アルビン・トフラー研究会(勉強会)  

アルビン・トフラー、ハイジ夫妻の
著作物を勉強、講義、討議する会です。

アルビン・トフラー ハイジ・トフラー共著 富の未来(上)001

2015年01月29日 20時17分14秒 | 富の未来(上)
2006.6.7 REVOLUTIONARY WEALTH 富の未来(上)

日本語版に寄せて
 最近、皇太子家の長女、愛子さまがご夫婦とともに幼稚園の入園式に出席されたと報じられた。この明るいニュースと並んで、全国各地で暴力団事務所などの家宅捜索が行われ、ロシアやフィリピンから密輸した武器が押収されたと報じられている。この二つのニュースは、日本の未来の対照的な動きを象徴しているかもしれない。一方は愛と学習を、他方は犯罪と対立を示している。
 いまの日本のニュースをつぎつぎに読んでいくと、不思議な組み合わせや矛盾がいくつも目につく。たとえば、教育水準の高い労働力の必要が叫ばれる一方、日本の学校は危機的状況にあり、今後五年に私立大学四十八校が倒産すると予想されている。外交でもそうだ。日本は中国との間で強固な経済関係を築いているが、政府関係は危険なほど悪化しており、両国でナショナリズムが強まっている。
 これらのいくつかの例は、革命的な富の波がアメリカ、アジアをはじめ、世界各地に広がっているなか、日本がはるかに深い水準で課題に直面していることを示すものだとみられる。
 さまざまな変化が奔流のように押し寄せる混乱した現状で、日本は今後、どうなるのだろうか。穏やかな成長だろうか。長期の停滞だろうか。勃興する中国に圧倒された没落なのだろうか。日本が過去三十年に指導的な地位を確立したのはなぜで、いまはそれを失おうとしているのはなぜなのか。日本はどのような手段をとれば、あらゆる形の富を変えている革命にふたたび参加できるようになるのだろうか。
 本書では、経済だけでなく、企業や文化、制度、社会で変化の必要をもたらしている新しい力を描いていく。日本の各界の指導者がこの力を理解しなければ、日本は今後、繁栄していくことができない。
 いま、日本の未来がどうなるよう期待するかと問われれば、1970年代と80年代の成功を再現を期待すると答える日本人もいるはずだ。しかし、昔に戻ることはできない。そして、小さな改革を積み重ねて既存の制度を変えていっても、いま、さまざまな分野で勃興している新しい富の制度の要求にはこたえられない。(以下略)
 

はじめに(抜粋)
~何よりも重要な動きが、富の歴史的変化という動きが、それほど重要ではないニュースの氾濫の中で見失われているか、目立たなくなっている。本書はこの見失われた動きを描くことを目標にしている。
(中略)
 富の創出に当たって知識の重要性が着実に高まっており、いまではこれがはるかに高い水準に飛躍し、多数の境界を越える段階に達している。世界の頭脳バンクが成長を続け、変化を続け、利用しやすくなりつづけており、これに接続する地域が世界の中で増え続けているからである。この結果、人類は豊かな人も貧しい人もみな、革命的な富の体制の中で、少なくともその影響を受けて生活し、働いている。
 いまでは「革命」という言葉はじつは気楽に使われるようになった。新しいダイエットも「革命」と呼ばれ、政治的な激変も「革命」とされて、本来の意味が失われている。
 本書では「革命的」という言葉を、影響の及ぶ範囲をもっとも広くとったときの意味で使っている。いま起こっている革命の規模と比較すれば、株式市場の暴落、政権の交代、新技術の導入、さらには戦争や国の解体すら、「革命的」とはいえない。
 本書で取り上げる革命的な変化は、産業革命に匹敵するか、それを上回るほど大規模な激変である。相互に関係がないように思える何千、何万もの変化が積み重なって、新しい経済体制になり、産業革命によって「近代」が生まれたように、まったく新しい生活様式と文明が生まれる、そういう激変である。
(中略)もうひとつ、「富」という言葉について。
 いま、ほとんどの人は金銭経済のもとで生活しているが、本書でいう「富」は金銭だけを意味するわけではない。生活を支えているものにはもうひとつ、ほとんど探求されていないが、じつに魅力的な並行経済がある。この並行経済でわれわれは、金銭を使わないまま、多数の必要や欲求を満たしている。この二つの経済、金銭経済と非金銭経済を組み合わせたものが、本書にいう「富の体制」である。
相互に関係するこの二つの経済で同時に革命が起こっており、過去に例のない強力な富の体制がいま、生まれようとしているのである。
この革命がいかに重要なのか理解するには、どの富の体制も単独で存続しているわけではない事実を認識しなければならない。富の体制は確かに強力だが、もっと大きな体制を構成するひとつの部分にすぎない。社会、文化、宗教、政治など、大きな体制を構成する他の部分とともに、常に互いに、そして大きな体制との間で、フィードバックを繰り返している。この全体の文明、生活様式になっていて、その時代の富の体制にほぼ見合ったものになっている。
このため、本書で革命的な富の体制について論じるとき、それが他の部分のすべてと関連していることをかならず考慮している。いまの時代にそうなっているように、富の体制で革命が起こるときにはかならず、前述の面など、生活のさまざまな面に変化が起こり、それに伴って既得権益集団の抵抗にぶつかることになる。本書は以上のような基本的な見方に基づいており、この見方を理解すれば、何の意味もないようにみえる無数の変化と衝突、いま荒れ狂っている変化と衝突に一貫した意味があることが分かるようになる。(中略)
 だが経済学はどの学問にもまして、現実の生活に根ざしていなければならない。二人の筆者のどちらにとっても、若いころの「現実の生活」には、工場で働いた忘れがたい五年間がある。押し抜き機や組み立てラインで働き、自動車や航空機エンジン、電球、エンジン・ブロックなどの製造にくわわり、鋳物工場のダクトのなかをはいまわり、大ハンマーを振るうといった肉体労働を行った。こうして、製造業が底辺からどうみえるかを学んだ。失業がどういうものかも、実感している。(中略)
 もちろん、未来を知ることは誰にもできない。とくに、何かがいつ起こるのか、確実なことは誰にも分からない。このため、本書で未来について論じている点はすべて「おそらくそうなるだろう」「筆者の意見ではそうなるだろう」という意味であることをここでお断りしておく。何度も同じ言葉を使えば読者の眠気を誘うことになるので、そのたびに但し書きを繰り返すことはしない。~もうひとつ、避けがたい現実を忘れないようお願いしたい。すべての説明は単純化である。

本書の執筆の過程について、重要な事実を二つ記しておきたい。
本書の執筆には十二年かかったが、運良くスティーブ・クリステンセンの支援が得られなければ、もっと長くかかっていたはずだ。あるとき、筆者はクリステンセンに本書の仕上げを手伝ってくれる編集者を推薦するよう依頼した。ありがたいことに、それなら自分が引き受けようといってくれた。大手通信社のUPIで西部地区編集者をつとめた後、ロサンゼルス・タイムズ・シンジケートの編集長兼ゼネラルマネジャーだった経験豊かなジャーナリストであり、三年前に本書の執筆に参加した。まさに一流の編集者だといえる仕事ぶりだった。そして、それ以上に、規律、頭脳、温かさ、優しさ、明るく皮肉っぽいユーモアのセンスを持ち込んだ。執筆の作業が楽しくなり、友情を深めることができた。
最後に、筆者夫婦の一人っ子、カレンの病気が長引き、ついに死亡したために本書に集中できなくなり、執筆が長引くことになった。妻のハイジは何年にもわたって昼夜を問わずカレンの病床に付き添い、病気と闘い、病院の官僚制度と闘い、医療の無知と戦ってきた。このため当然ながら、本書の執筆にはときおり参加できるにすぎなかった。それでも、本書の基礎にある想定、考え、モデルは夫婦で旅行し、インタビューを行い、長年にわたって議論し、建設的な論争を進めてきた結果である。
過去にはハイジはさまざまな理由で共著者として名前をだすことを望まなかった。それに同意してくれたのは1993年出版の『戦争と平和』、そして95年出版の『第三の波の政治』のときだけである。それでも、トフラーの著書はすべて、夫婦が協力した結果だと考えるよう、読者にお願いしたい。
                              アルビン・トフラー
     

第一部 革命
第一章 富の最先端
 本書のテーマは富の未来である。目に見える富と見えない富、急速に近づいてくる未来に生活や企業、世界のあり方を根底から変える革命的な形態の富、これが本書のテーマだ。これが何を意味するのかを説明するために、家族や職から、日常生活にあらわれている時間の圧力や複雑さの増大まで、あらゆる点を以下で取り上げる。真実と嘘、市場と通貨について考えていく。われわれを取り巻く世界にあり、われわれ自身の内部にある変化と抵抗の衝突について、意外な事実をあきらかにする。
 現在の富の革命によって、ビジネスの世界の創造的起業家だけでなく、社会、文化、教育の世界の社会起業家にも無数の機会が開かれ、新しい生き方が可能になるだろう。国内でも世界全体でも、貧困を撲滅する新たな可能性が生まれてくるだろう。だがこの豊かな未来への招待状には警告が書かれている。リスクが増えていくうえ、増え方が加速していくという警告が。未来は気の弱い人には向いていない。
 (中略)
 混乱としか思えない現実から、少なくとも現実を忘れようと、テレビに安らぎを求める人が多く、そこでは「リアリティ番組」が現実と称する芝居を見せている。~非現実性が広まっている。もっと重要な点を指摘するなら、かつて社会に統一性、秩序、安定をもたらしていた学校、病院、家族、裁判所、規制機関、労働組合などの制度が危機に直面して、無様に失敗している。~経済が綱渡り状態にあるうえ、いくつもの制度が破綻していることで、庶民は悲惨な結果になりうる問題に直面している。(中略)

