犯人が普段から迷彩服の上下を着ていることや、サバイバルナイフなどの殺傷能力の高い武器を所持していることは当然、家族には分かっていた筈だ。しかも父親は市議会だか村議会の議長だというから、世間の常識に照らしてもいささか異常である。普通、このような高い地位の公務員であれば、長男(30過ぎの結構いい年である)は跡取りだからそれなりの常識ある育て方をするものだと思うが、実際は迷彩服を着て森で動物などを撃っているような「イカれた人間」だったわけだ。
そんな世間的にはどちらかというと引き籠りのような、人と交わらない孤独の趣味を持っているヤツがサバイバルナイフ以上に殺傷能力の高い猟銃や散弾銃など、「4丁」も所有しているというのはどう考えても「危ない」だろう。地元の猟友会などに出入りしていたかどうかは分からないが(ニュースなどを読むと何回か出入会を繰り返していたようだ)、この犯人が銃を所有する意図は害獣を駆除するのに必要だという範囲を「完全に逸脱している」ことは明らかである。誰が見ても「気違いに刃物」状態なのに何故家族が気づかなかったのだろうか?。それにも増して、こんな「おかしいヤツ」に猟銃や散弾銃の所持許可を出してるなんて、「警察、何しとんねん!」っちゅう話よ、マジで(怒りと不可解の念が噴出である)。
実は2019年に犯人は公安委員会に申請して「精神疾患はないという医師の診断書」を提出し許可されているという。当然である。だが、これじゃ「ちょっとおかしいガンマニア」程度の人間だったら全員「猟銃が持てちゃう」ことになるではないか。日本の銃規制は世界一厳しいというが、その実態は「人間を見ないで書類だけで OK する」ような雑な処理だったということに尽きる。そもそも銃を持つ以上は「目的が正当」でなければならない筈なのだがどうだったのか。私が思うに、犯人はこの第一の関門を「クリア出来ていなかった」のではないか?と思っている(私の見解)。
第二に、申請者の「社会性」が問われなかればならない。社会の中で孤立しているような「情緒不安定な人間」は、ついついトラブルになると「このような武器」を持ち出して力で解決しようと考えるものだ。もし犯人が銃の所有許可を持っていなくて、今回のように「逆恨み」から殺してやろうと思ったとしたら(サバイバルナイフも家族が許さなかったとしての話であるが)、包丁ぐらいしか手元に武器になりそうなものは無かっただろう。それでも女性2人の被害者は救えないだろうと思うが少なくとも、通報で駆けつけた二人の警察官の命は「失われずに済んだ」と思う。返すがえすも残念なことをしたとしか言えないのだ。
そして第三に挙げられるのが「性格」だ。本人は自分は「病気じゃ無い」と言い張っていたようだが、事件を起こしてその詳細が分かるにつれ、その「異常性」が明らかになってきている。周りの人々から「何かおかしい変な奴」と見られていることは、自身の性格が「相当偏屈で歪んで」いる証拠なのだ。学校での評判もあらかた似たような人物評のようであり、この「性格の偏り」は幼少時代から変わらないようである。元より日本では銃犯罪が少ないために、余り知り合いが銃の所有許可云々という状況に会った経験は無いだろう。しかし、多少知っている程度の人でたまに出くわすぐらいの人が銃の所有許可を申請したと聞けば「何で必要なの?」と疑問に思う筈である。
そこが問題なのだ。顔見知り程度の人が殺傷能力の高い銃器を何故か持っている、というのは、もしかしたら「危ないことに使うんじゃないのか?」と気になるのは当たり前ではないだろうか。日本の銃規制を本来の厳しい制限のもとに監視する体制を作るためには、私は次のような新たな規則を定めるべきだと思う。
1、新たに銃器を所有申請するごとに「公安委員会の公報」で発表する。つまり、銃を持っているのは皆んな知っている状態にしておく。
2、使用する場合は公安委員会に使用目的を書いて申請書をメールで提出、その都度「承認」を得る。いかにも面倒臭いように思われるかも知れないが、会社を休むときには「連絡する」のと実際大して変わらない。このぐらい密に連絡を取り合っていれば、今回のような事件は起きようが無かった。
3、所有銃器の管理規則を守り、指定日に管理状況をスマホで撮影して報告する。常に監視されているというのが間違いを起こさない方法である。
4、随時公安委員会が管理状態を点検する
5、使用する弾は公安委員会に申請し、指定する種類と数量に制限。使う度に新たに申請して許可を得る。
以上だ。要するに銃器の所有は個人の趣味として考えるのではなく、公安委員会の厳重な管理の元に「保管場所を個人宅」にしただけ、と考えれば良い。猟銃のような殺人を容易に出来てしまうような武器を個人の管理下に置くのではなく、公的機関で監視体制下に置くのが正しいと思う。
なお、銃器の所有申請時には精神鑑定は当然として、
a. 目的
b. 社交性
c. 性格、とくに感情のコントロール能力
d. 精神的嗜好
以上を充分に検討した上で公安委員会の銃器所持認可権を持つ3人の担当者が「よし、この人間なら大丈夫だ」と太鼓判を押した人間のみに限定すること。野生の害獣駆除などの場合は除き、現代ではまず殺傷能力のある銃器を普段から自宅に置いておく必要は「無い」と思う。万一必要ならその都度「自衛隊に出動」を要請すれば良いだろう。とにかく銃器の所有を簡単に考えないことである。もしどうしても身近に猟銃とか散弾銃を置いておかないと怖くて眠れないというのなら、そういう人はアメリカにでも移住すれば良いのではないか?。これを機に、早期に「銃の無い社会」を実現してほしいものである。少なくとも日本では、銃は「持たない・持たせない」をモットーにして、銃など無くても人々が安心して暮らしていける社会でありたいものだ。では包丁はどうするって?
包丁を公的機関で監視するよりも「メンタルクリニック」などの治療を、誰でも受けている「風邪」のような一般的なものと認める方が早いと思う。例えば夫婦の日常的な会話の中で「いやあメンタルクリニックの先生に、あなたは怒りっぽいから注意して、って言われちゃったよ、参ったなぁ」なんて言葉が出て来るようになれば、もうしめたものである。よくあるアンガーマネジメントなどの自己コントロール方法など、自分の「精神的傾向とそれを抑える方法」をある程度客観的に把握出来ていれば、こういう事件は起きなかっただろうと私は想像する。
昔の諺に「転ばぬ先の杖」とは良く言ったもんだ。青木政憲もメンタルクリニックに行っていたら・・・
まあ、どうにもならなかったとは思う。残念ながら。だから厳格な銃規制が必要なのだ。メンタルの治療と厳格な規制は車の両輪である。政府の凛とした対応を望む。
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