アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

第三の波 第13章 脱画一化へ向かうメディア(2-2)

2015年09月22日 06時01分37秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第13章 脱画一化へ向かうメディア(2-2)
脱画一化したメディア
マスメディアは、第二の波の時代を通して、終始一貫、成長を続け、強大な力を誇るようになった。ところが今日、驚くべき変化が起ころうとしている。第三の波がごうごうと押し寄せ、マスメディアは急速にその影響力を弱めて、ただちに多くの前線から撤退をせまられている。これに代わって進出しはじめたのが、ここでいう「脱画一化メディア」である。
具体的な例として、まず新聞を取り上げよう。第二の波のメディアの最古参である新聞は、いま、その読者を失いつつある。1973年には、アメリカの新聞の総発行部数は、1日、6,300万部に達していた。しかし、1973年以降、発行部数は伸びるどころか、減少しはじめた。1978年には6,200万部に落ち込み、その後さらに下降線をたどっている。日刊紙の購読者も、1972年の69%から、1977年には62%に減少し、アメリカでも、もっとも重要な新聞のいくつかが手痛い打撃を受けた。ニューヨークでは、1970年から1976年の間に、三大日刊紙が合計55万の読者を失った。『ロサンゼルス・タイムズ』は、1973年をピークに発行部数が減り始め、1976年には8万部の減となった。フィラデルフィアの二大紙は15万、クリーブランドの二大紙は9万、サンフランシスコの二紙は8万以上と、軒並み減少している。一方、数多くの小新聞が出現し、それまでアメリカの主要日刊紙とされていた『クリーブランド・ニューズ』、『ハートフォード・タイムズ』、『デトロイト・タイムズ』、『シカゴ・トゥデイ』、『ロング・アイランド・プレス』は、ことごとく主流からしめ出された。同様の傾向はイギリスにも見られる。1965年から75年の間に、全国紙の総発行部数は8%減少しているのだ。
こうした低落傾向の原因を、テレビの出現に求めるだけでは十分ではない。最近、一群のミニ週刊誌、隔週刊行物とか、いわゆる「買物情報」といったものが登場しているが、これらは都会の大市場を相手にすることを避け、特定の地域住民や共同体のために、きめ細かい広告やニュースを提供するようになった。今日の大衆日刊紙は、これらの刊行物との激しい競争に直面している。大都市中心の大衆日刊紙は飽和状態に達しており、深刻な打撃をこうむっているのが現状である。小規模なメディアが機敏に動きまわり、マスメディアのすぐ後に迫っているのである。
次に大衆雑誌の例を見よう。1950年代の半ば以降、アメリカではほとんど毎年のように大衆雑誌が廃刊に追い込まれていった。『ライフ』、『ルック』、『サタデー・イブニング・ポスト』、これらはいずれも廃刊の憂き目にあい、その後復刊した場合でも、発行部数は前よりずっと少ない。
1970年から1977年の間に、アメリカの人口は1,400万も増加したが、雑誌の方は上位25誌の統計で、400万部も減少しているのである。
これと時を同じくして、アメリカではミニ雑誌が爆発的に誕生し、特殊対象や特定地域を狙った何千という新しい雑誌が登場してきた。パイロットや航空機のファンは、かれら向けの何十とある専門誌のなかから、好きなものを選ぶことができる。ティーンエージャー、スキューバ・ダイビング愛好者、退職者、女性スポーツ選手、古いカメラの収集家、テニス狂、スキーヤー、スケートボード愛好者、どれをとっても専門誌のないものはない。また特定地域を対象とした、『ニューヨーク』、『ニュー・ウエスト』、ダラスの『D』、『ピッツバーガー』といった雑誌がどんどん増えている。さらに、地方誌のなかでも特定対象向けの、たとえば『ケンタッキー・ビジネス・レッジャー』とか、『ウエスタン・ファーマー』といった専門誌が誕生し、ますます市場を細分化している。
今日、あらゆる組織、共同体、政治団体、大小の宗教団体は、速くて手間のかからない安価な新型印刷機を使って、みずから出版物を印刷している。もっと小さなグループでさえ、複写機で定期刊行物を次から次へと発行しており、こうした複写機は、アメリカのオフィスならどこにでも設置されている。大衆雑誌は、国民生活に対するかつての強大な影響力を失った。脱画一化雑誌、つまりミニ雑誌が、急速に大衆誌に取って代わろうとしている。
しかし、コミュニケーションの分野で第三の波が与えた衝撃は、印刷メディアにとどまらない。1950年から1970年の間に、アメリカのラジオ放送局の数は、233から5359に増えた。人口が35%伸びる間に、ラジオ放送局は129%増加したわけだ。言い換えれば、アメリカ人65,000人当たり1局だったものが、38,000人当たり1曲になったということである。別の言い方をすれば、だれもがこれまで以上に多くの番組のなかから自分の好きなものを選択できるようになったということであり、聴取者大衆を、増加しつつある放送局が奪い合っているわけである。
放送番組の多様化が進み、これまでのように不特定多数を相手とせず、特定の限られた聴取者を対象とする放送局も急増してきた。教育程度の高い中産階級向けにはニュース専門局ができた。多様な指向を持つ青年層に向けては、ハード・ロック、ソフト・ロック、カントリー・ロック、フォーク・ロック、それぞれの専門局ができている。黒人向けのソウル・ミュージック局、高収入層向けのクラシック音楽局、ニューイングランドのポルトガル人をはじめ、イタリア人、スペイン人、日本人、ユダヤ人といった、アメリカ国内のさまざまな民族集団を対象とした外国語放送局も出現した。政治評論家リチャード・リーブスは、こう書いている。「ロードアイランド州のニューポート市で、ラジオのAM放送のダイヤルをまわしたところ、38局も見つかった。そのうち3局は宗教専門局であり、2局は黒人向けの番組を編成しており、1局はポルトガル語で放送していた。」
さらに、音声によるコミュニケーションの新しい形態が登場し、特殊な放送局に流れた残りの一般聴衆を、容赦なく蚕食していく。1960年代には、小型の安いテープレコーダーやカセットプレーヤーが、若者たちの間に、燎原の火のようにひろがっていった。ところが、10年後の今日、ティーンエージャーがラジオを聴く時間は、60年代に比べて一般に予想されているのとは逆に、減少している。ラジオの全聴取時間の平均は、1967年の一日、4.8時間から、1977年には2.8時間にと急激に落ち込んでいるのである。
そこへ登場したのが市民バンドラジオ(CBラジオ)である。これはアメリカの一般市民に公開されている周波数を利用して交信できる、ウォーキートーキーのようなラジオである。従来のラジオ放送が一方通行であるのに対し(聴取者は番組の送り手に話しかけることはできない)、車にとりつけられたCBラジオは、5ないし15マイル以内なら、運転者同士が相互に連絡し合うことができる。
1959年から1974年の間に、アメリカでは、CBラジオはわずか100万台しか使われていなかった。ところが、「200万台になるのに8ヵ月、さらに300万台になるのには、3ヵ月しかかからなかった」と、ワシントンの連邦通信委員会も驚いている。CBラジオは、まるでロケットの噴射のような勢いで普及した。1977年には、およそ2,500万台が使用され、「お巡りがねずみ取りをしかけているから気をつけろ」とか、祈祷、それに売春婦の客引きにいたるまで、あれこれの連絡が、空中を飛び交うようになった。
ラジオ放送会社は、広告収入への影響を恐れて、CBラジオのために聴取者が減ることはない、と断言している。しかし、広告代理店の方は、かならずしもそうは考えていない。マーステラー広告会社がニューヨークで行なった調査結果によれば、CBラジオの使用者のうち45%が、カーラジオの放送を10ないし15%聴かなくなった、と答えている。この調査でさらに注目すべきは、CBラジオの使用者の半数以上が、カーラジオとCBラジオの両方を同時に聞いている、ということである。
いずれにしても、新聞、雑誌に見られる多様化傾向は、ラジオの世界においても例外ではない。出版界と同様、音声の分野においても、脱画一化が進行しているのである。
しかしながら、第二の波のメディアがもっとも重要な意味を持つ、驚くべき打撃を受けたのは、1977年以降のことである。われわれの世代にとって、もっとも強力で、もっとも多くの大衆を動員できるメディア、これは言うまでもなくテレビであった。ところが1977年になって、ブラウン管がゆらぎはじめたのである。「すべてがおしまいだ。放送や広告業界の幹部連中は、いらいらしながら数字をのぞきこんだ・・・かれらは、いまどういう事態が起ころうとしているのか、半信半疑だった。・・・歴史上はじめて、テレビ視聴時間が低下しはじめたのだ」と『タイム』誌は書いている。
「テレビの視聴者が減るなどと考える者は、かつてだれひとりいなかった」と、ある広告マンも嘆いたものである。
いまでも、いろいろな見方がある。テレビ番組が昔にくらべてくだらなくなった、と言う人もある。同じタイプの番組が多すぎる、とも言われる。テレビ会社の社長たちの首が何度もすげかえられた。新しいタイプのショウ番組が、あれこれと企画された。だが、もっと深い真の理由が、テレビというつくられた虚像の雲間から、ようやくその姿をあらわしたところである。テレビのネットワークが、大衆のイメージを集中管理し、全能を誇った時代は、いまやかげりを見せはじめている。NBCの前社長は、アメリカ三大ネットワークのばかげた視聴率競争を非難し、1980年代末には三社の市場占有率が50%まで落ち込むだろう、と予告している。というのは、第三の波の新しい伝達メディアが進出し、これまで放送界の前線に君臨していた第二の波のメディアの支配を、くつがえそうとしているからである。
ケーブル・テレビジョンは、今日すでにアメリカの1,450万世帯に普及しており、1980年代初期には、ハリケーンのような勢いでひろがる気配を見せている。業界の専門家の予測によれば、1981年末までには、2,000万から2,600万の加入者が見込まれ、アメリカ全世帯の50%が利用できるようになると言う。銅線の同軸ケーブルに代わって、毛髪のように細いファイバーを通して光の信号を送る、廉価な繊維光学システムがとり入れられれば、事態はさらに急速に進むだろう。簡便な印刷機やゼロックスと同様に、ケーブル・テレビジョンは一般視聴者を脱画一化の方向へ導き、小規模な視聴グループを数多くつくりだす。さらに、有線システムによって送り手と受け手の間のコミュニケーションが可能となり、加入者は番組を視聴するだけでなく、積極的に送り手側に呼びかけ、さまざまなサービスを要求できるようになる。
日本では、1980年代初期には、全国の市町村が光波通信ケーブルで結ばれ、ダイヤルさえ回せば、各種のプログラムから、写真、データ、劇場の予約状況、新聞や雑誌の記事にいたるまで、家庭のテレビ受像機で見ることができるようになるだろう。盗難防止や火災予防の自動警報器も、このシステムに組み込まれることになろう。
大坂郊外の住宅地、奈良県生駒市で、私は「ハイ・オービス」システムという実験的なテレビ番組に出演したことがある。それは光ファイバー・ケーブルを使った双方向の映像情報システムで、加入者の家庭にテレビ受像機といっしょにマイクロフォンとカメラをとりつけ、視聴者が同時に情報の送り手にもなりうる、というものである。私が司会者からインタビューを受けていたとき、自宅の居間でこれを視聴していた坂本という婦人が番組に参加し、あまり上手でない英語で気軽に私たちのお喋りに加わった。テレビのスクリーンに彼女の姿が映り、私に歓迎の言葉を述べてくれている間、部屋のなかを小さな男の子がはしゃぎまわるのが見えた。
このケーブル・テレビジョンは、音楽、料理、教育など、あらゆるテーマのビデオ・カセットを備えており、コードナンバーを打ちさえすれば、コンピュータが作動して、見たいものがいつでも家庭の受像機に映し出される仕組みになっている。
いまのところ、これを利用できるのは、およそ160世帯にすぎないが、「ハイ・オービス」の実験は、日本政府の補助と、富士通、住友電工、松下電器、近鉄といった企業から出資を受けている。この試みは、きわめて先進的であり、繊維光学のテクノロジーにもとづいたものである。
大坂へ行く一週間前、私はオハイオ州のコロンバス市で、ウォーナー・ケーブル会社の経営する「キューブ」システムを見学した。これは加入者に30回線のテレビ・チャンネルを供給し(放送局は4局しかないが)、就学前の児童から、医師、弁護士など特殊対象向けの番組を提供しており、なかには、「成人向け番組」まで用意されている。「キューブ」は、世界でもっとも進歩した、コマーシャルベースにのった双方向ケーブル・システムである。加入者には、小さな計算機に似たアダプターが渡されていて、プッシュ・ボタンで放送局と交信する。ホットラインと言うべきこの直通ボタンによって、「キューブ」のスタジオを呼び出し、そのコンピュータを作動させることができる。『タイム』誌は、このシステムを熱っぽい調子で、こう紹介している。「加入者は、地元の市政討論会に自分の意見を表明することもできれば、不要になった家庭用品のガレージセールをひらいたり、慈善オークションで芸術品の入札をすることもできる・・・政治家への質問、地元の素人タレントの人気投票にも、だれでもボタンひとつで参加できる・・・消費者は、各スーパーマーケットの商品の種類、品質、値段をくらべたり、レストランのテーブルを予約することもできる。」
しかし、既存の全国ネットワークをおびやかしているのは、ケーブル・テレビジョンだけではない。
最近、テレビゲームがもっとも人気のある商品となっている。何百万というアメリカ人が、テレビ画面をピンポン台や、ホッケー場や、テニスコートに変えて遊ぶこの小さな装置に熱中している。正統的な政治学者、社会学者にとっては、テレビゲームのこの急速な普及など、とるに足りない、分析の対象外のことと思われるかもしれない。しかし、こうした現象は、近い将来の、いわばエレクトロニクスにかこまれた生活環境に適応するための、事前訓練ないしは社会学習、と見ることもできる。そうした大きなうねりが、もうはじまっているのである。テレビゲームは、一般視聴者をますます脱画一化の方向へ導き、四六時中放送番組をみていた大勢の人たちに、スイッチを切り替えさせてしまった。さらに重要なことは、一見したところ毒にも薬にもならないようなこの装置を通じて、何百万という人びとが、テレビで遊び、これに語りかけ、交信することを学びはじめている、ということである。この過程で、かれらは受け身の受信者から、メッセージの送り手へと変わっていく。これまでテレビにあやつられていた人びとが、今度はテレビをあやつる側にまわろうとしているのである。
イギリスでは現在、テレビ画面を通じて提供される情報サービスがすでに実用化しており、テレビ受像機にアダプターをとりつければ、ボタンひとつでニュース、天気予報、金融事情、スポーツの結果など、各種の必要なデータを知ることができる。このデータは、自動的に活字が打ち出される受信テープのように、テレビ画面に次から次とあらわれる。たぶん近い将来、テレビ画面のどんなデータや画像でも、記録を残したいと思えば、用紙にコピーできるようになるだろう。情報のサービスという点においても、かつてない新しい変化を前にして、幅広い選択が可能になっているのだ。
ビデオ・カセットの再生機や収録機も、急速にひろまりつつある。アメリカでは1981年までに、100万台の普及が見込まれると言う。これによって、月曜日のフットボールの試合を録画しておいて、たとえば土曜日に再生して見ることができるし(ネットワークが提供する映像の同時性をうちこわすことになる)、映画やスポーツ競技のビデオテープの販路が開かれることにもなる。(英語のわからないアラブ人が、評判の高い番組があっても居眠りをしている、といったことはなくなるのだ。たとえば、モハメッドの生涯を描いた映画『メッセンジャー』が、アラビア語の金文字で飾られたカセットケースにおさめられ、これを手にすることができるからである。)また医師や看護士用の医学教材とか、消費者のための、組み立て式家具の組み立て方とか、トースターがこわれた場合の配線の仕方とか、きわめて特殊な内容のテープも、市販されるようになる。さらに重要なことは、ビデオ収録機を持つことによって、消費者がみずから映像の製作者になりうる、ということである。この点においても、一般視聴者は脱画一化の方向へ向かうことになるのだ。
最後に国内放送衛星について触れておこう。テレビ局は、放送衛星を利用することによって、既存のネットワークにたよらず、わずかな経費でどこへでも自由に電波を送れるようになる。これによって、個別の番組を供給するための、一時的なミニ放送網が可能となる。1980年末には、放送衛星から電波を受信するケーブル・テレビジョン地上局は、1,000局にのぼるだろう。「そうなれば、放送番組の配給元が、国内放送衛星の使用料さえ払えば、即座に、全国的なケーブル・テレビジョン放送網を利用することができる・・・どんなシステムのグループに対しても、番組を選択供給することができる」と、雑誌『テレビ・ラジオ時代』は書いている。ヤング・ルビカム広告会社の電子工学メディア担当副社長ウイリアム・J・ドネリーは、「国内放送衛星は一般聴衆をより細分化し、また全国放送番組をより多様化させる」と述べている。
以上、マスディアにおけるさまざまな進歩、発展について述べてきたが、ここにはひとつの共通の現象がある。すなわち、こうした変化は、不特定多数のテレビ視聴者を細分化し、文化の多様化を推進すると同時に、今日まで完全にわれわれのイメージを支配してきたテレビ・ネットワークの、強大な神通力に深刻な打撃を与えた、ということである。『ニューヨーク・タイムズ』紙の洞察力に富んだコラムニスト、ジョン・オコーナーは、こう要約している、「ひとつだけ、確かなことがある。もはや商業テレビは番組内容や放送時期を一方的に決めることはできない、ということだ」と。
表面的にはなんの関連もない、散発的な現象と見えるものが、実は緊密な相関関係を持っており、こうした変化がひとつの大きなうねりとなって、新聞やラジオから雑誌やテレビにいたる、広大なメディアの地平線を席巻しているのだ。マスメディアは、いま大攻勢を受けている。新しい、細分化されたメディアが、細胞分裂のように増殖し、第二の波の社会全体を完全に支配していたマスメディアに挑戦し、時にはその座を奪おうとしているのである。
第三の波は、真の意味で新しい時代、脱画一化メディアの時代を拓こうとしている。新しい「情報体系」が、新しい「技術体系」とともに出現しようとしている。この「情報体系」は、すべての領域でもっとも重要なもの、つまりわれわれの頭脳のなかの領域にまで、きわめて強い影響力を与えることになろう。こうした諸変化が一体となって、世界についてのわれわれのイメージと理解力を、根底から覆してしまうのだ。

