並木たより

写真付き日記

陽関を出ずれば故人無からん

2006-02-07 20:33:28 | 日記・エッセイ・コラム

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(中庭に飛来した鷺と鴨)

東禅寺(臨済宗*1)の住職が死者に引導を渡す際、「西の方(かた)陽関を出ずれば故人無からん、喝(カーッ)!」とやった。唐の王維の「謂城の朝雨」という送別の漢詩の末句で、国境の陽関から先には、知人・友人は一人も居ないのだよという意味である。

聖書にも「私は裸で母の胎を出た、また裸でかしこに帰ろう」(ヨブ記1章21節)とある。この世で得た財産も名声もあの世には持って行けないのである。しかし、家族の情愛や朋友の信義までも此の世限りのものなのであろうか。

私は4歳で母に死別した折、「いつか再び母に会える」と思った。以来60年その「思い」を疑わしく思ったことはない。十年ほど前、母を亡くした幼子(私の長姉の孫)が「僕も死んだらママに会えるかな、早く死んでママに会いたい」とつぶやくのを聞いた。

来世の存在と愛する者との再会*2について、悟り済ました臨済坊主の「喝」よりも、幼子の直感を信じたいと思う。

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*1 栄西禅師が伝えた禅宗。道元禅師が伝えた只管打坐(しかんだざ:悟りを求めてひたすら座禅を組む)の曹洞宗(永平寺・総持寺)と異なり、民衆を教化する手段として公案という禅問答を用いた。京都五山、鎌倉五山など。「嘘も方便」の言葉もある。

*2 「親はわが子に、友は友に、妹背(いもせ)あい会う父の御許、雲はあとなく霧は消えはて、同じみ姿ともに写さん。やがて会いなん、愛(め)でにし者とやがて会いなん」(讃美歌489番)


死ぬ日は生まれる日にまさる

2006-02-07 00:24:35 | 日記・エッセイ・コラム

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ミッキーさんこと高木幹雄先生の通夜。雪が降りだしそうな寒気の中、高輪の東禅寺に700名ほどの友人・知人が集われた。

父上の昇先生の葬儀からわずか9ヵ月後に、同じ東禅寺で、あの日喪主をつとめられたミッキーさんご自身の葬儀を行うことになろうとは・・・・。

良い仕事を残され、良い弟子たちを育てられ、「自分が生まれてきた時よりは、少しは良い世の中にして死にたい」という男子の本懐を遂げられたということを、わずかに慰めとしたい。

「名声は香油にまさる。死ぬ日は生まれる日にまさる。弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終わりがある。命あるものよ、心せよ。」(旧約聖書コヘレトの言葉7章1節~2節)