東京オリンピックのマラソンの開催地が札幌になるかどうかで揉めている。2020年の東京の気温が40度になるかもしれないから、少しでも「涼しい時間を」ってんで朝暗いうちから走ろうという対策を練っていたがIOCのバッハ会長が、「札幌、ええじゃないの」とぶち上げたから大騒ぎである。ニュースで見た森大会組織委員長の「IOCに聞いてくれ」発言や、小池都知事の「蚊帳の外」発言は何れも、「問題点をすり替えていて」私のせいじゃ無い的な発言なわけで、責任者としては失格じゃないだろうか。要は選手にとって、東京の「暑さ」は試合になるのか?という話である。今日はちょっと暑いから走るのはやめた、なんて暑さとはそもそも「レベルが違う」らしい。
この暑さは年々酷くなっているようで来年のことは予想もつかないが、「東京でやる」ことは決まっていたのだから、暑さ対策としては「時間(時期もあり得る)」をずらすことしかないのは分かりきったことである。暑いのは何もマラソン(競歩も)だけに限った話ではないが、そもそも東京でオリンピックを開催すること自体が「世界から見たらどうなの」という意見は、ひとまず横においておくとしよう。基本的に言えば、暑さ対策として「涼しい時間の6時スタート」でいいんじゃないの?、と思う。バッハ会長が何を根拠に「札幌に決めた」とか言い張っているか疑問だが、森会長にしても小池都知事にしても、もう少し「毅然とした態度」で取り組んでもらわないと困るよね。
私が思うに東京の暑さが致死レベルだというのは、熱中症で毎年何人もの死者が出ていることからも分かる通り、気温だけじゃなくて「湿度が半端ない」為だと前々から言われている。そうだったら、このようにすったもんだする前に、今年実際に気温が40度近くになるような「うだるような暑い日を選んで」、試しに走ってみるとかしたのだろうか。ヨーロッパ人・アフリカ人・ロシア人・東南アジア人・中東アラブ人・北欧人・それに南半球のオーストラリア人など、世界の色々な気候からサンプルを選んで、実際のコースを走る「実証実験」を実施するのである。勿論、国際マラソンとしても成立するような本気モードでなければ「実証」にならないのは当然だ。どうも日本人は机上の空論に明け暮れて、実際にシミュレーションして問題点を洗い出す「実証精神」が欠けているように思う。
ランナーの中には暑いのが得意な人もいれば寒いほうが記録が出る人もいるだろうし、バイオリズムだとかも言い出せば切りが無い。言うなれば4年に一度しか開かれないオリンピック自体、その選手の「生涯最高記録」が出るわけではないと考えれば、「誰が金メダルを取るか」ということがそもそも無意味だとも言え無いだろうか。つまりオリンピックは、競技大会ではあっても「どちらかと言えば祭典」の色彩が強い大会とも言えると思う。そこが純然たる競技のNo. 1を決める世界大会とは違う所である。オリンピックは日本でやるのだから、「日本人に有利な」レースが期待されてもある程度は許されるだろう。しかし開催地特権を最大活用して期待通りの「蒸し暑いレース」になれば日本有利か?というと、それがそうでもないからマラソンは難しい。前回のリオ・オリンピックから4年も経っているのだから、金メダルを取るくらいの超一流選手は当然、暑さ対策は十分取っているだろう。上位20人ぐらいは「気候条件が少々変わっても」それ程順位に変動はないものと思われる(素人考えである)。暑いからどう、寒いから負けた、と言う程、オリンピックは甘くは無いと言いたい。
むしろ私が心配するのは「観客の方」である。素人が沿道の暑い最中にワーワー応援していると、熱中症で次から次へとバタバタ倒れる、なんてことも「冗談でなく」有り得る。そこで私の提案は、レースは予定通り東京で行い、「スタート時間を夜中の3時」とするのである(これを思いつかなかったとすれば組織委員会連中の頭は少しどころか相当足りない)。一日のうちで一番気温が下がる4時頃を挟んでレースを設定すれば、気温の影響を最小限にすることが出来ると計算した。札幌でレースをするというのは「北海道を売り込む絶好のチャンス」かも知れないが、やはり東京で行って「新国立競技場」にゴールする、というのが「祭典の趣旨」から言っても納得がいくというものである。例年ハワイで行われている「ハワイマラソン」は夜暗いうちから走り始めて、空が明るくなる頃に「感動のゴール」を持ってくるという見事な演出で有名だ。