「瞬間情報文化(ブリップ・カルチャー)」
マスメディアが脱画一化すると同時に、われわれの精神が細分化されるようになる。第二の波の時代には、マスメディアが規格化されたイメージをたえずわれわれに注ぎ込み、批評家という大衆心理なるものをつくりだした。今日では、大衆がすべて同じメッセージを受けとるようなことはなくなり、代わって、より小規模なグループに細分化された人びとが、自分たちで作り出したおびただしい量のイメージを、相互に交換している。社会全体が第三の波の特色である多様化へと移行していくとき、新しいメディアもまた、この変化を反映し、さらにそれを促進していく。
このことは、ポップミュージックから政治にいたるまで、あらゆる事象について国民の意見が分かれ、一致点を見出し難い状況が生じている背景を、説明する手がかりを与えてくれるであろう。コンセンサスを得られる状況ではなくっているのだ。われわれのひとりひとりが、相矛盾し、相互に関連のない、断片的なイメージ群によって包囲され、電撃的な攻撃を受け、これまでいだいてきた古い考え方はゆさぶられている。イメージの断片は、レーダーのスクリーン上に物体の位置を示す発光輝点のように、点滅する影の形(ブリップ)をとって、われわれに放射されてくる。事実、われわれは「瞬間情報文化(ブリップ・カルチャー)」のなかで生活しているのである。
評論家ジェフリー・ウルフは、「小説が扱う分野は、ますます狭くなり、微細なテーマに入り込んでいる」と嘆き、小説家は「次第に気宇広大な作品が書けなくなっている」とつけ加えている。ダニエル・ラスキンは『国民年鑑』や『なんでも早分かり』といった類の圧倒的に人気のある手引書を批評して、ノン・フィクションの分野においても、「精力を費やして、総合的に、なにかひとつの体系を打ち立てようとする作品はあまり望めなくなっているようだ。それに代わるものとして、手当たり次第に、ことさら面白そうな断片を寄せ集めたものが、評判がいい」と書いている。しかし、われわれのイメージが崩壊して、点滅する点のようになってしまっているという現象は、書物や文学の範囲にとどまらない。新聞や、エレクトロニクスを使ったメディアにおいても、それはいっそう、顕著である。
イメージが砕かれ、瞬時にあらわれては消えて行く新しい型の文化のなかで、第二の波の人びとは、情報の集中攻撃を受けて戸惑い、方向性を見失っている。かれらは、1930年代のラジオ番組や、1940年代の映画を懐かしむ。また新しいメディアが続出する環境に疎外感を持っている。というのは、ほとんど聞くものすべてがかれらを脅かし、狼狽させるだけでなく、かれらが目にし、耳にする情報の扱われ方そのものが、なじみにくいからである。
連続性をもって相互に関連し、有機的、総合的につながり合う一連の観念に代わって、レーダーのスクリーン上の発光輝点のように、非連続的で瞬時にきらめく、最小単位の情報に、われわれは身をさらしている。広告、命令、理論、ニュースの断片、と形はさまざまだが、これらの情報は、いずれもそれぞれ一部が省略されたごく少量のもので、これまでの脳裏のファイルには、ぴったりと納まらない。しかもこれらの新しいイメージは、なかなか分類しにくい。それは古い概念的な範疇を逸脱しているからでもあり、また、あまり奇妙な形で紹介され、またたくまに消えてしまい、一貫性に欠けているからでもある。第二の波の人びとは、瞬間情報文化の渦に巻き込まれて翻弄され、新しいメディアに対して内心の怒りを抑えきれずにいる。
第三の波の人びとは、これとは対照的である。30秒コマーシャルで分断される90秒の断片的ニュース、断片的な歌や歌詞、新聞の見出し、風刺マンガ、コラージュ、ちょっとした時事解説、コンピュータのプリントアウトといった、瞬間情報の集中爆撃を受けても、かれらは、そのなかで平然としている。貪欲な読者たちは、使い捨てのペーパーバックスや特殊な専門誌をむさぼり読み、莫大な量の情報をすばやく読み込んでしまう。そして、新しい概念や比喩によって、多量の瞬間情報を、手際よく、有機的な全体像にまとめ上げる。かれらは、第二の波の規格化されたカテゴリーや構造のなかに、新しい最小単位のデータを押し込めようとはせず、かれら独自の枠組みをつくりあげ、新しいメディアが放射する、ばらばらな瞬間情報を、みずから繋ぎ合わせるすべを身につけている。
現在、われわれの精神に求められていることは、単に既成の現実像を受け入れることではなく、新たな現実像を創造し、たえずこれを更新していくことである。これは途方も無い負担である。しかしこの努力が、より際立った個性を生む。つまり、文化と同様、人間性も多様化していくのだ。新たな重圧に耐えかねて、無関心や怒りのなかに閉じこもってしまう人もいるだろう。また一方では、十分に陶冶され、常に成長を続ける有能な人材として、より高度な水準で行動しうる人もいる。(いずれの場合も、緊張の度合いには差があるとしても、第二の波の時代の社会学者や空想科学小説家たちが予見した、画一化され、規格化された制御しやすいロボットとは、似ても似つかぬ人間像である。)
文明の脱画一化現象は、メディアの変化が如実に物語っており、同時にまた、メディアがその傾向にいっそう拍車をかけている。この脱画一化こそ、われわれが相互に交換する情報量を飛躍的に増大させたのである。現代社会が次第に「情報社会」になりつつたるというのは、このような情報量の増加があってのことである。
文明の多様化が進み、テクノロジーやエネルギーの形態、それに、そこに生活する人びとが多様化されればされるほど、そうした多様性を持ったものが全体としてひとつのまとまりを保つためには、情報もまた、この激しい変化に対応して、文明を構成する各要素のすみずみにまで、ゆきわたっていかなければならない。とくに激しい変化の重圧に見舞われている場合は、なおさらのことである。ひとつの組織を例にあげれば、その組織が分別ある行動をとろうとするなら、ほかの組織がどのように変化に対処しているかを、多かれ少なかれ、前もって知っておかなければならないだろう。個人についても同様である。われわれが画一的であれば、相手の行動も予知するために、互いを知る必要などないのである。逆に、われわれの周囲の人たちが、より個性化し、多様化されれば、われわれはより多くの情報を必要とし、相手がわれわれに対してどんな行動をとろうとしているのか、たとえ大雑把であるにせよ、あらかじめ知っておかなければならない。われわれは、こうした予測を持たなければ、行動を起こすことができないばかりでなく、他人と共存していくことすらできないのである。
その結果、人びとも組織も、たえずより多くの情報を必要とするようになり、たえず増大しているデータの流れを処理する大きなシステムが作動するようになるだろう。社会のシステムが首尾一貫して機能していくために必要な大量の情報と情報交換の迅速化に、第二の波の情報体系はもはや対処できず、その重圧に押しつぶされようとしている。第三の波は、この時代おくれになった構造を打ち壊し、これに代わるべき新しい体制を構築しようとしているのである。

第三の波 第13章 脱画一化へ向かうメディア(2-1)

2015年03月24日 20時22分42秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第13章 脱画一化へ向かうメディア(2-1)
 秘密情報員は、もっとも強烈な現代の象徴のひとつである。これほど見事に現代人の想像力をとらえているものはない。何百という映画が、007をはじめとする、向こう見ずなフィクションの世界の同類たちを、英雄的に描き出す。テレビやペーパーバックスも、無謀で、ロマンチックで、およそ道徳と無縁の、
実在のスパイよりはるかに大きい(時には小さい)スパイ像を、次から次へと描き出す。一方、政府も、諜報活動に何十億という金をつぎ込む。KGB(ソビエト国家保安委員会)やCIA、そのほか何十と言う情報機関が、互いにしのぎをけずりながら、ベルリンからベイルートへ、マカオからメキシコ・シティへと暗躍している。
 モスクワでは、西側の新聞記者がスパイ容疑で告発される。ボンでは、スパイの手が内閣にまでのび、高官が失脚する。ワシントンでは、連邦議会の調査官が、アメリカ、韓国、双方の秘密情報員を同時に摘発し、犯罪行為をあばきだす。そして、頭の上では偵察衛星がひしめき合い、地球上のどんな微細な点も逃さず、写真に収めている。
 スパイは歴史的に見て、新しいものではない。それでありながらなぜ、いまになってスパイへの関心が高まり、私立探偵や刑事、カウボーイを脇に追いやって、スパイが世間の人びとの想像力を支配するようになったのか、これは一考に値する。誰でもすぐ気がつくことは、これらの伝説との人物たちと、スパイとの間には、重要な違いがあるということである。物語に登場する両者を比較してみると、刑事やカウボーイは、もっぱら拳銃と腕力に頼っているが、スパイの方は、最新の、しかも魅力あふれるテクノロジーで武装している。たとえば、エレクトロニクスを使った盗聴器、コンピュータ、赤外線カメラ、空を飛び、水中を走る車、ヘリコプター、ひとり乗り潜水艇、殺人光線等々である。
 しかし、スパイが脚光を浴びるようになった深い理由が、もうひとつある。カウボーイ、刑事、私立探偵、冒険家、探検家、こうした書物や映画でおなじみの伝統的な英雄たちは、放牧のための土地を求め、金を欲しがり、羊を捕え、女を物にしようとした。つまり、手に触れることのできるものを追い求めた。だが、スパイはそうではない。
 スパイの大事な仕事は情報である。情報は、世界でもっとも急成長した。もっとも重要なビジネスであろう。スパイは、いま、情報体系を一新しようとしている革命の、生きたシンボルと言えるのである。

 イメージの貯蔵庫
 情報爆弾というひとつの爆弾が、現代社会のまっただなかで炸裂している。ばらばらに砕けたイメージの榴散弾が大雨のように降り注ぎ、われわれはこれまでの知覚の方法や行動の原理を、根底から変えなければならなくなっている。第二の波から第三の波の情報体系への転換期に当たり、われわれは、みずからの精神構造の変革を迫られている。
 われわれは、みなそれぞれの頭の中に、現実に対応する模型をつくり上げている。つまり、イメージの貯蔵庫である。イメージの中には、目に見えるもの、耳で聞くことのできるもの、あるいは触って確かめることのできるものさえある。また「知覚」によってしか認識できないもの、たとえば目の端にちらっと感じる青空のように、周囲の状況についての情報の痕跡といったものもある。さらに「母」と「子」といいう二つの単語のように、相互の関連を示す「連鎖」もある。単純なものがある一方で、複雑で概念的なものもある。たとえば「インフレーションは賃金の高騰によって起こる」という考えがそれだ。こうしたイメージの総体がわれわれの世界像であり、これが時間と空間のなかにわれわれを位置づけ、個人と周囲との関係の網の目をつくりあげるのである。
 これらのイメージは、どこからともなくあらわれる、というものではない。それがどのような方法で形成されるのかはわからないが、周囲から送られてくる信号や情報から、イメージはできあがる。仕事、家庭、教会、学校、政治的な取り決めなどが、第三の波の衝撃を感じ取り、周囲の状況の変化につれて揺れ動けば、われわれを取りまく情報の海もまた変化する。
 マスメディアが出現する以前のことを考えてみよう。第一の波の時代には、こどもはゆっくりと移り変わる村のなかで成長し、ほんの一握りの情報源にもとづくイメージによって、現実に対応する模型を頭のなかに描いていた。情報源は、学校の教師、僧侶、村長や役人、とりわけ、家族といった範囲にとどまっていた。未来心理学者ハーバート・ジェルジョイはこう記している。「昔はラジオやテレビが家庭になかったので、こどもは、さまざまな人たち、さまざまな人生を歩む人たちに接する機会がなかった。まして外国人に出会う機会などあろうはずもなかった。外国の都市を見物したことのある人も、ほとんどいなかった。・・・したがって、手本として見習うべき人はごく少数であった。」
 「手本と目される人達自身が、村人以外の人とつき合う経験に乏しいのだから、こどもたちが手本として選択できる範囲は、いっそうせまかった。」従って、村のこどもが抱く世界像は、極端に狭いものであった。
 その上、こどもたちが受け取るメッセージは、少なくとも二つの点で、冗長であった。まず第一に、ポーズや繰り返しの多い同じお喋りの形で、そうした情報を聞かされたからである。次に、同じようなことを何人もの口から聞かされるので、それに関する一連の観念が出来上がり、しかもそれが次第に増幅していくのであった。たとえば、「汝らかくあってはならじ」という同じ言葉を、教会でも学校でも教え込まれる。国や家族が言うことを、さらに教会と学校が繰り返したわけである。こどもは生まれた時から、共同体の一致した意見に従い、順応することを強いられていたため、こどもが脳裏に描きうるイメージと行動の範囲は、ますます限定されたものになった。
 ところが第二の波の時代になると、人びとが脳裏に描く現実像の手がかりになるカイロが、無数に増えることになった。もはやこどもは、自然や周囲の人びとからだけでなく、新聞、大量の発行部数を持つ雑誌、ラジオ、のちにはテレビから、イメージを与えられるようになった。それ以前は、教会や国家、家庭、学校などが、相互に補い合って、同じことを、繰り返し語りかけていた。しかし今や、マスメディアが巨大な拡声器となったのである。マスメディアは、地域、民族、種族、言語の境界線を越えて、その強大な影響力を行使し、社会思潮を形成しているさまざまなイメージを規格化したのである。
 視覚的なイメージと中には、きわめて広範囲に流布され、何百万という人びとの記憶の中に定着し、いわば聖なるイメージと化したものもある。風にはためく赤旗のもとで勝ち誇ってあごを突き出したレーニンのイメージは、十字架にかかったイエス・キリストのイメージと同様、何百万という人びとにとって、聖なるイメージとなっている。山高帽とステッキ姿のチャップリン、あるいはニュールンベルクで熱狂するヒットラーのイメージ、ブーヘンワルト強制収容所で薪のように山積みされた人間の死体、チャーチルのVサイン、黒マントのルーズベルト、風にひるがえるマリリン・モンローのスカート、そのほか何百というマスメディアのスターたちのイメージ、さらに世界的に知られた何千という商品、たとえばアメリカのアイボリー石鹸、日本の森永チョコレート、フランスの清涼飲料水ぺリエ、これらはすべて、世界的なイメージ目録にファイルされた、定評あるイメージとなっている。
 マスメディアは、こうしたイメージを集中的に大衆の心に植えつけることに寄与したが、その結果、産業主義にもとづく生産方式にとっては不可欠である、人びとの行動の規格化が助長された。
 第三の波は今日、いままで述べてきたことすべてを、一変させようとしている。社会の変化が加速されれば、われわれの精神もまた、これに呼応して変化せざるをえない。われわれは、新しい情報を受け取り次第、イメージ目録の修正を求められるのだが、その速度はますます速くなっている。過去の現実に根ざした古いイメージを捨て去り、それを常に更新しなければ、われわれは現実から遊離し、現実への適応能力を失う。現実に対処できなくなるのである。
 われわれの内部で、イメージが具体的な形をとってあらわれる速度がスピードアップされるわけだが、このことは、イメージが永続性のない一時的なものになっていくことをも意味する。ちらし広告、一回かぎりのホーム・コメディ、ポラロイド写真、ゼロックス・コピー、使い捨ての美術印刷、これらはいきなりあらわれて、すぐに消えていく。着想、信条、心構えも、意識のなかに忽然とあらわれ、挑戦を受け、抵抗に遭い、たちまちのうちにどこへともなく消えてしまう。科学や心理学に関する諸学説は、日ごとにくつがえされ、駆逐される。イデオロギーは打破される。何人もの著名人が、ダンスのつま先旋回のようにくるりとまわったかと思うと、もうその姿は見えなくなっている。政治や道徳の、相矛盾するスローガンが、われわれを悩ませる。
 走馬灯のように、めまぐるしくわれわれの心中を去来する一連の幻想がどういう意味を持つのか、またイメージの形成過程がどのように変わりつつあるのか。これを正確に理解することは、なかなかむずかしい。というのは、第三の波が、情報の流れをこれまで以上に速めただけでなく、われわれの日常行動を左右する情報の構造そのものを、奥深いところで変質させたからである。


