明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

麻生大臣の本音

2018-11-03 23:26:47 | ニュース
今日のスマートニュースで麻生財務大臣が、「不摂生で病気になった人の医療費を負担するのはあほらしい」との友人の話を引用して、「良いこと言う」と発言した、とあった。今日は政治ネタだが、これについて分析してみよう。

保険は「まさかの時に備えてリスクを分散する仕組み」である。個人で負担するのが大変な費用を自分が病気にならない時でも分担して払うことで、全体として成り立っている。つまり病気になるかどうかは未知だが、もしなった場合を考えて費用を払い込む。保険会社は「病気(事故でも同じ)の発生比率と医療費を計算し」て、何人が保険に加入すれば掛け金がいくらになるか、という風に計算して売り出すわけである。この仕組みは結局の所「互助会」の仕組みである。

さて、このような仕組みの保険であるが「元になる病気の発生比率」は科学的データであるから、どの保険会社であっても同じはずである。保険対象を細かく分けていけば当然比率は下がるが顧客も減ってくるので、保険料は高くなる。誰でも入れるように間口を広げれば、当たり前のことだが保険支払い対象者も多くなるのは自明である。そこで「あの手この手」と契約内容を複雑にし分かりにくくして、適用例外事項も小さい文字で書いたりして、出来るだけ多くの保険商品を売りつけようとしているのがこの業界の歴史である。

そこで麻生財務大臣の言っている「国民が全て入る国民皆保険」だが、アメリカでは医療費がバカ高くて、掛け金を払えない貧乏な低所得者層は病気になったら死ぬしか無い状況だと言う。これを何とかしようとして頑張ったのが「オバマ前大統領」なのだ。ところがトランプ大統領はこれを廃止しようとして国民の多数から猛反発を受け、今の処国民皆保険の廃止は頓挫しているというのがアメリカの状況だ。幸い日本は国民のためを思って、健康保険という仕組みを古くから採用しているので安心である。ここまでは皆さんご存知の通りである。だが、麻生大臣はトランプ大統領と「一見同じこと」を言い出したようにも思える。そこで麻生大臣の真意は一先ず置いといて、本題の「不摂生な人の医療費を負担するのは嫌だ」という意見を分析してみよう。

1 不摂生の線引きは誰がどういう風に行うのか。

保険は発生比率と医療費用のデータに基づいて支払いを決めているのだから、そもそも不摂生という概念が無かった、というか「そういうデータが無かった」のである。元々金持ちが入るのが保険だから、金持ちは不摂生と相場が決まっていた。だからタバコを吸う人は保険料が高くなる、というのは最近なのである。昔は皆タバコを吸っていたから、データも「喫煙者込み」の物だった。では「酒」はどうなのか。あるいは一日の歩数が5000歩以下の人はどうなのか。または腹囲が85センチ以上のメタボはどうなのか。はたまた一日3時間の睡眠しか取らない人はどうなのか・・・、切りがない。自分が不摂生だから保険料が上がるということを認めるとしたらどうなるか、事はお金に絡む問題なので、保険会社はあなたが不摂生であるという根拠を示さなければならないだろう。それには医療機関が検査して「不摂生の烙印」を押す必要が出てくる。だが保険というのは「発生比率」なのだ。医療機関の検査結果が「どの病気の原因で、どのくらいの割合がその不摂生によるもの」かを特定しなくては、発生比率を計算できない。例えばタバコを取ってみると、タバコで肺がんになる人の比率は○○倍だとしよう。だからタバコを吸っていないあなたの保険料は安くなる、としようか。だが、あなたが別の原因(例えば飲酒)で「肝臓がん」になったとすると、飲酒で「あなたの保険料は高くなっている」かも知れないのだ。あるいは肉が好きで「大腸がん」になったり、ラーメンが好きで「高脂血症」になり心臓疾患でお亡くなりになることもある。保険というのはそれ程簡単な計算ではないのである。もし仮にタバコを肺がんの原因と特定しても、保険料を「10倍高くする」わけにはいかないだろう。それでは保険に入る人がいなくなってしまう。なぜなら「必ず肺がんになる」んだったら、保険料は「治療費と変わらない」ことになるからだ。要は、タバコを吸っていないからあなたは保険料が安くなりますよ、という勧誘に有利な言葉くらいの意味しか無いのである。人間の病気は「色々な原因が複雑に絡み合って起きている」。そのそれぞれに発生比率のデータを集めることは出来ないのだ。例えばタバコを吸っていてもタバコ以外は健康に留意して節制している人と、タバコを吸っていなくても不摂生で不健康な人はいっぱいいる。単純ではないのだ。