今月の流行
 これらの疑問に答えるのがむずかしいと感じているのは庶民だけではない。専門家もそう感じている。企業の経営者はラッシュ時の改札を通る通勤客のようにつぎつぎに交代しており、~経済専門家の多くも死知識の墓地をさまよっていて、混乱状態にあるのが現実だ。~本書では、未開拓の「基礎的条件の深部」、いわゆる基礎的条件を動かしている要因に注目する。
 基礎的条件の深部に注目すると、意味を成さない混乱状態だと思えたいまの世界が違ってみえてくる。混乱ばかりが目につくことはなくなり、以前にはみえなかった機会があることが分かるようになる。混乱はものごとの一面でしかなかったのだ。そして混乱があるからこそ、あたらしいアイデアが生まれる。
 たとえば今後の経済では、さまざまな分野に大きな事業機会が生まれる。超農業、神経刺激療法、カスタム・メードの療法、ナノ薬学、まったく新しいエネルギー源、連続支払い制度、スマート輸送システム、瞬間市場、新しい形態の教育、敵を殺さない武器、デスクトップ製造、プログラム可能な通貨、リスク管理、監視されているときに警告してくれるプライバシーセンサー、それにかぎらず、あらゆる種類のセンサー、そして当惑するほど多種多様な財とサービスと体験などである。
 これらがいつ利益を生むようになるのか、あるいは利益を生むようにならないのか、これらがどのように収斂していくのか、確実なことは何もいえない。だが、基礎的条件の深部を理解すれば、いまですら、新しいニーズがあり、気づかなかった産業があることが分かる。たとえば「同時化産業」があり、「孤独産業」がある。
 富の未来を予想するには、金銭を得るために行っている仕事だけでなく、「生産消費者」として誰でも行っている無報酬の仕事にも注目する必要がある(後に説明するが、個々人が生産消費者として日常的に行っている仕事がいかに多いか気づけば、たいていの人は衝撃を受けるのではないだろうか)。本章ではさらに、多くの人がそうとは気づかないまま、目に見えない「第三の職」についていることも論じていく。
 生産消費は爆発的に増える状況にあるので、生産消費経済の未来と切り離していては、金銭経済の未来はもはや理解できないし、ましてや予測などできない。金銭経済と生産消費経済は切り離せないものなのである。この二つによって「富の体制」が形成されている。この点を理解すれば、そして両者が支えあっている経路を理解すれば、われわれの生活の現在と未来を深く見通す手掛かりが得られるだろう。(中略)
収斂の可能性
 ~航空機が飛ぶはずがないと主張した専門家が多かったことを思い出すべきだ。ロンドン・タイムズ紙が「電話」と呼ばれる機器が発明されたという報道について、「アメリカ流馬鹿話の最新例」だと伝えたことも。強力な知識工作機器とインターネットを使った科学者の協力に、変化を加速する別の要因がくわわっている。科学技術の発達をそれぞれ独立した動きとしてとらえるのは間違っている。知識の面でも、経済的利益の面でも、ほんとうに大きな成果が得られるのは、二つ以上の飛躍的な前進が収斂するか、組み合わされたときだ。多様な研究が行なわれ、科学者が増え、多数の分野で科学技術が発達するほど、大きな成果を生み出す斬新な組み合わせができる可能性が高くなる。今後何年かに、そうした収斂が多数あらわれるだろう。知識を拡大するための機器の開発は、燃料注入段階のロケットのようなものであり、富の創出の次の段階に向けて前進を準備しているのである。次の段階には、新しい富の体制が世界全体にさらに広まるだろう。いま、革命が起こっている。いまの革命で生まれる新しい文明では、富についての常識のすべてが疑問とされるようになるだろう。
 
第二章 欲求が生み出すもの
 富の未来は明るい。いまの世界には確かに深刻な混乱があり逆流があるが、将来、世界で生産される富が減っていくのではなく、増えていく可能性が高い。しかし、富が増えるのは良いことだと誰もがみているわけではない。古代のアリストテレスらが、最低限の必要を満たせるもの以上に富を追い求めるのは不自然だと考えた。十九世紀には社会主義者や無政府主義者が、富とは不当に収奪されたものだと考えた。現在でも環境原理主義者が「簡素な生活の選択」を呼びかけ、大量消費を悪の元凶とみている。このように、富は悪評を受けてきた。~富とはカネを言い換えた言葉ではない。一般にはそう誤解されていることがあるが、実際にはカネは富を象徴するもののひとつでしかない。富で手に入るもののなかから、金で買えないものもある。自分自身の富であれ、他人の富であれ、富の将来を最大限に幅広い角度から理解するためには、富の源泉に遡って考えていかなければならない。富の源泉は、欲求である。
 


富の意味
 欲求にはなくてはならない必要によるものから、気まぐれな欲望によるものまで、さまざまな種類がある。どのような種類の欲求であっても、それを満たすのが富だ。~富とは、おおまかに定義するなら、経済学で「効用」と呼ばれるものがある何かを、単独でか共有の形で所有していることである。つまり、何らかの形の満足を与えるか、あるいは何らかの形の満足を与える別の形態の富と交換できるものである。いずれの場合にも、富は欲求が生み出すものだ。この点も理由になって、富について考えること自体を嫌う人がいるのである。

欲求を管理する人たち
 たとえばある種の宗教は、欲求は悪だと教える。禁欲的な宗教は貧困の中で忍耐を教え、欲求を満たすのではなく抑制すれば幸せになれると説く。物欲を抑え、何も持たずに生きていくよう教える。インドの宗教は何千年も前からまさにそう教えてきた。それも信じがたいほどの貧困と惨状の中で。
 これに対してプロテスタンティズムはヨーロッパで生まれたとき、まったく逆の教えを説いた。物欲を抑えるのではなく、勤勉に働き、倹約し、高潔に生きるよう教え、この教えに従えば、神の恩寵によって、自分で自分の欲求を満たせるようになると説いた。欧米では広範囲な人たちがこの価値観を受け入れ、豊かになった。欧米ではさらに、欲求をつぎつぎ生み出していく永久機関、広告が生まれた。
 もっと最近ではアジアで、中国のしたたかで老練な共産主義者、小平が1970年代に「金持ちになるのは良いことだ」と語ったと伝えられた。これによって世界人口が五分の一を占める中国で鬱積していた欲求が解き放たれ、時代を超えて続いてきた貧困から抜け出す動きが起こった。(中略)どの社会でも指導者層が欲求を管理している。富の創出の出発点にあたる欲求の管理をしているのである。
 当然のことながら、欲求の水準を高めても、あるいは富や欲求からは少しずれるが、貪欲を奨励しても、それだけで金持ちになる人がでてくるとはかぎらない。欲求を強め、富を追求する文化であっても、富が獲得できるとはかぎらない。だが、貧しさの美徳を教える文化は、まさに求める通りのものを達成するのが普通だ。

富の未来(上)補足について 

2015年01月29日 20時10分41秒 | 富の未来(上)
過去の掲載で、コメントと本文引用が同一であったために削除していた箇所が
ありましたので、以後、以下のとおり掲載します。

富の未来(上) 001  第一章~第二章
富の未来(上) 003  第五章~第八章
富の未来(上) 004  第九章~第十四章

第三の波を現在展開していますが、引用・注釈で富の未来との整合性を確認する
ために途中でブログ内に挿入しますのでご了承ください。

第12章 変貌する主要産業(2-1)

2015年01月04日 21時00分43秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第12章 変貌する主要産業(2-1)
 1960年8月8日、ウエストバージニア州生まれの化学技師モンロー・ラスボーンは、ニューヨークのマンハッタン、ロックフェラープラザを見おろすオフィスで、ひとつの決定をくだした。後世の歴史家たちは、この決定こそ、第二の波の時代の終焉を象徴するものだったと言うかもしれない。
 巨大石油会社エクソンの筆頭重役ラスボーンは、この日、エクソンが産油国政府に支払っていた税金を削減するための行動を起こしたのだ。当時、そのことに注目した者はほとんどいなかった。西側のマスコミはこれを取り上げもしなかった。しかし、彼の行動は産油国政府に電撃的な衝撃を与えた。これらの国の財政は、事実上、全面的に石油社会から取り立てる税金でまかなわれていたからである。
 数日のうちに、ほかのメジャー国際石油会社がそろって、エクソンにならって税金削減を働きかけた。そして一ヶ月後の9月9日、もっともひどい痛手をこうむったいくつかの産油国の代表が、アラビアンナイトの都バグダッドに集まって、緊急評議会を開くにいたった。追いつめられて会議に集まったかれらは、ここで石油輸出国政府による、ひとつの委員会を結成したのである。しかしその後13年間、この委員会の活動はむろんのこと、その名称すら、完全に黙殺されたままだった。わずかな例外は、一部の石油業界誌だった。13年後の1973年ユダヤ暦1月10日、第四次中東戦争の勃発とともに、石油輸出国機構(OPEC)は、突如、暗闇からその姿をあわらし、世界への原油供給を停止するという手段に訴えて、第二の波の経済をいっきょに転落の恐怖へつき落としたのであった。
 OPECは産油国の歳入を4倍に増大させたばかりではない。第二の波の技術体系にくすぶりはじめていた革命の火に、油をそそぐ結果となったのだった。