第12章 変貌する主要産業(2-2)

2015年02月19日 23時55分15秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第12章 変貌する主要産業(2-2)
 明日の道具
 石炭、鉄道、繊維、鉄鋼、自動車、ゴム、工作機械製造・・これらは第二の波の古典的産業である。基本的には単純な電気メカニックの応用であり、大量のエネルギーを消費し、巨大な産業廃棄物を吐き出し、公害をもたらす。その特色は、長時間労働、非熟練労働、反復作業、規格化された製品、高度に集中化された管理体制などである。
 先進工業国では、1950年代の中頃から、これらの産業が明らかに時代おくれのものとなり、衰退しはじめた。アメリカを例にとると、1965年から74年までの10年間に、労働人口は21%増加したにもかかわらず、繊維産業の従業員数はわずか6%しか増えず、鉄鋼産業の従業員は逆に10%減となったのである。スウェーデン、チェコスロバキア、日本などの第二の波の国家でも、こういうパターンが顕著である。
 これらの時代遅れの産業は、安い労働力を持ち技術水準の低い、いわゆる「開発途上国」へ移っていき、それとともに、社会におよぼす影響力も弱まった。その代わりに、もっとダイナミックな、新しい産業がつぎつぎに出現したのである。
 新しい産業は、いくつかの点で、前の時代の産業と著しく異なっている。新しい産業は、まず第一に電気メカニックではないし、第二の波の時代の古典的科学理論にもとづいたものでもない。量子電子工学、情報理論、分子生物学、海洋学、原子核工学、社会生態学、宇宙科学といったような、ここ四半世紀の間に生まれ育った新しい学問の最先端で開発された産業なのである。これらの新しい学問のおかげで、われわれは第二の波の時代の産業が尺度としていた時間や空間より、はるかに微小な単位を手にするようになった。ソ連の物理学者B・G・クズネツォフが書いているように、「極小な空間(原子核の直径は10-13cm)
と10-23秒というような極めて短い時間」を計測できるようになった。
 これらの新しい科学と現代の急速に進んだ計測技術が、コンピュータとデータ処理、航空宇宙産業、合成石油化学、半導体、革新的な通信産業など、新しい産業を産み出したのである。
 技術の分野で、第二の波から第三の波への以降がいちばん早く訪れたのはアメリカで、1950年代の中頃であった。東部、ニューイングランドのメリマック・バレーのような旧産業の町は不況の底に沈む一方、ボストン郊外の国道128号線沿いや、カリフォルニア州の「シリコン・バレー」と呼ばれる地帯は一躍脚光を浴びるようになった。郊外には、ソリッド・ステートのトランジスターなどを研究する物理学者とか、システム・エンジニアリング、人工頭脳、高分子化学などの専門家がどんどん移り住んだ。
 技術の移動を追うように、仕事と富が移動した。南の「サンベルト地帯」の各州には、大口の軍需産業の受注によって最新の技術施設が次から次へと建設され、一方、東北部や五大湖周辺の旧産業地帯は疲弊し、破産しかねない状況に落ち込んだ。ニューヨーク市の長期的な財政危機は、まさに、この技術変動を反映するものだった。フランスの鉄鋼業の中心地だったロレーヌ地方の不況も同様である。そして、やや次元を異にするが、イギリス社会主義の衰退についても、同じことが言えるのである。第二次大戦後、イギリス労働党政府は、産業のとりでを確保すると発表し、かつ、実行した。ところが労働党政府が国有化したとりでは、石炭、鉄道、鉄鋼と、いずれも後日、技術革新が迂回してしまうものばかりで、言ってみれば前時代のとりでだったのである。
 第三の波の産業を持つ地域は栄え、第二の波の産業地域は衰えた。しかし、この変換はいまはじまったばかりである。今日、多くの国で、政府は以降に伴う弊害を最小限におさえながら、意識的にこの構造改革を促進している。たとえば、日本の通産省の企画担当の役人は将来のサービス業の発展に役立つ新しい技術を研究しているし、西ドイツのシュミット首相と彼の顧問は、「構造的政治」を唱え、ヨーロッパ投資銀行の協力によって、将来の大量生産型の産業からの脱皮をはかっている。
 今後、大幅に成長し、第三の波の時代のバックボーンになろうとしている産業は、相互に関連を持つ四つのグループに大別できる。これらの産業の成長に伴って、ふたたび、経済界や社会の権力構造に変動が起こり、政治の地図が塗り変えられることは必至である。
 相互に関連の深い四つのグループの第一は、言うまでも無くコンピュータとエレクトロニクスである。
エレクトロニクス産業がこの世界に登場したのは比較的最近のことであるが、現在、すでに年間10億ドルの売上があり、1980年代後半には、3250億ドルから4000億ドルに達するのではないかとよ予測されている。この数字は、鉄鋼、自動車、化学工業についで、世界の第四位の産業になるということなのだ。コンピュータの急速な普及については周知の事実であり、ここであらためて説明するまでもなかろう。コンピュータの生産コストは急激に低下、容量は驚異的に大きくなっている。雑誌『コンピュータ・ワールド』は次のような記事を載せている。「この30年間にコンピュータ産業が成し遂げたことを、自動車産業がやれたとしたら、ロールスロイスは1台2ドル50セントで製造できただろうし、1ガロンのガソリンで200万マイル走ることができただろう。」
 いまでは、安価なミニ・コンピュータがアメリカの家庭にどんどん入り込もうとしている。1979年6月には、家庭用コンピュータを製造する会社がおよそ100を数え、このなかには、テキサス・インスツルメンツのような巨大企業も含まれている。シアーズ・ローバックやモンゴメリー・ウォードなどのスーパー・チェーンが、家庭用品売場にコンピュータを並べるようになった。ダラス市のマイクロ・コンピュータ小売業者の言葉を借りれば、「もうじきコンピュータは全家庭に普及して、トイレと同じようにコンピュータ付き住宅があたり前になるであろう。」
 家庭用コンピュータが銀行や商店、官庁、近所の家、自分の職場などと連結されれば、製造業から小売業にいたるまで、企業の形態も必然的に変わってくるだろう。労働の質や家族の構造にも変革が起こるにちがいない。
 コンピュータ産業と切っても切れない関係にあるエレクトロニクス産業も、また爆発的に成長した。小型計算機、電子時計、テレビゲームなどが消費者を幻惑しているが、これはほんの序の口である。小型で安価な農業用の気候感知器、土壌検知器とか、衣服に取り付けて心臓の鼓動やストレスを探知する極小型の医療機器など、エレクトロニクスを応用した製品は、今後、無数に登場するだろう。
 また、第三の波の産業への移行は、エネルギー危機によって、その時期が大幅に早められるであろう。というのは、第三の波の産業の生産工程や製品は、エネルギー消費量が少なくてすむからである。電話を例にとると、第二の波の時代には、道路の下は、曲がりくねった電話ケーブルや導管、継電器、スイッチなど各種の銅製品が埋め込まれていて、まるで銅山のようであった。しかしいまや、電話線は、毛髪のように細く、光を伝達する繊維を使った光ファイバー方式に切り替えれようとしている。この切り替えによる消費エネルギーの節減は驚くべきもので、光ファイバーの製造に要するエネルギー量は、銅を採掘し、精錬し、銅線に加工するエネルギー量の、わずか1000分の1ですむのである。90マイル分の銅線をつくるのに要する石炭で、光ファイバーは、なんと8万マイルもつくれるという。
 エレクトロニクスの分野で、ソリッドステート物理学が主流に変わってきたことも、同じ方向を示すものである。生産される機器をみると、必要とする入力エネルギー量は着実に減少している。IBMが最近開発したLSI(高密度集積回路)による機器の消費電力は、わずか50マイクロワットである。
 エレクトロニクス革命が持つこうした特色を考えると、エネルギー不足に悩む高度テクノロジー経済にとって、エネルギー浪費型の第二の波の時代の産業から第三の波のもたらした産業への方向転換こそ、資源節約の最上策だと言えるのである。
 一般論として、雑誌『サイエンス』が書いているとおり、「エレクトロニクスの発展によって、国家経済は根本的に変わるであろう。新しい予期せぬエレクトロニクス機器が出現するたびに、フィクションが現実に置き換えられていくのである。」
 しかし、エレクトロニクスの隆盛は、まったく新しい技術体系を切り拓く、ほんの第一歩にすぎない。
 
宇宙の富の活用
宇宙と海洋の開発についても、同じことが言えよう。ここでも第二の波の古典的テクノロジーを、はるかに越えた冒険が行なわれる。
今後の技術体系を構成する第二のグループは、宇宙産業である。当初の計画よりは遅れているが、近い将来、毎週五基の「宇宙連絡船」が人間や貨物を積んで、宇宙空間を往復する時代がくるだろう。こう書いても、一般の人びとにはあまり実感がわいてこないだろうが、欧米では多くの企業が「宇宙の辺境」こそ、来るべき高度の技術革命の舞台になるだろうと予測し、しかるべく策を錬っているのである。
グラマン、ボーイングの二社は、エネルギー生産用の衛星と宇宙基地を研究中である。『ビジネス・ウィーク』誌は次のように書いている。「いくつかの企業が人工衛星の重要性にやっと気づき始めた。半導体から薬品に至る様々な製品を、人工衛星で製造し加工することが出来るのである。高度のテクノロジーを使って作り出す物質は微妙な制御操作を必要とする場合が多く、重力が邪魔になることもある。宇宙空間では重力を気にする必要がないし、容器も不要である。有毒物質や放射性物質を扱う場合も、問題が起こらない。真空状態にも不自由しないし、超高温も超低温も自在である。」
こういうわけで、「宇宙工場」は、科学者、技術者、高度テクノロジー企業の経営陣などの間で、ホットな話題になっている。マグダネル・ダグラス社は、いくつかの製薬会社に対して、人体細胞から希酵素を分離するのに、宇宙連絡船を使ってはどうかと持ちかけている。ガラス業界は、レーザーや光ファイバーの原料を、宇宙で製造する方法を調査中である。宇宙空間でつくられた単結晶の半導体にくらべると、地上でつくられたものは、非常に初歩的なものだということになってしまう。また、ある種の血液疾患に使う凝血溶解剤は、現在、一回投与するたびに2500ドルもかかるが、NASAの宇宙工業研究部長ジェスコ・フォン・パットカマー氏によれば、これを宇宙空間で製造すれば、コストが5分の一で済むということである。
さらに重要なのは、地球上ではどんなに経費をかけても絶対に製造不可能な、まったく新しい製品である。航空宇宙開発とエレクトロニクスのTRW社の発表によれば、重力があるために地球上ではつくれない合金が400種もあるという。ゼネラル・エレクトリック社は宇宙溶鉱炉の設計をはじめているし、西ドイツのダイムラー・ベンツ社とMAN社では、宇宙ボールベアリング工場について研究している。欧州共同体宇宙局、それにブリティッシュ・エアクラフトなど特定の企業がひとつならず、宇宙空間での事業が商業ベースにのるように、さまざまな製品や設備を考案中である。『ビジネス・ウィーク』は次のように書いている。「これらの計画はSFではない。ますます多くの会社が、真面目に研究課題として取り組んでいる。」
「宇宙工場」におとらず真面目で、あるいはそれ以上熱心な支持者を獲得しているのが、ジェラルド・オニール博士の「宇宙都市」計画である。プリンストン大学の物理学者であるオニール博士は、宇宙に大規模な基地か島を浮かべて、何千人もの人口を持つ町を建設することができるのではないかと考え、あちこちで熱心に講演していた。いまでは、NASAやカリフォルニア州知事(カリフォルニア州の経済は宇宙産業への依存度が高い)ばかりか、なんと、『地球のカタログ』をつくった、スチュワート・ブランドの率いる、元ヒッピーの一派にまで支持されるにいたった。
オニール博士のアイディアは、月にはじめ天体から採掘する物質を使って、少しずつ宇宙に都市を建設しようというものであるが、同僚のブライアン・オレアリー博士は、アポロやアモールなど小惑星から、鉱物を採掘する可能性を研究している。NASA、ゼネラル・エレクトリック社、連邦政府の資源関係機関などの専門家は、定期的にブリストン大学に集まり、月など天体鉱物の化学処理に関する論文や、宇宙住宅の設計と建築、そこでの生態システムなどについて、情報交換を行なっている。
地球外での工業生産まで包括するひろい宇宙計画と、進んだエレクトロニクスを結合することによって、技術体系は、第二の波が持つ多くの束縛から解放され、新しい段階をむかえるだろう。

海底への進出
宇宙空間と方向がまったく逆だが、深海の開発は、宇宙開発と同様に重要である。海洋開発は、新しい技術体系の主要部門の第三グループになろうとしている。われわれの祖先が略奪と狩猟中心の生活をやめて農耕と牧畜をはじめたのが、地上最初の社会変革の波であったとすれば、現在のわれわれは、海に関して、まったく同じ局面に立っているといってよいだろう。
飢饉に直面している地域では、生みが食糧問題の解決の鍵を握っている。海を農場や牧場のように利用することによって、人体の栄養に欠かすことのできない蛋白質を無限に供給することができるのである。高度に産業化が進んだ現代の営利漁業は、日本やソビエトのまるで工場のような漁船が魚を根こそぎとっている姿に見られるとおり、過剰虐殺であり、さまざまな海洋生物を全滅させる恐れがある。これに反して、魚の養殖や海藻の栽培など、頭を使って「海洋農業」を行なえば、われわれの生命に深くかかわる微妙な生物環境を破壊することなく、世界の食糧危機を救うことができるであろう。
一方、海中で「油を育てる」可能性は、最近の海底油田採掘ラッシュのかげにかくれてしまった感があるが、バッテール記念研究所のローレンス・レイモンド博士は、石油成分の含有率が高い海藻を栽培できることを照明し、目下、経済的に採算のとれる栽培法を研究中である。
さらに重要なのは、海に眠る無尽蔵の鉱物資源である。銅、亜鉛、錫、銀、金、白金、そして農業用の肥料をつくる燐酸エステル鉱も忘れてはならない。水温の高い紅海には、34億ドル相当の亜鉛、銀、鉛、金などがあると考えられており、いくつかの鉱山会社が早くも目をつけている。世界最大の鉱山会社を含む100以上の企業が、じゃがいものような形をした海底マンガン団塊を採掘する準備を進めている。(マンガン団塊は自然再生する資源で、ハワイのすぐ南で発見されたマンガン帯だけでも、1年に600万トンから1,000万トンのマンガン団塊が形成されている。)
現在、4つの国際的なコンソーシアム(合弁企業)が、1980年代の中期から数十億ドルの規模で海底採鉱をはじめるべく、準備を進めている。第一のコンソーシアムには23の日本企業を始め、西ドイツのAMRグループや、カナダ・インターナショナル・ニッケルのアメリカにおける子会社などが入っており、第二コンソーシアムにはベルギーのユニオン・ミニエール、USスチール、サン社、などの名が並んでいる。第三グループには、カナダのノランダ社、日本の三菱、リオ・ティント・ジンク社、イギリスのコンソリデーデッド・ゴールド・フィールズ社が、そして第四コンソーシアムには、ロッキードとロイヤル・ダッチ・シェル・グループが参加している。ロンドンの『ファイナンシャル・タイムズ』は「こうした企画は、精選された数種の鉱物をめぐる世界の採鉱活動に革命的変化をもたらすものである」と書いている。
鉱山会社ばかりでなく、製薬会社ホフマン・ラ・ロッシュなどは、抗菌剤とか鎮静剤、検査薬、止血剤など、海中に新しい薬品を求めて調査を行なっている。
これらの技術が発展すれば、やがて、半分、場合によっては全体が海中にある「海洋農村」や、海上工場が実現するだろう。少なくとも現状では不動産価格がゼロであることと、海洋資源(風、潮流、波など)から現場で安くエネルギーが供給できることを考えれば、これらの施設は、地上の施設と十分競争していけるはずである。
海洋技術誌「マリン・ポリシー」はこう書いている。「海上建設技術は比較的単純なもので経費もさしてかからないから、近い将来、世界各国の政府や企業、団体が実際に手をつけるようになるであろう。現在のところ、いちばん可能性のあるのは、人口過剰の工業社会がつくる海上住宅街である。また、多国籍企業にとっては、貿易活動の動くターミナルとして、あるいは工場船として利用価値がある。食品会社は海上都市をつくって「海洋農業」を行なうだろうし、税金を払いたくない会社や新生活を求める冒険家は、新国家を樹立するかもしれない。やがて海上都市も外交上正式に承認されるようになるだろう。また、少数民族が海上国家をつくって独立するのも一案であろう。」
現在、海底油田の掘削機械は錨で海底に固定されているものがあるが、多くは、プロペラとかパラストとか浮力装置などを使って海上に浮かんでいる。この海底油田採掘機の建設に関するテクノロジーは急速に進歩しつつあり、将来の海上都市とそれを支える巨大な新しい産業の基盤をつくっているのである。
総体的に見て、海への進出をうながす商業的必然性は急速に増大しており、経済学者D・M・ライプザイガーが言うとおり「かつて、西部で入植者が農地を獲得した時と同じように、多くの大企業は少しでも広い海を獲得しようと、スタート・ラインに並んでピストルの合図を待っている。」こういう背景があればこそ、非産業国は、海洋資源を高める国ぐにに独占させず、人類の「共通の財産」として確保しようと闘っているのである。
こうした諸分野での進歩をそれぞれ独立したものと考えずに、相互に関連し合い、効果を高めるものだと考えれば、すなわち、ひとつの科学技術の進歩がほかの発展をうながすのだと考えれば、われわれの前に展開するのは第二の波のテクノロジーとはまったく次元を異にするものだということが、明白になるであろう。われわれは、きわめて新しいエネルギーシステムと、きわめて新しい技術システムへ向かって進んでいるのである。
しかし、これまで述べてきた進歩も、現在、分子生物学の研究で起こっている激しい変化にくらべれば、小規模なものと言わざるをえない。生物学産業こそ、明日の経済の第四グループであり、四つのグループの中で最大のインパクトを持っているのである。

