自然・庭園・祭り・町屋・着物・和室・生活・食べ物、全ての京都の暮らしを、最上の品物で飾りたい。

だが、その伝統的な文化を支える技術や材料が無くなりつつあるのだ。京都御所に畳を納めている職人がいる。建物は木で出来ているので長年の間に伸びたり縮んだりして、微妙な寸法の変化がある為に畳も規格品ではなく一枚ずつ微調整した手作りだという。縁の文様までピッタリ揃えた新品の畳は流石に美しく気持ちが良い。日本人を実感する時である。この畳の材料は「い草」、とりわけ最上とされているのが「備後表」と呼ばれる広島産の畳表である。

伝統的な文化を支える日本独特の材料は、おしなべて消えゆく運命にある。理由は、生活が洋風になって日本の古い様式が求められなくなったからに尽きる。使わなければ、廃れるのは世の常だからである。だが、博物館で展示してればいいかというと、我々が見に行って「ふーん」で終わりだ。生活の中に使ってこそ文化は文化たりうるのである。だから京都なのだ。ところが、この備後表の材料は「い草」であるが、ただ畑で植えればいいというものではない。成長したものを刈り取って「泥にくぐらせる」ことによって、あの独特の複雑な光沢とツヤが出てくるのである。この「泥」を作っている会社が、去年店をたたんだという。

「い草」自体は安い中国産がほとんどで日本中の和室の需要を賄っているから、日本人はまだまだ伝統は守られてるように思っているかもしれないが、実は最上の畳とはどんなものか「知らない」可能性があるのだ。今に化学製品の畳を使って「雰囲気だけ和風」な時代が来るかもしれない。文化は生き方、思想である。最高のものを知らなければ、そのものの価値を測ることは出来ない。何も高価なものがいいと言っているわけではない、本物を知って大事にする心を培ってもらいたいのだ。本物には本物にしか無い美しさがある。形式ではなく、その「本物のみが持つ何か」を味わうことが文化なのである。

そこで提案をしたい。文化を守る為の保護を、国家プロジェクトとして予算と組織を立ち上げるのだ。

1 収入
国が指定する「重要文化財」に日本固有の生活様式を加え、その技術と材料の生産一式を必要なだけ用意するプロジェクトである。もちろん今でも機能しているかも知れない。だが不十分だ。例えば畳なら、畳職人・い草農家・泥生産会社、全て一貫して「年収1000万円位は貰えるようにする」のだ。軍事費をちょっと飛行機5台位削れば出るのでは無いか?100億位あれば相当のことが出来るはず。個々の報酬は、診療医療の点数制度を参考にすると良いかも知れない。

2 称号
仕事の内容を広く世間に認知してもらう為に、重要文化財を生産する人には「和風文化マイスター」の称号を与えて、自分たちはお金の為ではなく伝統文化を継承・維持・純化する為にやっている、という意識を皆んなで持つようにする。日本の伝統文化を守ってくれて有難う、という気持を持つことは、愛する事でもある。

3 観光
観光とは読んで字のごとく「光を観る」つまり、元の意味は「国の威光を観る」事だそうである。まさに日本の伝統文化は国の威光と言える宝である。安倍政権は観光をどうこう言っているが、憲法をいじくって戦争可能にする頭の中と「どうリンクさせる気なのか」全く理解が意味不明だ。この際はっきりと平和国家を標榜し、自衛の為の最低限の兵力を残して、余分な予算を(介護や保育や医療は勿論)観光資源つまり伝統文化の育成保護に使ってほしい。

4 制限
何でもかんでも重要文化財とすると、また金目当ての俄か業者や似非職人が乱立して予算がヤクザの資金源とかになったりするので、厳格な調査と実績をみて登録することが必要である。世の中余りにも金が全ての風潮が蔓延している。人生も終わりに近くなると金の価値がわかるようになるらしく、生きていくのに必要なだけの金があれば充分と思える境地に、否が応でも達してくる。国宝級の茶器を自分で持ちたいというより、たまに銀閣寺の茶室で鑑賞する程度にしたいと思う。伝統文化は個人のものではもはや無い。多くの人の支えがあって成り立つ美なのである。

5 知識
テレビや本やネットで、伝統文化をもっとアピールすべきである。単に文化を流すのではなく、その品物・材料・作る人・使い方全てにわたって紹介する「安定したブーム」を、日本国民として必須な教養とするのである。私たちは子供の頃、知らず識らずのうちに日本固有の伝統文化に触れていた。今の子は、最初っから西洋文化の中で育ってきたので、日本的なものが「珍しいと感じる奇妙な人種に」なってしまっている。だから知識で補強しなくてはならない。生活の中で体験しつつ覚えると同時に、先ずは平安文学の面白さとか奈良時代の謎とかから歴史を学ぶ事で興味が深まる、そんな子供が僅かでも増えれば良いのだが。いや、ほんの僅かでいい。そんなに多くは無いだろう。

世界遺産が話題になっていて、外国人の見方が面白いとか新しいとかといって観光も変わって来たようである。しかし日本固有の伝統文化は奥深く、ちょっと日本に来た外国人にはわからない「身体と心に備わった文化」であるから、受けていると言っても変質してしまったら元には戻れない。それを守るのは、他の誰でもなく日本人自身では無いだろうか。

結局は、日本の自然や日本の四季折々の風物が形になって、和風という固有の文化が生まれてきた。日本の風土が変わらない限り、伝統文化を保ち続けることは日本人らしく生きる事でもある。世界遺産になんかならなくても、しっかり日本の美しさを味わっていこう。その為には、京都・奈良を「日本伝統文化都市」に指定し、補助していく姿勢が不可欠である。是非、ご賛同を。

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