夜中にやったら観客は大変だ、などと危惧するのは老人の考えそうなことで全然心配にはあたらない。事前に充分な用意をしていれば「むしろオールナイトで盛り上がって」、東京の夜景をバックにした「過去最高の美しい大会」になることは間違いない。若者たちが夜になったら「続々と集まり」だして沿道を埋め尽くし、観客が振る「ペンライトのトンネル」の中を、華麗に42.195kmを選手が走り切って「超満員の夜の漆黒の新国立競技場」へ、閃くフラッシュの光の渦の中で感動のゴールテープを切る、のである!。当に「東京は不夜城だ」との印象を、全世界に送り出す最高のレースになるだろう。コースの住民にはこの際「腹を括って協力して貰い」、寝ないでサポートするぐらいの気持ちが欲しいものである。そして新国立競技場では前の晩から世界のアーティスト達の「エンタテイメント」が繰り広げられ、最高潮になった頃に「マラソンがスタート」するというのは如何にも、イベントの最後を締めくくるに相応わしいとは思わないか。オーロラビジョンに刻々と映し出される選手と観客の映像は、「まるでディズニーランドのような光のページェント」を次々映し出して、「夜の東京を演出」すれば、本来の「祭典」の意義も充分に伝わるのでは、と考える。
だから結論は、「東京で夜中にやる」、である。
東京市民が全力を挙げて「光の織りなす祭典」を作り上げるのだ。東京は「昼」は暑くて死んだようにじっとしているが、「夜は素晴らしくて飛んでもなく活気に溢れているじゃないか!」と評価されたとすれば、新しくて世界に送るメッセージとしては「当に秀逸」だと思うのだが、どうだろう。
というわけで、私のオリンピック実行プランを下に提示したい。
1、コンセプト
オリンピックは何十年の一度の「世界の祭典」であることを再認識し、国を挙げて「徹頭徹尾のバカ騒ぎ」に徹する。記録がどうとか金メダルがいくつかというような「真面目な姿勢」は世界大会にまかせて、オリンピックはリオのカーニバルみたいな「どんちゃん騒ぎ」を精魂込めてやるのだ。オリンピック期間が終われば2、3日寝込むくらいで丁度いい。日本人も結構ハチャメチャしてるよね、と言われたら本望である。
2、警備
オリンピック前後の期間中は警備や観客整理などで警察も忙しい。そこでこの期間内に犯罪をおかしたものは、刑罰を「10倍にする」一時特例法を制定するのだ。止むに止まれぬ犯罪はそれでも無くならないだろうが、警察官が手薄なのにつけ込んでの「火事場泥棒」的なフザけた輩は、このぐらい厳しくしてもバチは当たるまい。
3、企業
オリンピックは、ゴーデンウィークとお盆休暇とクリスマスと正月と、それにハロウィーンが同時に来たほどの「お祭り」である。だから仕事など「しちゃいけない」。基本的に、祭りに関係した仕事「以外は全部休業」である。勿論給料は「アルバイトも含め」て全額払う。お金がなければ楽しめないのは当たり前では無いか。リオではそのために必死に「お金を貯めて、ここぞとばかりに一気にドバーっと使う」から盛り上がるのだ。なんなら国が補助しても良い。とにかくパーッと使うために、貯め込んでおくのである。
4、施設
オリンピックは「そうそうない」お祭りである。だから施設は最小限の補修で済まして「オリンピックで使い果たす」ような、一時的な盛り上げグッズや飾り物に費用を注いだほうがよい。よく「オリンピックが終わったら〇〇として再活用します」的な「ムダじゃない」発言が横行するが、そんなにムダを気にするんなら、オリンピックなんか「はなっから」やらなければいいではないか。箱物にいくら金をかけても「次回はない」のだ。そんなものに金をかけるくらいなら、「宵越しの金は持たない」江戸っ子の心意気を見せるほうが「よっぽどいい」と私は思う。
5、報道
祭典だから国ごとの金メダルの数を競うような「下劣な報道」は厳に謹んで、素晴らしいゲームを盛り上げてくれた選手に「東京の人気者メダル」を送るというのはどうだろう。メダルが取れなかった選手が「あの大会は素晴らしかった」と言えるようなフレンドリーで華やかで、心温まる馬鹿騒ぎのオリンピックにしようではないか。誰が何位だとかメダルの色はどうだとか、全くもって「小さい小さい」。だから結果の報道は出来る限り小さくして、世界の人達が一つになった「熱気と興奮の騒ぎ」を前面に出すような報道が望ましいのだ。あるいはオリンピック報道大賞なんか作ってもいいかも。
要は、オリンピックは「誰が強いかを競う場ではない」のである。
それは毎年の競技ごとの「世界大会」で決めればいい。ちなみにリオのゴルフ部門で金メダルを取ったジャスティン・ローズと朴仁妃だが、別に世界のゴルフファンから「すごい」などと一向に思われていないのは「正しい判断」だとゴルフファンを称賛したい。金メダルは思い出の一つではあるが、オリンピックの感動は「我々にもっと多くの思い出」を残してくれる特別なものだ。選手の記録などよりも「もっと大事なこと」がある筈である。