遺伝子産業
遺伝子の働きが倍増したのかどうか、遺伝学に関する情報は2年ごとに2倍になっていると言う。雑誌『ニュー・サイエンティスト』は「遺伝子工学は現在、生産設備の基本的な準備を整えている段階で、やがて営業を開始するだろう」と書いている。著名な科学評論家リッチー・コルダーはこう語っている。「プラスティックや金属を扱ってきたのと同じように、生命ある物質を製造する時代がきた。」
大企業はすでに、新しい生物学の成果を商業的に応用できないものかと、必死の追求を行なっている。かれらの夢は、酵素を使って自動車の排気ガスを測定させ、空気の汚染度のデータをエンジンに取り付けた小型処理器に送って自動処理させる、といったようなことである。『ニューヨーク・タイムズ』は「金属を食べる微生物を使って、海水からたとえ微量でも、貴重な金属をとり出すことができる」と書いているが、このことも大企業の間で話題になっている。大企業は、新しい生物を特許の対象とするよう要求し、すでに特許権をとったものもでている。この競争に参加している会社はゼネラル・エレクトリック社をはじめエリ・リリー社、ホフマン・ラロッシュ社、G・D・シアール社、アップジョーン社、メルク社などである。
評論家や科学者は、はたして競争など許されてよいものか神経をとがらせているが、それは至極もっともなことである。かれらが懸念しているのは、油もれのような単純なことではなく、病気をまき散らし、多数の地域住民の生命を奪いかねない「細菌もれ」なのである。猛毒を持つ細菌を培養し、事故でそれが放出されたら-と考えただけでも恐怖がわくが、これは現代社会に対する警告のほんの一例にすぎない。立派な科学者が真面目に語り合っていることのなかにも、身の毛がよだつようなことが起こる可能性がたくさんあるのだ。
たとえば、牛のような胃袋を持ち、野に生えている草や干し草を食べる人間をつくれば、人間を含めた食物連鎖を変えることが可能になるから、食糧問題がおのずと緩和されるのではないか。労働者を仕事に応じて生物学的に変えることははたして許されるのか。たとえば、人並みはずれた速い反射神経を持ったパイロットをつくるとか、単純労働に向くように、神経学的に改造された組立工をつくるといった試みである。「劣った人間」を抹殺して「すぐれた人種」をつくってみるのはどうか。(ヒトラーと同じ試みだが、ヒトラーが持っていなかった遺伝子上の兵器が、やがて研究室から提供されるであろう。)戦争に向いた人間を、無性生殖的に発生させて兵士の役をさせるのはどうか。遺伝の法則を利用して、あらかじめ「不適応児」を排除することは許されるのだろうか。腎臓とか肝臓、肺などの「貯蓄銀行」をつくって、予備の内蔵器官を用意したらどうか。
このような考えは狂気の沙汰と思われるかもしれないが、科学者の間でそれぞれに対する賛同者もいれば反対意見をとなえる者もいるし、こういう考えを応用した商業的な計画も生まれているのである。遺伝子工学の評論家、ジェレミー・リフキンとテッド・ハワードの共著『神の役を演ずるのはだれか』には、次のような一節がある。「流れ作業による組み立て工程、自動車、ワクチン、コンピュータなどの技術と同じように、大規模な遺伝子工学もアメリカに導入されるであろう。遺伝子が進歩し新しい成果が商業的に実用化されると、それに伴って新しい消費者のニーズが開拓され、新しいテクノロジーのための市場がつくりだされていくであろう。」潜在的な応用法は無数にあるのだ。
たとえば、新しい生物学はエネルギー問題の解決に役立つ。科学者は、いま、太陽光線を電気化学エネルギーに変える働きをするバクテリアを利用するというアイデアを研究している。かれらは「生物学的太陽電池」などと称している。われわれは、原子力発電所にとって代わる生物をつくれないであろうか。もっともそうなれば、放射能もれの危険に代わって、生物もれの危険が生じるかもしれない。
健康の分野でいえば、現在のところ医学では直すことのできない多くの病気の予防や治療が可能になるのは確かだ。しかし、不注意とか悪意によって、もっと悪い病気が発生するかもしれない。(利潤の追求ばかり考えている会社が、自社の製品でしか治療できない新しい病気をつくって、ひそかに伝染させたらどうなるか。軽い風邪のような症状でも、治療薬や治療法が独占されていれば、巨大な市場をつくれるのである。)
多くの国際的に有名な遺伝学者と提携して仕事をしているカリフォルニアのセタス社の社長は、30年いないに「生物学は化学よりも重要な学問になるだろう」と語っている。またモスクワで発表されたソビエト政府のステートメントのなかでも「国家経済における微生物の広範な利用をはかり・・・」という言葉がみられる。
生物学の進歩によって、プラステックや肥料、衣料品、塗料、殺虫剤、その他多くの製品の生産に石油をまったく使う必要がなくなるか、あるいは消費量を減少させる結果となるだろう。木材とか毛のような「自然」商品の生産にも大きな変化が起こるであろう。すでに、USスチール、フィアット、日立製作所、ASEA,IBMなどは、独自の生物学研究所を持っているにちがいない。われわれは、そのうちに、想像もつかないような商品を、製造する時代から、“生造”する時代へと移行するのである。ザ・フューチャーズ・グループの指導者セオドア・J・ゴードンは次のように言っている。「いったん生物学に手をつけたならば、やがては『人間の組織と変わらないシャツ』とか、人間の乳房と同じ物質でつくった『乳房と同じ感触のマットレス』をつくれないものか、などと考えるところまでいってしまう。」
しかしそうなるよりはるか前に、遺伝子工学は農業面に活用されて、世界の食糧供給を増すのに役立つであろう。1960年代には、品種改良による農作物の増産をめざす「緑色革命」が大いに喧伝されるものだが、結局のところ、それは第一の波の世界の農民にとって、大きなワナでしかなかった。外国から石油合成肥料を大量に買って、畑にまかなければならなかったからである。来るべき生物学的農業革命の眼目は、まさに、この化学肥料への過剰依存を改めることなのである。遺伝子工学は、生産性の高い作物、砂地でも塩分の多い土地にでもよく育つ作物、病気に強い作物などを目指している。まったく新しい食料や繊維を創り出すと同時に、食料の保存や加工についても、簡略化、コスト低下、省エネをはかろうとしているのである。遺伝子工学は、おそるべき危険をはらんでいる反面、世界各地の飢饉に終止符を打つ可能性をもたらすのである。
こういy、良いことずくめの予想には疑問を抱く人も有るに違いない。しかし、たとえ遺伝子学農業を唱導する人びとの言うことが半分しか当らないとしても、それが農業に与えるインパクトは非常に大きく、他のもろもろの変化と同時に、究極的には、富める国と貧しい国の関係を変えていくであろう。緑色革命は、貧しい国が富める国に依存する度合いを弱めるどころか強める働きをしたが、生物学的農業革命はこの逆の結果をもたらすであろう。
生物学的テクノロジーが今後どんなふうに発展するのか、それ確言するには時期尚早であるが、ゼロへ逆戻りしようとしても、もはや手遅れである。すでに発見したことを伏せておくことはできない。われわれにできることは、その利用を正しく管理し、性急な開発を防ぐことである。一国に独占させることを許さず、この分野で企業や国家や科学者同士が競争するのを最小限に食い止めるよう、手遅れにならないうちに努力することである。
ひとつだけ確かなことがある。それは、われわれが、もはや、300年を経た第二の波のテクノロジーである電気・機械的な伝統的枠に縛られてはいない、ということである。そして、この歴史的事実の意義をようやくわれわれが理解しはじめたばかりだということである。
第二の波は、石炭、鉄、電気、鉄道による輸送などを統合して、自動車をはじめ生活を一新させた数々の製品をつくった。それとまったく同じように、われわれがコンピュータ、エレクトロニクス、宇宙や海洋からもたらされる新しい原料など、新しいテクノロジーを遺伝子と統合させ、さらにそれと新しいエネルギー体系とを結合させたときに、はじめて新たな変革の真のインパクトを感じることになるだろう。これらすべての要素を結合することによって、人類の歴史上かつてなかった技術革新の巨大な波がわき起こるだろう。われわれは、第三の波の文明の、劇的とも言える新しい技術体系を切り拓いているのである。

技術に対する反逆者たち
これらの技術の進歩が持つ重要性と、それが人類の進化に将来どれほど重要な影響をおよぼすかを考えると、技術の進歩を正しい方向にもっていくことが、どうしても必要になってくる。手をこまねいて傍観しているのも、また、たいしたことはないと楽観しているにも、われわれ自身と子孫の運命を破壊に導くことになろう。現在起こっている変化は、規模といい強さといい、またその速度においても、歴史上経験したことのないものである。危うく大災害になるところだったスリーマイル島の原発事故、悲劇的なDC10の墜落事故、メキシコ海岸の手のつけようのない大量の油もれなど、技術開発に伴う数々の恐るべき事件は、われわれの記憶に新しい。こうした災害を目の前にして、将来のもっと強力なテクノロジーの進歩や結合を、第二の波の時代の近視眼的で利己的な判断基準によって決定してよいものだろうか。
過去300年間、資本主義国、社会主義国を問わず、新しい技術が生まれるたびに問われたのは、経済的な利益があるか、あるいは軍備に役立つか、という二点だけであった。しかし、今後はこの二つの判断基準だけでは不十分である。新しい技術は、経済と軍備の二つの面からではなく、生態環境や社会性の面からも、きびしく審査されなければならない。
全米科学財団に提出されたある報告書のなかに「技術が社会に与えた衝撃」という一項があって、最近の技術災害が列挙されている。このリストを子細に調べると、そのほとんどが第二の波の技術が起こした災害で、第三の波の技術に起因するものはあまり見られない。理由ははっきりしている。第三の波のテクノロジーは、まだそれほど大規模に開発されていないからである。第三の波のテクノロジーの大半は、まだ幼児期にある。それにもかかわらず、すでに多くの危険をかいま見ることができる。たとえば、エレクトロニクス時代のスモッグ、情報公害、宇宙開発戦争、細菌の漏出、気象干渉、遠隔地で地殻振動を発生させて故意に地震を起こすような、いわゆる「環境戦争」などである。新しいテクノロジーの体系に向かって前進するにつれて、さらに多くの危険性が待ち構えていることであろう。
こういう状況のもとで、近年、新しいテクノロジーに対する、ほとんど無差別といってもよい大規模な民衆の抵抗が起こっているのは、当然のことである。新しい技術を押し留めようという試みは、第二の波の初期にも見られた。すでに1663年、ロンドンの労働者は、生活をおびやかされるという理由で製材所に新しく据えつけられた製材機械を破壊し、1676年には、リボン製造工が自分たちの機械を破壊している。1710年には、メリヤス機械の導入に抗議する運動が起こった。そののち、紡績工場で使う飛び梭を発明したジョン・ケイは、怒り狂った群衆に自宅をこわされ、とうとうイギリスから逃げ出してしまった。この種の事件でいちばん有名なのは、産業革命のさなか、1811年から16年にかけて、「ラッダイト」と名乗る機械破壊主義者たちが、ノッチンガムの紡績機をこわした事件である。
しかし、これら初期の機械反対運動はばらばらでまとまりに欠け、自然発生的なものだった。ある歴史家が指摘しているように、「事件の多くは機械そのものにたいする敵意から起こったというより、気にそまない雇用者を威圧する手段として発生した。」無学で貧しく、空腹と絶望に打ちひしがれた労働者の目に、機械は、生存そのものを脅かすものとして写ったのである。
とめどなく進むテクノロジーに対する現代の反抗は、これとは異質なものである。どう見ても貧しいとは言えず、無学でもない人びと、必ずしも反技術でもなく、経済成長に反対しているわけでもないが、野放図な技術革新が自分自身と世界全体の生存を脅かすと考える人びとが、この反抗に加わっている。そして、こうした人びとの数が、急速に増加しているのだ。
このなかの過激派は、機会があれば、ラッダイトと同じ手段に訴えるかもしれない。コンピュータ装置や、遺伝学研究室、建設中の原子炉などが爆破される可能性は十分にありうる。なにか特に恐ろしい技術災害が起こった場合、それが引き金になって、「諸悪の根源」である白衣の科学者が魔女狩りの対象になるだろうということは、容易に創造できる。未来の扇動政治家のなかには、「ケンブリッジ大学の不穏分子10人」とか「オークリッジ原子力発電所の7人」などと勝手に命名したうえ、その周辺を調べて名をあげようとする者も出てくるだろう。
しかし、現代の反技術集団の大半は、爆弾を投げたり、ラッダイトのように機械をこわしたりはしない。このなかには、何百万という普通の市民とならんで、原子力技術者、物理学者、公衆衛生関係の公務員、遺伝学者など、科学者自身が何千人も参加している。ラッダイトとは違って、きちんと組織され、発言力を持った人びとである。自分たちの手で科学雑誌や広報誌を刊行し、訴訟記録や法案をファイルしておく。同時に、ピケや行進やデモも実行する。
こういう運動は、しばしば反動的だと非難されるが、実は、台頭しつつある第三の波の重要な一部なのである。技術の分野で、エネルギーをめぐって三つの集団の間で闘争が行なわれることは、すでに本章で書いたとおりだが、技術の分野の闘争と並行して、政治、経済の分野でも三つ巴の闘いが起こる。そしてこうした運動に参加している人は、三つの集団の中でも、もっとも未来に近いところにいるのである。
ここでもまた、一方には第二の波の勢力があり、他方には第一の波の時代逆行派があって、第三の波の陣営は、その双方と闘わなければならない。第二の波の勢力は、技術に対する古い、愚かな考えに固執している。「役に立つなら、建設しよう。売れるなら、生産しよう。軍事力強化につながるなら、つくろう。」第二の波の支持者の多くは、進歩について時代おくれな、産業主義時代そのままの進歩の概念に凝り固まって、技術を無責任なやりかたで実用化しようとして利権を漁っている。かれらは危険性について、まったく無関心なのである。
一方、少数だが口うるさい超ロマンチストの一団がいる。この集団は原始的な第一の波のテクノロジー以外のすべてに敵意を持ち、中世の工芸や手工業に戻ろうとしている人びとである。多くは中産階級に属して、飢饉などとおよそ縁の無い有利な立場から発言している。第二の波の人びとが無差別に技術革新を支持したのと同じように、無差別に技術革新に抵抗している。われわれはもちろん、かれら自身でもとうてい我慢できないような世界へ戻りたいという、幻想を抱いているに過ぎないのである。
この両極端の二者の間に、各国で、技術への反乱の核となる人びとが、徐々にその数を増やしている。かれらは、自分では意識していないが、第三の波の代理人なのである。かれらは、いきなりはじめから技術を論ずるようなことはしない。われわれが将来どんな社会を望むのか、という難問から議論を始める。
かれらの論点は次のようなものである。いまや技術の進歩はあまりにも多岐にわたっているので、すべてに資金を出し、開発を進め、実用化するのは無理なことである。したがって、もっと慎重な選択を行なって、長期にわたって社会や環境に役立つ技術を選び出す必要がある。技術がわれわれの目的を定めるというようなことではなく、テクノロジーの大きな流れの方向を、社会が管理しなければならない。とかれらは主張している。
 技術に対する反逆者たちは、まだ、はっきりとした包括的な計画を持っていない。しかし、これまでに出た数多くの声明、誓願、宣言、調査報告などを読むと、考え方にいくつかの傾向があることがわかる。これらの考え方が総合されて、技術に対するひとつの新しい見方、将来、第三の波へ推移するための、ひとつの積極的な方針が生まれていくのである。
 かれらの考え方の出発点となるのは、地球の生物体系はもろくこわれやすいものだから、新しいテクノロジーが強力になるにつれて、それが地球全体にとりかえしのつかない損傷を与える危険性も大きくなる、という考えである。したがって、すべての新しい技術は、目的と反対の結果を惹起せぬよう事前に審査し、危険なものは計画のやり直しをするとか、開発を中止すべきであると主張する。一言で言えば、未来の技術には第二の波の時代にくらべて、よりきびしい生物環境上の制約を課すべきである、というのである。
 技術に反対する人びとは、われわれが技術を支配しなければ、技術がわれわれを支配するだろうと言う。
この場合「われわれ」というのは、科学者、技術者、政治家、ビジネスマンなど、少数のエリートに留まらない。西ドイツ、フランス、スウェーデン、日本、アメリカなどに起こった核禁止運動や、コンコルド就航反対闘争、高まりつつある細菌研究制限要求などが、どのような功績を果たしたかは別として、こうした動きは、技術における決定過程を民主化すべきだという、強い要求がひろがりつつあることを反映している。
 「すぐれた」技術というのは、必ずしも、大がかりで複雑で金のかかる技術である必要はない、と言うのがかれらの主張である。高圧的な第二の波のテクノロジーは、一見、「効率的」であるように見えるが、実際はそれほどではない。なぜかと言えば、西側で言えば企業、社会主義国で言えば各種事業体に共通して言えることだが、公害、失業、労働災害などに要する膨大な対策経費を、社会全体に肩代わりさせているからである。これも一種の「生産コスト」だと考えれば、一見「高い効率」を持ついろいろな機械も、実はまったく非効率なものだということになる。
 テクノロジーの総合的な計画をたてて、もっと人間味ある仕事を用意し、公害をなくし、環境を保護し、国家とか世界の市場よりも地域や個人の消費を目的とする生産を行なうように、「適切なテクノロジー」を発展させなければならない。以上のような考え方にもとづいて、技術に対する反逆者たちは、世界各国で多くの実験を行なっている。いまのところ、技術の規模は小さいが、魚の養殖や食品加工から、エネルギー生産、ごみの再生、安い住宅建築、簡便な交通機関など、各方面で実験の火花が散っている。
 これらの実験のなかには、あまりに素朴なものや時代逆行のようなものもあるが、実用的なものも多い。実験のなかには、最新の原料と科学的な装置を、新しいやりかたで、昔の技術と組み合わせたものもある。たとえば、中世技術史の研究家であるジーン・ジンベルがつくっている単純だが美しい道具類は、非工業国で大いに役に立つと思われる。これは新しい原料と古い技法を使ったものである。もうひとつの例は、最近、大きな関心をよんでいる飛行船である。飛行船の技術はいったん省みられなくなったが、最近は繊維そのほかの材料の進歩によって、有効積載量が大幅に増した。飛行船は、環境問題の面からも害がなく、ブラジルとかナイジェリアのように道路事情の悪い地域で、多少スピードには欠けるが、安くて安全な輸送手段として最適である。なにがいちばん妥当な技術か、あるいは、なにか代替技術はないかを調べる実験をしていくと、とくにエネルギーの分野では、簡単で小規模な技術でも、機械が作業目的にぴったり合っており、技術が持つ副次的効果まですべて計算に入れれば、複雑で大規模な技術に劣らず、「性能が高い」ものがあることがわかる。
 技術に対する反逆者たちが心を痛めているのは、この地球上に科学技術のひどい不均衡があるということである。世界の総人口の75%を占める国ぐにの科学者の数は、世界の科学者総数のわずか3%にすぎない。貧しい国ぐにのために、もっと技術をふり向けなければならないし、宇宙資源や海洋資源も、もっと公平に分配しなければならない、とかれらは考えている。人類の共通の遺産は海や空だけではない。進んだ技術そのものが、インド人、アラビア人、古代中国人など、多くの民族の歴史的貢献によって今日のような発展を見たのである。
 かれらの主張の最後は、第三の波へ移行するに当って、われわれは、第二の波の時代の資源を浪費し公害を伴う生産システムから、もっと「新陳代謝性能の高い」システムへ、一歩一歩、前進してゆかなければならない、ということである。「新陳代謝性能が高いシステム」というのは、生産のアウトプットと副産物が必ず次の生産のインプットになって、廃棄物や公害が出ない生産システムのことである。次の生産過程のインプットにならないものは生産しないようなシステムが、最終の目標である。こういうシステムができれば、生産性が高いばかりでなく、生物体系へ与える損害をゼロ、ないしは最小限におさえることができるであろう。以上が、現代技術に対する反逆者たちの意見である。
 総体的に見ると、技術に対する反逆者たちの考え方は、激しい勢いで進んでいくテクノロジーを、もっと人間味のあるものにするための基準をつくる、ということだと言うことができるだろう。
 かれらは、自分たちで自覚していようといまいと、第三の波の代理人なのである。かれらは将来、その数を増すことはあっても減ることはないであろう。金星探検、驚異的なコンピュータ、生物学上の発見、あるいは深海探検などが、すべて次の文明へ向かっての前進であるならば、技術への反逆者たちもまた、次の文明の先導者なのである。
 第一の波の幻想家と第二の波のテクノロジーの擁護者と、この技術への反逆者との相克の中から、新しい永続きのするエネルギー体系にふさわしい、賢明なテクノロジーが生まれる。そうしたテクノロジーは、いまやわれわれの目前まできているのである。この新しいエネルギー体系と新しいテクノロジーを接続させるとき、われわれの文明全体が、まったく新しい次元へ引き上げられるであろう。この文明の根底には、厳重な環境規制と社会管理の枠の中で営まれる、科学に基礎を置きながらも洗練された「激しい流れ」の産業と、同じように洗練されてはいるが、小規模で人間味あふれる「ゆるやかな流れ」の産業が渾然一体となって存在することになるだろう。そして、この二つの産業が、相たずさえて明日の主要産業になるのである。
 しかしここで述べたことは、もっと広大な展望の、ほんの一部分にすぎない。われわれは技術体系を変革しながら、同時に、情報体系をも変革しつつあるからだ。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(上)004