 太陽エネルギー、そのほかの代替エネルギー
 石油ショックによってエネルギー危機が起きたが、それをめぐって侃々諤々の大騒ぎとなった。その騒ぎのなかで、数多くの計画、提案、意見、それに対する反論などが飛び交った。あまりにも多種多様な議論が起こり、どれが正しいのか選択に困るほどであった。政府の混乱ぶりも、一介の市民となんら変わるところはなかったのである。
 こうした混沌を突き破るひとつの方法は、個々の技術や政策にとらわれず、それらの根底にある、いくつかの基本問題を把握することである。そうすれば、現在行なわれている議論の中には、第二の波の時代のエネルギー体系を前提にして、それを継続、維持しようとする立場と、まったく新しい原則を見出そうとする立場の、二つの考え方があることに気がつくだろう。それを理解すれば、エネルギー問題の全貌が、根本から明快になる。
 さきに述べたとおり、第二の波のエネルギー体系は、再生不可能な資源を前提にしている。エネルギー源は高度に集中化した有限の鉱床から、同じく集中化したカネのかかる技術によって掘り出されている。その種類は限られていて、採掘方法も、採掘場所も、限定されている。これが、産業時代を通じて第二の波の国家が使っていたエネルギー源の特徴である。
 こうした特長を考えた上で、石油危機が生んだいろいろな計画や提案を検討してみれば、どれが古い体系の延長線上にあるか、どれが根本的に新しいエネルギーの先駆となるかは、一目瞭然であろう。石油を1バーレル40ドルで売るべきか否か、原子力発電所をシーブルックにつくるべきかグロンデにつくるべきか、などといったことは基本的な問題ではないのである。産業社会のために開発され、第二の波の特性を前提としている古いエネルギー体系が、はたして将来も通用するかどうかということが、もっと大事な問題なのである。こうした形で問題が投げかけられれば、それに対する答えを考えざるをえない。
 過去50年間、全世界のエネルギー供給源の3分の2は石油とガスであった。しかし、地下に眠る化石燃料に依存する状態が、今後多少の油田が発見されたところで、永久に続くはずがない。これは衆目の一致するところである。この点では、狂信的な天然資源保護論者や追放されたイラン国王まで、太陽熱利用を熱心に唱える人やサウジアラビアの王族から、スマートななりをして書類鞄をかかえた諸国政府の高官にいたるまで、意見は同じであろう。
 統計が示す数字は、まちまちである。世界が暗礁にのりあげるまであと何年もつのか、さまざまな論議が行なわれている。予測は複雑をきわめているし、過去の予言の多くはいまでも馬鹿げて見えるが、ただひとつだけ確かなことがある。もはや石油やガスを油田に新しく補給することはできないということだ。
 結局はどのような形で到来するのか。急激な噴出の後に石油がぱったり止まってしまうのか、何度か石油不足によるひどい社会不安が続いたのちに終局がくるのか、短期間の石油過剰状態と深刻な石油不足の連続の末に終わるのか。いずれにせよ石油時代は終末に近づいているのである。イラン人もクウェート人もそれを知っている。ナイジェリア人もベネゼイラ人サウジアラビア人もこのことに気づいている。だからこそ、石油収入以外の経済基盤を固めようと競い合っているのである。一方、石油会社も石油時代が終わりに近づいていることを知っている。だからこそかれらは石油以外の投資対象に殺到するのである。
(つい先頃、東京である石油会社の社長と会食した際、彼は大石油会社は、ちょうど鉄道会社が現在そうであるように、死滅した恐竜のような存在になるだろうと語った。しかも、それが何十年後というわけではなく、数年のうちにそうなるだろう、と予測していた。)
 しかし、物理的な意味でのみ石油の枯渇を論じるのは、ピントはずれであると言ってよい。なぜかと言えば、今日の世界では、石油の供給量よりも石油の価格の方が、直接的な強いインパクトを持っているからである。しかし、この点から考えても、結論は同じことである。
 このさき何十年間かの間には、ひょっとすると、驚異的な技術革新とか経済変動が起こって、ふたたびエネルギーが豊富に、しかも廉価で入手できる事態が生ずるかもしれない。しかしたとえ、何事が起ころうとも、相対的な石油価格は上昇の一途をたどるであろう。採掘パイプはますます深く掘り下げなければならなくなるし、油田の開発はますます辺境の地へ移り、また石油の買い手が増加して競争が激化するからである。OPECは別として、この5年間にもうひとつの歴史的変化が起こっている。メキシコなどに新たな大型油田が発見されたり、石油の価格がうなぎのぼりに上がったりしているにもかかわらず、確認された、商業的に採算のとれる原油保有量は、増加するどころか減少していることである。こんなことは、過去数十年間見られなかった。この事実が、石油時代にブレーキがかかっていることを示すもうひとつの証拠である。
 一方、世界の全エネルギー源の3分の1は石炭である。石炭も、いつかは、必ず掘りつくされてしまうことに変わりは無いが、現在のところまだかなりの埋蔵量がある。しかし、石炭の大量消費は、大気汚染をもたらし、(空気中の炭酸ガスの増大によって)世界の気候を悪化させ、結局は地球を荒廃させることになるだろう。今後十数年間、これらの弊害を必要として許容したとしても、石炭を自動車のガソリンタンクに入れるわけにはいかないし、現在石油やガスを使っているすべての分野で、すぐ石炭に代役をつとめさせることもできない。一方、石炭をガス化したりするための工程は、莫大な資本と、農業用水が不足するほどの大量の水を必要とするので、結局、経費がかさむ割には効率が悪いということになる。石炭のガス化や液化は、不経済で、非能率であり、一時の便法にしかならないのである。
 原子力技術も、現在の開発段階では、よりいっそうむずかしい問題をかかえている。現在使われている原子炉はウラニウムを利用しているが、ウラニウムそのものが限りある資源である。また、安全性にも問題があり、たとえこの問題を完全に克服できるとしても、そのためには極端な経費がかかる。核燃料廃棄物の処理の問題も、完全に解決されてはいない。いまのところ、原子力は非常に高価なものであり、他のエネルギー源と競争していくためには、政府の補助金が不可欠である。
 高速増殖炉は、それ自体としては、非常にすぐれた技術である。核反応によって出てくるプルトニウムがそのまま燃料として使えるという話をはじめて聞いた人は、永久に運動を続ける機械だと思い込んでしまう。しかし、これも所詮は世界でほんの少量しか埋蔵されていない、再生不可能な資源、ウラニウムに依存しているのである。高速増殖炉は高度に集中管理された、おそろしく経費のかかるしろもので、危険物質がもれる恐れもある。その上、核戦争の可能性、テロリストによる核物質の盗難の危険性をもはらんでいる。
 エネルギ-問題が困難な状況にあるからといって、ふたたび中世の生活に戻らねばならないとか、経済進歩がこれ以上望めないなどと考える必要はない。ただ、人類がひとつの発展路線の終点に到達してしまっており、これまでとは違う、新しい路線で出直さなければならないことは確かである。第二の波のエネルギー体系を維持することができなくなったということである。
 世界が、まったく新しいエネルギー体系へ移行する必要性は、もっと根本的な原因によっても明らかである。エネルギーというものは、農村経済であれ産業経済であれ、その社会の技術水準や生産様式、市場や人口の分布、そのほかいくつかの条件に見合ったものでなければならない、というのがその理由である。
 第二の波のエネルギー体系は、技術上のまったく新しい発展段階に即してでき上がったものである。石炭や石油という化石燃料が技術発展を促進させたのは事実だが、その逆もまた真なり、ということが言える。産業時代に開発された、常に大量のエネルギー源を必要とする貪欲なテクノロジーが、急ピッチで石炭や石油を採掘させたのである。たとえば、石油を例にとると、石油企業が急速に成長したのはまったく自動車産業の発展の影響であり、一時は、石油会社はデトロイトの付属品のようなものだった。かつてある石油会社の調査部長だったドナルド・E・カーは、その著書『エネルギーと地球の仕組み』のなかで、「石油産業は、“ある種の内燃機関の奴隷”になった」と述べている。
 われわれは、いま、ふたたびテクノロジーの歴史的飛躍を迎えようとしている。来るべき新しい生産システムは、全エネルギー産業の抜本的な再構成を必要とするであろう。OPECがテントをたたんで、静かに歴史の舞台から退場することを余儀なくされる、といった事態も予想されるのだ。
 なぜならわれわれが見落としている重大な事実は、エネルギー問題は量の問題だけではなく、エネルギー体系の構造の問題であるということである。われわれが必要としているのは、一定量のエネルギーだけではない。いま、必要とされているのは、もっと多様な形で、さまざまな場所(あるいは変化する地点)で、昼夜を分かたず、一年をとおしてさまざまな時刻に、思いもよらぬ目的のために入手できるエネルギーである。