それで札幌の問題だが、バッハ会長には「余計なことを言うんじゃないよ!」と一喝して終わりとしたい。
この暑さは年々酷くなっているようで来年のことは予想もつかないが、「東京でやる」ことは決まっていたのだから、暑さ対策としては「時間(時期もあり得る)」をずらすことしかないのは分かりきったことである。暑いのは何もマラソン(競歩も)だけに限った話ではないが、そもそも東京でオリンピックを開催すること自体が「世界から見たらどうなの」という意見は、ひとまず横においておくとしよう。基本的に言えば、暑さ対策として「涼しい時間の6時スタート」でいいんじゃないの?、と思う。バッハ会長が何を根拠に「札幌に決めた」とか言い張っているか疑問だが、森会長にしても小池都知事にしても、もう少し「毅然とした態度」で取り組んでもらわないと困るよね。
私が思うに東京の暑さが致死レベルだというのは、熱中症で毎年何人もの死者が出ていることからも分かる通り、気温だけじゃなくて「湿度が半端ない」為だと前々から言われている。そうだったら、このようにすったもんだする前に、今年実際に気温が40度近くになるような「うだるような暑い日を選んで」、試しに走ってみるとかしたのだろうか。ヨーロッパ人・アフリカ人・ロシア人・東南アジア人・中東アラブ人・北欧人・それに南半球のオーストラリア人など、世界の色々な気候からサンプルを選んで、実際のコースを走る「実証実験」を実施するのである。勿論、国際マラソンとしても成立するような本気モードでなければ「実証」にならないのは当然だ。どうも日本人は机上の空論に明け暮れて、実際にシミュレーションして問題点を洗い出す「実証精神」が欠けているように思う。
ランナーの中には暑いのが得意な人もいれば寒いほうが記録が出る人もいるだろうし、バイオリズムだとかも言い出せば切りが無い。言うなれば4年に一度しか開かれないオリンピック自体、その選手の「生涯最高記録」が出るわけではないと考えれば、「誰が金メダルを取るか」ということがそもそも無意味だとも言え無いだろうか。つまりオリンピックは、競技大会ではあっても「どちらかと言えば祭典」の色彩が強い大会とも言えると思う。そこが純然たる競技のNo. 1を決める世界大会とは違う所である。オリンピックは日本でやるのだから、「日本人に有利な」レースが期待されてもある程度は許されるだろう。しかし開催地特権を最大活用して期待通りの「蒸し暑いレース」になれば日本有利か?というと、それがそうでもないからマラソンは難しい。前回のリオ・オリンピックから4年も経っているのだから、金メダルを取るくらいの超一流選手は当然、暑さ対策は十分取っているだろう。上位20人ぐらいは「気候条件が少々変わっても」それ程順位に変動はないものと思われる(素人考えである)。暑いからどう、寒いから負けた、と言う程、オリンピックは甘くは無いと言いたい。
むしろ私が心配するのは「観客の方」である。素人が沿道の暑い最中にワーワー応援していると、熱中症で次から次へとバタバタ倒れる、なんてことも「冗談でなく」有り得る。そこで私の提案は、レースは予定通り東京で行い、「スタート時間を夜中の3時」とするのである(これを思いつかなかったとすれば組織委員会連中の頭は少しどころか相当足りない)。一日のうちで一番気温が下がる4時頃を挟んでレースを設定すれば、気温の影響を最小限にすることが出来ると計算した。札幌でレースをするというのは「北海道を売り込む絶好のチャンス」かも知れないが、やはり東京で行って「新国立競技場」にゴールする、というのが「祭典の趣旨」から言っても納得がいくというものである。例年ハワイで行われている「ハワイマラソン」は夜暗いうちから走り始めて、空が明るくなる頃に「感動のゴール」を持ってくるという見事な演出で有名だ。