2015年01月31日 22時30分44秒 | 富の未来(上)
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(上)
第4部 空間の拡張 第9章 大きな円
 人類の歴史の中でも最大級の富の移動がいま起こっている。地理という観点でみたとき、富がかつてなかったほどの規模で移動しているのだ。時間との関係が変化しているように、基礎的条件の深部にある別の要因、空間との関係も変化している。富を生み出す地域が変化し、そうした地域を結ぶ基準が変化し、そうした地域の間を結ぶ方法が変化している。
 その結果、空間との関係が激動する時期になった。「富の移動性」が高まっており、この点が世界のどの地域でも、将来の職や投資、事業機会、企業の構造、市場の場所、庶民の日常生活に影響を与える。都市、国、大陸の命運を決める。
 
アジアだ、アジア
 欧米が圧倒的な経済力を長期にわたって誇ってきたために忘れられていることが多いが、わずか五百年前、技術力がもっと高かったのはヨーロッパではなく中国であり、当時は世界の経済生産の65%をアジアが生み出していた。(中略)それから250年を経てようやく、啓蒙主義と初期の産業革命によって第二の波の大変革が起こり、経済力、政治力、軍事力の中心がまずはヨーロッパに徐々に移るようになった。だが、そこに止まってはいなかった。十九世紀末には、世界の富の創出の中心がふたたび移動し、さらに西のアメリカに移りはじめていた。二回の世界大戦によって、ヨーロッパは経済的な支配力を失った。(中略)そして確かにこのとき以来、とくに1950年代半ばに第三の波と知識経済への移行がはじまって以来、アメリカは世界経済で圧倒的な地位を占めてきた。だが富の中心はアジアに移ろうとしており、まずは日本が豊かになり、つぎに韓国などのいわゆる新興工業経済群(NIES)に波及し、その後の数十年を通じてアジアが力をつけてきた。
 
水門を開ける
 水門が開きはじめてアジアへの富の移動が本格化したのは、1980年代に中国政府が共産主義者らしからぬ富の追及を認め、奨励する政策をとるようになってからである。90年代には水門は全開となり、海外からの直接投資が大量に流入するようになった。過去25年には、直接投資の総額が570億ドルに達したと推定される。2002年、中国国営の新華社は、対内直接投資の奔流について、「まさに奇跡的だ」と伝えた。2003年には対内直接投資が535億ドルに達し、アメリカすら追い抜いて、世界一になった。2005年には700億ドルに達したと推定される。中国がめざましい勃興を遂げたのは、共産主義のきびしい制約から解き放たれたとき、国民の勤勉さ、頭脳、イノベーションが花開いた結果である。~中国の勃興はアメリカの支援がなければ起こりえなかった。(中略)日本とインドを加えると、アジア6ヵ国で、欧州連合(EU)に加盟する25ヵ国の合計より、そしてアメリカより、購買力平価で換算したGDPが3兆ドル多くなった。
 つまり、世界的にみて、富の中心が、そして富の創出の中心が大きく移動してきたのである。経済力の中心がまずは中国から西ヨーロッパに移動し、つぎにアメリカに移動し、いまでは歴史の大きな円運動が完成して、数世紀ぶりにアジアに戻ろうとしているのである。(中略)革命的な富とともに、これ以外にも驚くべき変化が空間に関して起こっているからだ。



第10章 高付加価値地域
 空間のない場所を創造してみよう。われわれがみなそこで生活し、世界のすべての富がそこで作られているが、実際にはどこにもない場所である。(中略)電脳空間は、「物理的な世界に『場所』をもたない地域」であり、「はじめて登場した並行世界だ」という見方すらあった。電脳の世界、仮想の世界があるのは、電子的なビット情報すら、実際にはどこかの場所に蓄積されていて、無空間ではなく、物理的な空間を通して送られる。
 要するに、デジタル化で空間がなくなるわけではないのだ。現実の空間に代えて「仮想空間」が使われるようになるわけではない。だが、デジタル化によって、富とそれを創出する場所の移動が容易となり、加速する。「大きな円」を描く世界的な移動だけではない。地域社会の水準での移動もそうなる。
 仮想空間ではなく、現実の空間をみていくと、富がある場所を示す世界地図は描き換えられている。変化の波が世界各地に押し寄せ、急速に未来に向かっている都市や地域もあれば、経済の発展に取り残されていく都市や地域もあるからだ。世界各地に、明日の「高付加価値地域」があらわれてきている。 

過去に取り残された地域
 オハイオ州クリーブランドはかつて、製鉄、鋳造、自動車といった重工業の中心地であった。しかし、~アメリカの大都市のなかで、所得水準がもっとも低い。工業時代には成功を収めたものの、アメリカの他の都市が第三の波に乗って未来へと進むなかで、過去に取り残されている。クリーブランドはとくに目立った例だというにすぎない。世界各地で重化学工業の中心地だった都市、工業時代の富を生み出す原動力になっていた都市の多くが同じ状況に陥っている。多数の地域が経済的な重要性を失う一方で、新たに経済力をつけてきた地域があらわれている。(中略)クリーブランドでは、ケース・ウェスタン・リザーブ大学で研究が行なわれているだけで、これら分野の企業は少ない。アメリカの斜陽工業地帯にある他の都市でもそうだ。これらの都市は、生き残りのために新たな戦略を必要としている。そして、富の地図を描き換える必要もある。

国境の消滅
新たな戦略を必要としているのは主に、新しい経済の現実が既存の国境や政治的な関係とはかならずしも一致しなくなっているからである。(中略)ここでも過去の地図が塗り替えられ、基礎的条件の深部にある空間と富の関係がさまざまな点で変化しているのである。しかし、変化が加速しているので、新しい地図は一時的なものという性格を強めていき、現実の反転や変化をいつでも反映できるようになっていくだろう。革命的な富の体制には、恒久的といえる部分がほとんどないからである。

低賃金競争 
 ~低賃金国に職を移す外注の動きに、最グローバル化に批判的な論者は憤慨している。これでは「最低を目指す競争」に歯止めがきかなくなり、非情なものになっていくと主張する。企業は労働コストが最低のところに向かい、そういう場所が見つかればすぐに移転すると非難している。これが正しければ、つぎに富が移動する先を予想することは簡単だろう。アフリカにとって朗報である。世界最低の賃金で雇用できる労働者が大量にいるのだから。アジアの労働者が労働組合を結成して賃金を上昇させるたびに、アフリカの人びとは歓声を上げるべきだ。労働コストだけを考えるのであれば、いま中国にある工場がすべてアフリカに移転していないのはなぜだろう。
 実際にはローテクの仕事ですら、企業が工場の移転を考えるとき、労働コストが唯一の根拠になることはまずない。アフリカは暴力と戦争が続いており、インフラが十分には整備されておらず、政治腐敗が極端だし、エイズが蔓延し、政治体制が悲惨な状況であるので、賃金水準がどうであろうと、企業が大規模な投資を検討するはずがないともいえる。さらに、「最低を目指す競争」という見方では、労働者が基本的に取り替えがきくと想定されている。単純な作業を繰り返す組み立てラインの仕事であれば、確かにそういう面がかなりある。しかし知識経済では、必要なスキルが高い仕事ほど、この想定は成り立たなくなる。
 富の創出のうち知識による部分、たとえばマーケティング、金融、研究、経営、通信、情報技術、流通企業管理、法令順守、法務などの無形の部分の複雑さと重要性が高まっている。これら部門の労働者は、仕事の性格上、簡単には取り替えがきかなくなり、必要なスキルも一時的なものになってきている。
 このため、どの都市、どの地域、あるいはどの国がつぎに広東省になるのかを考えるとき、現在と将来の賃金水準だけに基づいて明日の経済を単純に予想したのでは、間違った結論を導き出すことになる。
 こうした単純な分析はいまではますます疑わしくなっている。煙突と組み立てラインに象徴されるものから知識に基づく生産を中心とするものへと経済が変化するとともに、ある場所、都市、地域が「高付加価値地域」になる際の基準が、根本的に変化しているからである。ここでみられるのは「最低を目指す競争」よりも「最高を目指す競争」である。

不動産の今後
 今後の地理的条件の驚くべき変化、たとえば高給の職や一等地、事業機会、富、権力の所在地の変化を予想するには、もうひとつ、カギになる点を理解しなければならない。富のある場所が変わるだけでなく、その理由、つまり場所を評価する基準も変化するのである。そしてその結果、富の場所がさらに変化する。(中略)以上をまとめるなら、歴史を変える富のアジアへの移動、経済活動の多くにみられるデジタル化、国境を越える地域の勃興、場所や立地を評価する基準の変化はすべて、基礎的条件の深部にある空間との関係の変化という大きな流れの一部なのだ。そうした流れを背景に、一層大きな変化が起ころうとしている。

第11章 活動空間
~約二千四百年前の古代中国で、農民が土地に根づいていたころ、旅をするものは、「厄介で、不誠実で、落ち着きがなく、陰謀をたくらむ」ことが多いと荘子が論じた。いまでは一年に、世界の人口の八パーセントにあたる約五億人が国外に旅行すると推定されている。五億人というのは、工業時代がはじまろうとしていた1650年の世界人口に匹敵する人数である。厄介だろうがなかろうが、陰謀をたくらんでいようがいなかろうが、仕事を探すために旅行する人もいれば、顧客を訪問するためにミルウォーキーに出張する人もおり、人はつねに旅するようになっている。

個人の地図
~現在の各人の活動空間を、たとえば十二世紀ヨーロッパの農民の活動空間と比較してみるといい。当時、ごく普通の農民なら、一生の間に自分の村から二十五キロ以上離れたところに旅行することはまずなかった。キリスト教の教えが何世紀もかけて、はるか遠方のローマからもたらされたのを除けば、生活圏がほぼ二十五キロの範囲内にかぎられていた。当時、農民が地球上に残した足跡はこの程度であった。(中略)国によっては、活動空間を世界全体に広げる必要はなく、近隣の数カ国だけで十分という場合もある。しかし、現在の日本では、不況のなかですら、経済が必要としているものはきわめて多様で複雑であり、単なる地域大国では繁栄できない。投入の面では中東から原油を、アメリカからソフトウェアを、中国から自動車部品を輸入する必要がある。産出の面では、日産の四輪駆動車、ソニーのプレイステーション、松下電器のフラット・パネル・テレビ、NECのコンピュータなどを世界中に販売している。日本企業は世界の事実上すべての大陸に生産拠点を設けている。
 好むと好まざるとにかかわらず、日本は資源、市場機会、エネルギー、アイデア、情報をアジアだけでなく、世界全体で獲得する必要がある。日本の活動空間は全世界にわたる。アジア地域で圧倒的な力をもっているかどうかはともかく、日本の空間的な足跡は世界全体にわたっている。だが、日本は一例にすぎない。いまではすべての人、すべての企業、すべての国で活動空間が大きく変化している。
 だが、これは人と物だけではない。金(マネー)も動いている。通貨にも「活動空間」がある。そして、通貨の活動空間も急速に変化しており、世界経済に深い影響を与えている。
 
移動する通貨
 何兆ドルもの資金が国から国へ、銀行から銀行へ、個人から個人へ、電子的な経路を通って猛烈な勢いで動いており、止まることのない金融のダンスが続いていることはよく知られている。そして、通貨の国際取引が世界的なカジノにすぎないことは、ほとんどの人が気づいているし、いまでは気づいているべきである。だがほとんどの人が気づいていない点もある。ドルがいまや、アメリカの通貨というだけではなくなっている事実だ。(中略)いいかえるなら、どの通貨にも人と同様に「活動空間」があり、それがつねに変化しているのである。たとえばドルは現在、活動空間がもっとも広く、いくつかの国が自国通貨の発行を止めて、「ドル化政策」をとっているほどだ。これらの国はドルを法貨とし、自国の公式の通貨として使っている。それ以外にも、いくつかの分野では非公式な形で、ドルが自国通貨よりも使われるようになった国がある。(中略)要するに、通貨は以前にあった空間の制約から解き放たれたのである。

