(中庭に飛来した鷺と鴨)
東禅寺(臨済宗*1)の住職が死者に引導を渡す際、「西の方(かた)陽関を出ずれば故人無からん、喝(カーッ)!」とやった。唐の王維の「謂城の朝雨」という送別の漢詩の末句で、国境の陽関から先には、知人・友人は一人も居ないのだよという意味である。
聖書にも「私は裸で母の胎を出た、また裸でかしこに帰ろう」(ヨブ記1章21節)とある。この世で得た財産も名声もあの世には持って行けないのである。しかし、家族の情愛や朋友の信義までも此の世限りのものなのであろうか。
私は4歳で母に死別した折、「いつか再び母に会える」と思った。以来60年その「思い」を疑わしく思ったことはない。十年ほど前、母を亡くした幼子(私の長姉の孫)が「僕も死んだらママに会えるかな、早く死んでママに会いたい」とつぶやくのを聞いた。
来世の存在と愛する者との再会*2について、悟り済ました臨済坊主の「喝」よりも、幼子の直感を信じたいと思う。
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*1 栄西禅師が伝えた禅宗。道元禅師が伝えた只管打坐(しかんだざ:悟りを求めてひたすら座禅を組む)の曹洞宗(永平寺・総持寺)と異なり、民衆を教化する手段として公案という禅問答を用いた。京都五山、鎌倉五山など。「嘘も方便」の言葉もある。
*2 「親はわが子に、友は友に、妹背(いもせ)あい会う父の御許、雲はあとなく霧は消えはて、同じみ姿ともに写さん。やがて会いなん、愛(め)でにし者とやがて会いなん」(讃美歌489番)