 世界中の人びとが従来のエネルギー体系にとって代わるエネルギーを探し求めているのは、まさにこういう理由からであった、OPECの価格決定がすべてではないのである。新しいエネルギーの探求は、巨額の金と想像力を駆使して休息に進められているが、その結果、多くの驚異的な可能性がつぎつぎと検討されるようになった。もちろん、経済変動そのほかの混乱が、エネルギー体系の移行をおくらせるマイナス要因になることも考えられるが、より大きなプラス要因も存在する。それは、歴史上かつてなかったほど多くの人びとがエネルギー探求に熱中しているということ、そしてかつてなかったほど多くの斬新で、関心をそそる可能性が眼前に開けているということである。
 現段階では、どんなテクノロジーを組み合わせればどの目的にもっとも効果的であるかを判断するのはどう見ても困難であるが、利用しうる道具立てと燃料は、膨大になるにちがいない。そして、石油の価格が上昇するにつれて、かなり風変わりなエネルギーでも十分商業的に成り立つ見込みが出てくる。
 現在、可能性のあるものとしては、太陽光線を電気に転換する光電池(テキサス・インスツルメンツ社、ソラレックス社、エネルギー・コンバージョン・デバイス社など多数の企業が研究開発中である)とか、ソ連で計画中の、対流圏と成層圏の境界に風車つきの風船を打ち上げて地上に向けてケーブルで電気を送る方法などがある。ニューヨーク市は町中から出るごみをある会社に燃料として売却しているし、フィリピンではヤシの殻で発電するプラントを建設中である。イタリア、アイスランド、ニュージーランドでは
地熱発電を行なっているし、日本では、本州の沖合いに500トンの箱舟を浮かべて、波力発電を実験中である。屋根に据えつける太陽熱温水器は全世界に普及しているが、南カリフォルニア・エジソン社では太陽熱をコンピュータで操作する多数の鏡で受け、それを蒸気ボイラーに送って発電して、同社と契約している家庭へ送電する計画を進めている。目下、「発電タワー」を建設中である。西ドイツのシュツットガルトでは、ダイムラー・ベンツ社が開発した水素を動力に使ったバスが街を走っている。ロッキード社のカリフォルニア工場では、水素燃料で飛ぶ航空機の研究が進められている。新しい手段がこのように、次から次へと開発されており、枚挙にいとまがない。
 これらの新しいエネルギーを開発する技術は、それを貯蔵し、輸送する新しい手段を開発することによって、さらに輝かしい将来を拓いてくれるだろう。ゼネラル・モーターズ社が最近発表したところによれば、同社は電気自動車用の高性能バッテリーを開発したと言う。NASAの研究所では、従来の鉛と硫酸を使ったバッテリーの3分の1のコストで製造できる「レドックス」という蓄電装置を完成した。さらに長期的な展望にたてば、超伝導の探究も行なわれているし、「まともな」科学の領域を超えたものと言われる、最小限のロスでエネルギーを伝導するテスラ波の研究も行なわれている。
 これらのテクノロジーは、大部分まだ初期の開発段階にあって、なかには実用化にほど遠いものも多い。しかし、いますぐにでも商業化できるものや、10年、20年先に商業ベースにのるものもある。この場合、飛躍的な進歩はひとつの独立した技術から生まれるというより、むしろ、いくつかの技術を併用したり組み合わせたりする、豊かな創造力によって生み出されるものだということを忘れてはならない。このことは、しばしば、見過ごされているようだ。たとえば、太陽光電池によって電気を起こし、その電気で水から水素を抽出し、それを自動車に使う、といった具合に考えねばならないであろう。残念ながら、われわれはまだ次の時代へ向かって離陸したとは言えない。しかし、以上述べたような多くの新しい技術を結合することによって、さらに多くの潜在的な可能性が陽の目を見ることとなり、第三の波のエネルギー体系の構築が急速に進展することになるであろう。
 第三の波のエネルギー体系は、第二の波のそれとはまったく異質な、いくつかの特徴を備えている。まず第一に、供給源は枯渇せず、再生可能なものが多くなる。また、高度に集中化された燃料にたよらず、広い範囲に散在する、バラエティに富んだエネルギーになるだろう。エネルギーの生産技術も、いまほど厳密に集中化されたものでなく、集中化した技術と拡散した技術とを、組み合わせたものになるだろう。
限られた生産方法と資源に過度に依存しているという危険な状態を脱して、エネルギー形態は極端なほど多様化するにちがいない。エネルギーの多様化によって、われわれは、ますます多様化する需要に合致した、エネルギーの種類と量を選択することができるようになり、その結果、エネルギーの浪費を防止することも可能になるだろう。
 一言で言えば、いまはじめて、過去300年間のエネルギー体系から180度転換した原則に立脚する体系が、われわれの眼前にその姿をあらわしはじめたのである。しかし、第三の波のエネルギー体系が確立するまでには、厳しい闘いが待っている。
 すでに高度の技術を持った国ぐにで、始まっているこの闘いは、アイデアと巨大な資本を要し、敵味方、二つの陣営で闘われているのではなく、まさに三つ巴の闘いとなっているようである。まず第一グループは、古い、第二の波のエネルギー体系に投資している人びとである。かれらは、石炭、石油、ガス、原子力、およびその代替品など、従来のエネルギー源と技術を支持しているから、第二の波の“現状維持”のために闘うのである。かれらは石油会社とか公共事業体、原子力委員会、鉱山会社、それにいま述べた組織、団体に働く労働組合のメンバーなどを砦として立て篭もっているので、第二の波の勢力は、難攻不落の陣をしいているように見える。
 これにくらべて、第三の波のエネルギー体系を推進しようとする勢力は、消費者グループ、環境保護運動家、科学者、産業界の最先端をゆく企業家やその同調者で構成されているが、かれらは散り散りばらばらで、資金も乏しく、政治的にも無力な場合が多い。第二の波のための宣伝に力を入れている人びとによれば、あまりに素朴で、経済観念が乏しく、空想的な技術に目がくらんでいるのがこの第三の波を支持する人びとだということになる。
 不幸なことに、第三の波の支持派は、第三の勢力の代弁者と誤解されがちである。第三の陣営とは、第一の波の支持者で、新しい高度の知識と科学にもとづく永続的なエネルギー体系を求めて前進しようとはせず、産業革命以前への回帰を主張する人びとである。その立場を極端におし進めれば、技術はほとんど排除され、人間の行動範囲は限定され、都市は縮小してやがて滅び、自然保護という名のもとに禁欲生活を強いられることになってしまう。つまり、第三の波の支持者たちはこのように誤解されがちなのだ。
 第二の波の陣営に属するロビイストや、広報担当者、政治家たちは、第三の波の勢力と第一の波の支持者とを意識的に同一視することによって世論を混乱させ、第三の波の勢力を不利な立場へ追い込んでいる。
 しかし、最後に勝利をおさめるのは、第一の波でもなければ第二の波でもない。前者は幻想を追い求め、後者は難問、というより解決方法のない問題をかかえた古いエネルギー体系にしがみついているのだ。
容赦なく上昇する第二の波のエネルギーのコストは、第二の波にはなはだしく不利に作用している。このほかにも第二の波の立場を不利にしている要素はたくさんある。たとえば第二の波のエネルギー技術の投資コストの急騰である。第二の波の技術では、ほんのすこしの「純」エネルギーをとり出すために、大量のエネルギーを消費するという事実がある。ますますエスカレートする公害問題も不利である。核利用
に伴う危険もある。多くの国で、自分たちの利益に反する原子炉、露天掘り鉱山、大発電所の建設に反対して、民衆は警察権力と闘うことも辞さない姿勢を示している。非産業世界に増大する自分自身のエネルギーを持ちたいという欲求、そして、自国の資源をより高く売りつけたいという欲求、これらのすべてが、第二の波のエネルギー体系にとって不利な要因となっているのである。
 要約すれば、原子炉とか石炭ガス化、石炭液化などの技術は、一見、「進んだ」「未来型」のものに見えるため、「革新的」な技術であると思われがちだが、実は、致命的な矛盾にしばられて身動きできなくなった、第二の波の過去の産物にすぎないのである。なかには、一時の便法として有用なものもあるだろうが、本質的には時代逆行の技術なのである。同様に、第二の波の勢力がいかに、強大に見え、それに対抗する第三の波の支持者が弱小に見えようとも、過去に多くを賭けるのは愚かなことである。問題は、第二の波のエネルギー体系が崩壊するか否か、新しい体系にとって代わられるかどうか、ということではなく、その時期がいつかということである。エネルギーをめぐる闘争は、それに劣らず重要なもうひとつの変革・・・第二の波のテクノロジーの崩壊・・・と複雑にからみ合っているからである。(2-1) 