夜中にやったら観客は大変だ、などと危惧するのは老人の考えそうなことで全然心配にはあたらない。事前に充分な用意をしていれば「むしろオールナイトで盛り上がって」、東京の夜景をバックにした「過去最高の美しい大会」になることは間違いない。若者たちが夜になったら「続々と集まり」だして沿道を埋め尽くし、観客が振る「ペンライトのトンネル」の中を、華麗に42.195kmを選手が走り切って「超満員の夜の漆黒の新国立競技場」へ、閃くフラッシュの光の渦の中で感動のゴールテープを切る、のである!。当に「東京は不夜城だ」との印象を、全世界に送り出す最高のレースになるだろう。コースの住民にはこの際「腹を括って協力して貰い」、寝ないでサポートするぐらいの気持ちが欲しいものである。そして新国立競技場では前の晩から世界のアーティスト達の「エンタテイメント」が繰り広げられ、最高潮になった頃に「マラソンがスタート」するというのは如何にも、イベントの最後を締めくくるに相応わしいとは思わないか。オーロラビジョンに刻々と映し出される選手と観客の映像は、「まるでディズニーランドのような光のページェント」を次々映し出して、「夜の東京を演出」すれば、本来の「祭典」の意義も充分に伝わるのでは、と考える。
だから結論は、「東京で夜中にやる」、である。
東京市民が全力を挙げて「光の織りなす祭典」を作り上げるのだ。東京は「昼」は暑くて死んだようにじっとしているが、「夜は素晴らしくて飛んでもなく活気に溢れているじゃないか!」と評価されたとすれば、新しくて世界に送るメッセージとしては「当に秀逸」だと思うのだが、どうだろう。
というわけで、私のオリンピック実行プランを下に提示したい。
1、コンセプト
オリンピックは何十年の一度の「世界の祭典」であることを再認識し、国を挙げて「徹頭徹尾のバカ騒ぎ」に徹する。記録がどうとか金メダルがいくつかというような「真面目な姿勢」は世界大会にまかせて、オリンピックはリオのカーニバルみたいな「どんちゃん騒ぎ」を精魂込めてやるのだ。オリンピック期間が終われば2、3日寝込むくらいで丁度いい。日本人も結構ハチャメチャしてるよね、と言われたら本望である。
2、警備
オリンピック前後の期間中は警備や観客整理などで警察も忙しい。そこでこの期間内に犯罪をおかしたものは、刑罰を「10倍にする」一時特例法を制定するのだ。止むに止まれぬ犯罪はそれでも無くならないだろうが、警察官が手薄なのにつけ込んでの「火事場泥棒」的なフザけた輩は、このぐらい厳しくしてもバチは当たるまい。
3、企業
オリンピックは、ゴーデンウィークとお盆休暇とクリスマスと正月と、それにハロウィーンが同時に来たほどの「お祭り」である。だから仕事など「しちゃいけない」。基本的に、祭りに関係した仕事「以外は全部休業」である。勿論給料は「アルバイトも含め」て全額払う。お金がなければ楽しめないのは当たり前では無いか。リオではそのために必死に「お金を貯めて、ここぞとばかりに一気にドバーっと使う」から盛り上がるのだ。なんなら国が補助しても良い。とにかくパーッと使うために、貯め込んでおくのである。
4、施設
オリンピックは「そうそうない」お祭りである。だから施設は最小限の補修で済まして「オリンピックで使い果たす」ような、一時的な盛り上げグッズや飾り物に費用を注いだほうがよい。よく「オリンピックが終わったら〇〇として再活用します」的な「ムダじゃない」発言が横行するが、そんなにムダを気にするんなら、オリンピックなんか「はなっから」やらなければいいではないか。箱物にいくら金をかけても「次回はない」のだ。そんなものに金をかけるくらいなら、「宵越しの金は持たない」江戸っ子の心意気を見せるほうが「よっぽどいい」と私は思う。
5、報道
祭典だから国ごとの金メダルの数を競うような「下劣な報道」は厳に謹んで、素晴らしいゲームを盛り上げてくれた選手に「東京の人気者メダル」を送るというのはどうだろう。メダルが取れなかった選手が「あの大会は素晴らしかった」と言えるようなフレンドリーで華やかで、心温まる馬鹿騒ぎのオリンピックにしようではないか。誰が何位だとかメダルの色はどうだとか、全くもって「小さい小さい」。だから結果の報道は出来る限り小さくして、世界の人達が一つになった「熱気と興奮の騒ぎ」を前面に出すような報道が望ましいのだ。あるいはオリンピック報道大賞なんか作ってもいいかも。
要は、オリンピックは「誰が強いかを競う場ではない」のである。
それは毎年の競技ごとの「世界大会」で決めればいい。ちなみにリオのゴルフ部門で金メダルを取ったジャスティン・ローズと朴仁妃だが、別に世界のゴルフファンから「すごい」などと一向に思われていないのは「正しい判断」だとゴルフファンを称賛したい。金メダルは思い出の一つではあるが、オリンピックの感動は「我々にもっと多くの思い出」を残してくれる特別なものだ。選手の記録などよりも「もっと大事なこと」がある筈である。
それで札幌の問題だが、バッハ会長には「余計なことを言うんじゃないよ!」と一喝して終わりとしたい。
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