侵略通貨と侵略された国
 この変化によって、国の権力に大きな影響が出ている。
(中略)以上では、アジアへの富の移動、仮想空間の誕生、場所や立地を評価する基準の変化、活動空間の拡大、現時点では不安定なドルの地理的な拡大などを取り上げてきたが、これらはいずれも、基礎的条件の深部にある空間との関係で起こっている変化の一部でしかない。
 次章では空間に関する現在の変化のなかでもっとも激しい議論を巻き起こしている点を扱う。反対派が世界各地でデモ行進をし、ブラジルのポルトアレグレで文字通り、ドラムを叩いて抗議しているときに、賛成派はスイスのダボスで年に一回のパーティを開き、反対派に笑顔をふりまいている。議論を巻き起こしているのはもちろん、経済用語のなかでも、とくに誤解され、誤用されているもの、グローバル化である。グローバル化に未来はあるのだろうか。

第12章 準備が整っていない世界
 1900年、新世紀を祝って進歩をテーマとする万国博覧会がパリで開かれたとき、フィガロ紙は興奮を隠しきれないように、こう論じた。「二十世紀の初日をこうして迎えることができたわれわれは、何と幸運なのだろう」。この底抜けの熱狂の一因として、当時の豊かな国には、世界的な経済統合に向けた動きが続いているとの見方があった。この合理的な動きによって、地域間の関係、政治的な関係が変化し、経済がさらに繁栄するとされていた。(中略)この万国博覧会から14年後には、縫い目は綻び、ボルトは折れ第一次世界大戦の嵐によって貿易と資本の流れが大混乱した。1917年にはロシア革命が起こり、30年代の大恐慌があり、1939年から45年までの第二次世界大戦があり、1949年には中国で共産党政権が成立し、1940年代から60年代にかけて、インドをはじめ、アジアとアフリカの植民地が相次いで独立した。
 これらの動きと、もっと小さく、目立たない無数の動きによって、長年の貿易関係が揺さぶられ、保護貿易の報復合戦が起こり、暴力と混乱が起こって、国境を越える貿易、投資、経済統合がむずかしくなった。要するに、半世紀にわたって、世界的にグローバル化が逆転する時期が続いたのである。

ウォール街より資本主義的
 ~中国だけでも、人口が十億を超えており、いまでは「社会主義市場経済」を掲げて(おそらく「社会資本主義」と呼ぶ方が適切だろうが)、外国企業による工場進出、製品輸出、投資に門戸を開放している。ロシアも共産党政権が崩壊して後、外国からの投資を歓迎するようになった。東ヨーロッパ諸国と、カフカスや中央アジアの旧ソ連共和国もこれにならった。南アメリカのほとんどの国も、アメリカの主張を受け入れ、チリとアルゼンチンが先頭に立って規制緩和と民営化を進め、ウォール街の資本を招き入れ、一時は「ウォール街より資本主義的」になった。 通貨は前述のように、発行国の束縛から離れて、他国でも使われるようになってきた。(中略) 再グローバル化の唱道者は我が世の春を謳歌している。

エビアン・テストとケチャップ・テスト
 再グローバル化の動きは実際には、その賛成派や反対派の多くが想定するほど進んでいるわけではない。(中略)2003年の調査では、ミネラル・ウォーターのエビアンの同じボトルが、フランスでは0.44ユーローだが、フィンランドでは1.89ユーローもしている。同じハインツ・ケチャップがドイツでは0.66ユーローだが、イタリアでは1.38ユーローである。ブリュッセルのEU官僚にとって腹立たしい状況になっている。(中略)

黄砂
 皮肉な話だが、アメリカ国際開発庁の元副長官、ハリエット・バビットはグローバル化がさらに進展すると予想する別の理由を明らかにしている。「悪徳は美徳よりもはるかにグローバル化が進んでいる」というのだ。(中略)違った例をあげるなら、中国の砂漠から飛んでくる「黄砂」で、韓国のソウルに毎年、被害がでている。インドネシアの森林火災では、マレーシアとシンガポールに煙が押し寄せ、多数の人が息苦しくなり、咳に苦しんでいる。ルーマニアが排出するシアン化物で、ハンガリーとセルビアの河川が汚染されている。地球温暖化、大気汚染、オゾン層破壊、砂漠化、水不足も、ドラッグや性の奴隷の取引と同様に、地域的か世界的な取り組みを必要としている。それを望んでいてもいなくても、グローバル化が不可欠になっているのである。

真の信望者
 現在、国境を超える統合をさらに進めたときの費用と便益をめぐって、広範囲な、まさにグローバルな論争が吹き荒れている。はっきりしている点がひとつある。人生は不公平だ。経済統合によって各地域にもたらされているものは、「平等な競争条件」ではまったくない。「平等な競争条件」は理論のなかにしか存在しない。(中略)グローバル化の真の信望者はこう主張する。第一に、グローバル化には生活水準を高める素晴らしい可能性があり、どの国もいつまでもこの可能性に背を向けているわけにはいかない。第二に、グローバル化によってしか解決できない新しい問題にぶつかっている。第三に、技術が進歩して、グローバル化が容易になっていく。これに対して、懐疑的な人はこう反論する。第一に、平和がもたらす利益もやはり素晴らしいが、その利益に背を向ける国がたえない。第二に、グローバル化ですべての問題が解決できるわけではない。第三に、技術の歴史をみると、過去の技術で容易になった点が、新しい技術で逆にむずかしくなる例がいくらでもある。(中略)今後ほんとうに問題になる点はこうだ。数十年にわたる再グローバル化の動きがいま、踊り場にさしかかっているのだろうか。あるいは、急激に反転しようとしているのだろうか。工場と直接投資の移動性が高まり、インターネットと仮想空間が登場し、人びとが大量に移動するようになったにもかかわらず、グローバル化の流れがふたたび逆転する時期がきているのだろうか。だが、これはすべてではないし、現実ですらない。

第13章 逆噴射
 「グローバル化」ほど、世界中で憎しみと議論の的になる言葉は少ない。そして、これほど偽善的に使われている言葉は少ない。これほど幼稚な使われ方をしている言葉も少ない。反グローバル化の論者の多くにとって、ほんとうの憎しみの対象は、世界全体の自由主義経済の総本山、アメリカである。
(中略)
  
新タイタニック号
 再グローバル化の時期に、世界経済では地域や国の深刻な危機が何度も起こっている。アジア危機があり、ロシア危機があり、メキシコ危機があり、アルゼンチン危機があった。どの危機でも、世界各国の投資家、企業経営者、政府は、金融危機の「伝染」を心配した。(中略)ところが、グローバル化の推進者は熱心さが行き過ぎており、金融の巨大な客船を建造し、タイタニック号にすらあった水密区画を設けていない。(中略)伝染を防ぐための予防策をとるよりも速く経済の統合が急速に進んでいるのであり、この二つの過程の歩調があわなくなっている。この結果、世界的に危機が伝染し、各国が必死になって自国の殻のなかに閉じこもろうとすることになりかねない。(中略)

輸出過多
 これら以外にも、再グローバル化の動きを制約し、逆転させかねない要因があるのだろうか。いくつもある。輸出過多の時代がはじまっている。「時代」ではなくとも、少なくとも「時期」がはじまっている。~(中略)南アフリカの南部共同市場(メルコスル)からアジアに登場した自由貿易地域まで、こうした経済ブロックは国際的な市場を作り出すので、世界的な経済統合と自由貿易の拡大に向けた半歩前進だとみることができる。これがいまの常識だ。だが、その主張とは裏腹に、深刻な事態にぶつかったとき、経済ブロックは保護貿易主義にスイッチを切り替え、自由化とグローバル化を妨げるものにもなりうる。そして現にそうなっている。世界的な経済統合という観点からは、地域経済ブロックは諸刃の剣になりうる。

スプーン一杯のナノテク製品
 科学技術とバイオ技術が融合して、原材料や製品を輸入する必要が、これまでより低下する可能性がある。(中略)そして戦争もテロも、知識集約型経済で決定的な意味をもつ情報インフラを破壊の目標にする。そして今後、地政学的な不安定さが高まり、軍事衝突が頻発する時期になる可能性が高い。そうなれば、戦場で大量の死傷者が出るだけでなく、過去の戦争でもそうなったように、これまでの統合の動きが逆転する。

マッドマックス・シナリオ
 グローバル化の逆転をもたらす要因には、以上よりも実際に起こる可能性ははるかに低いが、その可能性を完全に否定するわけにはいかないもの、未来学者がいう「ワイルド・カード」がある。新奇な感染症の発生とそれに伴う隔離措置、小惑星の衝突、破局的な環境問題によって経済活動の全体が大混乱に陥り、映画『マッドマックス』のような状況に陥る可能性を否定しきることはできない。(中略)
 実現する可能性が高いシナリオはこうだ。経済統合は減速し、その一方でテロや犯罪、環境問題、人権、人身売買、ジェノサイドなどで世界的な協調行動を求める圧力が強まっていく。
 以上の点を考えれば、完全に統合され、真の意味でグローバル化した経済の実現に向けて、世界が直線的に進んでゆくとする夢、「世界政府」が近く実現するとの夢は消えるはずである。そして今後、地球全体で労働市場、技術、金、人に空間要因が与える衝撃が少なくなるのではなく多くなり、遅くなるのではなく速くなり、小さくなるのではなく大きくなるはずである。

 以上では、アジアに向けた富の大規模な移転、「地域国家」の勃興、先進経済国で場所に関する基準の変化が起こってくるだけでなく、はるかに巨大な再グローバル化の流れが、逆転の可能性を秘めながらも起こってくることをみてきた。いずれも個々にみれば、基礎的条件の深部にある空間と革命的な富との関係の変化としては、極端に重要だとはいえない。だが、次章でみていくように、もうひとつの空間の変化は、遠い将来に以上すべてを合計したものよりはるかに重大になる可能性がある。

第14章 宇宙への進出
 いまの文明では歴史上はじめて、地表からはるかに離れた宇宙空間に人工のものを配置し、富を生み出すために使うようになった。この一点だけでも、いまの時代は人類の歴史の中で革命的な時期にあたるといえる。(中略)基礎的条件の深部にある空間と富との関係が変化していることを、これほど象徴的に示すものは他にない。(中略)巨大なテレビ業界、医療機器業界、スポーツ産業、広告産業、電話業界とインターネット業界、金融サービス業界をはじめ、じつに多数の産業が宇宙インフラを利用しているのである。
人工透析から人工心臓まで (略)
操縦士、航空機、パッケージ(略)
未開拓の富のフロンティア 
 富の「場所」に関して、他の変化がまったくなかったとしても、つまり、アジアに向けた富の大規模な移転や「地域国家」の勃興がなく、「高付加価値地域」を探す動きがなく、世界経済の再グローバル化の動きやグローバル化の逆転の動きがなかったとしても、宇宙への進出だけで、革命的な転換点だといえるはずである。したがって、さまざまな事実が示すものはきわめてはっきりしている。富と時間の関係と、富と空間の関係が同時に変化しているのである。時間と空間は人類が狩猟と採取で生活していた時代から、あらゆる経済活動の基礎的条件の深部にある要因である。富の革命がいま起こっており、今後さらに革命が進む状況にある。そして、これは技術の問題だけではない。以下で明らかにするように、心にも革命が起こっている。われわれの心に、読者すべての心に。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(上)003

2015年01月30日 21時44分00秒 | 富の未来(上)
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(上)
第3部 時間の再編 
第5章 速度の違い
今日の世界の主要な経済国、アメリカ、日本、中国、そして欧州連合(EU)はいずれも危機に向かっている。どの国も望んでいない危機、政治指導者に備えがない危機、今後の経済の発展を制約する危機だ。危機が迫っているのは、「非同時化効果」の直接の結果であり、基礎的条件の深部でもとくに根本的な要因のひとつ、時間を不注意に扱っていることによるものである。世界各国はいま、それぞれ速度には違いがあるが、いずれも先進的な経済を築くために苦闘している、だが、経済や政治、社会の指導者のほとんどが明確には理解していない単純な事実がある。それは、先進的な経済が先進的な社会を必要とするという事実だ。どのような経済も、それを取り巻く社会の産物であり、社会の主要な制度に依存しているのだから。
ある国が経済発展の速度を速めることができたとしても、社会の主要な制度が時代遅れになるのを放置していれば、富を生み出す能力がいずれ低下する。これを「速度一致の法則」と呼ぼう。封建的な制度は世界のどこでも、工業化の進展を妨げた。いまでは工業時代の官僚組織が、知識に基づいて富を生み出す先進的制度への動きを遅らせている。
たとえば日本では財務省など、政府の官僚組織が障害となっている。中国では国営企業が障害となっている。フランスでは内向きでエリート主義の政府省庁と大学が障害になっている。アメリカも例外ではない。どの国でも、主要な公的制度は周囲の旋風のような変化に歩調をあわせることができていない。この点がとくに目立つのは、アメリカの金融制度が猛烈な速度で変化し、複雑化するなか、それを規制する証券取引委員会(SEC)が対応できていないことである。エンロンの大スキャンダルでも、時間と時期の問題が直接に絡んだ投資信託の不法な取引でも、何件もあった創造的会計の行き過ぎでも、不埒な企業がつぎつぎに起こすごまかしや操作に、SECはまったく追いつけていない。アメリカの情報機関が冷戦時代の目標からテロとの戦いに素早く重点を移すことができず、9・11の同時多発テロをやすやすと実行させてしまった失敗に似ている。最近の例をあげれば、2005年のハリケーン「カトリーナ」が上陸したとき、政府が危機に適応できず、非難を浴びたことに、非同時化の影響が劇的な形であらわれている。どの国でも、工業時代の政府機関を改編しようとすると、既得権益の受益者とその味方が激しく抵抗する。この抵抗によって、あるいは少なくともそれが一因になって、変化の速度に劇的な違いが生まれる。この点から、主要な制度の多くが機能不全に陥っている理由、知識経済が要求するペースに歩調をあわせることができない理由をかなり説明できる。要するに、今日の政府は「時間」に関して深刻な問題をかかえているのである。

列車は定時に運行しているか
同時性を完全に達成した機械のような社会の実現が、工業時代に影響を与えた「近代主義者」の多くにとって夢であった。テイラーが工場で実現しようとした夢は、レーニンがソ連で実現しようとした夢でもある。機械のように効率的に動く国と社会を実現しようとしたのだ。すべての官僚機構が一体になって動く。すべての人が歩調をあわせて踊る。
 しかし、人間も人間の社会も実際には開いた糸である。混乱しており、不完全だ。人間と社会の動きでは、混乱と偶然の領域と一時的な安定の領域とが交互に起こり、一方が他方を生み出す関係になっている。人間にはどちらも必要である。
 安定性と同時性によって、社会集団のなかで、とくに経済のなかで、各人が活動するのに必要な程度の予測可能性が確保できる。ある程度の安定性と同時性がなければ、生活は混乱と偶然におしつぶされる。だが、安定性と同時性が崩れたとき、いったい何が起こるのだろうか。ソ連は何十年にもわたって流血と国内の抑圧を続けたが、それでも1917年の建国にあたって約束した工業化を完成させることができないまま、91年に崩壊した。ソ連共産党が理想とした同時性と効率性は、公式の経済では実現しなかった。経済が機能したのは、腐敗した地下勢力が非公式の経済を動かし、十分な報酬が得られれば、約束した時間に商品をどこからか届けてきたからである。レーニンの革命から60年近くたった1976年、筆者がモスクワを訪問したとき、泊まったホテルにはコーヒーがなく、オレンジは貴重品だった。パンは重量をはかって、グラムいくらで売られていた。十年後に訪問したとき、優遇されているモスクワの中流階級すら、ジャガイモとキャベツしか手に入らなくなることが少なくなかった。そしてソ連の体制と経済が崩壊した。1991年にモスクワを訪問したとき、人影もまばらなスーパーで目にしたのは、ほとんど商品のない棚の列であった。カビがはえた灰色のパスタがごくわずかだけ売られていた光景をいまでも思い出す。寒空のもと、何人かの老女が公共の建物の前で、一本のボールペンや一枚の鍋つかみなど、残り少ない持ち物を売ろうと懸命になっていた。ロシア経済が全面崩壊に近づいていただけでなく、経済の基盤になる社会の秩序すら解体し、それとともに同時性と効率性の見せかけすらなくなった。約束された商品がいつ届くのか、そもそも届くのかどうかすら、誰も分からなくなった。ロシア企業はジャスト・イン・タイムの効率性を追求するどころか、あらゆるものが遅れる状況に陥った。筆者はモスクワからキエフまで航空便で移動することになっていたが、夜行列車に変更になった。航空燃料が届くかどうかが分からないからだと説明された。ロシア国民は、秩序の回復と予測可能性を求め、イタリアの独裁者、ムッソリーニの言葉を借りるなら、「列車を定時に運行させる」ことができる指導者を求めた。そして、ウラジミール・プーチンに希望を託した。
だが、社会が必要としているのは定時運行の列車だけではない。定時に運行する制度を必要としている。だが、ひとつの制度が超高速で走っているために社会の他の重要な制度がはるかに遅れることになれば、どうなるだろうか。
 