第11章 新しい統合

2015年01月01日 00時11分18秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第三の波
第十一章 新しい統合
 ちょうど20世紀後半の幕があがった1950年1月、22歳の痩身の青年でだった私は、インクの香りも新しい大学卒業証書を手にし、実社会の荒波のなかに乗り出すべく、夜どおしバスに乗っていた。隣席にガールフレンドを座らせ、座席の下にはぎっしり本のつまった安物のスーツケースを置いて、私は雨に洗われた窓の外を眺めていた。紫がかった暗灰色の夜明け・・そこには、行けども行けどもアメリカ中西部の工場群が続いていた。
 当時のアメリカは、世界の心臓部と言ってよかった。五大湖で知られるこの地帯は、そのアメリカの産業の中心であった。そして、工場こそ、この心臓のなかの心臓とも言える地域の、鼓動の源であった。製鋼工場、アルミニウム工場、工作機械工場や圧穿工場、製油所、自動車工場などのすすけた建物が立ち並んでいた。そしてその工場のなかでは、鉄板の打ち抜き、パンチやドリルによる穿孔、プレス、溶接、鍛冶、鋳造などの巨大な機械がうなりをたてて作動していた。工場は産業時代全体のシンボルであった。ほどほどに安楽な中流の下といった家庭で育ち、大学の四年間、プラトンやT・S・エリオット、美術史、抽象的な社会科学理論などを学んでいた青年にとって、工場に代表される世界は、エキゾチックだという点では、ウズベク共和国の首都タシケントや、南米大陸南端のフエゴ諸島と変わらなかった。
 私はそれから5年間、これらの工場ですごした。事務員でもなく、人事担当者のアシスタントでもなく、組立工、機械の据えつけ工、溶接工、フォークリフトの運転手、パンチプレス機のオペレーターとして働き、送風機のファンを打ち抜き、工場に機械を据えつけ、アフリカの炭鉱向けの巨大な粉塵制御装置をつくり、アッセンブリーラインの上をガタガタ、キーキー音を立てながら流れていく軽トラックの、最後の仕上げをしたりした。産業時代の工場労働者がいかに苦労しながら生計を立てているか、私はそれを肌で学んだのである。
 私は工場の粉塵や煙を吸った。耳は蒸気のシューシューいう音やチェーンのガチャガチャいう音、それにコンクリートミキサーのうなりで、鼓膜も破れんばかりであった。白熱した鋼鉄を注ぐ時のあの熱気。足には、アセチレンの火花でやけどした跡が残っている。私は交代時間がくるまで、心も筋肉もきしみ出すほど、まったく同じ動作をくりかえし、何千という部品を生産した。私は、労働者が持ち場を離れないように監督しているマネージャーを観察した。ホワイトカラーもまた、上役によって絶え間なく追いまくられ、はっぱを掛けられているのだった。機械に指を四本もぎとられて、血まみれになっている65歳の女性を助け出す手伝いをしたこともある。「畜生、これじゃもう、働けやしない。」その時の老女の叫び声は、いまでも私の耳にこびりついて離れない。

 工場、 ・・なんとその時代の長かったことか。しかし、今日では、建築中の新工場もないわけではないが、工場を聖堂とするような文明は滅びつつある。そして、いま現在、世界のどこかで、また別の青年男女が、姿をあらわしつつある第三の波の文明の心臓部に向かって、一晩中車を運転しているのだ。かれらの「明日への探究」とでも言うべきものに参加することこそ、本書のこの章以下の作業である。
 もし、かれらの後を目的地まで追っていくことができたとしたら、いったいわれわれはどこに行き着くことになるのだろうか。炎に包まれて大気圏外に突進していく、ロケットの発射台に行き着くのだろうか。それとも、海洋学の改訂実験室であろうか。原始生活を営む家族が集まったコンミューンなのか、人工頭脳の研究集団なのか。それとも狂信的な新興宗教の教団なのか。そうした青年たちは、自ら求めて簡素な生活を送っているのか。かれらは原始共同体のような生活をしているのだろうか。それとも、テロリストに銃を運んでいるのだろうか。いったいどこで、未来はつくられているのだろうか。
 もし、われわれ自身の手で同じような未来への探究を計画するとしたら、その地図をどうやって準備したらよいのだろうか。未来はすでに現在のなかではじまっている、などと言うのは簡単だ。しかし、いったいどの現在なのか。われわれの時代、現在は矛盾に満ちあふれ、散り散りに分裂している。
 現代のこどもは、麻薬とかセックス、宇宙ロケットの発射などについて、すっかり慣れっこになってしまっている。こどもによっては、コンピュータについて、親よりよほど知識が豊かだ。にもかかわらず、学校の試験はかれらの上に重苦しくのしかかっている。離婚率は依然上昇を続けており、しかしその一方で、再婚率も上昇している。反フェミニストさえ支持する女性の権利拡大が実現してきたかと思っていると、もうそれと時を同じくして、ほかならぬ反フェミニストたちの発言力も増してきている。ホモも自分たちの権利を主張しはじめ、勢いよく密室から出てくる。すると、それを待っていたかのように、突如、同性愛者に対する差別撤廃条令の制定に反対して、フロリダ州に住むアニタ・ブライアントという女性が、「ホモの手からこどもを救え」と叫びはじめる。
 手のほどこしようもないインフレが、第二の波に属するすべての国を襲っている。にもかかわらず、失業問題は深刻の度を加える一方で、古典的経済学理論ではどうにもならなくなってきている。そしてこの失業問題の深刻な時代に、需要と供給の論理を無視して、何百万という人間が、単に生活に困らなければよいというだけではなく、創造的な、心理的にも充足感があり、社会的にも責任ある仕事を求めているのだ。経済学だけでは、どうにもわかならないことがふえるばかりである。
 政治の世界では、たとえばテクノロジーといった、世の中の主要な問題がかつてないほど政治色を強めた時点で、政党は逆に、忠誠心の厚い党員から見放されてしまった。また、地球上の広範囲にわたって、グローバリズムの名のもとに国民国家が攻撃にさらされている時代に、逆にナショナリストの運動が勢力を強めている。
 こうした矛盾に直面して、われわれは世の中の動向とその背後にあるものを、どうやって見分けることができるだろうか。残念ながら、この問いに対して、魔法の答えの持主などひとりもいない。コンピュータがはじき出すさまざまな解答、さまざまな図表、未来学者がもっともらしく活用する数理的モデルやマトリックスにもかかわらず、われわれの未来を予測したいという欲求は、当然のことながら、客観的な科学というよりは、むしろ想像力の産物といった域を出ていない。さらに言えば、今日の状況の理解ですら、そうした段階にとどまっているのだ。
 体系的な研究は、われわれに多くを教えてくれる。しかし、いくら論理的にやってみても矛盾はある。推量をし、空想力をはばたかせ、そして大胆な(仮説としての)統合に頼らざるをえない。
 したがって、以下各章で未来を探究していくにあたっては、単に世の中の動向を知るだけでは十分でない。いかに困難であろうと、われわれは直線的思考の誘惑に抵抗する必要がある。多くの人びとは、大方の未来学者まで含めて、明日は単なる今日の延長と考えている。時代の趨勢というものが一見いかに強力に思えても、単純に、直線的に継続するものではない、ということを忘れてしまっている。こうした流れは頂点に達すると分裂を起こし、さまざまな新しい現象が生まれる。流れの方向が逆になることもあるのだ。流れが止まったり、また動き出したりする。なにかがいま起こっているからといって、あるいは過去300年続いて起こってきたからといって、今後も続いて起こるという保証はなにもない。そこで以下各章では、こうした矛盾、相克、方向転換、そして断絶点といった、未来を常に番狂わせなものにする要素を、正確に見つめていくことにしたい。
 さらに重要なことは、表面的には相互に無関係に見えるさまざまな出来事の間の、かくれた関係を発見していく、ということである。半導体やエネルギーの未来を予測しようと、(自分自身の家族も含めて)家族関係の将来を予測しようと、それ以外のものは不変だという前提に立っての予測であれば、ほとんど役に立たない。世の中に、不変なものなど存在しないからだ。未来は流動的であって、凍結状態にあるわけではない。未来はわれわれが毎日の決定をどう変えていくかにかかっており、ひとつひとつの出来事が、ほかのすべてに影響する。
 第二の波の文明は、われわれが問題をその構成要素に分解する能力を、極端なまでに重視してきた。それに対し、ばらばらに分解された部分を再構成する能力の方は、それほど重視しなかったのである。大多数の人間は、文化的には、統合より分析の方に手慣れている。われわれの未来に対するイメージ、そして未来におけるわれわれ自身のイメージが、非常に断片的で一貫性に欠け、したがって誤っているのは、このためである。本書の使命は、スペシャリストとしてではなく、ゼネラリストとして未来を考察していくことにある。
 今日、われわれは新しい統合の時代のスタートラインに身を置いている、と私は考える。自然科学から社会学、心理学、そして経済学と、学問のあらゆる分野で、ふたたびスケールの大きい考え方、総括的な学説、ばらばらになった部分の再編成に回帰する傾向が出てきているように思われる。とくに経済学にその傾向が強い。なぜなら、全体としての脈絡なしに細部を数量化することばかり重視し、次第に重箱の隅をつつくような問題に目を奪われてしまったからだ。しかも、ひたすらそれを上品な手つきで扱うことだけにこだわっていたのだ。そのようなやり方だと、われわれの知識そのものが次第に限定されてしまうということに、いま、ようやく気がつきはじめたのである。
 したがって、次章以下の概論は、われわれの生活をゆさぶっている変化の流れを探り出し、それらの流れの相互関係を明らかにすることになろう。流れのひとつひとつがそれ自体重要なこともさることながら、こうした変化の流れが合流して、より大きな、より深い、より早い変化の大河を形成し、そして今度はその大河が合流を重ねながら、次第により大きな流れ、つまり第三の波を形成する過程を明らかにしたいのである。
 今世紀のちょうど折り返し点で、当時の世界の心臓部を見ようと旅立った青年と同じように、われわれもいま、未来への探究の旅をはじめるわけである。この探究は、われわれの一生のうちでも、もっとも意味あることになるはずである。