2 ではクロちゃんのような「誰が見ても不摂生な人」は、保険に入れないのか。

もし不摂生な人は全部保険に入れないとしたら「保険会社は商売にならない」ので必ず「クロちゃんでも入れる保険」を作るであろう。該当する病気は網羅的な物になるだろうから、保険料も「青天井になる可能性」が高い。まあ芸人だから人気取りに炎上商法で頑張っているのだし、視聴者もそれを承知で非難しているのだから「罪作り」とも言えるのだが。しかしマジに保険を考えているのなら、保険料は相当高い物になるだろう。それでも入っておいたほうが得であると言えるのか。保険に入っていても「手術や入院」で保険金を受け取る人は意外と少ない。人間健康には誰しも多少の気を使っているし、病気になって元を取ったとしても「病気になるのは自分」である。完全に治ればそれに越したことはないが、臓器を一つ取ったり後遺症が残ったりして「命だけは助かった」というのでは、保険料など節約できても「嬉しくない」のが真実である。保険料を払い続けていて最後まで病気にならずに健康であり続ける人というのは、保険に入って何が良かったかと言うと「健康」がご褒美だ、ともいえるのである。だからクロちゃんが不摂生で何時死んでもおかしくないですよと言われていて、挙げ句の果に「病気になって治療費に莫大な費用がかかった」としても、誰も「彼が得をした」とは思わないであろう。自業自得と言うけれど、それを自分の体で実証するなんて「もう少し医者の言うことを聞いとけばよかったのに」と後悔するのが関の山である。見ている我々は「やっぱりね」と、ホッと胸をなでおろすであろうが、保険料返せとは言わないと思う。仮にクロちゃんの分の治療費を返して貰うとしても、彼の保険料と差し引きして「月々○円」安くなるかならないかではないか。麻生財務大臣の言うことを「精密に計算しなおして新保険商品を売り出す」としても、それが売れるという保証はない。保険というのは個人の医療一つで保険料が変化するほど分母が小さくないのだ。

3 そもそも保険の仕組みは互助会であるから、「病気にならなかった人」が多いほど儲かる、または保険料が安くなる。

結局保険というのは「運送保険」のように1回ごとに掛ける保険と違い、包括的で「何かあった時」のためのものである。病気の種類は無数にあるし、原因も「生活そのものであるからこれも無限」に考えられる。仮にわかりやすい不摂生であっても、その不摂生を止めたら生きている楽しみがなくなるということもある。我々は病気との兼ね合いで生きているのであり、生きていることがすなわち「病気の原因」であるとも言えるのだ。同じことをやっても病気になる人とならない人がいるように、まだまだわからないことのほうが多い。最近は「遺伝子」が根本原因であるという学説もあるように聞くから、ホントのところは不明である。私は脳梗塞で治療費をたくさん貰ったが「入っていて助かった」とも言えない。私は血圧が高かったのだが健康に注意をしていれば何とかなると思っていた。今思えば薬を飲んでいれば良かったのだろうが、後の祭りである。医者から薬を貰って飲んでいれば大丈夫と思って「そのまま不摂生を続けていたら」、別の病気で死んでいたかも知れないのだ。何が良くて何が悪いかは、所詮は「生き方」の問題のような気もする。結局私は「保険を支払って貰う側」になったが、100倍位の人数が保険を払いながら「病気にならずに」健康に生きているのだろう。それが「保険というもの」であり、それが「安心」と言うものである。殆どは病気にはなっていないのである。

結局麻生大臣の発言は「不摂生な人」を除外すれば保険料は下がる、と言いたいのだろうが、非常に設定が難しいのである。何をもって不摂生と言うかが人によって違うだろうし、毎晩飲み屋でいい気持ちになっている人が不摂生で、家で晩酌する人は限度をわきまえている人かと言うと、医学的に差があるとはとても言えない。田舎で畑仕事している健康なあばちゃんから見れば、都会でブラック企業に勤める若者は不摂生に見える。要は、保険に入っていても「健康は自分のためにするもの」ということになるのである。不摂生を人生の楽しみと捉えるか、健康を人生の目的と考えるか、どちらもアリである。不摂生でも健康なら問題ないし、節制していても不健康なら保険は必要である。いわば保険は何かあったときのためであり、皆んなが払う一種の税金と思わなければいけないのだ。

いろいろとゴタクを並べたが、結論として麻生大臣の言うことは「厚生大臣の発言」ではなく、何とか「増大する医療費と保険料」を抑えられないか、という財務省の一つの案だと捉えたい。これが簡単に行かないことは今までの考察で明らかである。というか麻生大臣も馬鹿ではない(だろう)から分かっているはずだ。となると「弱者切り捨て、不摂生者排除の考え」だということになる。これは由々しき問題だ。世の中には色々な理由で不摂生な生活環境にいる人もいるし、止めようとしてもやめられないという人が多いのではないだろうか。その理由の「一つ一つを地道に改善」していくのが麻生大臣たち政府の努めである。それを金が無いから切り捨てると言うのなら、もう民主主義ではなく「選民思想」である。金持ちの麻生大臣はセメント会社の社長さんだから、こういう発想が生まれるのだろう。

私はこういう人を大臣にしている安倍政権というものを、決して認める事は無いと言いたい。

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