レーダーで速度をはかると
 この問いに「科学的」に答えられる人はいない。しっかりしたデータはない。とはいえ、アメリカで主要な制度がどうなっているかをみれば、ヒントが得られるだろう。アメリカは少なくとも、いまのところ、21世紀経済に向けた競争の先頭を走っているからだ。
 以下に示すのは初歩的な見取り図であり、印象をまとめたにすぎず、間違いなく問題も多いだろうが、それでも企業の指導者や政府の政策責任者だけでなく、変化に対応しようとしているすべての人にとって役立つものになるだろう。以下ではアメリカを例に使ったが、どの国にも同じような状況がある。しばらく、変化の速度に注目しよう。広い道路を思い描いてみよう。道路脇には白バイにまたがった警察官がおり、レーダーで車のスピードをはかっている。道路には9台の車が走っており、それぞれがアメリカの主要な制度を代表している(どこの国も同じだといえるだろう)。それぞれの車は、各制度の実際の変化のペースに見合ったスピードで走っている。もっとも速く走っている車から順にみていくことにしよう。

速い車と遅い車
時速100キロ
時速百キロの高速で突っ走っているのは、アメリカの主要な制度のなかで変化がもっとも速いもの、企業である。企業は、社会の他の部分で起こる変化の多くをもたらす原動力になっている。各企業はそれぞれ急速に変化しているだけでなく、仕入先や販売会社にも変化を強いており、その背景には熾烈な競争がある。このため、企業は自社の使命、役割、資産、製品、規模、技術、従業員の性格、顧客との関係、社内の文化など、あらゆるものを変えている。そしてこれらの分野ごとに、変化のペースに違いがある。企業内では、いうまでもなく、技術がさらに猛烈な勢いで変化している。ときには経営者や従業員が対応しきれなくなるほどの勢いだ。金融と財務も、それよりわずかに遅いが、やはり目もくらむペースで変化して、新しい技術、新たなスキャンダル、規制の改定、市場の多角化、金融市場の変動に対応している。会計などの分野も必死に追いつこうとしている。

時速90キロ
企業とあまり変わらないほどの高速で走る車があり、その車に乗っている人たちをみて、驚く人もいるだろう。筆者も驚いたのだから。変化の二番目に速いのは、全体的にみたときに社会団体だというのが筆者の結論であり、サーカスのピエロのように、二番目に速い車にぎゅう詰めになっている。社会団体は活気にあふれ、変化する無数の草の根非政府組織で構成されている。反企業や親企業の連合、職業団体、スポーツ団体、カソリック教会、仏教寺院、プラスティック製造業協会、反プラスティック活動家団体、新興宗教団体、税金嫌いの団体、クジラ愛好家組織などなどである。こうした団体のほとんどは、変化を求めることを仕事にしている。環境、政府規制、防衛支出、用途地域規制、疾病研究費、食品基準、人権など、多種多様な課題で変化を求めているのである。だが、なかにはある問題での変化に頑強に反対し、変化を妨げるか、少なくとも遅らせるためにあらゆる手段を講じている団体もある。環境保護派は訴訟、ピケなど、あらゆる手段を使い、アメリカで原子力発電所の建設を遅らせている。そして電力会社にとって、工事の遅れと訴訟費用の負担で、原発建設では採算がとれない状態を作り出した。反原発運動については賛否両論があるだろうが、この例をみると、時間と時期が経済的な武器になることが分かる。
 非政府組織による運動は、小さく敏捷で柔軟な団体のネットワークで進められることが多いので、巨大な企業や政府機関に打撃を与えることができる。全体的に見て社会の主要な制度のうち、企業と社会団体に匹敵するほど変化が速いものはないと結論づけることができる。
 
時速60キロ
 三番目の車にも、意外な人たちが乗っている。アメリカの家族が乗っているのだ。 
 数千年にわたって、世界のほとんどの地域で、多世代の大家族が家族の典型であった。大きな変化がはじまったのは工業化と都市化が進んでからであり、そのときから家族の規模が縮小するようになった。工業と都市の条件には核家族の方が適しており、これが支配的な形態になった。1960年代後半になっても、核家族の優位は将来にわたって揺るがないと専門家は主張していた。政府の定義では、夫が働き、妻が専業主婦で、十八歳以下の子供が二人いるのが標準世帯とされている。現在では、この定義に基づく「核家族」はアメリカの全世帯の25パーセントにも満たない。片親の世帯、結婚していないカップル、再婚や再々婚(ときには結婚が四回以上)の夫婦と連れ子の世帯、高齢者の結婚、最近では法的権利を認められた同性結婚などが登場するか、隠さなくとも良くなった。こうして、以前には社会制度のなかで変化がもっとも遅かった家族制度が、わずか数十年で様変わりした。そして、今後さらに急速に変化しようとしている。
 何千年にもわたる農業時代には、家族はいくつもの重要な機能を担ってきた。農作業や家内作業で生産チームになっていた。子供を教育し、病人を看護し、老人を介護した。だが、各国で工業化が進むとともに、仕事は自宅から切り離されて、工場に移された。教育は学校に外注されるようになった。医療は医師か病院に移された。老人介護は政府の責任になった。現在、企業は機能の外注(アウトソーイング)を進めているが、アメリカの家族は逆に機能の「内製化(インソーイング)」を進めている。数千万人がすでに、フルタイムかパートタイムで自宅で働くようになった。在宅勤務が容易になったのは、デジタル革命のためだが、同じ要因で、買い物、投資、株式売買など多数の機能が自宅に戻っている。 教育はいまだに学校の校舎から抜け出していないが、インターネット、無線LAN、携帯電話が社会全体に普及しているので、少なくとも一部が家庭などに戻る可能性が高い。高齢者の介護も家庭に戻ってくるだろう。政府と民間の健康保険が高コストの入院を減らす努力を続けているからである。家族の形態、離婚の頻度、性、世代間の関係、異性との出会い、子育てなど、家族に関するさまざまな側面が急速に変化している。

時速30キロ
 企業や社会団体、家族が急速に変化しているとき、労働組合はどうしているだろう。
 前述のようにアメリカでは肉体労働から頭脳労働に、取り替えがきく技能から取り替えがきかない技能に、単純な反復作業から創造的な作業に移行しはじめて、もう半世紀近くになる。仕事は場所を問わないものになり、航空機や自動車、ホテル、レストランでもできるようになってきた。ひとつの組織で何年にもわたって同じ仲間と働くのではなく、プロジェクト・チームやタスク・フォース、小グループの間を移動するようになり、短期間で仲間と別れ、新たな仲間とと協力するようになった。従業員としてではなく、「フリー・エージェント」として会社と契約して働く人も増えてきている。企業は時速100キロで動いている。だが労働組合は、1930年代と大量生産の時代から引き継いだ組織、方法、モデルにしばられている。1955年、アメリカの労働組合は雇用者の33パーセントを組織化していた。いまでは、これが12.5パーセントにすぎなくなった。
 非政府組織は時速90キロで急速に増加しており、新しい第三の波の社会で分散性が高まっている事実を反映している。これに対して労働組合が社会的な力を失ってきたのは、大規模化を特徴とする第二の波の工業社会が衰退している事実を反映している。労働組合にはいまでも果たすべき役割があるが、生き残るためには新しい道路地図と高速の車が必要である。

巨像が立ち止まるとき
時速25キロ
 政府の官僚機構と規制機関はさらに動きが遅い。世界のどの国でも、階層型の官僚組織が政府の日常業務を担っており、批判をうまくそらし、ひとつの変化を数十年も遅らせる術を心得ている。政治家は、新たな官僚組織を作る方が、どれほど古くなり、どれほど無意味になっていても、既存の組織を解体するよりはるかに簡単であることを知っている。官僚機構はそれ自体の変化が遅いだけでなく、時速100キロで疾走する企業が市場環境の急速な変化に対応するのを遅らせている。たとえば、食品医薬品局は新薬の試験と承認にいやというほど時間をかけている。その間、新薬があれば助かる患者が待たされており、ときには死んでいく。政府は意思決定が極端に遅く、空港に新たな滑走路を建設する許可を得るまでに十年以上かかり、高速道路の建設が決まるまでに七年以上もかかるのが一般的である。

時速10キロ
 だが、官僚機構の車ですら、バックミラーには、さらに遅い車の姿が写っている。
 タイヤはパンクし、ラジエーターからは蒸気が吹き出し、後ろから来る車に迷惑をかけている。このポンコツを維持するのに、4千億ドルの経費がかかるなどということが有り得るのだろうか。信じ難いだろうが、年にそれだけの経費がかかっているのである。この車に乗っているのは、アメリカの公教育制度である。
 アメリカの教育制度は、大量生産用に設計され、工場のように運営され、官僚的に管理され、強力な労働組合と教員票に依存する政治家に守られており、20世紀初めの経済を完全に反映している。せいぜいのところ、ほとんどの国の教育制度がアメリカのものより良いわけではないといえるだけである。民間セクターでは、企業は新たな形の競争、形が変化していく競争によって変化を迫られる。これに対して公教育制度は保護された独占体である。親や創造力のある教師、メディアは変化を強く求めている。そして実験的な試みが増えているが、アメリカの公教育の核はいまだに、工業時代にその時代の要求にあわせて設計された工場型の学校である。時速10キロで動く教育制度は、その十倍の速度で変化する企業での仕事をこなせるように、生徒を教育できるのだろうか。

時速5キロ
 世界の経済に影響を与えている機能不全の制度は国内のものだけではない。世界のすべての国の経済は、直接間接に世界的な統治機関から大きな影響を受ける。これには国際連合、国際通貨基金(IMF)、世界貿易機関(WTO)や、もっと知名度が低い多数の国際機関があり、国境を超える活動の規則を制定している。なかには万国郵便連合のように、一世紀を超える歴史のある機関もある。ほぼ75年前、国際連盟の時代に作られた機関もある。残りのほとんどは、世界貿易機関と世界知的所有権機関を除いて、半世紀前、第二次世界大戦の後に設立されている。現在、国家主権は、新たな勢力からの挑戦を受けている。新たな参加者、新たな問題が国際舞台にあらわれている。しかし、国際機関の官僚的な構造と慣行はほぼ変わっていない。国際通貨基金で百八十を超える加盟国が新たな専務理事を選任しようとしたとき、アメリカとドイツが候補者をめぐって鋭く対立した。結局はドイツ人の候補者が選ばれたが、これはニューヨーク・タイムズ紙によれば、クリントン大統領とサマーズ財務長官が「ヨーロッパがIMF専務理事を選ぶという50年前からの了解を破ることはできない」と判断したためだという。

時速3キロ
 だが、国際機関よりも変化の遅い制度がある。それは豊かな国の政治構造だ。
アメリカの政治制度は連邦議会と大統領から政党まで、多数の集団から大量の要求を受けるようになっており、これらの集団はいずれも対応をもっと速くするよう求めていて、のんびりした議論と怠惰な官僚機構のために作られた制度では処理しきれなくなっている。連邦議会上院の有力議員だったコニー・マックがかつて、こう話してくれた。「議会ではどんなことにも、連続して使える時間は二分半までだ。ゆっくり考える時間はないし、知的といえそうな会話に使える時間もない。時間の三分の二は広報や選挙運動、資金集めに使わなければならない。わたしはこの委員会、あの専門部会、別の作業部会、その他もろもろに属している。わたしが知っておかなければならないことのすべてに、しっかりした判断を下せるほどの知識が得られると思えるだろうか。そんなことは不可能だ。時間がないのだ。だから、実際にはスタッフが判断するケースが増えつづけている」筆者は率直な話に感謝し、こう質問した。「では、スタッフを選ぶときには、誰が判断するのですか」
 いまの政治制度は、知識経済の複雑さと猛烈なペースを扱えるようには設計されていない。政党や選挙は移ろいやすいといえるかもしれない。資金集めや選挙運動に新しい方法が使われるようになった。だが、知識経済がもっとも発達したアメリカでは、巨大な企業が合併と部門売却を短期間に繰り返し、インターネットを使って新たな有権者組織がほとんど瞬時に形成されるようになったなか、政治の基本構造は変化のペースが極端に遅く、動いていないのではないかと思えるほどである。経済にとって政治の安定性が重要であることは、いうまでもない。しかし、動かないとなると、話は違ってくる。アメリカの政治制度は二百年を超える歴史のなかで、1861年から1865年までの南北戦争の後に基本的に変化し、1930年代には大恐慌の後に、工業時代にもっと十分に適応するためにふたたび基本的に変化した。その後、政府は確かに成長した。だが基本構造にかかわる部分では、アメリカの政治構造は時速3キロで這うような歩みを続けており、路肩に止まって休んでいて、重大な危機にぶつからないかぎりは動こうとしない。そして、重大な危機が意外に早く起こる可能性もある。2000年の大統領選挙では、大統領が最終的に、最高裁判所での一票差で選出される事態になり、あと一歩で危機に陥りかねない状況になった。

時速1キロ
 この点を考えたときにようやく、動きの遅い制度のなかでも、とりわけ遅いものが視野に入ってくる。それは法律である。法律には二つの側面がある。第一は組織という側面であり、裁判所、法曹協会、法科大学院、法律事務所などがある。第二はこれらの組織が解釈し守っている法律そのものである。アメリカの法律事務所は急速に変化しており、事務所間の合併、広告の利用、知的財産権法などの新分野の開拓、テレビ会議の利用、事業のグローバル化、競争環境の変化への対応を進めているが、アメリカの裁判所と法科大学院は基本的に変わっていない。裁判制度の運営のペースも変わっていない。重要な裁判が何年にもわたって延々と続いている。マイクロソフトに対する画期的な反トラスト法訴訟が続いてきたとき、連邦政府が同社の分割を求めるとの見方が一般的になっていた。しかし、それには何年もの時間がかかり、分割が決まった時点では技術が進歩していて、訴訟の意味がなくなっていると予想された。シリコン・バレーのコラムニストとして有名なロバート・Ⅹ・クリンジリーはこれを、「超高速のインターネット時間」と「法律時間」の衝突だと論じている。法律は生きているといわれる。何とか生きているといえるにすぎない。議会が新しい法律を作り、裁判所が既存の法律に新たな解釈をくわえることで、法律は毎日のように変化する。だが、変わる部分は法律全体のうち、微小とはいわないまでも、ごく一部にすぎない。そして、法律の数と総量は膨らんでいくが、法体系が全体として大幅に改定されたり、再編されたりすることはない。もちろん、法律は急激に変化するようであってはならない。ゆっくりとしか変化しないからこそ、社会と経済に必要な程度に予測可能性が確保され、経済と社会の変化が急激すぎるときには、ブレーキをかけてくれる。だが、どの程度の変化ならゆっくりとした変化だといえるのだろうか。
 2000年まで、アメリカの社会保障制度では65歳から69歳までの受給者に所得がある場合、ある金額を超える部分の三分の一が支給額から差し引かれていた。この規定は大量失業の時代につくられたものであり、当初は老人に引退を促し、若者の就業機会を増やすことを目的にしていた。その後70年近くたって、この規定がようやく法律から削除されることになり、フォーブス誌はこの改定を伝える記事に皮肉たっぷりの見出しをつけた 「ニュース速報 - 大恐慌は終わった」 。
  アメリカ連邦議会はまた、数十年にわたる議論の後にようやく、知識経済を規定する基本的な法律のうち二本を改定した。1996年まで、世界でも、とくに変化の速い電気通信産業は、62年前の1934年に制定された法律によって管理されていた。金融では、アメリカの銀行業界を規制していたグラス・スティーガル法が、60年たって、ようやく改定された。現在でもアメリカで株式などの証券を発行する際には、1933年制定の法律に規定された基本的な規則が適用される。現在、8,300を超える投資信託があり、2億5千万近い口座をもち、7兆ドル近い資産を運用している。だが、ここまで巨大な投資信託産業はいまでも、1940年制定の法律で規制されている。当時、口座数は30万に満たず、ファンド数は68にすぎず、運用資産は現在の14万6千分の1に過ぎなかった。別の分野の例をあげれば、2003年にアメリカ北東部で大停電が起こったとき、復旧作業にあたった技術者は思うように動けなかった。トロント大学のトーマス・ホーマーディクソンによれば「数十年前、電力のほとんどが消費地の近くで発電されていたころに作られた規則」にしばられていたからだ。著作権、特許権、個人情報など、経済の先端部分に直接に影響を与える分野の法律も、絶望的なほど時代遅れになっている。知識経済はこれらの法律があったから成長してきたのではない。時代遅れの法律という障害を跳ね除けて成長してきたのである。これは安定性の問題ではないし、動かないという問題でもない。法律は死後硬直を起こしているのだ。法律家は仕事の方法を変えている。だが法律自体はほとんど動いていない。