第十章 鉄砲水

2014年12月24日 02時04分46秒 | 第三の波
March,1980
Alvin Toffler, The Third Wave, William Morrow, New York, 1980
第三の波 昭和55年10月1日 第1刷発行 アルビン・トフラー著 徳山二郎 監修
鈴木建次 菅間 昭 桜井元雄 小林千鶴子 小林昭美 上田千秋 野水瑞穂 安藤都紫雄 訳

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第十章 鉄砲水
 産業時代は、悠久の歴史のなかでみると、わずかに三世紀という短い期間の、鉄砲水のような出来事であった。産業革命はなぜ起こったのか。第二の波はなぜ全世界を席巻しえたのか。それは、まだ謎である。 小さな変化の流れが、たまたまこの時期に合流し、大河となった。新世界の発見は、産業革命前夜のヨーロッパに、文化の面でも経済の面でも、大きな刺激を与えた。人口の増大は都市への人口流入をうながした。イギリスでは森林資源が枯渇したため、燃料を石炭に切り換えざるをえなかった。このため、炭鉱の坑道はますます深くなって、従来の馬が動かしていた揚水機では、坑内に湧き出る水を排水しきれなくなってきた。この問題に対処するために開発されたのが蒸気機関である。蒸気機関の完成は、新しい科学技術のすばらしい可能性を、いっせいに開花させることになった。やがて、産業を中心にすえた考え方がひろがり、教会や政治の権力を脅かすことになる。文盲率が低下し、道路が改善され、交通機関が発達すると、これらの変化は一点に集中し、歴史の堰をきっておとす力となったのである。
 産業革命の原因はなにかという問いは、不毛である。原因はひとつにしぼることができないし、ほかにくらべてとくに有力な原因をあげることもむずかしい。歴史は工業技術の発展だけで展開するわけではない。理念とか価値観といったものも、単独で原動力になるとは考えられない。歴史を動かす力を階級闘争にだけ求めるのも、間違いである。生態的変化や人口の動態、通信技術上の発明といったものを記録するだけが歴史ではない。産業革命にしても、ほかの歴史上の出来事にしても、経済学的視点からだけでは説明ができない。原因をひとつだけにしぼって、あとはみな従属的な要員だと言い切れるようなものがあるわけではない。さまざまな要因が際限なく、複雑にからみあっているのである。
 迷路のように入りくんだ原因を解明しようとしても、それらの相互作用をつきとめることすら不可能である。せいぜいできることと言えば、それぞれの目的にいちばん合致した要因に焦点をあててみることになる。しかし、それとても、なぜその要因だけをとりたてて選ぶのかを説明するのは、無理だということを認識する必要がある。そうした前提をふまえたうえで、第二の波の文明を形成する力となった諸要因のなかで、生産者と消費者とが分断され、その間の亀裂がひろがったこと、資本主義国においても、社会主義国においても、市場と呼ばれる網の目のような流通網が形成されたことが、もっとも影響力のはっきりしている点だと言うことができよう。
 生産者と消費者が分断され、時間的にも空間的にも、社会的にも心理的にも、その距離がひろがればひろがるほど、市場が現実の社会で果たす役割は重要になった。市場は驚くほど複雑になり、人びとの一連の価値観にも影響をおよぼし、市場というものの持つ比喩的な意味や、それを成り立たせている暗黙の前提が、社会全体を支配するようになった。
 すでに見てきたように、近代の貨幣制度は、この生産者と消費者との間に打ち込まれた見えない楔によって生まれた。中央銀行の制度も、株式市場も、世界貿易も、政策を立案する官僚も、すべてを量でとらえる計量主義的な考え方も、契約至上主義の倫理も、物質主義的傾向も、狭い意味の立身出世主義も、信賞必罰主義も、みな生産と消費の分離と貨幣制度の確立がもたらしたものである。性能の高い計算機がうまれたのもそのためである。計算機の文化的意味を、われわれは軽視しているきらいがある。生産者と消費者との分離は、規格化、分業化、同時化、そして中央集権化に向かって、さまざまな面から拍車をかけた。男性と女性の役割分担や気質のちがいも、この生産と消費の分離に負うところが多い。第二の波をよびさました要因は、ほかにもたくさんある。しかし、大昔から一体であった生産と消費の間に楔を打ち込んだという事実は、それらの要因のなかでも、とくに重視しなければならない。この分裂の余波は、今日なお続いている。
 第二の波の文明によって技術革新が起こり、自然や文化が変わったばかりではない。人間そのものが変わり、その結果、新しい性格を帯びた社会が生まれることになった。もちろん、女やこどもも第二の波の文明を形成するのに寄与し、また第二の波は逆に、女やこどもにも影響を与えた。しかし、男性は女性より直接に市場にかかわりを持ち、新しい仕事のやり方を経験したので、はっきりと産業主義的性格を身につけた。したがってこの場合は、こうした新しい性格を要約して産業的人間=インダスリアル・マンという言葉を用いても、女性の読者に許していただけるのではないかと思う。
 産業的人間は歴史上のいかなるタイプの人間とも違っている。エネルギーという奴隷を支配し、その上に君臨することによって、自分の微弱な力を極度に強化した。反面、産業的人間は、工場と似たり寄ったりの環境のなかで、機械と組織を相手に生涯の大半を過ごすことになり、そこでは、個人がまるでちっぽけな存在になってしまった。幼い頃から、生きていくためには金銭が必要だということを教え込まれるようになったが、こんな事態は歴史上はじめてであった。彼は核家族の一員として育ち、工場に似せてつくられた学校に通うのが普通である。そして、世の中のことは、だいたいマスコミをとおして知る。彼は大会社に勤めるか官庁に勤務し、労働組合とか教会などの組織に所属して、自分の力をそれらに按分しながら生きている。自分の住む町や村への帰属意識はうすれ、国家への帰属意識が強くなった。自然と対峙して生活し、日頃から自然を荒廃させる仕事をしている場合が多い。それにもかかわらず、終末になると自然を求めて旅に出かける。(逆説的ではあるが、自然を痛めつければ痛めつけるほど、自然をロマンチックに謳いあげ、言葉の上だけで自然を賛美するのである。)産業的人間は自分自身を、巨大化した経済、社会、政治体系のからみあいの中のほんの一部と考えるようになり、それらの諸体系のあまりの複雑さに、そのひろがりを見失ってしまうのである。
 こうした現実に直面して、産業的人間はしばしば反抗を試みたが、失敗に終わった。生活のために闘い、社会から要請されている自分の役割を演じる術を心得るようになった。与えられた役割には不満なことが多かったが、やがて順応してゆく。生活水準は向上したが、自分自身では豊かな社会の犠牲者だと思っている。産業中心の社会では、時間は直線であり、自分自身は、過去から未来に向かって秒きざみで、ひたすら走り続け、行き着く先は墓場だと感じている。死が近づくにしたがって、この大地も、そこに住む人間も、広大な宇宙の中の一点に過ぎないことを悟るのだった。宇宙の運行は機械のように正確で、また冷酷なのだ。
 産業的人間は、それまでの人間がさまざまな意味でまったく知ることのできなかった世界に、身を置くことになった。人間の五感に訴えるものまで変わってしまったのである。
 第二の波は、音の世界も変えた。雄鶏の時をつくる声は工場のサイレンにとって代わられ、こおろぎの声はタイヤのきしむ音にかき消された。夜は昼のごとく明るくなり、就寝時間が遅くなった。これまでだれも目にしたことのない、視覚の世界もひらけた。宇宙から、人間の目では見ることができない地球の写真が送られてくるようになり、一部の映画には、シュールレアリズム的モンタージュがあらわれた。電子顕微鏡は、生命の神秘を解明してくれた。下肥のにおいはしなくなり、代わってガソリンやフェノールのにおいが鼻につくようになった。肉や野菜の味も変わった。五感に訴えるすべての世界が変わったのである。
 人間の体さえ、変化があらわれた。標準的身長が現在のように高くなったのも、この時代に入ってからである。何代にもわたって、こどもが親の身長を追い越し続けてきた。人間の身長に対する考え方にも、変化があらわれた。ノーバート・エライアスは『文明化の過程』のなかで、「16世紀までは、ドイツでもほかのヨーロッパ諸国でも、全裸の人間を目にすることはごく当たり前のことであった」と述べている。裸を恥ずかしいと思うようになったのは第二の波がひろまって以後のことである。夜は寝間着を着て寝るようになり、寝室でのふるまいも変わってきた。食卓用のフォークやナイフが普及した結果、食事まで作法がとやかく言われるようになった。動物の死体を食卓にのせることをめでたい、楽しいことだと考えていた文化から、「肉料理でも、動物の死を連想させる盛り付けは極力避ける」文化へと移行したのである。
 結婚は、経済的な便宜以上の意味を持つようになった。戦争も機械化され、流れ作業のような様相をみせるようになった。親子関係が変わり、社会階層の下から上へ上昇できる可能性が高くなるなど、人間関係がすべての面で変わってきた。そうなると、何百万という人びとの自意識にも、重大な変化があらわれた。
 経済的にも心理的にも、社会的にも政治的にも、その変化はあまりに広範囲にわたるので、人間の頭脳はそれをどうとらえていいのか、戸惑ってしまった。ひとつの文明を評価するには、なにを基準にしたらよいのか。その文明のなかで生きている、大衆の生活水準を基準に評価すべきだろうか。その文明の周辺に生きている人びとに、どのような影響を与えたかという尺度で評価するのはどうだろうか。それとも、生態系に与えた影響も考慮すべきなのだろうか。すぐれた芸術作品を生んだかどうかという基準は成り立つだろうか。その文明が人間の寿命をどのくらい伸ばしたか、科学的成果がどのくらいあがったか、個人にどれほど自由が保証されているか、などを評価の基準にしてはどうだろうか。
 第二の波をかぶった地域には、大恐慌もあり、おそるべき人命の浪費もあった。それにもかかわらず、普通一般の人びとの物質的生活水準が向上したことは確かである。産業中心主義の批判者たちは、18世紀から19世紀にかけてのイギリスにおける労働者階級の悲惨な生活をとりあげ、第一の波の時代をしばしばロマンチックに理想化して描くことが多い。昔の田園生活は心暖まるもので、互いに仲むつまじく、堅い絆で結ばれていた。そして、単なる物質的価値よりも、精神的価値を重んじる時代であったというのである。しかし、歴史的にふりかえって調べてみると、美しい田舎の村も、実際には栄養不良や病気、貧困、浮浪者のはきだめであり、暴虐の温床であったことがわかる。人びとは飢えと寒さに対してまったく無防備で、地主や親方の鞭からのがれる術さえ知らなかった。
 大都会またはその周辺に発生した忌まわしいスラム街については、すでに語り尽くされてきた。粗悪な食べ物、病気を蔓延させる不衛生な水道、みじめな救貧院、絶え間ない暴力沙汰などである。たしかにそれは、ひどい暮らしぶりであったにちがいない。しかし、これも産業革命以前に同じ人びとが経験していた生活条件にくらべれば、大方の人にとって、かなり良くなっていたのは明らかである。イギリスの著述家ジョン・ベイジーは、「イギリスの農村が牧歌的だというのは誇張である」と述べている。かなりの人にとって、農村から、スラム街といえでも都市へ移動するということは、実際には、平均寿命を指標として見ても、住宅条件や食べ物の量や質の点から見ても、飛躍的な生活水準の向上を意味したのである。
 保健医療についても、ガイ・ウィリアムズの『苦悩の時代』やL・A・クラークソンの『産業革命以前のイギリスにおける死・病・飢饉』を一読すれば、第一の波の文明を讃美して、第二の波の時代を批判するのが誤りであることは、すぐわかる。クリスティーナ・ラーナーは、これらの書物に対する批評の中で述べている。「社会史研究家や人口統計学者の研究によって、ひろびろとした農村にも、不健全な都会と同じように、病気や苦悩、死などが蔓延していたことが明らかになっている。平均寿命は短かった。
16世紀には40歳くらいであり、17世紀になると疫病が流行し、35,6歳まで低下した。ようやく40代のはじめまで回復したのは、18世紀に入ってからのことである。・・・結婚しても、夫婦で長い間いっしょに暮らせるのは稀で、幼児の死亡率は極めて高かった。」現在の保健医療行政は間違っており、危機的であるという声を聞く。たしかに現在の保健医療にも問題があるだろうが、産業革命以前には、公的医療は皆無であり、放血が治療として行なわれ、手術は麻酔なしに行なわれていたのである。
 その時代の主な死因は、ペスト、チフス、インフルエンザ、赤痢、天然痘、結核であった。ラーナーは、冷徹な調子でこう書いている。「保健医療の進歩といっても、たかだか死因が少しばかり入れ替わっただけではないかという識者もいる。しかし、そのおかげで、われわれは多少とも長生きができるようになったのである。産業革命以前には、伝染病が年寄りばかりでなく、若者をも無差別に死に追いやっていたのだ」
 さて、保健医療や経済の問題から、芸術やイデオロギーの問題に目を転じてみよう。産業化の時代は物質主義一辺倒の時代だとも言われる。しかし、この時代はそれ以前の封建時代にくらべて、精神的により不毛な時代だったのだろうか。工業を重視し、機械を中心にすえた発想は、前の時代にくらべて新しいものの考え方を、より積極的に受け入れなかっただろうか。たとえば、中世の教会や専制君主にくらべて、どちらが異端に対して寛容だっただろうか。現代の肥大化した官僚機構はうとましいが、それとて、何世紀も前の中国や古代エジプトの官僚制とくらべれば、どちらがより硬直しているだろうか。芸術の面では、ここ300年ほどの間、西欧の小説や詩、絵画などは、それ以前の時代の芸術、あるいは西欧以外の地域の芸術にくらべて、活力がなかったと言えるだろうか。深みがなく、新しい境地を切り開くことがなかった、単純な作品だと言い切れるだろうか。
 第二の波の文明は、われわれの父や母の世代の生活条件を工場させるのに大いに貢献した反面、もちろん、暗い面のあることも事実である。それははじめから予定されていたというよりも、副作用とでも呼ぶべきものであろう。そのひとつは、地球上の生態系をおそらく修復不能なまでめちゃくちゃに破壊してしまったことである。自然を軽視する産業的現実像、人口の増加、科学技術の非人間性、それからまた、第二の波の文明自体が常に拡大再生産を必要としていたことなどが原因となって、歴史上かつてない決定的な自然破壊が起こった。産業化以前の都市には、馬の糞が落ちていたというような話を読んだことがある。
汚染というのはなにも目新しいものではないという証拠として、よくもちだされる例である。たしかに、昔の都市では、道路が下水からあふれ出た汚物でいっぱいになることもめずらしくなかった。しかし、産業時代に入ると、生態系の汚染とか資源の極端な利用という問題はまったく新しい段階に入り、いままでと同じ尺度では律しきれなくなった。
 都市を破壊するというような次元ではなく、地球全体を文字通り存亡の危機にさらすような手段を文明が持つなどということは、歴史上かつてなかったことである。人間の貪欲や不注意の結果、海洋全体が汚染され、種が一夜にして絶滅するというようなことが起こっている。鉱山の発掘は地球の表面を傷だらけにし、ヘアー・スプレーのエアゾールはオゾン層を枯渇させた。熱汚染は、地球全体の気象条件を変えてしまうばかりの勢いである。
 もっとやっかいな問題に、帝国主義の問題がある。南アメリカでは、インディアンが鉱山発掘のために奴隷として使われ、アジア、アフリカ地域では、各地にプランテーション農業が導入されるなど、植民地の経済は工業国のニーズに応えるため、ひどくゆがんでしまった。これらすべてが、結果として、かつての植民地に苦悩、飢饉、疾病、荒廃といった傷跡を残している。第二の波の文明は人種差別を生み、自給自足の小規模経済を、むりやりに世界的な貿易体系にまきこんだ。傷口は、いまだに膿を出しており、癒える様子がない。
 それにもかかわらず、ここでもまた、昔の貧しい自給自足の経済を讃美することは誤りであろう。地球上の、今日なお工業化の進んでいない地域の人びとの生活さえ、300年前にくらべて悪化しているとは言えないのではないか。平均寿命、食糧事情、乳幼児死亡率、文盲率、人間の尊厳といった点からみて、まだまだサハラ砂漠周辺や中央アメリカでは、何百万、何千万という人びとが、筆舌につくしがたい悲惨な生活をおくっている。現状を批判するのに急なあまり、過去を美化し、ロマンチックな昔話をつくりあげてしまうのは罪なことである。未来への道は、過去のいっそう悲惨な生活に逆もどりすることではない。
 第二の波の文明を生んだ原因がひとつだけではないのと同じように、その功罪も一面的にとらえることはできない。私は第二の波の文明を、欠点も含めて描き出そうとしてきた。私は一方でこの文明を非難し、他方でこれを是認するという矛盾をおかしていると思われるかもしれない。しかし、単純な評価は誤解を招く。全面的に讃美することも正しいとは言えないし、全面的に否定し、非難することも的を射た評価とは言いがたい。産業主義が第一の波と、その波のもとで暮らしていた原始的な人びとの生活を瓦解させたさまは、直視できないものがある。第二の波は戦争まで大量生産の一環に組み込んで、アウシュビッツを生み、原子爆弾を用いて広島を灰塵に帰した。これも消すことのできない事実である。第二の波は自己の文化に対して尊大であり、地球上のほかの地域に対して恥ずべき略奪行為を行なった。また、都会のスラムにおける人間のエネルギーの浪費、創造的精神の喪失はおぞましいばかりである。
 しかし、自分たちの時代や同時代人に対する理不尽な嫌悪は、未来を築き上げる最上の基礎とはなりえない。産業主義は、はたして心地よい文明にまどろむ人びとを襲う悪夢だったのだろうか。あるいはまた、広漠とした荒野であり、まったくの恐怖の世界にすぎなかったと言うのだろうか。果たして、科学や科学技術に反対する人びとが主張するように、悪一色に塗りつぶされた世界だったのであろうか。そうした面のあったことは否めない。しかし、すぐれた成果も数多く、けっして悪い面ばかりでなかったことも事実である。悠久の歴史の流れのなかでみると、産業時代もまた、人生そのものと同じように、苦もあり楽もある、長いようで短い時代だったのである。