惰性と超高速
 以上の制度を検討し、それらの相互作用をみていくと、アメリカが現在ぶつかっている問題が、変化の猛烈な加速だけにとどまらないことが明らかになる。急成長する新しい経済の要求と、古い社会制度の構造の惰性との間に大きなズレがあるという問題にもぶつかっているのである。二十一世紀の情報バイオ経済は、今後も超高速の成長を続けられるのだろうか。低速で、機能不全で、時代遅れになった社会制度のために、その成長が止まることになるのだろうか。官僚制度、動きがとれない裁判制度、近視眼的な議会、麻痺状態の規制、病的なほどの漸進主義が影響を与えないわけがない。この状態を放置しておくわけにはいかないと思える。多数の制度が関連しあっていながら同時性を維持できなくなり、社会全体に機能不全が拡大している。これほど解決がむずかしい問題はめったにない。世界最先端の経済が生み出す莫大な富を獲得したいと望むのであれば、アメリカは古くからの制度のうち、新しい経済の障害になるものを廃止するか、取り替えるか、抜本的に再編しなければならない。変化はさらに加速するので、このような制度の危機はアメリカだけの問題ではなくなる。中国、日本、EU各国など、二十一世紀の世界経済で競争にくわわろうとしている国はいずれも、新しい形態の制度を考え出し、同時化と非同時化の間の均衡を調整しなければならない。なかには、アメリカより危機の解決がむずかしい国もあるだろう。アメリカには少なくとも、変革者に好意的な文化という強みがある。いずれにせよ、この章で冗談めいた形で紹介した速度ランキングにはもちろん、異論の余地があるだろうが、それで伝えようとした現実には異論の余地はない。その現実はこうまとめられる。企業、産業、国民経済、世界システムというどの水準でみても、富の創出と基礎的条件の深部にある時間との関係が、きわめて広範囲に変化しているのである。

第6章 同時化産業
 完全な同時化が達成できなかったとき、とくに大きな嘆きのタネになるものといえば、すぐに思いつくのは寝室でのものだが、それ以上に嘆きの声があがるのは、アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)や日本銀行が政策金利を引き上げるか引き下げて、タイミングを狂わせた場合だろう。コメディアンなら誰でもそういうように、タイミングはこの世でいちばん大切である。だが人びとは、ほとんどの場合に無意識のうちに時間との関連を変えており、これは冗談めいた話ではない。投資家やエコノミストが金融に関して正確なタイミングに強い関心をもっているとしても、富と貧困を作り出す際に、同時化を果たす役割については驚くほど無知だし、非同時化が果たす役割は一層知られていない。だが、これらを理解すれば、富の創出についてまったく新しい考え方を身につけられる。

生産性を高める踊り
 ある程度の同時化は、狩猟・採取民族が集団で動くようになって以来、いつも必要であった。歴史家のウィリアム・マクニールは、リズムにあわせた集団の活動がどの時代にも
同時化のために使われ、それによって経済の生産性が向上してきたと論じている。狩猟部族の踊りは、チームワークを強化し、狩猟の効率を高めたという。漁師は何千年もの昔から、網を引くときにみなで歌を歌っており、そのリズムにあわせて網を引き、呼吸するようにしてきた。農業経済では季節の移り変わりも重要だ。(中略)
 工業社会の初期には時間をめぐる状況が一変した。組み立てラインでは、まったく違うリズムが必要となった。そこで、工場のサイレンとタイム・レコーダで作業時間を調整する仕組みが作られた。これに対して現在では、事業活動がリアル・タイムに向けて加速している。しかし、それだけでなく、時間の使い方がでたらめとはいわないまでも不規則になり、個々人で違うようになってきた。(中略)生まれた直後の時期がすぎれば、人はみな、経済の音楽にくわわる。バイオリズムすらも、驚くほど複雑で調整された動きが周囲で鼓動している点に影響を受け、そして影響を与えてもいる。この鼓動は、人びとが働いている結果、つまり、物を生産し、サービスを提供し、他人を管理し、互いに世話をしあい、企業に資金を提供し、データや情報を処理して知識を生産している結果、起こっているのである。(略)


冷えた料理をなくす
 完璧に同時化された世界では、友人が待ち合わせに遅れてくることはない。朝食の卵料理が冷えていることはない。生徒が遅刻することもない。もっとありがたいのは、在庫は不要になり、保管、維持、管理、倉庫などの費用を負担する必要がなくなることだ。そして、もっともありがたいのは、会議がいつも定刻にはじまり、定刻に終わることだ。
 だが、その場合に経済はどうなるだろうか。経済学で「均衡的成長」という言葉が、いくつもの違った意味で曖昧に使われてきた。(中略)
 こう主張した人は重要な点を見落としていた。完璧に同時化して主要な要素の関係を固定した場合、どのようなシステムでも柔軟性が失われ、活力がなくなり、革新の動きが遅くなる。すべてか無かになり、すべてを一斉に変えるのは、まったく変えないかのどちらかを選ぶしかなくなる。そしてすべてを一斉に変えるには、まして同じ率で変えるのは、極端にむずかしい。~したがって、どの企業も、どの金融制度も、どの国の経済も、同時化の活動とともに、ある程度の非同時化を必要としている。~まだ初歩的な段階にある。

土壇場の突貫工事をなくす
 それでも、明らかな点がある。いまでは時間の調整がきわめて複雑になり、重要にもなっているため、これを扱う「同時化産業」が成長し、大規模になっていることだ。この産業は1980年代半ばから二十一世紀初めまでに、三回にわたって「大躍進」を遂げた。いまでは巨大産業になっている。今後、さらに大きくなるだろう。(中略)
~経営者に「主要な競争相手が開発サイクルの大幅短縮を達成している」とき、市場への反応が遅すぎる状況に組織が陥っているとき、納期遅れがでているとき、仕事がいつも「土壇場の突貫工事」になっているときには、「リエンジニアリング」に取り組むよう推奨した。
(中略)同時化産業はまだまだ改良の余地があり、成長の余地がある。第一に、多数の中小企業はまだ供給連鎖や付加価値連鎖を再構築しておらず、今後、再構築を迫られるようになる。第二に、供給連鎖と流通連鎖の同時化は第一歩にすぎず、今後、時間統合の動きがさらに深化し、さらに幅広くなる。同時化産業の企業はソフトウェアを顧客企業に売るだけでは満足しなくなっている。直接の顧客だけでなく、顧客企業の顧客、さらにその顧客へと供給連鎖の下流に進んでいき、最終ユーザーまで事業が拡大していくことを望んでいる。いずれ、その先にまで事業が拡大していく可能性がある。リサイクルのために最終ユーザーからメーカ-に戻される製品が増えており、ヨーロッパでは自動車が、アメリカではプリンター用のインク・カートリッジがそうなっているからである。こうした変化によって、製造・販売・サービスにあたる企業からユーザーまで、同時化を必要とする層が増え続けている。最後に、競争の激化によって革新につぐ革新が必要になっており、そのたびにタイミングの要求が変化して、再同時化が必要となるので、同時化産業は拡大していくだろう。しかし、非同時化の法則には隠れた逆説があり、システムのあるレベルで同時化を進めるほど、別のレベルで非同時化が進む結果になる。


第7章 リズムが乱れた経済
 ごく最近まで、アメリカには何人もの「経営のグル」が率いるスピード教団があって、「一番乗りを目指せ、俊敏になれ、まずは撃て、その後で狙え」と主張していた。
 この単純で愚かな助言のために、ろくに試験をされていない低品質の製品が大量に発売され、顧客は怒り、投資家は失望し、経営戦略は焦点を見失い、最高経営者(CEO)がつぎつぎに替わる事態になった。この主張は、同時化と非同時化の問題を無視するものであった。基礎的条件の深部にある「時間」という要素を扱う方法として、表面的で稚拙であった。タイミングが狂えば、企業は打撃を受け、ときには倒産することすらある。だが、これは個別の企業だけの問題ではない。いくつもの企業の間の関係を混乱させかねない。それだけでなく、少なくともいくつかの事例を見るかぎり、産業全体、国内経済のセクター全体、さらには世界経済にすら影響を与えかねない。

時間の生態系
 小さな湖か池を観察すると、生物の多数の種が相互に影響しあっていて、宿主と寄生種があり、急速に繁殖する種もあればゆっくり繁殖する種もあり、すべての種が関係しあいながらそれぞれ違う速度で変化していくことに気づくだろう。生態系がダンスを踊っているのである。(中略)見逃されることが多いコストのひとつに、時間が駆け引きに使われる傾向が強まっているために、ほんとうに必要な点からエネルギーと関心がそらされることがあげられる。組織内で幹部同士がスケジュールの衝突や計画期間の違いをめぐって、激しく対立することが少なくない。そして、情報技術(IT)部門が対立の焦点になる。
 
時間の犠牲者
 ソフトウェアの開発や大幅な改定に必要な時間は、見積もりがむずかしいことで有名だ。ときには、見積もりにかかる時間すら見積もるのがむずかしい。だが、IT部門の幹部は見積もりをだすよう求められることが多い。(中略)
 急速に変化する企業の内部では、時間をめぐる戦いは他にもさまざまな形をとる。その結果、重要な案件を取り逃がすこともあるし、皮肉なもので、経営陣の関心とエネルギーが浪費され、企業全体としてみれば、変化への対応が遅くなることもある。

合併後の憂鬱
 問題がさらに複雑になるのは、二社以上の企業が関係していて、それぞれが社内に独自の時間の生態系をもっている場合である。同時化をめぐる対立のために、合併などによる提携は一筋縄ではいかなくなるし、とくに合併の前後にはストレスが多くなる。
(中略)個別企業の問題からもっと大きな問題に目を移すと、産業全体の水準には非同時化のコストがはるかに大きい例がある。なかには、同期のズレが大きな問題になっている例もある。

時間税
 誰でもいいから、アメリカで建築会社と契約して自宅を新築か改築した人に聞いてみるといい。当初の完成予定日がまったくの作り話のようだったと話してくれる可能性が高い。工期の遅れが何ヶ月にもなることがあるし、水洗トイレから引き出しの金具まで、必要な資材が予定通りに届くことはめったにないようだ。これ以上に苛立ちが募るのは、さまざまな許可や認可を得るために自治体の都市計画部門や建築部門の役人と交渉するときぐらいだろう。(中略)アメリカ全体では、住宅の新築に年に五千四百四十億ドルが支出されている。工事の各部分で同期がとれておらず、予定がいつも遅れて無駄がでることで、三パーセントから五パーセントの「時間税」がかかるとすると、年に百六十億ドルから二百七十億ドルが浪費されていることになる。低所得者向けの一戸建てや集合住宅が一戸当たり十五万ドルで建つとすると、この無駄を省けば、十年間に百四十万戸以上を建設できる計算になる。ホームレスの問題は解消する。(中略)
 以上では、同時性の欠如の問題を個々の企業、複数の企業、産業全体の水準で見てきた。
だが、二つの関連しあう産業で発展の速度に違いがある場合には、もっと大きな水準で同時性の欠如の問題が起こる。

情報技術のダンス
 1970年代以降のパソコン業界の成長では、情報技術のデュエットともいうべきものが特徴になった。マイクロソフトがパソコン用のウィンドウズでさらに大型で強力なバージョンを発売すると、インテルがそれに対応して、さらに高速で強力なチップを発売したからだ。~これに対して通信産業は、身動きがとれないほどきびしく複雑な規制にしばられていて、その動きの遅さにコンピュータ会社が苛立つことが少なくなかった。~同時性の欠如のコストが、企業と産業の水準でどれほどに達するのかはまったく分からない。そして、経済のすべてのセクターを対象としたとき、同時性の欠如がどれだけの影響を与えているかは、想像することしかできない。

寿司屋に行けない
 ~日本でも、ある人にとっての同時化は、他の人にとっての非同時化を意味する。
 さらに、変化の速度に違いがあれば、同時化に取り組む起業家にとって無数の機会が生まれ、こうして、ある部門かある組織で同時化が達成されれば、別の部門、別の組織で非同時化が起こるといえる。同時性の問題は、今後解決が容易になっていくのではなく、困難になっていくだろう。産業革命の際にそうしたように、われわれはいま、仕事、遊び、思考の方法を時間という側面でもう一度変えようとしているからである。基礎的条件の深部にある時間を扱う方法を根本的に変えようとしている。時間と富の生成の関係を理解するまで、時間の圧力がきわめて重く、不必要なコストが膨大になる状況から逃れられないだろう。

第8章 時間の新たな景観
 ~心臓と同じように、社会と経済も不整脈、部分的な頻脈、細動や粗動、さらには不規則な動悸や痙攣を起こすことがある。これは以前からあったことだが、いまでは変化のペースが不均一なうえに加速しており、それに伴って非同時化がたえず起こることから、一時的にペースの乱れが極端になる可能性がある。除細動器を用意しておかなければならない。制度、企業、産業、経済がそれぞれ同期のとれない状況になっているとするなら、最後にはどうなるのだろうか。われわれはそもそもどうして時間と速度にしばられるようになったのだろうか。
 
時間の鎖
 この点を考える出発点として、前述のように、たとえば古代の中国や封建時代のヨーロッパなど、第一の波の農業社会では一般に、時間給で働くことがなかった点を再確認しておこう。奴隷や農奴、小作人は、自分で実際に生産したものの一部を受け取るか、とっておくのが通常だった。このため、労働時間が直接に金銭に結びつくことはなかった。
 さらに、収穫は気象条件に左右され、人間と家畜の働きには限度があり、技術水準がきわめて低かったので、農民が一家でどれほど長時間働いても、人間の生産性には限界があった。その結果、当時は時間との関係がいまとはまったく違っていた。フランスの著名な歴史家、ジャック・ル・コッフによれば、ヨーロッパでは十五世紀になっても、時間は神に属するものであって、売買してはならないと聖職者が教えていた。時間で労働を売るのは、利息をとって金銭を貸す高利貸しと変わらないほどの悪徳であった。そして十五世紀のフランシスコ会修道士、聖ベルナルディーノは、時刻をはかる方法すら人間は知るべきでないと教えていた。産業革命によって時間との関係は様変わりした。~第二の波の雇い主は、~労働者から最大限に肉体労働を引き出そうとした。(中略)近代化の先駆者はそれに止まらず、時間の鎖にもうひとつの輪をつくり、それによって、富を時間にしっかりと結びつけた。~こうして、労働の価格、金銭貸借の価格が時間を基準に決められるようになった。この二つの変化はそれぞれ独立して徐々に起こったものだが、その結果はきわめて大きかった。各人が労働者として、消費者として、借り手として、貸し手として、投資家として、かつてなかったほど、時間に結びつけられるようになったのだ。(中略)
 ~現在、何千万、何億もの人が時間の短縮によって苦しめられ、ストレスを感じ、「未来の衝撃」を受けていると感じている。意外だとはいえないことだが、ロンドンのイブニング・スタンダード紙は、減速を望む「猛進中毒者」への支援を専門とするセラピストが登場したと伝えた。人はみな、待たされるのを嫌う。子供にみられる注意欠陥障害(ADD)は文化ではなく、化学物質に原因があるのかもしれない。だが、未来が加速しているために、満足が得られるまで待つのを嫌う傾向が強まっている現状をまさに象徴している。
 
高速の愛好
 世界のどこでも、文化と経済がいわば逐次処理から同時処理に移行してきたことから、そのなかで育った世代はひとつのことに集中するのではなく、ながら族になり、多重焦点型になってきており、いくつものことを一度に行なっている。~(中略)

時間のカスタム化
 ひとつ前の時代には、仕事の世界での時間は標準的な長さにまとめられていた。「九時から五時まで」がアメリカの数千万人の労働者にとって標準だった。そのなかで、昼食に三十分か一時間があてられた。休暇の日数も決まっていた。労働協約と連邦法によって時間外労働は雇い主にとって高くつくようになっていて、標準的な労働時間をなるべく崩さないようにする仕組みがとられた。(中略)これに対して、いま急成長している新しい経済は、いまの学校教育では対応できないものであり、時間に関してまったく違う原則に基づいて動いている。集団的な時間から個別の時間へと移行し、過去の標準的な時間枠を解体している。いいかえれば、個人による違いのない時間から個人的な時間に移行しており、製品と市場の個人化と同様の動きが、時間についても起こっているのである。
(中略)
家族、親友とあう機会
 こうした変化は家族生活にもあらわれている。(中略)要するに、新たな富の体制では、ペースが加速しているだけでなく、時間との関係で不規則性が強まっているのである。その結果、工業時代に作られた牢獄のような硬直性と規則性から個人が解放されている。だが同時に予測不可能性が高まり、人間関係と富の創出を調整する方法、仕事を進めていく方法を、根本から変えなければならなくなっている。(略)
高速で向かう先は
 これらの変化によって、アドホクラシーへの動きがさらに進むだろう。(中略)
 これらの変化が社会、文化、経済に与える影響を本書で論じつくすことはできない。しかし、いまでは明らかになった点もある。主要な制度がそれぞれ歩調をあわせられなくなっている。同時化と非同時化の間の緊張が高まっている。変化はますます加速している。時間が不規則になってきた。生産性と時間との関係は薄れ、ある長さの価値が時間の経過とともに上昇している。計測し、利用し、管理できる時間枠がますます短くなると同時に、ますます長くなっている。要するに、まさに歴史的な動きが起こっているのである。