 暮れなずむ現代という時代を、歴史のなかにどう位置づけるかは別として、産業化の時代は終わったのだということを、明確に理解しなくてはならない。次なる変化が胎動しはじめると、第二の波はエネルギーを使い果たし、力を失って消えて行く。新しい波の到来によって二つの変化が起こり、産業文明は、もはやこのままでは存続しえなくなってくる。
 第一にまず、われわれは自然に対する挑戦の転機にさしかかっているということがあげられる。生態系が、もはや産業主義の攻勢に耐えられない、限界まできてしまっているのである。第二に、これまで産業の発展を支える主要な助成金の役割りを果たしてきた、再生不能のエネルギーに依存することが、もはや出来なくなってしまったということである。
 だからといって、科学技術に支えられた社会がもう終わったとか、エネルギー源がなくなってしまう、ということではない。ただ、これからの科学技術の進歩は、環境問題によって、これまでにない制約をうけざるをえない、ということである。そして、新しい代替エネルギーが開発されるまでの間、産業国家は、おそらく何回も激しい退潮のきざしに苦しむだろう。そして古いエネルギー形態に代わるものを探し出すために苦闘することになるが、それはまた、われわれに社会的、政治的変革をせまることになるだろう。
 ひとつだけ明確に言えることは、少なくともここ何十年間は、安いエネルギーは得られないということである。第二の波の文明は、この文明の発展を支えてきた、二種類の重要な助成金と言うべきものの、ひとつを失ってしまったのである。
 同時に、第二の波にとって、もうひとつの隠れた助成金であった、安い原材料もなくなりつつある。植民地主義あるいは新帝国主義の時代は終わり、産業先進国の進む道は二つしかない。ひとつは代替エネルギーや新しい原材料を、産業先進国相互の貿易によって産業化諸国のなかに求め、非産業国との絆を次第に弱めていく道である。さもなければ、非産業国との貿易を続けるにしても、いままでとはまったく違った条件で貿易をすることになるであろう。どちらの場合にしても、コストはかなり高いものになり、文明の基盤を支える資源事情全体が、エネルギー事情同様、まったく変わってしまうにちがいない。
 産業社会は、外部からの力で変革をせまられるばかりでなく、内部からのちからによっても瓦解せざるをえない。アメリカでは、家族制度そのものが、崩壊の危機に瀕している。フランスでは、電話が問題になっている。(中南米の小さな開発途上国よりも悪い状態におかれている)東京では、通勤電車の混在がひどい。(乗客が駅に押しかけて、駅員を人質に抗議する事件まで起こっている)家族制度、通信体系、交通体系など問題はみな同じで、人間とシステムの緊張関係が、すでに限界点に達しているのである。
 第二の波の体系全体が、危機に瀕している。社会福祉制度の危機があり、郵便制度の危機があり、学校制度の危機があり、保健医療制度の危機があり、都市体系の危機があり、世界の財政制度も危機に直面している。国民国家の存在そのものが問われている。第二の波の価値体系が、崩壊の危機に瀕しているのである。
 産業中心の文明を維持する基盤となっていた役割分担、義務と責任も問い直されている。男女の役割分担に変革を迫る運動は、そのもっともドラマチックなあらわれである。ウーマンリブの運動や、同性愛を法律で公認させようという運動があり、ファッションの世界でもユニセックスの傾向が強まるなど、伝統的な男女の役割分担は、徐々に不明瞭になってきている。職業における役割分担も崩れはじめている。たとえば、看護士と患者はいずれも医療との関係を見直そうとしている。警察官や教師も定められた役割を捨てて、違法とされているストライキをするようになった。法律問題に直面している人びとは、弁護士の役割を問い直している。労働者は次第に経営参加の要求をエスカレートさせ、従来の経営者の役割を侵害しつつある。産業社会を維持する基盤となっていた役割分担にひびが入るということは、毎日の新聞紙面をにぎわす政治的抗議やデモなど、表面にあらわれた変化よりもその意味するところは深く、社会全体に与える影響も大きい。
 産業中心の社会は、その主な助成金の出所を失い、その生命を維持するシステムがうまく機能しなくなった。そして役割分担は崩れていく。こうした圧力がいちばん基本的な、しかもいちばん弱い部分に集中する。それが人格の危機である。第二の波の文明の崩壊は、人格の危機を蔓延させた。
 今日、自分の生き方に自信を失ってしまった何百万という人間が、自分自身の失われた影を求めて映画館に殺到し、芝居を見、小説や、自分のことは自分でやろうという自助の思想を説く本などをむさぼり読んでいる。いかにあいまいであってもアイデンティティーを見出すのに役立つものなら、必死に追い求めているのだ。アメリカにおける人格の危機は、のちに触れるように、目をおおうばかりである。
 人格の危機の犠牲者たちは、精神科医のグループ療法に殺到し、神秘主義の虜となり、性的猟奇に走る。かれらは変革を渇望しながら、来るべき変化に恐怖の念を抱いているのだ。なんとかして現状から抜け出し、新しい生活に飛び込みたい、今の自分とは違った自分になりたいと必死にもがいている。仕事を変え、夫や妻を変え、役割分担を変え、責任分担を変えてみたいと、みんなが願っている。
 思慮ぶかく、愛想がよくて満足しきっているように見えるアメリカのビジネスマンも、現状に不満を持っているという点では例外ではない。アメリカ経営者協会の最近の調査によれば、中間管理職の40%以上が現在の仕事に不満があり、三分の一以上の人びとが、もっと生甲斐のある仕事に変わりたいと願っているのである。不満はそのまま行動となってあらわれることもある。ドロップアウトして農業をはじめたり、放浪の旅に出る人もいる。新しい生活様式を求めているのだ。ふたたび学校へ戻る人もいるし、自分の影を追いかけてぐるぐるまわりをはじめ、少しずつ輪をせばめながらだんだん速度をあげて、ついに倒れてしまう人もいる。
 自分の心のなかの不満の原因を突き詰めていくと、謂れの無い罪の意識にとらわれて悩むことになる。自分の心の中の悩みや不満が、実はもっと大きな社会的危機の個人への反映であるということに、なかなか気がつかないようである。実は、かれらは無意識のうちに、社会の病根を反映した劇中劇を演じているのではないだろうか。
 現在のさまざまな危機は、それぞればらばらの現象だと見ることもできよう。エネルギー危機と人格の危機との関係を、無視することもできるだろう。新しい工業技術と男女の役割分担の変化の関係を、無視することもできるだろう。そのほか、これに類する表面にはあらわれない相互関係に、目をつぶっていることも可能だろう。しかし、そうすることによって、自分自身が崩壊の危機に瀕してしまうのだ。なぜなら、これらの出来事は、いずれもより大きな歴史の流れのなかに位置づけられているからである。われわれの時代を、互いに関係のある二つの変化の波に結びつけ、その二つの波が大きくぶつかりあっているということに気がついてみると、この時代の事象の本質が理解できるようになる。産業化の時代は過去のものとなりつつあり、真の意味で新しい、産業時代に続く時代が始まりつつあるということであり、われわれはそのさきがけとなる、さまざまな変化のきざしを、探り出すことが可能である。われわれは第三の波を確認することができるのだ。
 これからのわれわれの生活の枠組みとなるのは、この変革の第三の波である。滅びゆく古い文明から、いま、その姿をあらわしはじめた新しい文明へ円滑に乗りかえ、しかも自分自身を見失わずに、これから追ってくる、いよいよ激しい危機を乗り切るためには、第三の波の変革を正しくとらえ、むしろ積極的にその変革を推し進めていかなければならない。
 注意深くわれわれの身のまわりに目を向かれば、さまざまな失敗や崩壊現象が交錯するなかに、すでに新しいものが生まれてくる兆し、新しい可能性を見出すことができるのである。
 第三の波は、もはや遠くの浜に打ち寄せる波ではなく、耳をそばだてれば波音がすぐそばに聞こえるほど、身近におし寄せているのだ。

「ぶつかり合う波(完)」